侍従との出会い
レイノール伯爵領は王家から土地を授けられてより、八百年以上が経過している。
内部は三つの町村から成り、主要都市は伯爵邸のあるアゾレアの街となっていた。
細々と暮らしたいと隠遁生活を送るフリック・レイノールにとっての箱庭がアゾレアであり、街の人間は彼に食い物にされているとの噂が絶えなかった。
馬車の中で帰り際、お父様にいつもの『吸血伯爵性善説』のお小言をもらいながらも私は外へ目を向けていた。
「お父様、街を歩きたいです」
「フォーリー、ちゃんと頭を冷やしてくるのか」
「そうですね、フリック・レイノール相手に煮えたぎるものも少しばかりは収まるかもしれません」
そんなわけないが、お父様は集合時間を決めると私を街に放ってくれた。
元々王家に仕える騎士家系から出てきたお母様の血筋のおかげか、私は今や騎士以上の実力を持ち、護衛など吹き飛ばして行動するから妹たちへ優先的に人員を割いてもらっている。
今日は市政調査をしたいのもあったから、商店でドレスを着替えて旅人を装うと、街一番と名高い菓子店で『伯爵様もおすすめ』と書かれているアーモンドの入ったチョコレートを量り売りで買った。
「この街では吸血伯爵を目玉にして商品が売れるのですか」
「もちろんだよ、街の誰もが伯爵様に恩ある身だからね。
うちのお菓子は特に品質がいいから、伯爵様ご自身がわざわざうちに来て買ってくれることもあるし……」
店主は話が好きそうだった。
これ幸いと豆菓子も一緒に買うと、私も雑談を装って聞きたいことを口にする。
「アゾレアは吸血伯爵に血を捧げることも税になっていると他の町では噂になっていますが、吸血伯爵のお膝元で不安ではありませんか」
「ああー……そうだねえ……でも守ってもらえている以上、文句も言えないしね。
私たちはここで暮らしていくしかないけれど、やっぱり気分がいい話じゃないから……旅人さんは他の街に根を張った方が良いよ」
レイノール伯爵領は税収、人民の数、全てのバランスが整った領地運営のお手本とされている。
何せ自称不老不死だ。膨大な知識と経験があることで領地運営はうまくいっており、安定していることからも『箱庭経営』と揶揄されている。
それでも住みたい人間が増えないのは、吸血伯爵に血を狙われるという不気味な噂が根強いからだ。
歴史がありそうな菓子店の店主が言葉を濁した様子からも、どうにも本当のことではないかと感じた。
チリリ、と新たな来客を示すベルの音が鳴る。
会計にいた男が「いらっしゃいませ」と明るく声を掛けているが、知り合いらしく手を振っている。
「やあカシュカ、この間は新作をありがとう。
美味しかったから注文させてもらえるかな。ハルカンサス侯爵にお渡ししようかと思うんだけど……」
ん?
隣に来た客から我が家の名前が出た上、聞いたことのある声だから見上げると、相手は白銀の髪に青の瞳の男だった。
侍従の制服を着ているが、この六年思い描いてきた憎い顔にしか見えないし、先ほども会ったから分かる。
フリック・レイノールだ。
相手も視線に気付いた様子で私を見ると、流麗な青の瞳を見張っている。
「おやリック、いらっしゃい。今日は婚約者が来たって話だったのに、もう顔合わせは終わったのかい?」
どうやら私の敵は、リックなんて偽名で街に通っているらしい。
店主のおばちゃんが快くアーモンドチョコレートを試食用の器で差し出すと受け取っているが、侍従のリックが一つ口にすると、私にも器を差し出してきたので睨みつけた。無関係な旅人だというのになんだろうか。
店主もよほど彼が大事らしく、豆菓子を計り入れる手が止まってしまったから帰れない。
「奥方なら来年の輿入れが決まったよ。
タレンにも声を掛けたけど、もうドレスの型紙を作ると言って張り切っていて……」
「そりゃあいい、国一番の立派なドレスになるさ。
結婚式のケーキはもちろんうちを使っておくれよ。奥方は綺麗な金髪なんだろう?
金と銀、赤と青なんて組み合わせがいいって、うちの亭主も今から張り切って絵図面引いて……」
ハッと息を呑んだ店主が、私に顔を向けた。
外套のフードを深く被ったが、先ほどまで金髪に赤の瞳の旅人を接客していたことなど覚えているだろう。
しかも面識はないはずなのに、男はアーモンドチョコレートを差し出したままだ。無関係ではないと分かりもしてしまう。
「あー……いいかい、お嬢ちゃん」
「……はい」
「これは私の独り言なんだけどねえ……街の誰に聞いても、吸血伯爵の噂は同じものを聞けるはずさ。
でもリックは人の生き血なんて啜りゃしないよ、決してね」
信じられるわけがない。
アーモンドチョコレートを口にして何も答えないようにしている男がきっと今、店主たちに何かをしたのかもしれない。
「土地争いが激化して、先住民が地上げ屋に追い出されないために、自分を使った悪い噂を流すような男なんだ。
大手の商会相手だから参っていたら、うちみたいな小さな店でも助けてもらえたような、お偉い伯爵様とは思えないほど優しいお方さ。
奥方にだけは誤解してほしくないから正直に言いたいんだけど……おっと、今のは独り言だから内緒にしておくれよ」
「……何も聞いていません。豆菓子を早くいただけますか」
「ああ、すまないね」
店主が背中を向けたけれど、カシュカなる店番も奥に行ってしまったから二人きりの空白が気まずい。
再び侍従のリックが試食の器を差し出してきたから一粒受け取ったけれど、アーモンドチョコレートは確かに美味しかった。
「噂の真偽を調べていたのか」
口にものが入っている時に話してはいけないと躾けられているため、ゆっくりと口の中でチョコレートを味わう。
私が無視を続けるのにフリック・レイノールは穏やかに笑って、自分でも試食を頬張っている。
「……」
なんで私が気まずい気分になっているんだ。
不愉快な気分を押し隠し、代金を支払って商品を受け取ると、すぐさま去ろうとした。
……なのに菓子屋に「あとでまた来る」と言い置いた男がついてくる。
「ついてこないでください。憲兵に言いつけますよ」
「しかし一人では……」
「私は過去ほど弱くない」
近づいた吸血伯爵に振り返りざま、手首に仕込んでいた短剣を突きつけた。
喉元を狙ったはずなのに、騎士中隊長ですら身動きひとつ出来なかった一撃なのに、フリック・レイノール相手では指で挟み止められて届きもしていない。
「伯爵様は証拠集めが進むのが恐ろしいのでしょう?
私を攫った賊と自分は関係がないと主張したことも、お父様が願いに行くまでこのアゾレアから動いていないという証拠も、全部うそなのに買収された法廷は正しさを認めた。
今度は私自身が民から集めた情報で、証拠で、提示されたアリバイも必ず崩してみせる」
顔を見るたびに、月明かりの降り注ぐ廃工場を思い出す。
この男だけは許せないと眼光鋭く睨みつける私に伯爵が目を逸らすと、淡く笑って……通りの向こうを指差した。
「俺を侍従のリックとしか知らない人も多いんだ。
ついてこられるのは不本意かもしれないけれど……今日は俺が街の案内をするから、君相手に素直に話してくれる人を増やすといい」
「……」
「俺が犯人である証拠が欲しいんだろう?
鍛冶屋のロットや肖像絵師のライーは特に伯爵嫌いで有名だから、菓子屋のフルシュさんのように俺に有利な情報ばかり出てこないかもしれない。
うちの侍従は出会ったばかりの旅人にも親切にするよう伝えてあるから、こうして街案内をすることもあるんだ。俺と一緒にいても不自然ではないよ」
……嘘くさい。犯人が自分から不利な情報を言い出すなど、あり得るのだろうか。
なるほど、私を罠に嵌めようとしているのか。
それならばお父様もいるし、現行犯で突き出せれば反撃の好手にもなるかもしれない。
睨みつけると不機嫌な眼光を面白そうに笑う侍従の制服を着た男は、私の先を進んだ。
「俺のことは信じられなくても、無辜の民の言葉なら信じられるはずだ。
いずれ君もアゾレアに住む。伯爵夫人ではなく一個人として築いた誰かとの関係は、君にとっても重要な財産になるだろう。
……まあ、来るも来ないも君次第だけれど。伯爵嫌いで証言台に立ってくれそうな相手を知りたいなら付いておいで」
背中を見せている男に付いて行かなくてもいいし、無視して逆方向に走り出してもいい。
そもそも嘘つきが案内する伯爵嫌いが本当に敵対者なのか、定かでもない。
かといって、今の私に伝手はないし……お菓子屋の店主のように肯定派が多いなら、ある程度否定派に目星をつけられた方が後日洗い出す時間も短縮されるか……?
……どうすべきかは悩んだけれど、懐中時計でお父様との集合時刻を確かめると、もはや歩き去りそうな高身長ゆえに一歩が大きい男に渋々ついていった。
「時間がないんです、一人一人に今日は会えません。人と場所だけ見聞きしたい」
「じゃあお店にだけ案内しよう。後日俺抜きで会う方が信じられるだろうし。付いておいで」
嘘つきの言うことだから、話半分に聞かなくてはならない。
案内された人物やその周囲が確かかどうかは、私自身で調べてから訪問すればいい。




