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転機

 朝食後は、無事に伯爵のお見送りを済ませた。

 ロットたちにも作戦変更の連絡を取らなくてはいけないから後日アゾレアの街にも向かったが、奥の打ち合わせ部屋で護衛に刺客を引き入れられなくなったことを伝えると、大柄の禿げ上がった男からは重い溜息が返ってきた。


「……お前には打ち上がった剣と短剣だけ引き渡す。除名だ、あとは好きにしろ」


「裏切ったわけではない。私が協力者として邸内に入れば、囚われている者の解放は可能なはずだ。

 だがお前たちの陽動が無ければ叶わないかもしれない。伯爵の目を誤魔化すだけの時間稼ぎは一人では出来ないんだ。力を合わせる必要はあるだろう」


 私一人では、フリック・レイノールを打ち倒すことが難しい。

 侯爵邸に招いた際にも、戦う最中に自らは剣を抜かずとも私を捌いてみせた。

 情けない話だが、私がこれ以上腕を上げるにも時間がかかる。彼らが襲い込んで来た混乱が無ければ、伯爵の無力化は難しい。


「囚われた人を助け出したいんだろう。私に考えがあるんだ。お前たちも乗ってくれ」


 何か作戦はないかと、この数日ひたすら考えた。

 邸内で事件を起こすためには私の侍女や護衛がいる状態ではならない。すぐに駆けつけられてしまう。

 戦いを専門に雇われている護衛を複数人相手に戦うことは、どれだけの手だれであっても難しい。


 伯爵を犯人だと決定付ける証拠探しもしたかったが、これも時間がかかり過ぎる。

 一度や二度邸内に入れてもらえた程度では中を検めきれないし、そもそも証拠品が残されているとは限らない。雲を掴むような話だ。


 だから。


「お前の剣が打ち上がり次第、片をつける」


 時間が経つほど叶わなくなる復讐は、もう終わらせる。

 侯爵令嬢としてでも、将来の娘としてでも、婚約者を背中に庇うには十分なくらい情は湧いたはずだ。


「私が邸内を空にする。日は伝えるから、お前たちは私を襲いに来い。

 伯爵を討ち果たしたあと、邸内を捜索して捕えられた者を解放する」


 待つほど難しくなる復讐なら、もう終わらせるべきだ。

 ……どれだけフリック・レイノールが笑顔を見せようと、あいつが私を攫って酷い目に遭わせた吸血鬼であることに、変わりはない。




 ロットに詳しい内容を仲間にも伝えるよう頼むと、旅装のフードを深く被って工房を出た。

 今日は街のどこにも侍従姿の男はいない。

 修道院に院長のオルグがいるのは調べてから出て来ている。真っ直ぐに向かうと、法衣姿の男は快く応対してくれた。


 白い石造りの修道院は歴史もあるため綺麗に磨かれ、今日も修道士によって整えられている。

 奥まった院長室に通されたが、扉が確実に閉まったことを確認してからオルグに向き合った。

 柔らかな微笑みを浮かべて佇む男を前に、以前からの疑問を口にする。


「あなたがフリック・レイノールを討ち果たす理由を尋ねたい。

 教会は、人を殺めることを是とはしない。院長のあなたも同じ教義のはずだ。なのに戒律を犯しても良いと考えた理由を聞きたい」


 厳しい修行を収めて立派な法衣に身を包んだはずの男は、外套のフードを深く被ったままの私の前で静かに祈りを捧げている。


「解放のためです。リルやロット、ライーと同じく、囚われている方を救い出したい。そう願っています」


「……私は囚われている人をリルの父親以外知らない。

 あなたはフリック・レイノールの罪を知っているわけではなく、誰かを助けたいと考えているのか。

 現在囚われている者について詳しく聞きたい。まさかとは思うが、……罪人の類ではないよな」


 伯爵邸に囚われて長い人間とは『何』か。

 気に入った人間を餌にしているのならば救い出さなくてはならないが、ロットの探す人物も、リルの父親も、彼らが解放したがっているのが罪人であれば話は違ってくる。

 穏やかに首を横に振って見せたオルグは、天井に描かれた福音図を仰いだ。


「私たちが解放を目指すのは、善良な使命のためです。神に誓いましょう。

 ……初めて出会った時には復讐を生業とする者にすら見えたのに……どうやら、今は随分迷われているようですね。

 あなたが欲しいのは、私の答えではなく……討ち果たすに足る信念、そうお見受けします」


 石床が小さく音を立て、男が静かに近づく。

 修道院長であっても近付かれると剣に指を掛けてしまうのは、相手が男性だからだ。

 こうしてまともに生活を送れなくなったのも、吸血伯爵が私を手に掛けるため攫おうとしたから。

 今だって、あいつの妻となろうとしていたのを、……なぜ仕方ないと思えていたのかも分からない。


 全部、フリック・レイノールのせいだ。

 全部、全部。……馴れ合おうとしたことすら、あいつの思い通りだったのかもしれない。


「私は仲間として戦う。だから答えてくれ。

 修道院の長でありながら、吸血鬼を殺めても良いと思われている理由は何だ」


 きっと、答えをもらえれば……朗らかに笑い、そばで穏やかに見守ろうとしてきた男を考えるたびに、重く苦しむような、不快な感情が胸に湧くことを正当化できる。

 あいつの本性は酷い吸血鬼だ。

 なのに子猫のリックを救い出し、共に過ごしたうちに一度だって怖がらせることもなかった記憶が……邪魔をする。


 修道院長のオルグが、教義に逆らっても死を望む理由があるはずだ。

 そう思う私に、再び天井の福音図を見上げる男から静かな声が聞こえた。


「……この修道院は成り立ちが古く、八百年の歴史を誇ります。

 最初は孤児院から立ち上がりましたが、戦災で孤児が多かったことから設立されました」


「歴史を聞いているのではない。教義に基づき、フリック・レイノールを討とうと思った理由を」


「創立したのは、旅芸人の女性を探しに訪れた吸血鬼です。

 ……彼女が守ろうとした子供達の笑顔を、自分が守ってやりたいという志が始まりでした。

 親がいない不安や寂しさを、少しでも解消してやれれば……そんな尊い願いのために作り上げられたのが、この施設です」


 ……どうして、今更。そのような話を。

 まるで優しい吸血鬼だ。血を集めるために子供を攫い集めたと言ってくれた方がよほど良い。


「ですが昨今は、ご自分の手から離そうとしておいでです」


 顔を上げたが、オルグは穏やかに胸に手を当てている。


「もう十年になりますが、管理移管の方向性を少しずつ探っている。

 やがて修道院はこの地から移され、孤児院は縮小され、いずれ無くなるでしょう。

 ……私も背負うものが多く、何のためにと一つを問われては難しいですが……全ての解放のために、討伐を願っています」


 修道院、孤児院、囚われた人間。それら全てのため。

 背負うものの多さに言葉をなくす私に、修道院長は穏やかな微笑みを絶やさずに頭を下げた。


「銀の剣を持ち、婚約者として宿命を繋いだ相手を切るのはさぞかしお辛いことでしょう。

 ですが……あなたにしか出来ません。伯爵に終わりをもたらすことを願います」


「……フリック・レイノールはあなたにとって父親がわりではなかったのか。その終わりを願うことに迷いはないのか」


 何を答えて欲しいのかと、手を握りしめる。

 しかしオルグは穏やかに頷き、目を閉じた。


「父親だからこそ、ですよ。愛しているからこそ……私は彼の方を正したい。

 もし罰を受けるのなら、劫火にも進んで身を投じましょう」


 固い覚悟を見て、それ以上の言葉を聞くことは出来なかった。

 自らが立つ修道院と孤児院を背負い、そのために戦う宣言をした男を後にすると、馬車に乗ってアゾレアを後にする。

 揺れる馬車の壁にもたれかかりながら、少しだけ遠ざかる街並みに目を向けた。


 ……そういえば、今回は一度も会わなかったな。

 鳥たちから私の訪問は伝えられているだろうに、忙しいから来なかったのだろうか。


 それとも。

 ……私が本当に打ち倒しにくる気でいることに、あいつならもう気づいているのではないか。


「……」


 それでも、私は倒さなくてはならない。

 囚われている人のために。

 私が、いつまでだって復讐に駆られ続けてきた想いにも、終わりをもたらすために。

 決着をつけるために、どうすれば良いのか……馬車に揺られながらも、引き寄せた膝に顔を埋めた私は静かに考え続けた。




 銀の剣が打ち上がる予定日が、ついに決まった。

 ロットから連絡があったが、完成の前に、私は伯爵と会って交渉する必要があった。


 剣の腕は磨き続けたが、私一人で討ち果たすことはやはり難しい。

 邸内から侍従や侍女を出来るだけ排した状態で、ロットたちを引き入れる必要がある。


 私は伯爵に『先日の招待に応えてくれた礼がしたい』と話題を選んで手紙を送った。

 会うにも理由が必要だが、ちょうど侯爵家としての用があったから便乗させてもらった。

 伯爵からは『いつでもおいで』などと返事が来た。

 喜んだお父様からは、私が掴み潰した背広の代わりに新しく仕立てた物を持たされ、くれぐれも失礼のないようにと言われながら出発した。

 花木に溢れる伯爵邸の庭園に着くと、いつもながら凛々しく正装に身を包む男が迎えてくれたが、白銀の髪に青の瞳の吸血鬼は穏やかに微笑んでいる。


「いらっしゃい、フォーリー。侯爵邸でのデート、楽しかったね」


「会って早々に変なことを言わないでください。……お父様から預かり物です。先日はご無礼をいたしました。どうぞお納めください」


「これは……背広? 君のお兄様の礼服も結局頂いてしまったから、気にしなくていいのに。

 ハルカンサス侯爵は人情味の溢れる方だね。いつもご好意を頂いて、申し訳ないくらいだよ」


「……そうでしょうか。私にとってはうるさくて融通の効かない父です」


「ふふ、俺はあの方だから交流する気になるくらい気に入っているよ。

 君のお父上はのんびりしているように見えて、よく物事を見極めている。なのに変に貴族らしくなくて穏やかだ。

 ってごめん、立ち話はこれくらいにしよう。どうぞ奥へ」


 普段通りの様子の男に、いつもの東屋へ導かれた。

 座ると侍従に用意された淹れたての紅茶を口にしたが、風に揺れる花木の音しか庭園にはない。


「フォーリー、今日は元気がないね。何かあった?」


「……いえ。……」


 これから屠る相手に、私はもっと自然に接していた。怪しまれてはならない。

 ……毒を持ちこみ、食わせ、何度も命を狙ったはずだ。今更何の情が湧くと言うのか。

 液面に映る追い詰められた顔を見せないよう唇を湿らせると、以前と同じ笑顔を作って顔を上げた。


「今度、またデートしませんか。実は行きたい場所があるんです」


「デート? もちろんいいよ。フォーリーが行きたい場所って言うと……以前話していた劇場かな」


「いえ、私の部屋にはお招きしましたから。

 ……今度はリック、あなたのお部屋を見せてください」


 邸内に踏み入るための理由は、図らずも出来た。

 青の瞳を丸くしている吸血鬼の前で、震える指を悟られぬよう胸に強く押し当てた。


「私が見せたのに、あなただけ見せないのもおかしいでしょう?

 父にも伯爵様からの招待状があれば、夜間の外出でも許されると思います。ぜひお招きください」


 緊張に指が冷たくなるのを、密かに膝の上で握りしめる。

 ……この交渉を失敗させるわけにはいかない。

 気持ちで負けないためにも真っ直ぐ向き合うと、フリック・レイノールは紅茶を口にして微笑んだ。


「そうだね、良いよ。君の部屋に招いてもらっておきながら、俺だけ駄目とは言わない。

 でも流石に夜間は誘えないから、昼間にしよう。招待する以上は、お父上に怒られない時間にしないとね」


 昼か。

 ……しかし侍従や業者など、伯爵邸への出入りもある時間帯だ。ロットたちが揃う姿を誤魔化す手段はある。


「ただ、あまり人がいない方が良いですね。

 伯爵様もご存知の通り、私は男性が嫌いです。慣れない人もそばに置きたくありません」


「そっか、そうだよね……うーん……じゃあ、その日だけうちの侍従はお休みにしようかな。

 客人を迎えるのならいた方が良いと思うけど、フォーリーが気にしないでくれるのなら、その日くらい俺一人でも回せるからね」


「良いですね。お部屋に訪問させていただくだけですから、あなただけいればいいです。

 侍従の皆様には、ぜひ日頃の疲れを癒して頂いてください」


 渡りに船だ。

 ロットたちから、邸内に護衛がいない話は聞いた。

 伯爵が自身で身を守れるから、全て解雇しているはずだ。


 昼間の計画になるが、侍従たちさえいなくなればフリック・レイノールが邸内に一人になる。

 あとは当日、剣を外させるだけ。

 私だけ身につけて、相手が持っていない状態にさえ持ち込んでやれば良い。


「じゃあ、日取りはまた招待状にしたためて連絡するよ。楽しみだね」


 ……緊張する全身が、嫌な汗をかいている。

 落ち着きたくて紅茶のカップに手を伸ばすと、震えているから細かく音を立てた。

 なんとか掴んで口にしながら考えるが、銀のナイフやフォークを嫌がるそぶりは幾度でも見てきた。剣も刺さるはずだ。

 ついに目の前にいる、憎い男の息の根を止めることが出来る。……私の復讐は、叶うんだ。


「フォーリー、今日もよければこのまま街に降りてデートしない?」


 提案に息を呑んだが、平静を装って向き合った。

 目の前の男はいつものように、穏やかに微笑んでいる。


「デート、ですか」


 もはやする必要のない事柄だ。

 命も捧げたくなるかもしれないという言葉に賭けてきたが、暗殺計画に算段がついた今はする必要がない。


「そう。元気がないから、背広の件でお父上に怒られたのか心配になっちゃって。

 少し遊べば元気も出てくると思うから、嫌じゃなければ行こう?」


 ……何も知らないのか。

 私はこれから、真実お前の命を狩ろうとしているのに。


 いいえと言うのが正しい選択だ。

 用はもう終わったのだから、馬車に戻れば良い。

 今日は気分が優れない。また後日。色々な言葉が思い浮かぶ。


「それか……先日手合わせするのが楽しかったから、もう一度やる?

 きっと体を動かして汗をかくと気分も晴れるし、俺の実力をもっと計れるかもしれないね」


 実力を試したい気持ちは、ある。

 邸内で戦闘になった際には、確実に後ろから刺しかかるつもりだ。

 しかし、避けられた場合はどうなる?

 不意をつけるのは一度きり。もし相手の反応速度が上回った場合、ロットたちに協力させながら命を狙うことになる。


 剣技での実力を、もっと知りたい。

 私だって、……目の前で穏やかに微笑む男に湧く、不快な気分を断ち切りたい。


「……やります」


 きっと、これが最後だ。

 胸の中に燻る憎しみの炎が、音を立てる。

 再会してからずっと憎く思ってきた男は、私の意思を喜んで受け入れた。

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