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銀の剣

 やがて、銀の剣が打ち上がったと連絡があった。

 伯爵邸へのお招きの日も決まったため、直接受け取りに向かいながらロットたちにも伝えて……空になった伯爵邸を襲う作戦が始まるのだと、手にした銀の剣を見つめた。


「……ロット。お前、一流の職人だったんだな」


 鍛えられた見事な刀身は輝き、初めて手にしたのに重みも何もかもが体に馴染む感覚がある。

 業物を一度触ってしまったせいで求める気持ちがおさまらないと言い出し、収集癖が出たお祖父様の言うとおり、無二の手触りだった。

 短剣も手にしたが、装飾もされていて吸い込まれるくらい綺麗なのに、軽く振ってみた感覚は何でも切れそうな気がする。思わず何度も輝きを確かめてしまった。


「俺を何だと思っていたんだ。仕事はする」


「ただの粗野な鍛治師だと思っていた。……悪かった。さすがは国王陛下も求める腕前だ」


 打ち上がりまでが随分遅く感じたが、銀は加工しにくいから満足いく品を打ち上げるため時間を掛けたのだろう。

 改めて鞘に収め直すと、腰につけた。

 伯爵を屠るための剣に触れながら、既に心は決まっている。


「作戦の日は頼むぞ。仕事が入って空けられないなどと言うなよ」


「言うかよ。……俺たちにとっても待ち望んだ日だ。しくじるなよ」


「失敗などしない。大船に乗った気でいろ」


 銀の剣で刺されても良いと伝えた男は、おそらく私の剣を避けることはない。

 確実に、屠れる。

 ……復讐を終わらせられる。

 あの男を討ち果たした日、私はようやく解放されるんだ。


 用を果たしてすぐさまアゾレアから戻れば、手にした剣での戦い方を改めて体に叩き込む。

 数日後、待ち望んだ訪問の日が来た。

 馬車を降りた私は、旅装の腰に剣をつけている。

 いつもなら侍従と一緒に出迎える男は一人で、伯爵としての礼装だった。


「いらっしゃい、フォーリー。ハルカンサス侯爵はやっぱり男の家に上げたくないって心配してなかった?」


「多少は狼狽えていましたが、嫁にそのうち出すからと諦めていました。

 ……本日はデートにお招きいただきありがとうございます」


「部屋を見せるんだよね? 恥ずかしくなってきちゃったけど、どうぞ。こっちだよ」


 誰もいない伯爵邸は窓が全て解放され、日差しが明るく取り込まれている。

 修道院同様かなり古い年代の建物だとは聞いていたが、中は補修などが施されながらも綺麗に保たれており、装飾も見事だった。


「良い邸宅ですね。旅芸人の女性を追いかけてきた吸血鬼のくせに、自分の稼ぎでこの邸宅を建てたんですか」


「当時の国王が建てさせたものだから、いくら掛かったかも知らないんだ。

 戦争続きで、国の守護者が欲しかったんだって。

 今はもう近隣国家との仲も良くなって戦争も起きないし平和になったから、俺には過ぎた代物だけどね」


 石床も綺麗に磨かれ、光を煌めかせている。

 主人のために働く侍従たちは、この男がいなくなれば別の雇い主にも雇用してもらえるだろう。


「さ、ここが俺の部屋。怖くなったらすぐに出ていいからね」


「お前の部屋ごときに慄きませんよ。……まさか中に仕掛けでもあるのですか」


「それじゃ生活しづらいでしょ。普通の部屋だけど、苦手ならってこと」


 見取り図でも確認していた伯爵の私室に、私は程なくして辿り着いた。

 扉が開いたが、明るい室内は私の自室と大差ないくらい質素だ。

 足を踏み入れても、整頓された机と椅子、ベッド、本棚しかない。

 ……もっとおどろおどろしい何かが掛けられていると思っていたが、小さな絵画が一枚あるだけで、部屋には妻の肖像画すらなかった。


「今までの歴代の妻の肖像画を、一面に並べていたりはしないのですか」


「ないよ。その都度、一緒に天に帰しているんだ。

 俺は娘を無事に旅立たせたって思わないと……やっぱり思い出に縛られると、辛い時もあるからね」


 きっと八百年、妻が亡くなるたびに遺品との別れも続けてきたのだろう。

 窓の外には綺麗な庭園が見えている。庭師が敬愛する伯爵のために心を込めて整えているのだろう。

 爽やかな風に吹かれながらも、……今頃裏手にロットたちが集合しているはずだと思うと、心は重く澱む。


「……なぜ、銀の剣で刺されても良いと言ったんですか」


 もし、気が変わっているのなら。

 尋ねながらも不安に胸が締め付けられるのに、男は穏やかに微笑んでいる。


「俺もずいぶん長く生きたからね。

 ハニエが守りたかったものも守れたし……正直俺がこの国でやるべきことは終わったって思ってて。だからかな」


「じゃあ今から屠ってやりますから、腰の剣を外してください。反射的に斬りかかられては、私なんて一発です」


 冗談に見せかけた言葉にも、伯爵は頷いて装備を外してしまう。


「これでいい?」


 剣とベルトが一式、遠い床へ置かれる。

 歯痒くなった私が噛み締めるのを見て、吸血鬼はそれでも穏やかに微笑んだ。

 白銀の髪が窓からの風にそよぎ、穏やかな青の瞳が私を見つめている。


「君とこうしてデートを重ねたのは、恋をすれば命まで捧げていいって思えるかもしれないね、なんて言い出したのが最初だったね。

 楽しかったし……結果は見ての通りだよ」


 両手を上げて、無抵抗を示す。

 少しだけ降ろされた片手が、彼の胸を示した。


「突くなら、ここ」


 最後のデートで、婚約者に刺されると分かっていても。

 男は穏やかに笑っている。


「最後に名前だけ呼んで、フォーリー。

 リックでも、フリックでも。……猫を呼ぶつもりでも良いよ」


 白猫のリック。

 最後はお前だけの名前にしてみせると、決めたからこそつけた名前だ。


「……リック」


 侍従として現れたリック。

 硬い印象の伯爵と違って、不真面目で、卑怯で、でも大人で、翻弄された。

 今だって、嬉しそうに笑う顔が許せない。


「楽しかったね。……でもこれで、思い残すことも無くなったかな」


 何もかも思い通りにして。

 吸血鬼は、この世を去るつもりでいる。


 ……わああと、声が聞こえた。

 邸内に飛び込んできたのは、ロットたちの騒ぐ声だろう。


「良いところで邪魔が入っちゃった。……そうだね、ロットたちも俺の最後を見たいか」


「お前の死を見届けた後、邸内を探ります。

 囚われた人の解放をしますし、あなたは罪人として遺骸を突き出します」


「囚われた人なんていないって言っても、君は探すんだろうね。……まあ、後は任せるよ」


 声は、近づいてくる。

 邸内のどこに現在いるのかを知らないからだろう、探る音が近づいている。


 ドアを打ち壊す音。

 乱暴な足音が、近づく。


 どこだ、どこだと、騒ぐ男の声。

 泣きながら走った森の光景が、昼日中に蘇る。


 きゃああ、と女性の声がした。きっとリルが何かに驚いたはずだ。

 ……それとも、捕まった私が最初に挙げた声だろうか。


「……フォーリー?」


 金品を奪う音。

 早くしろと叫ぶ声。

 捕まって泣き叫んだのを、廃工場へ連れ去られた。


「はっ……は、っ……」


 近づく音に、悲鳴が幾重にも聞こえる。

 外は、明るいはずなのに。

 いろんな色が。派手な男たちが。祝杯をあげて騒ぐ。


「フォーリー」


「あ、あ、あ、ぁ」


「ここにいたのか」


 息が上がり始めた頃。

 現れたのは、禿げ上がった大男。


 怯えて泣き叫ぶ私を、捕まえた。

 今も剣を片手に、私に、手を伸ばして、


「あぁああああああああっ」


「フォーリー!」


 体がすくんで、石床にへたり込んだ。

 男たちが、笑っている。


 こわい、怖い、怖い、コワイ、怖い。

 泣き叫んだ体に、手が伸びる。

 髪を掴まれて、殴られる。


 助けて。誰か、お願い。誰か。


 叫んで逃げようとしたって、敵わない。

 石床の上で首を絞められて、もがいた。


 お父様、お父様。

 何度叫んだって、誰も助けてくれなかった。


 声が、聞こえる。


『フォーリー……俺こそが犯人だ。俺を恨め。……悔しければ追いかけて来い』


 犯人が、目の前にいる。

 白い髪に、青の瞳の吸血鬼。

 私を閉じ込めて、痛くて、苦しい目に遭わせた、犯人。


「わあああああっ」


 必死に、腰の剣を掴んだ。

 今の私なら、戦える。

 戦うために、強くなった。


 ……胸に突き立てた剣が、深々と肉に刺さる。

 苦しそうな声に、呻く声に、確かな効果を見上げた。


 犯人。

 はんにん。


 ……でも。この人は、いた?


 たくさんいた、男の人の中に。

 今と同じ。

 白銀の髪に、青の瞳で。

 頬や体に、赤い色をたくさんつけた、この人は。


 ……いなかった。


 コウモリが、黒が、死を運んでいく。

 ぼんやりとした世界には、赤い色もたくさんあった。


 背中が冷たい。

 喉が、苦しい。

 体が、痛い。


 でも、笑い声は静かになった。

 静かな風景には、たった一人だけが、立っていたから。


「あ……ああ……ああああああ」


 私を見つけて、泣きそうに、抱き上げた。

 血だらけの腕でも、怖いとは思わなかった。

 ただ、私も終わらせて欲しいと願った。


 だって、私を。

 この人だけは、助けにきてくれた。


 酷い格好で、もう全部終わらせてって、泣いていても。

 いたいことは、しなかった。


「お父様!!」


 女性の声が、聞こえる。

 リルが、お父様って、呼んで。

 泣いて見せている相手は、目の前の人だった。


「ようやく開放できます……っもう苦しまなくていいんです。

 お父様はもう、生きていなくても良いんです!」


 泣きながら見た目の前の光景が、歪んでいる。

 皮肉に笑っている顔。

 ……瞬きのたびに、悲しそうに、くるしそうに歯を噛み締めた姿に、なる。


 あの日と、同じように。

 濁った目の前では、噛み締めた口元が、笑顔と、苦しみで、切り変わる。


「私……私、……私、が……っあ、あぁ、私、が」


 溢れてきた赤い液体は、元に戻せない。

 そばで、この人は、穏やかに……笑っていた。


『リック』


 そう呼ばれるたびに、嬉しそうにしていた。

 デートなんて言いながら、一緒に笑っていた。

 私が持つ銀の剣には、赤が伝って、たくさん落ちていく。

 命が、こぼれていく。


 ……私は、もう、生きたくない。

 苦しい。辛い。……何も見たくない。


 何度だって願った時に、叶わなかった。


 でもそばには、もう一振りがある。

 隠し持っていた短剣が、あった。


「……フォーリー……?」


 許婚を、刺した。

 穏やかに笑って、なんでもできる大人の人だった。


 もう男の人になんて、近づきたくもなかった。

 でも会いたくなったり、触れ合うと変にドキドキした。

 そばにいて落ち着くのも、リックだけだった。


 一緒にいるのが楽しくて。

 声を上げて笑うことも忘れていた私まで、いつしか素直に笑っていた。


 本当は、きっと……認めたくなかっただけで。


 子猫を、助けてくれた。

 私も、何度だって助けてもらえた。

 デートをねだって泣けば、笑顔で優しい次を約束してくれた人に、……惹かれていた。


 最後のデートで、私は剣を突きつけて……同じ銀色を、取り出す。

 息を呑む人の前で、刀身を返した。

 これで首を撫でれば、終わり。


 ……行き着く先は、吸血鬼とは違うかもしれないけれど。

 私には、相応しい場所に行けるはず。


「フォーリー!」


 首の上を、滑らせる。


 ……どうして、気づかなかったんだろう。

 復讐なんて相手は、もういなかったことにも。

 目の前で必死に叫んでくれる人が、こんなにも、……恋しかったことにも。


 パッと、世界に赤が散った。

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