13. 公爵家の食卓
アルディーン公爵家へ招かれること自体には、ヴィオレッタも少しずつ慣れてきていた。最初の頃のように門をくぐるだけで背筋が伸びることはない。それでも今日は、これまでとは少し違う。改まった挨拶でも、レティシアとのお茶でもなく、家族と一緒に夕食を取るために訪れたのだ。フェリクスからは普段通りの食事だから気楽に来ればいいと言われていたが、その「普段通り」の中へ自分が加わることに、ヴィオレッタは少しだけ緊張していた。
玄関ではフェリクスが待っており、ヴィオレッタの姿を見つけるとそのまま食堂まで案内してくれた。扉が開いた途端、一番にこちらを振り返ったのはミリアだった。
「お義姉様!こちらです!今日は私の隣に座ってください!」
「ミリア、ヴィオレッタがまだ座ってもいないだろ」
「だから今お願いしているんです!お義姉様、私の隣では駄目ですか?」
「私もミリアの隣がいいわ」
「本当ですか!やった!」
勢いよく喜ぶミリアに迎えられ、ヴィオレッタは笑いながら示された席へ向かった。すでにクロードとレティシア、アレクシスも揃っており、簡単な挨拶を交わして食卓につく。並べられた料理はどれも丁寧に仕上げられていたが、食事が始まってみれば空気は思った以上に気安かった。その日の出来事や王都で開かれている催し、最近読んだ本などが自然に話題へ上り、公爵家の夕食だからといって格式ばった話ばかりになるわけではない。
隣のミリアは特に楽しそうで、気に入っている料理が運ばれてくるとすぐヴィオレッタへ顔を向けた。
「お義姉様、これ美味しいんですよ!私、大好きなんです!」
「ええ。香草の香りも良くて美味しいわね」
「ですよね!料理長にも伝えておきます!」
まるで自分が褒められたように喜ぶミリアを見て、ヴィオレッタはまた笑った。最初に会った時からよく懐いてくれていたが、こうして家族の中にいる時のミリアはさらに明るい。思ったことがすぐ顔に出て、好きなものの話になると声まで弾む。その一方で、苦手なものについても同じくらい分かりやすかった。
「ミリア」
レティシアが静かに呼ぶと、ミリアの動きが止まった。皿の端には、ほかの料理を食べ終えたあとも緑色の野菜だけが綺麗に残されている。
「それはどうするつもり?」
「……最後に美味しくいただこうと思っていました!」
「そう。では見届けるわね」
「お母様!」
助けを求めるように周囲を見回したものの、フェリクスは笑っているだけで、アレクシスも淡々と食事を続けている。結局ミリアは諦めたように野菜を口へ運び、それを飲み込むとすぐに別の料理へ手を伸ばした。その切り替えの早さまで含めて、どうやらこれが普段のアルディーン家らしい。
やがてクロードから最近読んだ本を尋ねられ、ヴィオレッタが南方を扱った旅行記の名前を挙げると、彼はフェリクスへ視線を向けた。
「旅行記か。フェリクスの影響かな」
「いえ、以前から好きなんです。フェリクスとは、その話があったという方が近いですね」
「なるほど。なら、あれとは話が尽きないだろうな」
「父上。俺を旅行の話しかしない人間みたいに言わないでください」
「違うのか?」
「……それ以外の話もしますよ」
少し間を置いて返したフェリクスがおかしくて、ヴィオレッタは思わず笑った。本人も否定しきれなかったらしく、そのまま南方で食べた料理の話を始める。見た目に惹かれて頼んだものの、予想以上に香辛料が強く、一口目から水が手放せなくなったらしい。途中でアレクシスから「その話は前にも聞いた」と言われても、「兄上には話しましたけど、ヴィオレッタにはまだです」と気にした様子もない。家族の前にいるフェリクスは、ヴィオレッタと二人でいる時より少しだけ遠慮がなく、その違いも面白かった。
食事が進むにつれて、ヴィオレッタも聞かれたことへ答えるだけではなくなった。王都の西側に新しい書店ができたことを話せば、ミリアがすぐに反応し、レティシアもその店について知っていたらしく話へ加わる。アレクシスは必要な時だけ口を挟み、クロードも黙っている時間の方が長いものの、時折話題を広げてくれた。誰か一人が会話を引っ張るのではなく、それぞれが好きな時に話し、聞いている。気づけばヴィオレッタも、自分が客人であることをあまり意識しなくなっていた。
夕食を終えると、一同は普段家族が使っている小さな居間へ移った。客を迎えるための応接室ほど華やかではないが、その分ずっと落ち着いている。クロードは椅子に腰を下ろして書類へ目を通し、レティシアは刺繍を手に取る。アレクシスとフェリクスはそれぞれ棚から本を選び、ミリアだけは迷わずヴィオレッタの隣へ座った。
「お義姉様、この前お話ししたお店、新しい髪飾りが入ったそうなんです!次に一緒に行く時まで残っているといいんですけど」
「もう調べたの?」
「もちろんです!お義姉様と行くんですから!」
嬉しそうなミリアと少しだけ買い物の話をしたあと、彼女も気になっていた本を取りに席を立った。紙をめくる音や暖炉の薪が弾ける音だけが続き、それぞれが自分の時間を過ごしている。ヴィオレッタもテーブルに置かれていた本を一冊手に取った。王都近郊に生える植物をまとめた本で、以前フェリクスと温室を歩いた時に見た花によく似たものも載っている。
しばらく読み進めてから顔を上げると、向かい側にいたフェリクスと目が合った。
「面白い?」
「ええ。知らない花も多いわ。これ、借りてもいい?」
「もちろん。持って帰っていいよ」
「ありがとう」
それだけ言葉を交わすと、二人ともまた本へ視線を戻した。何かを話し続けなくても気まずくはなく、同じ部屋で別々のことをしているだけで時間が過ぎていく。その居心地のよさは、賑やかな食卓とはまた違ったものだった。
やがて隣から小さな欠伸が聞こえ、ヴィオレッタが目を向けると、いつの間にか戻ってきていたミリアが慌てて口元を押さえていた。レティシアにもう休むよう言われると、「まだ眠くありません!」と元気よく抗議したものの、もう一度欠伸を噛み殺したところで諦めたらしい。立ち上がってヴィオレッタの前まで来ると、眠気などなかったように表情を明るくする。
「お義姉様、また来てくださいね!絶対ですよ!」
「ええ。今度はもう少し早い時間に来るわ」
「約束です!おやすみなさい、お義姉様!」
「おやすみなさい、ミリア」
満足したミリアが部屋を出ていくと、居間は途端に静かになった。フェリクスが小さく笑いながら「急に静かになったな」と呟き、ヴィオレッタも頷く。それ以上会話を続けることなく、二人はまたそれぞれの本へ戻った。
その後もしばらく家族と過ごし、ヴィオレッタが帰る時間になると、レティシアが玄関まで見送ってくれた。
「また夕食を食べにいらっしゃい。何か特別な日でなくてもいいのよ」
「はい。ぜひ」
ヴィオレッタは迷わず答えた。外へ出ると夜の空気は少し冷たく、フェリクスと並んで馬車まで歩く。今日の感想を尋ねられ、ヴィオレッタは少し考えてから笑った。
「最初は少し緊張したけれど、楽しかったわ。あなたの家って、思っていたより賑やかなのね」
「大体ミリアのせいだよ」
「あなたも旅行の話になったら随分喋っていたでしょう」
「……俺も?」
少し納得がいかないようなフェリクスの顔がおかしくて、ヴィオレッタは笑った。馬車へ乗る前に一度だけ屋敷を振り返る。豪華な外観より先に浮かんだのは、皆で囲んだ食卓と、思い思いに過ごした居間なのだった。




