第2話:天かすと塩昆布を混ぜただけの悪魔
「ふう……今日もよく働いた」
時刻は深夜零時半。佐藤はリビングの柔らかい照明の下で、軽く首を回した。
ディスプレイに向かい合ってカタカタとコードを叩き続ける一日が終わり、脳の奥が心地よく疲れている。
世間では、五十を過ぎた独身男に対して「将来が不安ではないか」だの「孤独死が怖くないか」だのと、勝手な価値観で哀れみの視線を向けてくる奴がいる。
だが、佐藤にとってそんなものは大きなお世話だった。
彼が人生で何よりも大事にしているもの。
それは——「自分の時間の主導権を、100%自分が握っていること」だ。
誰にもスケジュールを邪魔されず、自分の意思だけで行動し、自分の選んだ空間で静かに過ごす。この「絶対的な自由」こそが、佐藤にとって何物にも代えがたい至高の贅沢だった。
だからこそ、深夜の腹ごしらえにだって誰の許可もいらない。
「今夜は……包丁も火も使いたくないな」
そう思ったら、もう徹底的に手抜きをするまでだ。
佐藤は洗面所で手を洗うと、台所の戸棚を開けた。
目についたのは、先日うどんを作った残りの「天かす(揚げ玉)」の袋と、常備している「塩昆布」。
「よし、今夜は『悪魔和え』といこう」
ボウルすら出さない。100均で買った小さな小鉢を取り出し、天かすをドサッと入れる。そこに塩昆布をひとつまみ。
上から香ばしいごま油をたらり、めんつゆをちょろっと垂らす。
箸でササッと十数回、和えるだけ。
所要時間、わずか三十秒。
料理と呼ぶのもおこがましい。だが、これでいいのだ。誰に見せるわけでもない、映えなど知ったことか。
保温されていた炊飯器から、炊きたての白飯を茶碗に山盛りに装う。
その上に、ごま油の香りを纏った天かすと塩昆布を、豪快にぶっかけた。
「完成だ」
冷えた缶ビールを冷蔵庫から取り出し、ぷしゅっと音を立てて開ける。
グラスになど注がず、そのまま缶に口をつけてグビグビと喉を鳴らした。
「……っはー! うまい」
喉が鳴り響いたところで、すかさず茶碗を抱え込み、天かすと塩昆布がどっさり乗った白飯を口へかき込む。
「……っ! んん〜……っ!!」
一口噛んだ瞬間、脳の奥で旨味の爆弾が弾けた。
炊きたてのご飯の熱で天かすがほんのり柔らかくなり、じわっと閉じ込められていた油のコクと出汁が米粒へ染み込んでいく。塩昆布の強い塩気と旨味、そこへごま油の香ばしい風味が追撃をかけてくる。
サクサク、もちもち、じゅわっ。
複雑な食感と濃厚な味わいが一気に押し寄せ、咀嚼するたびに幸福感が全身を駆け巡る。
「……たまらん。シンプルにして最強だな」
二口、三口と箸が止まらない。
お行儀よく咀嚼する暇もなく、ガツガツと口の中へ放り込み、冷えたビールで流し込む。
世の中には「健康のために三汁一菜を」とか「夜遅くの油ものは控えましょう」なんて正論が溢れている。もちろんそれも正しいのだろう。
だが、深夜零時に誰の目も気にせず、欲望のままに喰らうこの一杯には、どんな高級料理も及ばない中毒性がある。
「自分の命の責任は自分でもつ。だから、食いたいものを食う」
それこそが、佐藤が守り抜いてきた「自由」の証だった。
「ふう……喰った喰った」
あっという間に茶碗は空になり、ビールも最後の一滴まで飲み干した。
小鉢と茶碗をサッと水につけ、佐藤は満足げに息をつく。
誰に遠慮することもなく、今日という一日を自分の好きに締めくくった。
静かな部屋に、お気に入りのJAZZの旋律が優しく流れている。
「さて……明日はコンビーフでも買ってくるか」
佐藤はニヤリと笑うと、心地よい満腹感に包まれながら、寝室へと向かった。




