05. 少し早いお義姉様
聞き慣れない呼び方に、ヴィオレッタは思わず足を止めた。アルディーン公爵邸を辞するため、フェリクスとともに玄関へ向かっていたところだった。ちょうど外から戻ってきたらしい少女がこちらを見つけたかと思えば、その顔をぱっと輝かせ、迷うことなく駆け寄ってくる。年齢は十四歳ほどだろう。フェリクスとよく似た髪色をしているものの、兄よりもずっと表情が豊かで、まだ幼さの残る顔には隠しきれない喜びが浮かんでいた。
「お会いしたかったです!今日いらっしゃると聞いていたんですけど、どうしても外せない用事があって――あっ、申し遅れました。ミリア・アルディーンです。フェリクスお兄様の妹です」
途中で自分がまだ名乗っていなかったことに気づいたらしく、ミリアは慌てて姿勢を正した。ヴィオレッタも名を返して挨拶を交わしたが、ミリアは満足したように頷いた直後、やはり嬉しそうに「ヴィオレッタお義姉様」と呼んだ。
「ミリア様、私はまだ義姉ではないのだけれど」
「でも、いずれお義姉様になりますよね?」
あまりにも当然のように返され、ヴィオレッタは言葉に詰まった。その隣ではフェリクスが小さく息を吐き、「ミリア、ヴィオレッタが困ってる」と妹を窘める。するとミリアは急に不安そうな顔になり、本当に迷惑だっただろうかとヴィオレッタを見上げてきた。
「……お義姉様と呼んでは駄目ですか?」
そんな顔をされてしまえば、強く否定する気にもなれない。
「私は構わないわ。少し気が早いとは思うけれど」
そう答えた瞬間、ミリアの表情は再び明るくなった。どうやら感情がそのまま顔に出る性格らしい。フェリクスは何か言いたそうだったが、ヴィオレッタ本人が許した以上は諦めたのか、それ以上何か言うことはなかった。
本来ならそのまま帰宅するところだったが、ミリアはせっかく会えたのだから少しだけ話をしたいと言った。ヴィオレッタが窓の外を見ると、まだまだの時間帯だった。何より、これほど会えることを楽しみにしてくれていた少女を、挨拶だけで置いて帰るのも忍びなかった。少しだけならと了承すると、ミリアはまた嬉しそうに笑い、そのままヴィオレッタの手を取った。あまりにも自然な仕草だったので、ヴィオレッタも一瞬遅れて気づいたほどだった。
三人は玄関近くの小さな居間へ移った。家族が普段使っているらしいその部屋は、先ほどまでいた客間よりもずっと落ち着いた雰囲気で、ヴィオレッタが長椅子へ腰掛けると、ミリアは当然のようにその隣へ座った。フェリクスは向かい側の椅子へ座り、二人の様子を眺めている。
ミリアは十四歳らしく好奇心旺盛だった。ヴィオレッタのドレスや髪飾りを褒め、好きな菓子や本について尋ね、最近どこへ出かけたのかにも興味を示した。ただし、ただ一方的に話し続けるわけではなく、ヴィオレッタの答えを聞くたびに楽しそうに頷くので、不思議と煩わしさはない。最初こそその勢いに少し圧倒されていたヴィオレッタも、気づけば自然に笑いながら話していた。
「お義姉様の髪、とても綺麗ですね。私、こういう色が昔から好きなんです!」
「ありがとう。貴方の髪も綺麗よ。フェリクスとよく似ているわね」
「本当ですか?嬉しいです。でも、お兄様より私の方が柔らかいんですよ」
そう言って自分の髪を摘まんで見せる姿が可愛らしく、ヴィオレッタは思わず笑った。ミリアはそのまま少し身を寄せ、ヴィオレッタの髪を近くから眺めたあと、許可を取って一房だけそっと触れる。それは、純粋に興味を持っていることが伝わってくる仕草だった。
そのうち、ミリアはまたヴィオレッタの手を取った。先ほど玄関で勢いのまま握った時とは違い、今度は少しだけ照れくさそうにしている。
「私、お姉様ができるのをずっと楽しみにしていたんです!お兄様は二人いますけど、お姉様はいませんから。友達がお姉様と一緒に出かけた話をしていると、少し羨ましくて」
ヴィオレッタはその言葉を聞きながら、初めてミリアの気持ちを理解した。フェリクスとの結婚について考える時、自分は当然のようにアルディーン家へ入っていく側だと思っていた。公爵夫妻の義娘となり、アレクシスやミリアとも家族になる。それはヴィオレッタから見た変化でしかなかった。しかし、アルディーン家の側から見れば、ヴィオレッタという新しい家族が増えることでもある。
「だから、フェリクスお兄様の婚約が決まったと聞いた時、本当に嬉しかったんです。それに、お義姉様がヴィオレッタ様だと分かって、もっと嬉しくなりました」
真っ直ぐな言葉だった。期待されることに少しだけ戸惑いはあるものの、それ以上に、その期待が嬉しかった。
「ありがとう。でも、あまり期待されすぎると緊張するわ。私もお姉様になるのは初めてだから」
「大丈夫です。私も、お義姉様ができるのは初めてですから!」
あまりにも真剣に返され、ヴィオレッタは一瞬きょとんとしたあと、堪えきれず笑ってしまった。向かい側にいたフェリクスまで小さく笑い、ミリアだけが何がおかしかったのか分からないような顔をしている。その様子まで可笑しくて、ヴィオレッタの笑みはなかなか収まらなかった。
それからしばらく話をしているうちに、ミリアは早くもヴィオレッタと一緒にやりたいことをいくつも考え始めた。二人だけでお茶をしたい、自分の部屋にも遊びに来てほしい、できれば王都へ買い物にも行きたい。十四歳らしい遠慮のなさはあるものの、どれもヴィオレッタと仲良くなりたいという気持ちから出ていることが分かる。
「全部一度には無理だけれど、一つずつなら付き合うわ」
「本当ですか!?」
「ええ。最初は何がいい?」
ミリアはしばらく真剣に悩み、最初は二人だけのお茶にすると決めた。買い物もしたいが、まずはもっと話をしたいのだという。ヴィオレッタもその約束を受け入れ、次に屋敷を訪れた時には時間を作ることにした。
そうして話しているうちに、今度こそ本当に帰らなければならない時間になった。ヴィオレッタが立ち上がると、ミリアもすぐについてきた。玄関まで見送るだけでなく、馬車の前まで一緒に出てくる。外へ出てもヴィオレッタの手を離そうとせず、約束を忘れないでほしいと念を押してくる姿に、ヴィオレッタはまた笑ってしまった。
「忘れないわ。次は二人でお茶でしょう?」
「はい。絶対ですよ、お義姉様!」
「ええ。また来るわ」
今度はもう、その呼び方を訂正することもなかった。
馬車へ乗り込む直前、ミリアはようやく手を離したものの、馬車が動き始めても玄関先から大きく手を振り続けていた。ヴィオレッタも窓越しに手を振り返しながら、その姿が少しずつ遠ざかっていくのを眺める。
まだ結婚したわけではなく、本当に義姉妹になるのはずっと先のことだ。それなのに、随分と気の早い義妹だった。けれど、自分が新しい家へ入っていくことばかり考えていたヴィオレッタにとって、自分が家族になる日をあれほど楽しみに待ってくれている人がいるという事実は、思っていた以上に温かく、嬉しいものだった。




