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アゾレア巡り

 フリック・レイノールとの約束の日がやってきた。

 今回もお互いにお忍びだが、侍従のリックも制服ではなく街の人間と同じ格好になるという。

 偶然にも案内を重ねた旅人と仲良くなって、仕事でない日でも遊びに行く……そんな状況なら幾度か鉢合わせた街の人間にも怪しまれないからだろう。遊び歩いて顔が広い男は大変だ。


「フォーリー姉様可愛いー! さすがマナ、コーディネートが上手ね!」


「姉様に任せたら絶対にズボンにすると思ったもの。やっぱり私の見立てが正解だったわ」


 デートだとうっかり口を滑らせたら、妹たちに人形扱いされてしまった。

 口出す暇もないくらいの忙しなさで着せ替えられ、早朝にもかかわらず疲れ果てた私は馬車にそのまま押し込まれて揺られていく。

 包装後出荷される野菜の気持ちになって眠っていると、アゾレアの街にはあっという間についてしまった。


 街の入り口には花を模したモニュメントが聳える、有名な待ち合わせ場所がある。

 侍従のリックは衛兵と話をしていたので終わるまで待とうと思ったが、気づいたのかすぐに振り返った。


「……フォーリー?」


 短剣すら入らない小さな鞄を前に提げて、会釈を済ませる。

 吸血伯爵は衛兵に小突かれて銀の髪を揺らしたが、丸くなった青の瞳が揺れている。

 短い金髪に赤の瞳の婚約者が、普段は絶対に着ない薄青のワンピースに、飾りをいくつか合わせて髪や腕などにも付けているからだろう。慣れない格好が気恥ずかしいが待っていると、挨拶を終えたリックと歩き出した。


「今日もいつもの格好かと思ってたから、驚いたよ」


「お互いに街歩きをするのでしょう。私だけ旅装では浮きます。

 これは妹が揃えました。……あなたは印象があまり変わりませんね」


 背の高い男は前開きのジャケットに丸首シャツとパンツだ。黒を基調にしているしお洒落ではあるが、侍従の制服や伯爵としての礼装とそこまで印象に差はない。


「いっそのことレヴェレ王朝時代に流行った色柄物を着てくれればよかったのに。そのほうが笑えただけましです」


「う……初めてのデートだからね。後で好みを合わせるためにも、服屋に寄ってお互いに好きなものを贈り合ってみようか」


 素晴らしい、頓珍漢にしてやろう。服屋のリルの店に連れて行けば協力してくれるはずだ。

 私にだって楽しみがあるため、まずは目的の動物カフェへ向かった。家族連れなどでも徐々に混み始める時間ではあったようだが、入店は簡単に済んだ。


 中にはウサギとフクロウが別々の部屋へ集められている。

 今回は初心者向けとして店員にもウサギの部屋をお勧めされたので、案内してもらったが……これが言葉が出ないくらい可愛かった。

 入店すると自由に触って良いウサギを店員が膝に乗せてくれたが、口をもぐもぐしているだけで癒される。

 隣の男も何やら話しかけながら頭を撫でているが、目を細めたウサギが落ち着いて乗っている。


「いいな……動物と意思疎通出来ることには気付いています。この子はどこを触って欲しいか教えてもらえますか」


「君の子は……そうだね、頭を撫でて欲しいみたい。背中は今は気分じゃないって」


 言われた通り頭を撫でると、自分からもおでこを擦り寄せてくれる。

 あまりの可愛さに夢中になってしまったが「次は頬」と言われたから触ると、目がとろりと細くなっていった。あまりの人懐こさに胸が締め付けられてしまう。


「……可愛い……動物関連だけは、お前を許せそうです。

 ああ、寝始めたのも癒される……」


「フォーリーが喜べる特技があって良かったよ」


 少しずつ眠り始めたウサギの寝床として膝を提供し、サイドテーブルに運ばれてきた飲み物も頂いたが搾りたてのオレンジジュースも甘く美味しくて良いお店だと感じた。

 時間が決められているため、ウサギと戯れる幸せを噛み締めながら退室したが、名残惜しくなって会計する男のジャケットを摘む。

 少しばかり引くと察したらしく、フクロウに関しても聞いてくれたが……店員は頭を下げている。


「大変申し訳ございません、本日は混み合っておりまして……並び直しになるとお昼を回るかと思いますが、それでもよければ整理券をお渡しします」


 どうやら行列が少なく見えるのは券で管理されているからかと気づく。

 諦めてリックのジャケットを離すと、整理券も丁重に断ってお店の外に出た。


「フォーリー、フクロウはいいの? 昼食後でも帰りの馬車は間に合うと思うよ」


「いいんです、次のデートの目当てにします。

 今日はウサギで十分に楽しかったですし、一度に全部味わわなくても良いですからね。

 ……なんですか、困った顔をして」


「いや。嫌われてるのか好かれてるのか、判断に困ってたところ……あれ? 俺のこと嫌い、だよね?」


「? 大嫌いですよ。ほら、早く次に行きましょう」


 私は現在、憎い相手に恋をさせる作戦遂行中である。

 ……いや、待てよ。作戦ならむしろ好きだと言ってやったほうが良かったのか……?

 兵法でも何でも不意をついて相手を制することは重要ではないかと考えていたが、歩き出すことで話の流れは変わってしまったので諦めた。


 次は伯爵領の東側に移動し、観光名所に到着した。

 透明度が高いのに、青に輝く大きな湖だ。

 お父様からも見応えがあると聞いていたから行くことにしたが、宝石を溶かし込んだくらい青が輝いていて美しい。


「立て看板に伯爵様の逸話が書かれていなければ完璧でしたね」


 道端に堂々と幅を取っている看板によれば、戦時中に伯爵が亡くなった民を悼み、感情のままに拳を叩きつけた場所らしい。

 一撃でこの場にあった大地が吹き飛んだそうだ。水もその時に湧き上がったと書かれている。

 気恥ずかしそうな男もいるが、湖の名前は『ハニエ湖』らしい。戦争で不安がる民を楽しい人形劇で支えた、偉大な旅芸人の女性から名前をとったそうだ。


「恋人の名前をまさかここで知るとは思いませんでした」


「領内はどうしてもね。長い間に色々聞かれて喋ったことがそのまま残ったりするんだよ。深く考えないで、ボートにでも乗ろう」


 旅芸人ハニエと湖の逸話を少しだけ関連づけそうになったが、言うべきではないからやめた。

 しかし、ボート。

 水辺に浮かび、二人で乗るボートか。

 まさに試していない方法があることに気づいて、二つ返事で乗り込むとオールを渡した。


 漕ぎ出されたが、水を掻く動きや波の抵抗でボートが揺れるのも楽しい。

 覗き込めば水の青が綺麗で、なのに透明で、私の姿が鏡同様に光る湖面に映っている。

 魚も多くの種類が泳いでいるし……お父様の言う通り確かに見応えがある良い場所だと感じた。


「そろそろ湖の真ん中ですね」


「うーん、誘ったのは俺だけど、予告が始まった気がするよ。……今から俺を落とそうってこと?」


「おや、綺麗な湖を前にして無粋ですね。顔を水面に近づけて、一緒に透明度を見てみませんか」


 蹴り落としてやっても良いが抵抗された場合は先に私が落ちそうなので、顔を近づけたところを上から足で踏んでやろうと画策している。言わないけれど。

 周囲にもおあつらえ向きに誰もいない。軽くため息を吐いた男がオールを置いて水面に顔を近づけてくれたから、これ幸いと立ち上がって頭を踏んづけた。

 水面の下に顔があるし、口も鼻も水中だから呼吸など出来るはずがない。人間相手では絶対にしてはいけないことである。


「……」


「……」


 しかし、吸血鬼相手にしばらく経ったが、静かなものだ。

 鳥の囀りが、うららかな陽射しの中に聞こえてくる。

 足元で空気の泡ひとつも作らない男を見ていたが、全く様子は変わらない。待っても待っても、何も起こらない。


「……吸血鬼は溺死しないんですか」


 もはや無駄を悟って足を離すと、水面からざぶりと音を立て、白銀の髪から水を滴らせる男が顔を上げた。


「溺死もしないんだよね……俺も沈んでみたことがあるんだけど、何日経っても水の底で呼吸できるし、お腹も空かないから先に暇になってきちゃって。

 今も君が見てる通り、生きてるよ」


 どうやって呼吸しているんだ。水中に沈んでも大丈夫なんて、吸血鬼は鰓呼吸も出来るのか。


「毒キノコもそうだけど、フォーリーは一度やってみないと納得してくれないって分かったからね。とにかく水も平気ってことは伝わったかな」


「……わざわざ不可能を証明するため、顔をつけて見せたなんて悪趣味ですね。やっぱり大嫌いです」


 ハンカチで湖水を拭き取る男が憎くて、苛立ち紛れに踵を返した。

 その時だった。


「わ」


 先ほどまであたりに誰もいないと思っていたのに、側面からまさかの衝突を喰らった。

 少し体を捻ると、様子がおかしいと思って急いで寄ってきたらしいボートがあって……操縦していた男が大きく口を開けている。

 その光景も、不安定なボートと高いヒールのせいですぐに空に切り替わった。


「フォーリー!」


 声も出ず、湖に真っ直ぐに落ちた。

 慌てずに息を止めたし、一応泳げるが、体に纏うものが普段と違っていて重い。


 反転して上を目指そうとしたが……ワンピースがまとわりついて、身に付けた剣が外せない。

 水を掻いても、なかなか体が上がらない。

 足掻けば足掻くほど、状況が悪くなる気がする。


 あまり吸ってこなかったから息が苦しくて、動くほど酸素が足りずに頭がぼうっとしてくる。

 水面に映る太陽が、暗くなる水中に丸く輝いて見えて……丸い月と苦しい呼吸が、必死にもがいた光景を連想させて、体が強張る。


 おねがい、ゆるして。


 声が、聞こえる。

 ……苦しいから爪を立てたら、殴られた。

 何度も繰り返される力づくの行為は、酒を飲むほど過激になる。

 放り投げられて転がり、縮こまって泣くと笑い声が起きる。

 私の髪を掴んで引き上げた金の髪の男が、愉快げに口を曲げている。


『お嬢様。よーくお父様にお祈りしておけよ。私を出来るだけ高く買って、ってな』


 頭が、ぼうっとする。

 開いてしまいそうな記憶の蓋を閉じたいのに、苦しむ嗚咽が耳の奥で残響する。


 次第に、救いなど求めなくなっていく。

 早く全てが終わって欲しいと、息の根すら止まることを望んで、自分でも息を止めた。

 白む意識を気付けのために殴られて……廃工場の光景を何度でも見るたび、絶望に心が砕かれていく。


 ……沈む。

 耳の奥で泣き声が聞こえるたび、力が抜けて……唇から気泡が大量に漏れたのが分かっても、抵抗など考えられずただ一つを願っていた。


 暗い夜が、今も目の前に広がっている。

 白銀の髪に青の瞳の男が、泡の向こうから近づいてくる。

 泣きそうな、苦しそうな人が、また……背中から支えて、体を持ち上げた。


 ……いや。

 背中にあるのは手の感触ではないことくらい、周囲に集まる黒の群れでも気づいた。


 魚?


 私の背中を、硬く尖った何かが幾つも啄んでいる。

 気付いて振り返れば、湖に泳いでいた魚が種類も関係なく群をなして、私の全身を押し上げていた。

 驚く間もなく水面に全身が出ると、共に浮き上がったフリック・レイノールにワンピースの背中を掴んでボートに乗せられる。久しぶりに空気を吸ったせいか、水気に咽せてしまった。


「フォーリー、生きてる!?」


 激しい音と共に、再び魚が潜っていく。

 唖然と頷くと、安堵に大きく息を吐いた男が、ずぶ濡れになった銀の髪をかきあげてボートのへりにもたれかかった。


「あ、れ……魚……?」


「俺じゃ触れないから助けてってお願いしたんだ。快く応えてくれたから、あとでお礼もしておく。

 はあ……良かった……」


 話しかけられる動物は陸上だけに限らなかったのだと、ボートに自分で乗り上げた男から目が離せない。

 手際よくオールを手にしたリックは陸へ向かって旋回させ、私の様子を案じながらも漕いでいる。


「先ほどの男性は?」


「すぐに人集めてきて、ってお願いして離れてもらった。ほら、そこにいるよ」


 確かに岸の方に慌てて進む一艘がある。

 様子がおかしいカップルを助けに行こうとして、逆に人が湖に落ちたのだから驚いたことだろう。

 申し訳ない気持ちになりながら改めて席に腰かけ直したが、水浸しで冷たくなった体が震え始める。

 つい体を引き寄せて肌をさすると、脱ぎ捨ててあったジャケットを渡された。風除けに羽織らせてもらったが、一枚あるだけで暖かさも違った。


「……水中で全く抵抗せずに沈んでいくから、水もかなり飲み込んだのかと焦ったよ」


 まさか呼吸する気が失せて、苦しいまま息を止めようとしていたなどという恥ずかしい話は言えない。

 生きたいと思っていたら、慌てて水も飲み込んだかもしれないが……息が吸えない苦しさも、もがく辛さもすでに知っていて……抵抗しても苦しみが長く続くだけだと、体から力が抜けてしまった。


「……」


 ごとん、と岸にボートが着いて、ようやく我に帰った。

 集まった人たちが体を拭くタオルなどをかき集めてきてくれて、ボートの管理人からは着替えまで差し出してもらえた。

 侍従のリックは知り合いもいたらしく、男に呼び止められている。


「リック、お前彼女と湖に落ちたのか!?

 大丈夫なのか、……ああ、デートであんな顔させて……お前多分振られるぞ」


「格好悪いからそれ以上言わないで、エントーニ。

 でも本当に、無事で良かったよ……騒がせちゃってごめんね」


 ぶつかった男性も謝ってくれたが、気にしないで欲しいと伝えた。不安定なボートに立ち上がり、リックの頭を踏んづけていた私が悪いことくらい分かる。

 恥ずかしいが騒ぎも少しずつ収まり、管理人には近くにある公衆浴場を紹介された。

 たまに湖に落ちる人もいるらしく、ずぶ濡れにも理解ある場所らしい。


「お風呂が終わったら、一旦着替えて服屋に行こうか。元々贈り合う予定だったから、早まったってことにしよう」


 齢数千歳の吸血伯爵は、落ち込む私を責めることなく朗らかに笑って……「こっちだよ」と声をかけながら、浴場へ案内してくれた。

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