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22/24

心の火

 夢を見た。

 ひどい悪夢で、自分が何をされたのかを追体験した。


 複数人の男によってたかって乱暴されるなんて、恐怖しかない。

 ……でも黒の蝙蝠が廃工場になだれ込む頃には、逃げ出す賊の悲鳴にも、赤の中に一人だけ立っている人がいても、心は動かなくなっていた。


 ただ月を見上げながら、助けではなく死を望んでいた。

 抱き起こした白銀の髪の吸血伯爵は、なのに絶望に埋め尽くされた心を燃やした。

 失われた記憶は彼こそが犯人だと事実を捻じ曲げ、殺意に体をつき動かした。


 夢は、私が犯人の胸に銀の剣を突き立てて終わる。

 深々と銀の剣が刺さり、復讐をやり遂げた。

 でも……記憶の中では結末以外、どこにも吸血鬼はいなかった。

 屠ると言いながら追いかけた相手は全てを知りながら、私の心が癒えるまで付き合ってくれていただけで。

 ロットたちの計画を知りながら、いずれ自分が国を離れるために刺されることすら容認していた。


 ……溢れる赤の中、見上げた相手が犯人じゃなかったことで、何もかもが絶望に変わる。

 今度こそもう何も見たくないと、あの日望んでも手が届かなかった伯爵の剣を掴もうとした。


『この事件も、俺が起こした。俺こそが、全ての元凶だ』


 全てを知っていて、伯爵は再び私の心を燃やした。

 ……あの人に、会いたい。

 フリック・レイノールに、もう一度、会うんだ。

 胸に銀の剣を突き立てようと死ぬことはないと宣言したから、まだ生きているはずだ。


「……う……」


「フォーリー姉様? ……フォーリー姉様! お父様、姉様の目が覚めたわ!」


 暗い記憶の中から解放されると、侯爵邸の自室に横になっていた。

 起き上がったことに驚かれたが、どうやらしばらく目が覚めなかったらしい。


「私……伯爵の、ところに……」


「レイノール伯爵邸で揉め事があって、それを見たお前が突然倒れたと連絡を受けたんだ。

 倒れたままずっと目を開けずにいて……医者も原因はわからないと言うし、心配した皆で付き添っていた」


 驚いたことに、家族に尋ねればあれから三日以上が経ったそうだ。

 こんこんと眠ったことで変に記憶がゴチャついているが、起こった出来事は事実だとはっきり覚えている。


「……お父様、伯爵に会ってきます。夕方までには戻ります」


「何を言っている、今からなど。レイノール伯爵も邸内のことで忙しい最中に、今日もお見舞いにきてくださった。

 お前が無事でいることは伝えるから、安静にしていなさい」


 銀の剣を探したが、私と共に戻ってきたらしい。

 机の上に飾られているのを見つけたから鞘を抜いたが、洗浄されたのか綺麗に見える。

 ……病み上がりだから無理をしてはならないと叱られながら、旅装に着替えて体の感覚を確かめる。

 腰に剣をつけると窓から飛び降りてすぐに走り出し、立ちはだかる護衛も駆け抜けてアゾレアの街に向かった。


 寝過ぎた感覚があって少々息切れはしたが、伯爵邸まで駆け上る。

 動物に聞いたのか出てきた男を見つけると、湧き上がる憎しみのまま腰に手をかけた。


「フリック・レイノール!」


「フォーリー!? 目覚めたって聞いたけど……っ」


 抜き放った銀の剣を、振りかぶる。

 手首を返しながら全力で切り上げたが、首を狙った一撃は躱された。


「屠ります」


 全ての元凶が、憎い。

 覚えた剣技の全てを繰り出す勢いで銀の剣を振り回し、隠し持っていた銀の短剣も追撃のために抜き放つ。

 燃え盛る怒りのまま右に左に切り掛かると、剣を長い足の蹴り上げで外され、柄を掴んだ男に奪われた。


「危ないからしまおう。……ね、フォーリー。君が怪我でもしたらハルカンサス侯爵も心配するよ」


 短剣だけになっても、構える。

 より心の奥から湧き出す怒りに、突き動かされるまま切りかかった。


「屠れたら仕舞います。だから潔く死んでください」


「困ったな、数千年かけても無理だったんだけどっ……っ」


 剣が軽くなった分だけ、動きが機敏になる。

 ついに以前のように逃げ出した男を追いかけた。


 不意に、足払いがくる。

 今度こそ、避けた。

 体を返して回避しながら、突き出された足を狙う。

 すでにその場所に男はいない。

 走り出した伯爵に距離を取られているから、また追いかけた。


「待ちなさい、フリック・レイノールっ! その首、貰い受けます!」


「ほら、息が上がってきてるよ。三日も寝てたんだから、一旦落ち着いた方が良い」


 諭す男の言いなりになるわけにはいかない。

 しかし遠い侯爵邸から走ってきたこともあって、その後も暴れたが徐々に疲れてきた膝から力が抜ける。

 転ばずに済んだが、再び立ち上がることも難しいくらい息が上がって、短剣を握りしめながらうずくまってしまった。


 憎い。

 悔しいのに、敵わない。

 短い金の髪から幾度も汗が滴り落ちる私の前に、吸血伯爵が膝をついた。


「俺が死なないのは見たと思うし、また銀の剣が当たっても何も起こらないよ。

 ほら、フォーリーにこそ危ないから仕舞おう? 回復してから、また命を狙えばいいから。ね」


 目の前に、隙だらけになって座る男を睨みつける。

 短剣を握りしめて振りかぶったが、つまみ取られた手が彼の胸を殴っただけで、ついに手元には何もなくなった。


「っあぁ、憎い、憎い、憎い、憎い憎い……っ」


 目の前の男の胸に爪を立てるくらい、心に残されている火が燃え続ける。

 湧き上がる憎悪のまま顔を上げると、悲しそうに吸血伯爵が青の瞳を細めた。


「……そうだね、また君を狂わせたのも俺だ。

 憎んで、フォーリー。何もかも、俺が真実を隠したせいだよ」


 振りかぶった右手を、吸血鬼の綺麗な顔にようやく叩きつけた。

 頬を平手打ちしたけれど、頑丈な男にはあまり効いていない。

 けれど痺れるほどの手の平の痛みと、伯爵邸に響く派手な音が、少しだけ成し遂げた満足感をもたらしてくれた。


 ……憎い。

 心の中を占める気持ちは消えないけれど、それでも頬を撫でる伯爵を見ると、溜飲も僅かに下がる。


「胸の傷は、どうなりましたか。……痛みは、ありませんか」


「すぐに癒えたよ。……フォーリーこそ体調が良くなったみたいで安心した。目覚めなくなったのを見て、……後悔していたんだ」


 自ら死を選ぶほど弱った心を、憎悪で燃やして生きながらえさせる。

 この男が六年前にも選んだ手法で、また私の心は自分ではどうにもならないくらいの怒りにたぎっている。


「解いてください、今すぐに」


 こうしている内にも、殺意にまで昇華しそうな憎しみが湧き上がる。

 六年前のように、ずっと避けられていたのならまだしも、目の前にいる。

 全ての元凶。

 心をざわめかせる憎い相手が、手の届く場所にいる。


「ロットたちは無事に戻ったんでしょう。……ようやく分かったんです。皆が誰を解放したがっていたのか。

 リルの言う『お父様』は孤児院に支援を続けたあなたのことだ。オルグが守りたかったのも、改革したかったのも、あなたの立場だ。

 皆が妄執から解放されたのに……私だけが、あの日から心を燃やされ続けている」


「……残念だけど、心の傷が癒えて来るまではそのままの方が良い。

 憎むのは辛いかもしれないけど、不意に蘇る記憶の方が、君にとっては毒になるはずだ。

 何年経っても苦しむ記憶が、少なくとも薄れてくるまでは……俺の命を狙ってた方がましかな。……俺からしてもひどい光景だったって、改めて思ってる……」


 怯えて泣きじゃくるほどの体験も、味わった恐怖も、夢の中で全て追体験してきた。

 あれこそが事実だと蘇った全てを覚えているし、最後は目の前の相手に銀の剣を突き立てた感触も覚えている。


 でも。

 やっぱりこいつこそが一番酷い男だと、再び右手を激しく叩きつけた。


「じゃあ。……私が、……私だけが、あなたが無事で良かったと、喜ぶことは許されないんですね」


 フリック・レイノールが青の瞳を瞠目させている。

 ……私は、戦ってなお燻る憎しみが消えない。

 失ってしまったと悲嘆に暮れた相手に再び会えたことを喜ぶ気持ちもあるのに、拳を握るしか出来ない。


「生きていて、良かったって、少しは思えるんです。

 でも、喜んではいけないって、あなたの死をもう一度望むべきだって、……っ思いたくないのに、憎しみが湧き上がってきて止まらない……っ」


 命を失わせた。

 溢れる赤を見て、記憶して、絶望に心が染まった。

 ……私を助けてくれた人を、自分の手で亡くしたのだと、辛かったはずなのに。


「今も苦しいんです……っ生きていてくれたのが嬉しい、はずなのに……っ頭の中で、もう一度刺さなくてはいけないって、声がして……っ!」


 憎くても、そばにいるのが楽しくて。

 デートを重ねて、ちょっとずつ近づくことが嬉しくて。

 男の人なんて怖くて嫌いだった私が、初めて一緒にいたいと思った人の、はずなのに。


 彼は、自らを憎めと言って許してくれない。

 生存を喜ぶ心が、憤怒や憎悪にたぎる心と反していて、苦しい。


「あなたが、死を乗り越えさせるために、してくれたことだと分かっています。

 でも……私の、本当の気持ちは……何が正しいのか、わからない……っ」


「……フォーリー……」


 俯く私に、彼は触れない。

 きっと、私が怖がると思っているから。

 そう分かっているのに……触れたい気持ちと、嫌悪する気持ちが胸の中でぐちゃぐちゃに掻き混ぜられて沸騰する。


 ……恋しいと気づかなければ良かった。

 憎くて、ただ嫌いなだけが良かった。

 初めて出会った頃のように、お互いに何も知らないままなら。

 この燃える心のまま、銀の剣を奪って、また胸に突き立てるのに。


「……フォーリー、俺の目を見て」


 言葉に、顔を上げる。

 青の瞳を覗き込んで映るのは、短い金の髪に、赤の瞳の……私だ。


「少しずつ、気を楽にしてごらん。……君の心は君だけのものだ。俺が与えた憎しみは、これで消える。

 もし辛さが君を追い詰めるのなら、もう一度かけ直すから……今は素直に自分の気持ちを感じて」


 吸血鬼が使える強力な暗示なのか、苦しいほど燃えていた心が次第に落ち着いてくる。

 一度目を閉じて、再び開いた頃には……目の前の男も苦しそうに笑っていた。


「どう? 改めて、俺が生きてたこと。後悔してる?」


 生きている。

 フリック・レイノールは……吸血伯爵は、生きている。

 私の父親がわりになるのだと、婚約者としてずっとそばで見守ってきた男は死ななかった。


 毒を盛っても、水に沈めても、衣服で首を絞めても死なない。

 私が銀の剣で刺しても、生きていると思ったら……心が勝手にいっぱいになって、苦しい気持ちが溢れてくる。


「……フォーリー……」


 目の前では、驚く青の瞳が丸くなっている。

 ……それでも、涙が止まらなくて。

 必死に旅装の袖で拭うのに、次から次へと溢れてくるからどうにもならなかった。


「っく、ひっ……うわぁあっ……っわぁああぁっ……」


 嗚咽以外に声が出ない。

 そばにいる人が戸惑って、それでもそばにいてくれる。

 地面に膝をついたまま、泣きじゃくる私を慰められずに……苦しそうに息を吐いた。


「……生きていてよかったって、まだ思ってくれてる?」


 言い返せないから頷くと、伯爵が青の瞳を揺らして切なそうに俯いた。


 生きていてよかったに、決まっている。

 大人で、時折ずるい吸血鬼。

 憎いし屠りたいけれど、そばで一緒に笑ってくれた侍従のリックも。

 本当は私を助けたのに、誤解されることすら容認していたフリック・レイノールも……生き延びてくれたから、会いにきたんだ。


「心の辛さは、どう? ……よし、聞くばかりじゃなくて、俺も少しは確かめてみようかな。ごめんね」


 何を謝られたのかと思ったが、涙で濡れた頬に指が触れた。

 女性の柔らかな指とは違う、骨ばった硬い指が当たる。

 大きな手が肌を撫でて、それだけでゾクゾクと全身が震えた。


「う……」


「気持ち悪い?」


 怖い。こわい。怖い、怖い、こわい、怖い。

 恐怖で頭がいっぱいになりそうで、体がガタガタと大きく震え始める。

 でも必死に顔と手を見比べながら、この指こそが私に触れようとしなかった伯爵の指だと、自分の体を掴んで堪えた。


「っ」


 再び心を燃やされたくなくて頑張っていたけれど、次第に鳥肌まで立つくらい震えるのが嫌になって手を払いのける。

 それでも目の前の男は満足そうに笑った。


「不快にさせてごめんね。……触れたらもっと怒られるかと思ってたし、錯乱するなら掛け直そうと思ってたんだけど……本当に落ち着いたんだね」


「怒りません、少しずつ頑張ります。暗示は解いたままにしてください。

 もっと慣れれば、受け入れられるようになります。憎しみがなくても、もう生きられるって証明して見せます。だから……っ」


 暴行を受けた十二歳の私には、死以上の喜びはなかった。

 もっと生きたいと思えるだけの希望も、勇気も、気力も……私には、何もなかった。


 でも、今は違う。

 顔を上げれば、白銀の髪に穏やかな青の瞳の吸血鬼が、そばにいる。

 父親がわりになると宣言して、今日も私を案じてばかりの人がいる。

 触れられた頬の感触を、改めて自分で撫でてみた。

 まだ男の人は怖いけれど……恥ずかしい話だが『初めて恋をした相手が触った』と思えば、少しは悪くない気がする。


「触られるのだって、きっと平気になれます。

 ……正直、すぐには無理みたいで、今はまだ気持ち悪いです。

 でもちゃんと受け入れられるよう、耐えて見せます」


「努力したい気持ちは分かるけど、無理はしなくて良いんだよ。

 ……俺もこれ以上は触らないから安心して。

 フォーリーが怖くないように、ハルカンサス侯爵の代わりとして見守りたい気持ちは変わらないからね」


「……ああもう、違うのにっ」


「え」


 つい両手を地面に叩き付けたが、娘扱いから脱却することすら難しい現実に歯噛みするしかない。

 彼にとっては傷ついた十二歳の少女が成長する姿を見守ってきたわけだし、当然ながらデートしても好きになったのは私だけだから、フリック・レイノールは私を一人の女性として扱ってこない。

 触れられるのは怖いけれど、かといって見守るだけでは何も発展しない。


「……あの、フォーリー……何か違った?」


 必死になっているのに、思い通りになってくれない上、素っ頓狂な顔をされているのが気に食わなくて睨みつける。

 怒気溢れる私の前では、白銀の長いまつ毛がパタパタと瞬いて、首が軽く傾げられた。


「だから、恋は難しいと言ったんです。

 私はもう十八になったのに、いつまでも子供扱いでは勝ち目が……、ん?」


 文句を言ったつもりが、内容を精査するにつれて、おかしなことを言ったことに気付く。

 お互いに顔を見合わせているが、私が恥ずかしくて赤くなるのに合わせて、目の前の男の顔色も赤くなっていく。


「……え。復讐は終わったんだから、もう俺に恋をさせる必要はないよね。

 まさか……まさか、俺のこと、好きになってくれたの?」


「ち、ちが、……っ、あ、いえ、違わない、です、けど。

 ……っそうです、この際ですからはっきり言います。これはお父様に向ける気持ちとは違って、婚約者として好きな気持ちなんです。

 父親がわりになるつもりのあなたには迷惑な話でしょうし、変なことを言いましたから……今は忘れてください……」


 完全否定してしまって変に受け取られても困るから、正直に伝えた。

 言うつもりなんてなかったのに、恥ずかしい。

 目の前の男も照れた私の態度でむず痒くなったらしく、耳まで赤くなった自分の顔に触れて冷ましている。


「なんですか、そこまで恥ずかしがらなくてもいいでしょう?!

 っ、やっぱり嫌いになりそうです。言うつもりじゃなかったのに。殴りますよ」


「いや、八百年ぶりの恋って幸せだなって思ってただけだから。殴らないで……」


 八百年ぶりの恋? 誰が?

 白銀の髪に青の瞳の吸血伯爵が顔をあげて、戸惑いに赤くなる私を映している。


「ねえ、フォーリー」


「……。なんですか」


「俺もフォーリーのことが好きだよ」


 え。


「男の人だから怖いって言われても困るから、隠してたけど……実はフォーリーのことが好きなんだ」


 何を言われているのかわからず、それでも間を置くと目の前が眩みそうなくらい胸が音を立てて緊張してくる。

 え。これは世間一般で言う両思い、か?

 初恋は実らないと聞く。

 なのに、今までずっと父親がわりと言っていたはずの男は、私のことを好きらしい。


 どういうことなのか訳がわからなくて、熱くなった体から汗が噴き出てくる。

 激しい鼓動に目の前すら揺らいでくると、大人の男が締まりのない顔で笑った。


「お互いの気持ちも確かめたいし、今度またデートしようよ。

 ハルカンサス侯爵領の行きたかった場所に、二人で行くのはどう?」


「それは、行きたいですけど……っ待ってください。未来の親子としてではなく、恋人同士として、ですか?」


「うん。夜は侯爵邸で、ご家族と食事会になるだろうけれど……正式に泊まらせてもらうから、君の部屋でデートの続きもしよう?」


 お誘いがあまりにも恥ずかしかったし、意味は違うと思うが紛らわしいことを言うなと思ったので、拳を握りしめてとりあえず殴っていた。今まで憎かったのが悪い。

 しかし吸血鬼は顔を正面から殴られても、平気そうに笑っている。


「ゆっくり考えようか。俺も伯爵領に残るって決めたし、時間はたっぷりあるからね」


 フリック・レイノールは国から旅立つための手続きを進める最中だと聞いていた。

 政治的な話は得意ではないけれど、婚姻相手が伯爵の立場でなくなれば、お父様によって引き剥がされる可能性も出てくる。


 立ち上がった伯爵は遠巻きに見守る侍従に声をかけていたが、向けられた背広の背中を掴んだ。

 振り返った背の高い男を見上げて背広を揺らすが、子供のような仕草だと分かっていてもやめられなかった。


「突然どこかに行ったりしないですよね。

 結局伯爵ではなくなったなどと言い出して、許嫁が変わるなど許しませんよ」


「ん? 大丈夫、どこにもいかないよ。

 フォーリーの心を改めて燃やしたから、最後まで見届けてから国を去るって決めたんだ。

 修道院を移管する手続きは進めてるけど、俺はこの国から動かない。君が天寿を全うするまでは、ずっとそばにいるよ」


 永遠を生きる吸血鬼との間に爽やかな風が吹いて、サラサラの髪が揺れた。

 憎しみなしで見上げた意外に綺麗な顔が、穏やかに微笑んでいる。


「少なくとも八百年ぶりの恋人は、置いていかない。どこかに行くなら一緒に行こう? 歓迎するよ」


 咄嗟に飛び出た二度目の拳は避けられた。悔しい。

 ……その後、私は一人で帰ると言ったのに、伯爵によって馬車が用意された。

 夕暮れは確かに近いけれど、屋敷まで送り届けられては恥ずかしい時間が延びてしまう。

 少なくとも二人きりの空間で、優しく見守る男の前に座っているのは顔が熱くて気まずかった。


「一人で帰れます。走っても帰れますし、平気ですから。下ろしてください」


「だめ。元気に見えても今日まで倒れてたからね。

 帰っている間に何かあっても困るから、送っていかせて」


 両思いだと知ってしまったから気恥ずかしいのに、わからずやだ。

 落ち着かなくて、足を見つめて揺らしてしまう。

 今までそばにいてもなんとも思わなかったのに、顔が熱くて、馬車の壁に寄って距離をとってしまった。吸血鬼もようやく私の気持ちに気付いたのか、困った様子で笑っている。


「フォーリーを怖がらせるつもりはないし、距離を置かれるのも不本意だから今まで通りにするよ。そうやって嫌になったらすぐに言ってね」


「あ、いえ。今まで通りはちょっと遠いので……なりたての恋人くらいの感じでお願いします」


 もう憎しみ合う関係ではなく、恋人同士がいい。

 でも口に出しただけで顔が真っ赤になって、耳も熱くなったから悔しくて目の前を睨みつけたけれど、銀の髪の吸血鬼も赤くなって顔を覆っていた。なんなんだ。


 ……気を取り直したらしい伯爵は普段通りに声をかけ、私を無事に父の元まで送り届けてくれた。

 忙しいのに娘を連れ帰ってくれたことにお礼を言ったお父様と、二人きりで話をしているから手を振ると、気づいて軽く振り返してくれる。

 恥ずかしくて邸に逃げ込んだが、迎えにきた妹たちが見えたから真っ先にマナに駆け寄った。


「マナ、聞いて。今度伯爵様とデートに行くことになったわ。

 正式に恋人になってしまったのだけれど、何を着れば良いかしら」


「ええっ?! 起きてすぐに走って出て行ったと思ったら、帰ってくるなり……どういうことなの姉様!?」


「やっぱり伯爵様に会いたい一心で飛び出したのよ。フォーリー姉様ったら密やかな恋をしていたってことでしょう?!」


 妹にデートの衣装を早くも相談したことで、玄関ホールの踊り場が賑やかになる。

 飛び出して帰ってくるなりの言葉だったけれど、素直に恋人になったことを認めてマナに頼ると、恋に敏感な妹たちと大騒ぎしてしまった。

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