17. 男の約束
ヴィオレッタの兄であるエドワード・グランシェルは、妹思いの良き兄だった。何かと口を出す性格ではなく、ヴィオレッタが自分で決めたことには余計な干渉をしない人だ。そんな兄がその日の朝、王都へ出かける支度をしていると知って、ヴィオレッタは自室から一冊の本を持ってきた。
「兄様、今日アルディーン公爵家の近くまで行くのよね?だったら、これをフェリクスに返してもらってもいいかしら。私も今日返しに行こうと思っていたの」
「ああ、構わないよ。これを渡せばいいんだな」
エドワードが受け取ったのは、フェリクスから借りていた旅行記だった。ヴィオレッタは数日前に読み終えており、今日のうちに返しに行くつもりだったらしい。それなら自分が届けた方が早いと、エドワードは本を荷物と一緒に持って屋敷を出た。
王都で予定していた用事を済ませたのは、昼を少し回った頃だった。そこからアルディーン公爵家までは遠くない。エドワードが屋敷を訪ねて名を告げると、ほどなくしてフェリクス本人が姿を見せたため、預かっていた旅行記を手渡した。フェリクスはすでにヴィオレッタが読み終えたことに少し驚いていたが、気に入ってもらえたなら貸した甲斐があったと嬉しそうだった。
「わざわざありがとうございます。このあと、まだ何か予定がありますか?」
「いや。今日の用事はもう終わったよ」
「それなら少し休んでいきませんか?せっかく来てもらったんですし」
急いで帰る必要もなかったため、エドワードは誘いに応じた。案内されたのは大仰な客間ではなく、家族も普段から使っている小さな応接室だった。二人はこれまでにも何度か顔を合わせているが、ヴィオレッタや両家の家族が必ず同席しており、こうして二人だけで腰を据えて話す機会はなかった。
茶が運ばれてからは、互いの近況や仕事について話した。公爵家の次男であるフェリクスは、父や兄の補佐をしながら自分に任された仕事もこなしており、領地から届く書類の確認や商人との面会で王都を動き回ることも多いらしい。ヴィオレッタからは旅行や本の話を聞くことが多かったため、エドワードが冗談交じりにそのことを指摘すると、フェリクスは仕事の話を婚約者に延々聞かせる方がおかしいと笑っていた。
そこから王都の店や街道の話へ移り、フェリクスが旅先で見たものへと話題が広がった。エドワードが興味を示したのは、長距離を移動する商人たちが使っていた少し変わった馬具だった。普通のものより大きく不格好に見えるものの、馬と乗り手の双方にかかる負担を抑える工夫が施されているらしい。エドワードも普段から馬に乗るため、その造りには興味があった。
フェリクスも相手が食いついたと分かると、実際に旅先で使わせてもらった時のことまで話し始めた。馬具の話だけで随分と盛り上がり、最初に茶を口にした頃より互いの口調も軽くなっていた。
「王都にも似たものを扱っている店がありますよ。今度、兄と見に行く予定なんです」
「アレクシスさんと?それは少し気になるな」
「だったら、エドワードさんも一緒に来ませんか?」
予想していなかった誘いに、エドワードは一度フェリクスの顔を見た。今日ここへ来たのは本を届けるためで、二人だけで話すことさえ予定にはなかった。それがいつの間にか、次に会う予定まで決まりかけている。
「アレクシスさんが構わないなら、俺はいいけど」
「兄なら大丈夫ですよ。じゃあ、日にちが決まったら連絡します」
「ああ。楽しみにしてるよ」
その後もしばらく話してから、エドワードは公爵家を後にした。フェリクスは玄関まで見送り、馬具店へ行く日については後日連絡すると念を押していた。
エドワードを見送ったフェリクスが屋敷の奥へ戻ると、廊下で兄のアレクシスと顔を合わせた。玄関から出ていった人物が誰なのか気づいていたらしく、ヴィオレッタの兄が何の用で来ていたのか尋ねられる。フェリクスは借していた本を届けてもらったことを話し、そのついでに、次の外出についても伝えた。
「兄上、今度の馬具の店だけど、エドワードさんも一緒に来ることになったから」
「構わないが……今日初めて二人だけで話したんじゃなかったのか?」
「そうだよ。話してみたら結構気が合ったんだ。馬の話もできるし、あの店にも興味があるみたいだから誘った」
アレクシスに断る理由はなく、予定が決まったら早めに知らせるようフェリクスへ告げた。フェリクスも頷き、エドワードにも同じ日程を伝えておくと答える。
「しかし、随分早かったな。届け物を持ってきただけの相手と、その日のうちに出かける約束までしているとは思わなかった」
「いいだろ。どうせこれから長い付き合いになるんだから」
「別に悪いとは言っていない。遅刻だけはするなよ」
「分かってるよ」
アレクシスはそれ以上何も言わず、自分の用事へ戻っていく。フェリクスも返された旅行記を抱えて自室へ向かいかけたが、数歩進んだところで兄を振り返った。
「兄上、店に行く日が決まったら教えてよ。エドワードさんにも俺から連絡するから」
「分かった。三人とも空いている日を探しておく」
「よろしく。楽しみにしてるよ」
アレクシスは軽く片手を上げ、そのまま廊下の角を曲がっていった。フェリクスも今度こそ自室へ向かう。エドワードから預かった旅行記を片手に、次の休日には何を見ようかと考えながら。




