本日の総括
公衆浴場の温かいお湯で全身を清めると、心もだいぶ落ち着いてきた。
湯船にも浸かって調子を取り戻すと、脱衣所の鏡の前では短い金の髪に赤の瞳の自分と向き合う。
クヨクヨしていても仕方ない。この後はいつも通りフリック・レイノールと街を歩く予定なのだから、気持ちで負けてどうすると頬を叩いて気合いも入れた。
助けてもらったかもしれないが、そもそもあいつが私を攫わなければボートを立つこともなかったし、落ちなかった。
手を尽くしてもらえたって、憎い相手に変わりはない。屠るために惚れさせる。現在はその作戦進行中だ。よし。
着ていた衣服は水浸しで持ち歩けないことから捨てさせてもらって休憩所に出ると、簡単な白の丸首シャツと短いズボン姿になった男と目が合った。私も同じ格好だから、複雑になりながらも「ふん」と鼻を鳴らした。
「お待たせしました。では早速服を買いに行きましょう。服屋のリルがいる店がいいです」
「いいよ、そうしようか」
自分の反対派閥だと分かっているのに二つ返事で踏み込んで良いのかと考えたが、受け入れてもらったのだから文句を言う筋合いもない。
お揃いの格好で街を歩くのも恥ずかしかったが、程なくしてリルの店についたので二人で足を踏み入れた。
「いらっしゃいませー……えっ?! お……」
驚きに目を瞬いたリルが伯爵を見つめているため、私も店内を今のうちに見回す。
あまり変なものは置かれていないが、少し探せば吸血伯爵に似合わなさそうなものはありそうだ。髪飾りや雑貨なども置かれている。
「やあ、リル。久しぶり。今日は彼女に似合う服を選びにきたんだ」
「私もその男に似合う服を選びにきました。一緒に探しましょう」
「あ、は、はいっ。では……まずは伯爵様に似合うお洋服を選びましょう。すぐに見繕いますね」
リルが私を男性物の場所に連れていく。
これ幸いと彼女に近づくと、声をかけた。
「リル、協力してください。あいつを街歩きで大恥かくような、頓珍漢な格好にしてやりたいんです。
この店に変な服はないんですか。例えば、全身をピッタリ覆う奇抜な色のスーツとか、在庫は」
「そんなものないし、着せられるわけがないでしょう?
……グレーがいいかしら……ううん、なんだって似合うけれど、やっぱり……」
伯爵とも呼んでいたし、服屋の店員という立場からも変な服は選べないのだろう。残念だが諦めるしかない。
私だけでも変なものを選んでやるかと、見つけた赤黒のふざけたシャツをカゴに入れようとしたら、あっさりと棚に戻されてしまった。
代わりにリルが厳選した全身コーディネートが決まっていく。服屋の店員だけあって、さすがに選び方が上手だ。
「伯爵様には、これでいいわよね? 一応聞いたけれど異論は認めないわよ」
青の開襟シャツに白のパンツ、足元は紺の革靴だ。全身コーディネートなんて、服屋としての全力を出してどうする。
しかし手にした金色の変な柄のベストを合わせてやろうとしたら、これも問答無用で戻された。太陽の下で変にキラキラ光らせてやろうと思ったのに、阻まれて困惑する。
「リル。私も復讐する良いチャンスだと分かっているだろう、どうして邪魔をするんだ」
「おしゃれはおしゃれ。ふざけた商品は着せられるわけがないってさっきも伝えたはずよ。
……あんまりうるさくするのなら、逆にあなたを変に仕立ててあげましょうか。次に選ぶのは、あなたの服よ。分かっているわね」
真顔が怖いので黙ることにした。カゴにこっそり収めた銀色にギラギラ光るネクタイは、自分で戻した。私が付けられかねない。
リックの着替えは先に行われたが、銀の髪に青の瞳の男にはよく似合った。店員やリルが夢中で拍手していることから、良いものであることは分かった。
「これ、フォーリーは一切選んでないでしょ。俺のためになんて絶対に考えないはずだからね」
「私だって嫌でしたが、リルに変に仕立て上げられても困るので……ああ、なんでもないです」
それ以上言わないようにと口だけで合図しているリルの顔が怖い。
次は私の番だと飛び跳ねるようなリルが伯爵と女性物の方に入ったが、父親を囚われていて復讐する相手であっても、街の人間として敬ってはいるのかと見送った。
……私も何か一つくらい選ぶか。
暇な間にこっそりと変なもの探しに出たが、気に入って見つけたものがあったので、会計を済ませた。
四角い箱を鞄に納めて何もしていない風情で座っていると、試着室へと呼ばれた。
動きやすそうなベージュのシャツに青のジーンズ、上から茶色のコートを羽織って出る。
拍手されると照れ臭いが、リルも満足そうに頷いている。やはり店員としてのプライドがあるのだろう、変なもので統一されなくてよかった。
「フォーリーはズボンの方が好きかなって思ったけど、やっぱりよく似合ってるよ」
「……変にならなくてよかったです」
お互いに贈り合う約束なので支払いを済ませて店を出たが、その後は昼食を共に頂き、古本屋を紹介してもらって本探しなどしていればあっという間に時間が過ぎてしまった。
「それじゃ、帰ろうか」
早朝から出たはずなのに、日が短く感じる。
まだやりたいことは多かったが……仕方がない。
今日のデートを振り返れば試したいことも出来たため、おとなしく従った。
背の高い男と共に向かったのは、侯爵家の紋章を隠して一般用に見せかけた箱馬車だ。
うちの御者が帽子をとって頭を下げたのを見ながら、送り出そうとする男に向き合った。
「リック、今日は楽しかったです。遊んでくださってありがとうございました。
最後に一つだけ、お願いしたいことがあるんですが……だめでしょうか」
「ん? 何?」
「今だけ許すので、背中に触れてもらえませんか」
目をぱちぱち瞬いている男の行動を振り返ってみれば、おかしなことに気付く。
やはり新しく出来る娘として私を思っているのか、それとも別の理由があるのか、デートであっても一度としてフリック・レイノールが私に触れることはなかった。
この男の反射神経なら、私が水に落ちる前に掴めたはずだ。
なのに水に沈んだ時ですら手を掴もうとしなかったのは、……もしや女性に触れることこそが悪しき人格へと入れ替わる契機になるのではないかと考えている。
記憶の中でも、私を抱き起こした後しばらくして様子が変わったように見えた。
若い女性の血の匂いに惑わされるのであれば、注目している御者もいることから証拠としても使える。
「……? じゃあ後ろを向いてもらって、軽く叩く感じが良い、かな? あまり触られたくないだろうし」
「いえ、正面から抱き起こすくらいしっかり。今なら頑張れそうです。ほら、早く」
同じ状況にはならないが、背中を叩いて示し、腹に力を込めて耐える。
戸惑った吸血伯爵を強い意志を持って見つめると、リックが動揺しながら背中に腕を回した。
抱き起こすくらいと注文したので、背中を支える手が密着する。
本当に触れてきたことから背筋を走る震えを堪えながらも、吸血鬼の様子が変わらないかと私もまじまじ見つめた。
目が合うと逸らされたが「リック」と呼ぶと視線が戻ってきて、照れくさそうに顔が赤くなっていく男と見つめあった。
「何か変わりませんか」
「……何か、って?」
真剣に様子を見るが、薄ら笑いを浮かべたり、愉快になってきた様子などはない。
「私に対して、感情の変化は。悪い気持ちになったりなど、してきたり……しませんか」
害したり、吸血衝動に駆られたりなどと異変があるのならすぐさま殴って御者を呼ぶが、どんどん顔が赤くなっていく。なんなんだ。
じっと見つめると、少しだけ指に力が入って軽く引き寄せられた。
リックの体も少しだけ前に傾いだが……ギギギと音がしそうなくらいゆっくり、前方に斜め五度くらいで止まった。恥ずかしさが頂点にでも達したのだろう、白銀の髪の男は歯噛みして顔を背けている。
「待って、君の意図を掴みかねてて……別れ際に何をしたいのか教えてもらえる?」
性格が変わるかどうかを試しているのは、二重人格だとしたら伝えるのは不利になる。
探られるのを嫌がるだろうし、変に隠されても困る。
湖に落ちた時、彼は私に「触れない」と言っていたはずだが……どうやらしばらく女性の体に触っても様子が変わることはない。
次は月明かりの強い夜に試すかと、そろそろ鳥肌が立ちそうなのも腹に力を入れて隠し通した。
「では、本日の総括をしましょう。私に恋はしましたか」
「恋?」
「今日のデートは、それが目的だったでしょう? ……まさか忘れていたとは言わせませんよ。
婚約者と恋に落ちれば、あなたは命すら捧げてくれるかもしれない……だから一緒に遊びに出たんですからね」
狙いを話して見上げると、リックが考えている。
ハッと息を呑んだ男が垂直まで体を戻すと、背中から手を離して無抵抗を示し、大きく息を吐いた。
「君を大切な娘として迎え入れる気持ちに変わりはないよ。安心して」
つまり作戦失敗か。
「別れ際だったから驚いたけど、君にとっては懐に入れるかどうか、だろうからね。
……見ての通り、恋はしなかったけど背中に触れるだけは近づけた、かな? 君の意思が一番大事で、大切にしたいことにも変わりはないよ」
つまり、いまだに父親代わりという意識であって、恋した相手に命を捧げるくらいのめり込んではいないわけだ。
まだ一度目だが悔しい気持ちや残念な気持ちなどが渦を巻く中、彼が馬車を示した。
「さ、帰ろう。待たせて悪かったね、彼女を無事に家まで送り届けてあげて」
御者に声をかける男を見て、停めてあった馬車に乗り込む。
忘れそうなので見送るリックに窓から四角い箱を手渡したが、つまらない気持ちだから「捨ててください」と一言告げるのみになった。
「え、何これ」
「今日はリルが全部選んでしまったので、それは私が選んだものです。……選んだものを贈り合うという約束だったでしょう。つまらないものですが、渡す予定でした。でも捨ててください」
ヘンテコで仰々しいものにしてやろうと思っていたのに、店に飾られていた青の染色が綺麗で、結局、普段使いも出来るネクタイにしてしまった。
中身を知らない男はまた毒物かと思っているかもしれないが、悔しい気持ちで窓から見下ろす。
「捨てないよ、ありがとう」
「……お前を屠るためにも、一度では諦めませんからね、
今度はうちに遊びにきてください。……ちゃんと招待しますから、来るように。
それでは、失礼」
合図すると馬車も出発し、リックも手を振って離れた。
ことことと揺れる箱馬車の中で今日の出来事をまとめたが……どうしてこんなに悔しいのだろう。
湖に顔をつけてやっても駄目だったし、やはり作戦を練らなくてはならない。
恋に落とすための手法は誰に尋ねれば良いのかと考えて、領内に招いたのならどこに行くのが良いかと悩んで……気づいた頃には、侯爵邸に到着していたくらい没頭してしまった。
ただし。
実は戻ってから、お父様にとんでもないことを言われた。
「フォーリー。お前、伯爵様に口づけをねだったのか」
「はぁ?」
寝る前にベッドで伸びる白猫のリックを撫でながらのんびりしていたが、お父様が慌ててやってきた。
わけがわからないことを言う侯爵に向かって呆れて顔を顰めたが、お父様は身振り手振りも交えて説明を始めた。
「別れ際に抱きしめてもらって、お前から口づけを迫ったのを御者が見ていたそうだ。
口づけはもちろん婚礼前だからもらえなかったが……すると今度は恋をねだって、お前がデートしたいとうちに誘ったと聞いた」
思わぬ事態に狼狽えたが、事実と妄想が入り混じりすぎていてどうにもならないくらい融合している。
そもそも別れ際に抱き寄せられた婚約者同士がすることなんて一つらしいが、私が名残を惜しんで唇を交わすわけがない。道理で馬車の前で背中を支えさせられた人生経験豊富なフリック・レイノールがとんでもなく悩んでいたわけだ。あわや大事故である。
恋に敏感な妹たちまで「聞いたわ!」なんて騒いで私の部屋に来たのだから、子猫のリックを撫でながら真っ赤になってしまった。やはり恋は、難しい。




