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【完結】私を捨てたあなたに、幸せになる資格まで奪われたくないのです  作者: 入多麗夜


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08. 遠慮がちな半歩後ろ

 アルディーン公爵家を訪れた日の午後、ヴィオレッタはフェリクスに誘われて庭園を歩いていた。先日ミリアと約束したお茶会の日取りについて少し話したあと、せっかくだから温室を見ていかないかと誘われたのだ。アルディーン家の庭園は広く、手入れの行き届いた花壇の間を石畳の小道が幾重にも伸びている。春の終わりが近づき、色づき始めた花も多かった。ヴィオレッタはフェリクスと最近読んだ本について話したり、ミリアが次に何を話そうか今から悩んでいるらしいと聞いて笑ったりしながら、その後について歩いていた。


 しばらくして、前を歩いていたフェリクスがふと振り返った。ヴィオレッタは何かあるのかと思ったが、彼は何も言わず、また前を向く。その後、歩く速度が少しだけ遅くなったため、ヴィオレッタもそれに合わせて速度を落とした。するとしばらくして、フェリクスがもう一度振り返る。


「ヴィオレッタ、こっちに来ない?」

「こっち?」


 フェリクスが示したのは自分の隣だった。ヴィオレッタは不思議に思いながら横へ並ぶと、彼は少しだけ笑った。


「さっきからずっと、半歩くらい後ろにいるから」

「……そうだったかしら」


 言われて初めて気づいた。別に後ろを歩こうと考えていたわけではないし、フェリクスからそうするよう求められたこともない。それでも、いつの間にか少しだけ距離を取って歩いていたらしい。自然とそういう位置を選ぶ癖がついていたのだろう。


「別に、後ろを歩こうと思っていたわけではないのよ」

「分かってるよ、ヴィオレッタ。ただ、隣の方が話しやすいから」


 庭園の奥にある温室には、南方から取り寄せた珍しい植物が多く育てられていた。天井近くまで伸びた葉の大きな植物や、王都ではあまり見かけない鮮やかな色の花が並び、ヴィオレッタは思わず足を止めながら一つ一つ眺めていく。フェリクスは旅先で実際に見た植物もあるらしく、現地ではどのような場所に咲いていたのかを話してくれたが、その途中で昔、花の名前を間違えて覚えていたことも明かした。しかも自信満々に間違った名前を口にして現地の人に笑われたらしく、その時のことを思い出したのか、本人も苦笑している。


 ヴィオレッタはそんな話を聞きながら、ふと淡い青紫色の花の前で足を止めた。小さな花弁がいくつも重なり、光を受けると少し銀色がかって見える。綺麗だと思って眺めていると、フェリクスが隣から同じ花を見た。


「これ、ヴィオレッタが好きそうだと思ってた」

「どうして分かったの?」

「前に似た色の花を見た時、綺麗だって言ってただろ」


 ヴィオレッタは少しだけ驚いた。いつのことだったか、自分でもすぐには思い出せないほど何気ない言葉だった。それをフェリクスが覚えていたことが、妙に嬉しい。何か特別な贈り物をされたわけでも、甘い言葉をかけられたわけでもない。それでも、普段の自分の言葉をきちんと覚えてもらえていることが嬉しかった。


 温室を出たあとも、二人はそのまま庭園を歩いた。いつの間にかヴィオレッタはフェリクスの隣にいることを意識しなくなっていた。会話も途切れがちになったが、不思議と気まずさはない。風が木々を揺らす音や、遠くで鳥が鳴く声を聞きながら歩く時間は穏やかで、何も話していなくても落ち着いていられた。


 その時、隣を歩いていたフェリクスが何度かこちらを見る気配がした。ヴィオレッタが不思議に思って顔を上げると、彼は少し迷うような間を置いてから片手を差し出した。


「……手、繋いでもいい?」


 思いがけない言葉に、ヴィオレッタは一瞬目を瞬いた。いつも落ち着いていて、何でも自然にこなしているように見えるフェリクスだったが、よく見ると、その耳はほんのり赤かった。


 それに気づいた途端、ヴィオレッタの方まで少し恥ずかしくなる。それでも嫌だとは思わなかった。むしろ、フェリクスも自分と同じように緊張しているのだと分かると、胸の奥にあった固さが少しだけほどけた。


「ええ、いいわよ」


 ヴィオレッタが差し出された手に自分の手を重ねると、フェリクスはそっと握り返した。強くもなく、離れそうなほど弱くもない。最初のうちは繋いだ手ばかりが気になり、ヴィオレッタも少しぎこちなく歩いていたが、しばらくすると、その温かさの方が心地よく感じられるようになった。


 二人はそのまま庭園を歩き、途中のベンチで少し休んだ。そこで次にどこへ行きたいかという話になり、ヴィオレッタは以前ならまずフェリクスの希望を聞いていたかもしれないと思いながら、今度は自分から口を開いた。


「今度、王都の植物園にも行ってみたいわ。今日ここを見ていたら、少し興味が出てきたの」

「いいね。じゃあ次はそこにしよう」


 何でもないように次の予定が決まり、それがまた少し嬉しかった。


 繋いだ手はそのままなのだった。

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