15. あなたに贈りたくて
王都へ出たついでに、フェリクスが仕事で使う手袋を新調したいと言った。今使っているものもまだ十分使えるらしいが、指先の縫い目が少し緩み、書類を扱う時に引っかかることがあるのだという。ヴィオレッタにとって特別興味のある買い物ではなかったものの、このあとの予定にも余裕があったため、そのまま一緒に店へ入ることにした。通りに面した店はさほど大きくなかったが、棚には手袋だけでなく帽子や革製の小物、衣服に使う留め具なども整然と並んでいる。普段使いを意識した落ち着いた品が多く、フェリクスもよく利用する店らしかった。
店員に勧められた手袋を何組か試しながら、フェリクスは指を動かしたり、掌を開いたりして確かめている。色や飾りよりも使いやすさを優先しているのが分かり、ヴィオレッタは少し離れた場所からその様子を眺めていたが、やがて邪魔にならないよう店内を見て回ることにした。男性向けの品をじっくり眺める機会はそれほど多くない。父や兄のための贈り物なら母と一緒に選んだこともあったが、こうして特定の相手に似合うものを考えながら見るのは、どこか感覚が違った。
その途中で、ヴィオレッタの目が一つの小さな留め具に止まった。深い青色の石を使い、銀色の細い縁取りが施されている。
フェリクスが普段よく身につけている濃紺や灰色の上着にも合わせやすそうだった。
似合いそうだと思った。
考え込むよりも先に、そんな言葉が浮かんだ。今日は彼の誕生日でもなければ、婚約を祝う日でもない。何かを贈る約束をしていたわけでもなく、わざわざ記念になるような品を探していたわけでもなかった。それでも、その留め具を見て最初に思い浮かんだのはフェリクスだった。ヴィオレッタは棚の前で足を止め、少し角度を変えながら石の色を確かめる。
「何を見ていたの?」
すぐ近くから声をかけられ、ヴィオレッタが顔を上げると、手袋を選び終えたフェリクスが立っていた。片手には新しい手袋の包みを持っている。
「これ。あなたに似合いそうだと思って」
「俺に?……ああ、確かにこういう色は好きだな」
フェリクスはヴィオレッタの隣に立ち、同じ留め具を眺めた。実際に手へ取ることはしなかったものの、少し身を屈めて細部まで見ている。
「普段の上着にも合わせやすそうね」
「うん。仕事の時でも使えそうだ」
その返事を聞いて、ヴィオレッタはもう一度留め具へ視線を戻した。値段も特別高いものではない。公爵家の人間へ贈る品として考えれば、むしろささやかすぎるほどだったが、今日は正式な贈答をする日ではないのだから、そのくらいでちょうどいい気がした。
「それなら、私から贈らせて」
「ヴィオレッタ、無理はしていないかい?」
「心配しないで。貴方に似合うと思っただけよ。裏も何もないわよ」
フェリクスは嬉しそうな顔をする。
「……ありがとう。すごく嬉しいよ。今度、お礼するよ」
「お礼なんていいのに」
「俺がしたいんだ」
フェリクスは迷う様子もなくそう言った。その言葉には義務感らしいものがなく、もらったから返さなければならないというより、自分も何かしたいという気持ちがそのまま出ているようだった。ヴィオレッタもそれ以上は断らず、店員を呼んで留め具を包んでもらう。小さな箱へ収められ、細い紐を掛けられたそれを受け取ると、自分で会計を済ませてからフェリクスへ差し出した。
「はい」
「ありがとう」
フェリクスは両手で箱を受け取り、少し眺めてから大切そうに持ち直した。その表情を見ていると、ヴィオレッタの方まで自然と嬉しくなる。別に大したものを贈ったわけではない。それでも、これほど素直に喜ばれると選んだ甲斐があったと思えた。
店を出ると、昼前の通りには人が増え始めていた。二人は人の流れを避けながら並んで歩いたが、フェリクスは自分で買った手袋の包みよりも、ヴィオレッタから受け取った小箱の方を丁寧に持っている。落とすような大きさでもないのに、時折手元を確かめているのが見え、ヴィオレッタはとうとう小さく笑った。
「随分、大事そうに持つのね」
「大事だから。ヴィオレッタが選んでくれたものだろ」
あまりにも当然のことのように言われ、ヴィオレッタはそれ以上からかうのをやめた。留め具一つに大げさな意味を持たせるつもりはなかったし、フェリクスもきっと同じだろう。それでも、自分が選んだというだけで大切にしてくれることが嬉しかった。
その後は買い物を続けず、少し歩いた先にある店で昼食を取ることにした。窓際の席へ案内され、注文を終えたところで、フェリクスが鞄の中へ手を入れる。
「そうだ。これ、持ってきた」
差し出されたのは、前に雨の日に話していた旅行記だった。北西部を旅した人物が書いた記録で、道を間違えた話ばかりが妙に詳しいという一冊である。ヴィオレッタは受け取り、表紙を確かめてから軽く頁をめくった。
「ちゃんと読み終わったのね」
「約束したからね。ヴィオレッタが好きそうな話も結構あったよ」
「それなら楽しみにしておくわ」
ヴィオレッタは本を鞄へしまいながら、今日のことを考えて少し笑った。
「本を借りて、今日は私があなたに物を贈って。なんだか交換ばかりね」
「いいんじゃない?次に会う理由も増えるし」
フェリクスはそう言って、運ばれてきた料理へ手を伸ばした。それ以上何かを続けるわけでもなく、本当に何でもないことを口にしただけらしい。それでもヴィオレッタの耳には少しだけ残った。
次に会うための理由など、本当は必要ないのだろう。借りた本を返すためでも、何かを受け取るためでも、決まった場所へ出かけるためでもない。婚約者なのだから、会いたいと思えば約束をすればいい。それでも、こうして次へ繋がる小さなものが増えていくことを、ヴィオレッタは悪くないと思った。
昼食を終えて店を出たあと、二人は馬車を待つため通り沿いをゆっくり歩いた。途中、フェリクスが小箱を見ながら何気なく口にする。
「今度会う時、これをつけてこようかな」
「そんなに急いで使わなくてもいいのよ?」
「無理してるわけじゃないよ。気に入ったから使いたいんだ」
そう言われれば、止める理由もなかった。むしろ本当に使ってくれるのなら、その方が嬉しい。
「それなら、ちゃんと似合う服を選んでちょうだい。私が選んだ留め具なんだから、似合わなかったら困るでしょう」
「分かった。責任重大だな」
フェリクスが笑い、ヴィオレッタもつられて笑った。ほんの短いやり取りだったが、それだけで十分だった。
やがて迎えの馬車が到着し、別れる前にフェリクスはもう一度だけヴィオレッタへ向き直る。
「今日はありがとう。大事に使うよ。それと、お礼はちゃんとするから」
「まだ言っているの?」
「言っただろ。俺がしたいんだよ」
その言葉を最後に、ヴィオレッタは馬車へ乗り込んだ。膝の上にはフェリクスから借りた旅行記があった。馬車が動き出してから本へ視線を落としたものの、すぐに頁を開く気にはならなかった。
次に会った時、本当にあの留め具を身につけてくるのだろうか。もしつけてきたら、似合っているとちゃんと伝えよう。そんなことを考えながら、ヴィオレッタは次の約束をいつもより少しだけ楽しみにしていたのだった。




