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フリック・レイノール

 何度目かの妻を失った後、そろそろ別の場所に移ろうと思い始めた。

 修道院は定着した。

 孤児院も戦災孤児がいなくなったことで、定員が埋まっていないから他の街からも受け入れるなんて、子供が集められてくる有様だ。

 小さくても各々の街に機能を分けた方が、目も行き届く。何より育った土地を離れることもなくなるから寂しくないはずだ。縮小させて、教会に移管しようと決めた。


 後任の領主は隣にいるハルカンサス侯爵が適任だ。

 芯も強くて聡明だから、領地が増えてもうまく治めてくれるだろう。

 戦争も無くなって久しいのに俺がこの街に残り続けたところで、抑止力だなんて覚えている人間も少なくなった。伝承なんてものに遠ざかったまま、姿を消すべきだと考えていた。


 教会への移管準備や、移住の準備を少しずつ進めているうちのこと。


『レイノール伯爵、お願いです。娘を助けていただきたい』


 ハルカンサス侯爵が屋敷にやってきて、必死に頭を下げてきた。

 娘が金目当ての賊に攫われたと、彼は説明した。

 行方もわからぬまま、身代金を出しても我が子は戻ってこなかったのだと告げられた。

 もう一晩も帰らないと、父親は泣きながら頭を下げている。


『生きているかもわかりません。それでも……それでも、どうか、娘を……娘を……っ!』


 もはや国を去る身だ。……関わるべきではない。

 しかし普段は心優しい侯爵が泣きながら頭を下げる姿があまりにも痛々しくて……結局、コウモリに探させながら現場へ走った。


 ……少女は、遠い廃工場にいた。

 賊を掃討して踏み込んでも動かず、痛々しい有様で、かろうじて生きていた。


『おね、が、い……ころ、して……』


 抱き起こせば、少女は潰れた喉で静かに死を願った。

 貴族の少女は俺を見て、ようやく終わることに安堵して、泣きながら笑った。

 自分の身に起きたことを正しく理解していて、生き延びたところで、自分に待ち受けているものの全てが絶望で……恐いのだと、涙に濡れる赤の瞳が伝えていた。


 ……父親でなくても、どうしてこの子がと思うだろう。


 何も知らずに愛されて育ってきた少女は傷つき、恐怖から去るため、死を願って身を預けている。

 ……たった十二年しか、生きていないのに。

 月を見上げて、ようやく終わったことに安堵して、死こそ救いだと目を閉じている。


 ……俺は、長く生きてきた。

 命を終わらせなければ、いつか自分なりの幸せを見つけられるはずだと、人間を理解していた。


 賭博がやめられず、借金に追われた母に捨てられたオルグは修道院長にまでなった。

 父親に暴力を受けて孤児院に逃げ込んだロットは、今や国王にも認められる刀鍛冶だ。

 無気力だけれど一日中絵だけ描いていて気味悪がられ、孤児院での受け入れを願われたライーは誰もの目を惹く肖像絵師になった。

 生まれたての赤ん坊なのに寺院の門戸に置かれていたリルは折り紙を覚えて、服屋さんになりたいと見せてくれて、立派に夢を叶えてくれた。


 きっとこの子にも、時がたてば。

 いつしか心の傷が癒えた先に、ほんの少しでも幸せを見つけられるはずだと……剣を突き立てることは出来なかった。


『フォーリー……俺こそが犯人だ。俺を恨め。……悔しければ追いかけて来い』


 だから、彼女にささやいた。

 恐怖よりも、どの感情が一番強いかを、俺は知っていた。


 心を、憎悪に燃やさせる。

 怒りに、全てをくべる。


「あ……あ、あ、あ、あぁ、あぁああああああ」


 フォーリーの心には、恐怖も何もかもを焼き尽くす炎が宿った。

 苦しみに俺の死以外の何も願わなくなった彼女を見て、騎士に引き渡した。

 ハルカンサス侯爵にも経緯を伝え、俺が選んだ結果だと、今後の苦難と……乗り越えるためにも、共に尽力することを伝えた。


 痛みが癒えた頃には辛い記憶も薄れて、憎悪の火も消える。

 幼くして起きた事故は過去になり、ほんの少し引き攣れて痛むことはあっても、穏やかな日常に戻れるはずだった。


 ……ただ、正直に言うと。

 貴族令嬢として気高く死を望んだ少女が、冤罪で法廷にも呼び出すし、毎回「絶対に屠ります」と赤の瞳を敵意に燃やして睨みつけてくるほど強い子だとは思っていなかった。

 儚げに散ってしまいそうな少女が剣の修行を騎士から受けるのも、情報を集めて何度目の裁判なんだという出廷要請がくることも、想定していなかった。


「……フォーリーは随分お強いお子さんだったんですね、ハルカンサス侯爵」


「おてんばで申し訳ないくらいで……普段は大人しいのですが、根が素直なので一直線と申しますか……」


 通常、憎悪に燃えた心は次第に落ち着いてくる。

 時が経って記憶が薄れ、次第に何に激昂していたのかもわからなくなる。

 人は弱い生き物だ。

 怒りを継続することは出来ず、やがて火は衰えていく。生きる気力程度に変わっていく。


 しかしフォーリーは違った。

 数年経っても、法廷で会うたびに肩を怒らせて歯を食いしばる。

 会わなければ忘れるかと姿を隠しても、何度だって探しにきた。


 彼女は結局、十八になってもまだ憎悪に燃えていた。

 協力を申し出たこともあって、深い傷が癒えるまで見届けようと、もう受け入れるつもりはなかった妻にも迎えることを伝えた。


 今までの妻も皆傷ついて、それでも穏やかな幸せを得た。

 最後に「生きていてよかった」と一言もらえることで、俺も何より報われる気がしていた。


 フォーリーはすごかった。

 毒草に毒キノコ、切りつけようとしたことは数知れず、頭を踏みつければ溺死狙い。

 いつだって命を狙い、デートするのも命を捧げさせるため。とにかくやってみないことには納得しない。


 でも、……必死に俺を知ろうとして、食らいついてくるのは楽しかった。

 ……俺も本当は、自分の死を願っていたんだ。

 毒の全ても、試したことがあるから効かないと知っている。

 水底なのになぜ死なないのかと、遠い空を見上げて幾日も過ごしたこともある。


 彼女は一つずつ知って、次は何をしようかと企む。

 デートのたびに少しずつ大胆になってくるから、本当に俺のことが嫌いなのかと困惑することもあった。


「月が綺麗ですね」


 ベッドの上から抱き起こしたのは、あの日よりもずっと大きくなった少女。

 死を願って涙を見せた姿はもはや遠く、育ち切って綺麗になった女性が微笑む。


「悪い気持ちになってきませんか」


 デコピンで終わらせないことには、怒る少女を再び怖がらせそうなのが自分になるかもしれないなんて、思ってもみなかった。

 もういなくなろうと思っていたのに、フォーリーのそばにいるのは楽しい。

 襟首掴んで捻り上げてくるのに、それでも彼女のそばで一晩を過ごしながら考えていた。


 ……君は女性としてみられることを嫌うと思ったから、一度も伝えられなかったけれど。

 怒った顔も、拗ねた顔も愛らしいと思えたのは、ハニエ以来だった。

 失った恋人のために、この国にいたはずなのに。

 ……もう去ろうと思っていたはずなのに。

 デートを重ねたことで、見守ってきた少女を恋しく思い始めてしまったなんて……ベッドのそばで一夜を明かしたせいで、枕を顔に叩きつけてくる少女の真っ赤な顔を見ながら理解していた。


 でも、どうしても彼女の炎は消えない。

 ロットとオルグと会い、屋敷の襲撃を指示した。

 銀の剣を受け取り、俺と再び会う日を、屠る日だと約束した。


 ……どうしてもこの子には、俺では駄目なのだろうと思えば……望む通り命を捧げて去ろうと思っていた。


「あ。あ、あぁ、あぁああ」


 全てを思い出した彼女が、首筋に滑らせようとした刃を、握っている。

 指が、熱い。

 新しく溢れてきた液体に小さくなって震えて、どんどん呼吸を早めていく彼女の顔に、初めて触れて上げさせた。


「フォーリー、君が悪いわけじゃない。俺が君の心を燃やしたんだ。俺が犯人だ。

 ……君は生きて。俺を屠って、子猫のリックと一緒に生きるって決めたはず」


「ちが、う、ちが、……だって、生きて、も、っあぁ、っああぁああああ……っ」


 癒えることのない傷が、フォーリーを苦しめていた。

 だからずっと、心の火は残り続けていた。

 全てを思い出したことで……彼女を生かすための憎しみの炎が、消えてしまった。


「生きたく、ない……生きてちゃ、いけなかったのに……生きて、いるから、私……」


 泣きじゃくるフォーリーが、不意に辺りを見回した。

 石床に転がる剣を、赤の瞳が見詰めている。

 迷わず手を伸ばした彼女を、掴んで止めるしかなかった。


「フォーリー、よく聞いて。俺が犯人だ」


 あの日も目を合わせて、その心を狂わせた。

 ……彼女が俺を向いたことで、その目に深く暗示をかけていく。

 ……心に、憎悪を植え付けていく。


「この事件も、俺が起こした。俺こそが、全ての元凶だ」


「あ、あ、……ぁ、あぁ、……あぁ、ぁああああっ!」


 憎悪に、心が燃える。

 怒りの苦しみに悲鳴が上がり、彼女の呼吸がさらに荒くなる。


 ……突然さらわれ、全てを奪われ、壊れてしまいそうだった少女が、不幸せであることを願ったことなんて一度もない。

 でも……憎しみに滾らない限り、彼女はまた自分の命を奪おうとしてしまう。

 だったら、……あの日と同じく、怒りの対象として笑って見せた。


「フォーリー。俺は銀の剣でも死なないんだ。

 刺さるけど、死なない。昔試したけど失血死もしなかった。……ほら、この通り」


 銀の短剣を離して、切れたはずの指を見せる。

 すぐに跡形もなくなって、血も止まった。


「ね、騙してたのは俺。……解放なんてものに合わせてこの国を去ろうとしていた俺が、全ての犯人だよ」


 赤の瞳に再び炎が、宿る。

 怒りの狂気に叫んだ少女が、俺につかみかかろうとして……そのまま気を失って、ぐったりと倒れた。

 胸に刺さった銀の剣もようやく抜いたけれど、すぐに塞がって跡形もなくなる。後ろでずっと見ていた誰もがざわついた。


「お父様、そんな……銀の剣でも死ねないなんて……っ」


「芝居を打って、みんなが目を離した隙に逃げるつもりだったけどね。

 ……そうも行かなくなっちゃったな」


 心優しい孤児院の子供たちは、知っていた。

 ずっと誰もを見送り続けてきた俺が、そろそろ自由になりたいこと。

 もし死を望めるなら、……この命を終わらせたいことに。

 だから、解放のために動いてくれたけれど……血まみれの体を起こすと、ロットたちに向き合った。


「おい、おい、どうするんだよロット。伯爵が生きてるってことは、俺たちが、俺たちの、方が」


「いいよ。全員、今日のことは忘れてお帰り。……襲撃に来るって分かってて、目撃者を増やすためにも見逃したのは俺だからね。

 ただ俺は不老不死だし、命を狙ってもどうにもならない。二度目はやめてね。全員の顔、覚えてるから」


 叫んで逃げ出す者もいるのを、手を振って見送った。

 窓辺に鳩が飛んできたから、状況を示して侍女を戻した。

 気を失ったままのフォーリーは侍女に運ばれ、身綺麗になって侯爵領に戻されても、こんこんと眠り続けた。


 ……まさか目覚めなくなるなんて、誰も思っていなかった。


 彼女はその後何日も、眠り続けた。

 俺も状態を聞いてすぐに向かったけれど、フォーリーはいくら声をかけても目覚めなかった。

 もう二度と起きないのではないかと、泣きながら見守る家族の前で、動くことはなかった。


 やがて、屋敷が綺麗に整えられた頃。

 目覚めた彼女は、鳥ほど早く、一目散に俺の元にやってきた。


「屠ります」


 以前よりもずっと、ずっと強い敵意に目を燃やして。

 愛した女性は、憎悪だけを宿しながら銀の剣を振り回した。

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