終わりの始まり
もとより、吸血鬼は強いと思っていた。
不老不死と言い出しても信じられるくらい頑丈な体に、圧倒的な力。
私は剣を持っているのに、伯爵は抜かずとも全ていなしてしまう。剣を見極めて拳で弾いてしまう相手に、体さえ浮かされた。
「今のは踏み込みが甘かったね。焦らずに体重を乗せたらもっと良くなるよ」
「……っ、うるっさい!」
ならば。
反応出来なくなるまで、速度を上げてやれば良い。
「お……うん、いいね。当たりが強くなってきた」
剣技を磨き、白銀の髪の吸血鬼相手に最適化する。
その胸に銀の剣を突き立てるために、獣の如く歯を食いしばり、必死に食らいついた。
足払いを躱す。
首を狙う。
姿勢をさらに低くした男には空振り、当たらなかった。
剣を両手で構えて追いかけると、不意に笑った男が走り出して背中を向けた。
「おい、戦いの最中だろうっ、逃げるな!」
「あはは、逃げるのもありにしようっと。だって敵は向かい合う相手ばかりじゃないでしょ? 俺も違うよー」
「追いかけっこがしたいんじゃないんだ、子供か、っ!?」
ふざけたと思ったら、振り返りざまの裏拳で剣を弾こうとしてくるのを紙一重で避ける。
ますます憎悪の炎に燃やされた私が歯を噛み締めて追いかけるのを、男は楽しそうに笑った。
戦いは汗だくで動けなくなるまで、二時間はやっていたかもしれない。
騎士として優秀なお祖父様から受けた剣技修行じゃないけれど、意識が飛びそうになって地面に膝をついた。
疲れた以外の何も考えられない体が必死に呼吸を繰り返すのをただ続けていたけれど、水とタオルを差し出されたから受け取る。飲んでも汗ばかり溢れてくる私を見て、気遣った侍従が水差しを置いて離れてくれた。
「フォーリーは自分でも言っていた通り、強いね。このまま騎士になるの?」
「はぁっ、はぁ、……っ貴族子女にそのような道はありません。お前も知っているでしょう」
「……そうだね。騎士じゃなくて、俺のお嫁さんになってくれるんだった」
「腹の立つことを言わないでください。屠りますよ」
不意をついて短剣で切り掛かったのに、指二本で止められた。
振り上げた腕が筋肉痛で痛くて、短剣から滑る。
バシッ。
……綺麗な横っつらに、そのまま拳が入った。
振り抜かれずに全ての力を伝え切ったが、油断していたのか、当てられた男が恥ずかしそうに顔を顰めている。
「うわ……悔しいな、最後まで当たらなかったのに。
でも終わったあとだから、これは反則だよね。殴られるなんて思ってもなかったよ」
「何を言っているんですか、最後まで諦めなかった私の勝ちでしょう。……ふふ、っふふふっ、殴られるなんて、ざまあないです」
私も筋肉痛で辛いが、それでも握り拳を作ると伯爵をもう一度殴った。
三発目は流石に避けられたが、男も笑っている。
「ひどい子だね、フォーリー。暴行の現行犯でお父上に伝えないといけないな」
「違います。これは正当な復讐ですよ。伯爵に……」
そう、私がひどい目に遭わされた、その復讐だ。
……六年前、私を手にしようと攫った犯人。
自分を憎めと言って去り、法廷でも罪を認めず逃げた男を、いつか屠ってやると夢見てきた。
「……あの日、されたことの、復讐を……しているんです……」
なのに、婚約者になって。
騙されたお父様のせいだって、必死に屠ろうとしてきたのに、全部受け入れて。
私が叱られたら自分から庇って、穏やかに笑っている。
「……フォーリー」
言葉も出ずに、俯く。
汗の滴が落ちたのだと、タオルで拭った。
辛かったんだ。
私が事件に巻き込まれてから過ごした六年間は、復讐に燃えながら必死に生きてきた六年だった。
夜に怯えた。
しばらくまともに寝られる日はなかった。
家族の皆まで巻き込んだ。
法廷に訴えて、証拠を探しながら誰にも負けないように鍛えるなんて、ありとあらゆることをこなしてきた。
でも、私が知る男は残虐ではなかった。
遊び歩く侍従で、でも街のことを誰よりも知って考える、立派な伯爵だった。
触れられることを恐れていると知っているから、今も安易に慰めたりはしない。
誰かのためばかりを考える、穏やかな男だった。
「どうして、攫ったんですか……」
証拠が欲しかった。
私が憎み切るに足る、理由が欲しかった。
二重人格なら良いのに、夜になっても変貌したりしない。
そばで眠って寝不足でも、伯爵は伯爵だった。
「私のことを、どうして……」
握りしめた拳が震えて、地面につく。
顔を上げた先には苦しそうに目を背ける男がいて、……首を横に振っている。
「……法廷はどうして君の訴えを退けたと思う、フォーリー」
「あなたが、買収したんでしょう? 陛下すら逃したくないと思う男を、法では裁けなかった。だから」
「違うよ。……真実、俺は関与していないし、君を助けに向かっただけだ。
正直に言うとね、俺はもう人間に関わる気がなかった。
でも必死なハルカンサス侯爵にお願いされて、……断りきれなかった」
あの日を、私も深く思い出せないでいる。
月と、ボロボロになった廃工場の風景。
体が痛くて、苦しくて、何もかもが辛くて……最後……静かな夜の中、助け起こした男に死を願った。
見上げればあの日と同じ白銀の髪に、青の瞳。
吸血伯爵に犯人だと告げられて、目の前で笑っているこの男こそが犯人だと思ったのに。
「っ……う、あ……」
いたい。……いたい。
激しい頭痛の奥で、恐怖に慄く声が聞こえる。
体が、痛い。
誰かが近くにいるのが、怖い。
冷たくなった肌を必死に抱えて、うずくまる。
髪を引かれ、首に指がかかる幻視が、見えた。
「ごめん、今の言葉はなし」
手を叩く鋭い音に、ハッと息を呑んだ。
目の前には、悲しそうに青の瞳を細めた男がいる。
「無理に思い出さないで、フォーリー。人の心は良くできていて、自分を守ろうと出来るんだ。
まだ受け入れられないから、思い出せないのかもしれないのに……記憶を無理に呼び起こす必要はない。
……だから俺を犯人として追いかけて良い。君が望むなら、こうして銀の剣を突き立てても良いんだよ」
すっぽ抜けた短剣を、伯爵は自分の胸に突き立てて見せた。
鈍い音までする鮮烈な光景に、息を呑む。
しかし服は切れたのに、刃がそれ以上通ることはなかった。
「銀なら切れるよ」
弱点を囁く男は、抜き出した短剣を鞘に収めて私の前に戻した。
「君の復讐も、それで終わりだ。……俺もその方が良いな。君がもう苦しまなくて済む方が良いって、今は素直にそう思ってる。
フォーリー、俺が犯人で間違いないんだ。だから……俺を憎んで」
土の上に置かれた短剣を手にした私に、男は立ち上がって背を向けた。
「そろそろ遅くなりそうだし帰ろうか。また招待の日を伝えるよ」
きっと、その日が最後になる。
風に吹かれる白銀の髪を靡かせ、今も穏やかに青の瞳を緩ませた男も……終わりの日を知っている。




