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食の好み

 案内された食堂は、近づくだけでニンニクの香りが漏れ出ていた。

 ……もしや、ここも伯爵に反対する者が住んでいるのだろうか。近づくだけで私ですら慄くほどの匂いがしたから、思わず隣にいる背の高い男を見上げた。


「あなたは侍従なのでしょう。食べたが最後、職場に戻れないのではないですか」


「みんな胃や血液から臭うらしいけど、俺はあんまりならないんだよね。だから平気」


 臭うのは私だけとは、気遣いの足りない男だ。後で臭い吐息でも遠慮なく浴びせてやろう。

 店の入り口に吊るされた生のニンニクも、調理された匂いも何もかもが平気そうな男を見て、吸血鬼がニンニクが苦手なのはただの伝承だと気づいている。

 それでも食べられない可能性だけは残されているため店内に足を踏み入れると、中は人気店らしく少々混み合って列が出来ていた。


「いらっしゃいませ、メニューを見てお待ちください」


「ありがとう。フォーリーはどれにする? ニンニク山盛りのパスタも美味しいよ」


 椅子に座って待つ間にメニューを渡されたが、手書きの絵も入っていて食欲をそそられる。


「俺がニンニク平気なのはもう分かったと思うから、入っていないメニューがいいなら白身魚の香草焼きもおすすめ」


 まんまと連れて来られたのが腹立たしいけれど、とにかく実際に平気そうな姿を見て実証していることこそが大事だ。

 毒物への耐性なども一つずつ見ていかなくては、次はどれにしようかな、と悩んでいるうちにふと気になって顔を上げると、もう一つ試したいことが出来た。


「マグロのステーキにします。一番人気で、皆様も注文されていますからね」


 好んで食事の席を共にしたいと願ったわけではない。

 ……銀の食器が見えた。カトラリーも全て銀製品だ。


 順番が回ってきたため席に座って注文を伝えると、到着したのはすりおろしニンニクが山になった豪快な料理だった。

 レイノール領は海に面している場所があり、漁村もある。そこで獲れた新鮮な魚介を使用したパスタを、侍従のリックは口にした。

 私もマグロを切り分けて一口いただいたが、確かに美味しい。火の通り具合が絶妙で、大量のニンニクソースの香りが食欲をそそり、つい二口目まで進んでしまう。


「どう、美味しい?」


「美味しいですよ。あなたにも一口差し上げましょう」


 切り分けたものをフォークに刺して、空中へと差し出す。

 侍従の男は青の瞳を瞬いているが、微笑んで小首を傾げてみせた。


「リック、今だけ美味しい食事に免じて休戦しましょう。

 このおいしさを分かち合いたいんです。あーんしてください」


 銀のフォークに刺さったままのマグロを、差し出し続ける。

 少しずつ赤くなって目を泳がせるから、とびきり甘い社交辞令の笑顔を作った。


「妻になってやってもいいか考えます。

 食事を共有することすら出来ない相手とは、私は結婚したくないことだけはお伝えします。そろそろ手も疲れてきました」


 期限を切るとリックが恐る恐る体を前に倒し、唇を開けた。

 私もマグロを差し出すと、……剣の刺突同様、一息に銀のフォークを捻じ込んだ。


 言っておくが、人間なら決して命はない速度だった。

 食事の場が惨劇になることすら、積年の恨みを果たすためなら厭わなかった。


 しかし、白く整った歯がフォークを噛んでいる。

 押し込もうとしても一切動かないから、もはや無駄を悟ってフォークを手放した。


「うん、美味しい。……食器で傷つけようとするかもしれないとは思ってたけど、子供が真似しちゃいけないから公共の場ではやめよう。家族連れも多い場所だからね」


「銀のフォークで刺されると分かっていて口を開けたのですか」


「ロットから俺に銀は効くと聞いているはずだからね。フォーリーのことだから、多分銀の剣も発注したのかな」


 わざわざ答えてやる義理がないため表情も変えず、何も言わずにまだ使用されていないフォークを手に取った。

 ナイフで切り分けたマグロを口に運ぶと、答えない私をそういうものだと思っているのか、リックは気にせずニンニクパスタを食べている。

 量が増えればどうかとも思ったが、やはり臭いや見た目だけではなく、食べるのも平気らしい。


 ただ……銀食器は使えるが、銀で傷をつけられるのは困るということは理解できた。

 でなければ、歯で止めずに喉奥まで刺されても平気にしていたはずだ。ハイヒールの踵が刺さっても平気だった男が止めたことには、必ず意味がある。


「……」


 ところでそれ、私が使っていたフォークなんだが。

 しょうもないことを言いたくもないし黙っているが、平気どころか気づいて嬉しそうにフォークを示す男にイライラしてたまらなかった。


 話しかけてくる男を無視して食事を終えると店を出たが、この後は結局、人に会うのはやめた。

 自分ですら胃の腑から臭う気がする。肌にも染み付いているかもしれない。

 初対面でこの匂いを漂わせている相手に、素直な話など出来るはずがないと感じた。


 ……帰るか。

 青く澄み渡る空を見上げながら、よくよく考えればこの男が反対派閥と会わぬようニンニク料理店を仕組んだのではないかとすら気づいてしまったが、今更だ。


「今日はもう帰ります。最後に試したいことがあるので、どうぞお近くへ」


 また刺される可能性もあるのに、素直に従った白銀の髪に青の瞳の男が近づく。

 見上げながら思いっきり呼気を吹きかけてやると、たまらなさそうに笑っているからこれも平気だと分かった。


「思わず笑えちゃうくらい臭いね」


 苛立ち紛れに頭上にある鼻を掴んで全力で捻ってやったが、折れない。

 吸血鬼は鼻骨すら頑丈なのかと呆れてしまったが、手を離すと侍従のリックは摩りながら幸福そうに表情を緩めていた。


「フォーリーと一緒にいると楽しい。またね」


 事前申告していたとおり、呼気の爽やかな男を無視してハルカンサス侯爵領へ戻った。

 とにかく一歩ずつでも進みはしている。


 協力者の会合へ招かれた。

 銀の剣なら、フリック・レイノールを屠ることは出来るだろう。

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