24. 花嫁衣装
グランシェル伯爵家の一室には、婚礼衣装に使う生地や刺繍の見本が広げられていた。普段は来客を通すことのない、日当たりの良い広めの部屋である。卓の上には白を基調とした布が何種類も重ねられ、その隣には袖や襟元の形を描いた図案、刺繍の意匠をまとめた紙が並んでいた。ヴィオレッタは母クラリッサと向かい合うように座り、仕立て屋が順番に見せる候補へ目を通している。
公爵家へ嫁ぐ令嬢の婚礼衣装となれば、相応の格式は求められる。仕立て屋が最初に勧めたのは、光を受けるたびに細かな輝きが浮かぶ生地に、宝石を散らすように縫い込む案だった。華やかで目を引くことは間違いないものの、ヴィオレッタは布の端を持ち上げてしばらく眺めたあと、そっと元の位置へ戻した。
「綺麗だけれど、少し華やかすぎる気がするわ。私はもう少し落ち着いたものがいいわ」
仕立て屋はすぐに別の生地を取り出した。こちらは白の色合いがわずかに柔らかく、表面には強すぎない光沢がある。ヴィオレッタが指先で撫でると、先ほどのものよりも滑らかで、布そのものの質感がよく分かった。クラリッサは隣から口を挟まず、娘が何を選ぶのかを見ている。
「こちらの方が好きだわ」
「では、装飾を抑えて刺繍を中心にしましょう。裾と袖口に入れる形なら、十分に華やかさも出せます」
仕立て屋が刺繍の見本を何枚か広げる。蔓草を細く伸ばしたもの、花を大きく配置したもの、細かな葉を連ねたもの。その中でヴィオレッタの手が止まったのは、いくつかの花を小さく組み合わせた図案だった。大きく目立つ一輪ではなく、季節ごとに咲く花を散らすような意匠である。新居の庭について話した時、季節ごとに何か咲いているようにしたいと自分から希望したことを思い出し、ヴィオレッタはその紙を手元へ引き寄せた。
「これがいいわ。裾に沿って入れてもらえるかしら」
「もちろんです。袖口にも少し同じ意匠を入れれば、全体がまとまりますね」
クラリッサも図案を覗き込み、軽く頷く。
「あなたらしいわね。綺麗だわ」
ヴィオレッタはその言葉に笑い、次は襟元と袖の形を選ぶ。仕立て屋が用意していた仮布を肩へ当ててもらい、鏡の前で何度か向きを変えた。最初に勧められた形は華やかではあったものの、首元が少し窮屈に見える。もう一方は線がすっきりしていて、刺繍を入れた時にも布の美しさを邪魔しなさそうだった。
「私はこっちの方が好きだわ。袖も少し細めにしてもらえる?」
「ええ。動きにくくならない程度に調整いたします」
ヴィオレッタは鏡越しに全体を確認し、自分の肩へ当てられた布をもう一度見た。仕立て屋に勧められたものをそのまま選ぶのではなく、自分で見比べて決めていく。クラリッサも途中で意見を求められれば答えるが、先に結論を出すことはなかった。
生地と形が決まったところで、仕立て屋が採寸の準備へ移る。その前にクラリッサが侍女へ何かを頼み、少しして小さな箱を持ってこさせた。濃い色の木で作られた箱は、普段ヴィオレッタが使う宝石箱よりも古く、蓋の端には長いあいだ触れられてきた跡が残っている。クラリッサが留め具を外し、中から白い花を模した髪飾りを取り出した。
細い金属で形作られた花弁には小さな石が埋め込まれているが、豪華さを前へ出すような品ではない。光の角度によって輝き、細かな細工の方が先に目へ入る。ヴィオレッタは見覚えがある気がして、少し顔を近づけた。
「これ、以前見たことがあるわ」
「小さい頃に一度だけ見せたと思うわ。婚礼の時に使うものだから、普段はしまっていたの」
クラリッサが髪飾りをヴィオレッタの手のひらへ載せる。思っていたよりも軽く、花弁の一枚一枚まで丁寧に作られている。
「お母様も、これを?」
「ええ。私が結婚した時には、お祖母様から借りたのよ。今度はあなたが使う番ね」
ヴィオレッタは手の中の髪飾りを見下ろしたあと、クラリッサへ視線を戻す。
「使いたいわ。衣装にも合うと思う」
「そう言うと思った」
クラリッサは髪飾りを受け取り、ヴィオレッタの髪へ軽く合わせる。仕立て屋もその様子を確認し、衣装側の装飾は髪飾りと競わないように調整すると伝えた。宝石を増やす案はそこで外れ、刺繍と生地を中心に仕上げることになる。
採寸が始まると、ヴィオレッタは仕立て屋に言われるまま腕を広げたり、向きを変えたりした。肩幅、袖丈、腰まわりと順番に測られ、そのたびに数値が紙へ書き込まれていく。クラリッサは少し離れた椅子へ座り、途中で侍女に茶を用意させた。採寸が終わる頃には、最初に広げられていた布の半分ほどが片づけられ、選ばれた生地と図案だけが卓上に残っていた。
ヴィオレッタが椅子へ戻ると、クラリッサが茶を差し出す。慣れない姿勢を長く取っていたせいか、肩が少し固くなっていた。ヴィオレッタは茶器を受け取り、一口飲んでから選んだ図案へ目を向ける。
「フェリクス様の衣装も、もう仕立て始めているのかしら」
「アルディーン家でも準備を進めていると聞いているわ。詳しいことは知らないけれど」
クラリッサが少し笑う。
「あなたたち、当日まで見せないことにしたのでしょう?」
「ええ。別に決まりではないのだけれど、その方が楽しみになると思って」
「フェリクスさんも同じことを考えているの?」
「たぶん。あちらも教えてくれないもの」
それ以上、フェリクスの衣装について話すことはしなかった。何色を選ぶのか、どの程度装飾を入れるのかは気になったが、当日まで知らないと決めたのなら、今から尋ねても仕方がない。ヴィオレッタは茶器を置き、仕立て屋から確認された細かな部分だけをもう一度見直した。
やがて仕立て屋が見本をまとめ、次の仮縫いの日程だけをクラリッサへ伝えて帰っていく。使用人たちも残った布や紙を片づけ始め、広かった卓の上には、ヴィオレッタが選んだ衣装の簡単な図案と、婚礼用の髪飾りを収める箱だけが残った。
「出来上がるのが楽しみ?」
「ええ。とても楽しみにしているわ」
クラリッサは髪飾りの箱を抱え、仕立て屋が残した書類と一緒に持っていった。ヴィオレッタは図案を卓上へ広げたまま、裾に描かれた小さな花の模様を指先でゆっくりとなぞったのだった。




