恋
三日の邸内謹慎の間に、フリック・レイノールのことをお父様に尋ねた。
吸血伯爵とは誤解も解けて、和解したそうだ。
「フォーリーが自らレイノール伯爵を気にかけるとは思ってもみなかった。少しは好意が出てきたのかもしれないな」
「まさか。私のせいでお父様と疎遠になったなどと言われても困るから、聞いただけです」
子猫のリックのことは恩義に感じているが、私の恨みはまだ晴らされていない。
作戦は続いているし、懐に入る機会を失うのはまずい。
だからこのままお父様の申し出で婚約解消などされても困る、それだけだ。
「今日はお礼も兼ねて会いに行ってきます。伯爵領からはお昼過ぎに出て、夕方までに戻りつくようにします」
「わかった。言いつけも守ってくれているようだし、フォーリーに恋しい相手が出来たというのなら、あの日の苦労も浮かばれるものだ」
だから違うと言っているのに。
お父様は勘違いでも許可をくれたから、そのままにした。
吸血伯爵にも正式に連絡をとったけれど、外出許可も得たし予定時間も伝えたことを手紙に認めると「約束を守ってくれてありがとう」なんて来訪の許しとともに書かれていた。
私も予定通りお礼の品を抱えて、伯爵邸へ向かう。
今日も貴族子女らしくドレス姿での訪問となったが、フリック・レイノールも同じく伯爵としての姿だった。
「いらっしゃい、フォーリー。ハルカンサス侯爵とは和解できた?」
「謹慎中に話す機会は多かったですからね。今日はリックを助けてくれたお礼に来ました。
はい、こちらが私からの気持ちです」
手にしていた紙袋を渡すと、快く中庭へ通してくれた。
案内に従ったけれど、花や緑の溢れるいつもの東屋で白銀の髪の男が取り出したのは、保存食としても有用な炒めたきのことオリーブオイルでいっぱいの瓶詰めだ。
「ええと……ヒヒヒワライダケとミガモエルダケ、カラダネコロガリタケの詰め合わせ?」
「正解です。全部美味しいと評判の毒キノコですよ」
全て死ぬ思いをしても食べたいらしいきのこの詰め合わせだ。毒まみれのオイルが染みるまでしっかり寝かせてもある。
遠い目をして少々悩んだ吸血伯爵は侍従に皿とフォークを用意するよう伝えると、赤、緑、黒、黄色、色とりどりの瓶詰めをさまざまな角度から確かめている。
「毒は俺に効かないって何度言っても持ってくるなんて、どれだけ嫌われているんだろう。
でもフォーリー、君や誰かが誤って口にしたら大変だし、周囲にこそ悪影響があるかもしれないから、毒を持ってくるのは今日限りの方がいい。リックが欠片でも口にしたら大変だ」
「安全面には最大限の配慮を行なっているので、最後にするかは食後の反応を見て決めます。少しでも苦しむようなら続けますね」
「もう無毒化したよ」
なんだと。
真偽を確かめようと見つめていると皿が用意され、毒キノコのオイル漬けは侍従によって提供された。
侍従も主人を信じているのか、色などからも毒キノコだとわかっているはずなのに怖がる様子はない。
赤と黒のまだら模様が、端正な口元に運ばれる。
しっかり口の中に入ったのも見ていたが、唇などの粘膜に触れただけで真っ赤に腫れるはずのキノコの影響はどこにもない。
「うん、美味しい。塩加減がちょうどいいね。滅多に食べられないものだから少しずついただくよ」
「採取も調理も大変だったのに……やっぱり効きませんか」
「俺も昔はよく取って食べてたんだ。味と食感がしっかりしてて、鍋の具材にするのが好きだった。
周囲に人が増えてからはやらなくなったけど、久しぶりに味わえて実は嬉しい」
爽やかな笑顔を見せる男のために持ってきたわけではないし、経験済みであればやはり意味はない。
全ての毒キノコを一種類ずつ美味しそうに味わってみせた男を見て、毒責めは無駄だと悟った。フリック・レイノールの言葉通り、処理が大変だからもうやめよう。
……貴族として屋敷内の食器は銀で揃えているようだ。彼が口にしているのも銀のフォークになっている。
「無毒化したのであれば、私にもいただけますか」
「どうぞ。でも本当は食べちゃいけないものだからね。味を覚えて欲しがったりしないように……っと」
お試し用にと侍従が差し出してくれたフォークを掴むと、すぐさま体を返しながら刺突する。
油断を狙ったつもりだが、伯爵の体に届く前に銀の三又部分を掴んで止められてしまった。
「少しは仲良くなれた気がしていたんだけど」
「まさか。リックを助けていただいたとしても、過去の悪行は消えません。私はあなたを認めない」
やはり正面からでは警戒されているのもあって難しいと、諦めて椅子に座り直した。
今の一撃が通らないのならこれ以上は難しいかと、皿とフォークも下げてもらった。肌に少しついただけで相当炎症を起こしたから、毒キノコは恐ろしい。
「フォーリーなら本当にリックを子猫のリックだけにしちゃいそうだね。あの子は元気にしてる?」
「今日も元気いっぱいです。駆け回ってミルクを飲んだら、今日も部屋でへそを天に向けて寝ているから妹たちにも可愛がられていました」
「よかった。……屋敷内には知らない人が多くて怖いって言ってたから、少しだけ配慮してもらえたら、リックももっと安心できるかも。
侯爵邸は侍女も侍従も多いから仕方ないけどね。驚かれたのが怖かったみたい」
「では猫のことは周知した上で、平気な者のみ私の部屋に関わるようお父様にも伝えます」
「そうしてあげて。きっと怖い気持ちも少しずつどこかに消えてくれると思うよ」
どうやら本当にリックと話をしたらしい男が青の瞳を細めて微笑む。
太陽の光に白銀の髪が煌めくのを見つめながら、私も話す様子を観察していた。
……フリック・レイノールは私を攫ったこととは正反対の優しい一面を、動物や街の住民に見せることが多い。
百年近く前の話だが、レーゼルは私と同じく盗賊によって攫われ、命からがら救い出されたらしい。
我が国では結婚する年齢になっても貰い手のいない貴族女性が家にいるのは、送り出せない家にとっての恥となる。
十分な嫁ぎ先を用意出来ないことは他家からの誹りを受けかねないから、養子縁組して親子の縁を断つことだってままある。
でも……大切な娘だからこそ、親は子と縁を切りたくない。出来るだけそばにいたい。
レーゼルの家は貰い手を探しきれずにいて、当時吸血伯爵が未婚であることから娘を差し出したとは調べがついた。
「レーゼルの肖像画を見ました。私の前の奥方はどんな人だったんですか」
「ライーに見せてもらったの?
そうだな……レーゼルは……優しかったよ。子供が好きで、孤児院にもよく出かけてた。
今の修道院長はレーゼルを『お母様』って呼んでたし、レーゼルも我が子のように思って大切にしてた。俺のことも『お父様』なんて慕ってくれて……懐かしいな」
それが今や反対派閥に属し、暗殺の会議にも現れる間柄になっている。
何があったのかまではまだ本人とも話せていないし調べもついていないが、吸血する姿を実際に見たなどすれば……修道院長ほどの人物なら人々を脅かす悪しき吸血鬼として、父親代わりの男であっても断罪を望むのかもしれない。
「私が結婚したら同室で暮らすのでしょうか」
「それ、絶対に嫌だと思って聞いてるでしょ?」
もちろんだと頷いた。
以前までは別室だったと知っているが、今回は同室にしたいなどと気が変わってもらっても困る。
確証が欲しい私に伯爵は面白そうに笑って、注ぎ直された熱い紅茶を口にした。
「歴代の妻と同じく、君も別室だよ。
安心して過ごして欲しいから、俺は与えた部屋まで干渉しない。それだけは決めてる」
つまり見取り図にあった通り、妻の部屋と伯爵の部屋で別々になる。
私が護衛として仲間を潜ませて伯爵を押さえるためには、どうすればいいか……考えながらも、侍女がお茶菓子として持ってきたクッキーを摘んでいる男を見た。
「初夜でお渡りはあるのでしょうか」
気味の悪い話だが、前回ロットとも意見がすれ違った事項とも関わってくる。作戦の計画に必要な情報になる。
でも……引き出してやろうと口にするだけで寒さが立ち上る。
つい自分の腕を掴んで押さえている私に、伯爵は首を横に振って銀の髪を揺らした。
「ない。夫婦であっても俺は人間じゃないんだ。フォーリーも書類上は妻だけど、養子縁組したのと同じだと思って欲しい」
ロットたちからしても、伯爵はレーゼルの父親にも見えたという。
婚姻後は……私の第二の父になろうというのだろう。
ならば、どうするか。
伯爵のベルトに目をやったが、今まで見てきた中では常に帯剣している。
服屋のリルが切り払われることを恐れたように行動を限定し、丸腰にしておかなくてはならない。
私が剣を隠して行動し、相手には外させる状況とはなんだ。
護衛として新しい使用人を邸内に入れることを考えれば、警戒して吸血伯爵も剣を手放しはしないだろう。何度考えても条件が難しい。
「……では、私が訪れたら伯爵の部屋には入れてもらえますか」
逆ならどうかと思ったが、フリック・レイノールは快諾を示すように頷いている。
「銀の剣で命を狙いにくるならどうぞ。俺も簡単に刺されたりはしないけどね」
「刺すためだとは言っていませんよ。夫婦として子を求めるためだと言ったらどうしますか」
端正な顔立ちが驚きを表し、青の瞳を丸くしている。
……鳩が豆をぶつけられたらこんな顔をするんだろうか。
私は平然を装っても全身に鳥肌が立っているし、伯爵は真意を探って瞬きを続けているけれど、紅茶を口にしてようやく笑った。
「冗談で俺の心臓は止まらないよ? でも今のはかなり驚いたかな」
「憎い相手に子が欲しいなどと冗談では言いませんよ。父も喜ぶことでしょう」
頬に触れて肌が粟立つのを押さえる私がさらに駄目押しする意味が分からないらしく、ますます迷宮入りしている伯爵が面白くなる。
……普段なら予備動作なしで襲いかかっても、正面からでは太刀打ちできない。
しかし今のように動揺した状態なら、どうだろうか。
一人で太刀打ちできるのならば、ロットたちを引き入れるのは囚われている人たちの解放と、証拠隠滅のためだけで良くなる。
試しに今なら刺せるかと目だけでフォークを探したが、すでに下げられている。隠しておけばよかった。
「……いや、ええと。フォーリーは俺とそういう関係になりたくないんだよね……?
憎い相手だって分かってるし、さっきも銀のフォークで刺されかけたし」
「もちろん、今はなりたくありません。
しかし結婚までに一年あります。最初から無理難題では困りますが、可能性くらいは確かめておこうかと」
話しながら身震いをするのをこらえるのに必死になったので、これ以上はやめておこうと紅茶を口にした。熱い紅茶が体を温めてくれるから、寒さも和らぐ。
「そもそも吸血鬼は恋などするのですか。奥方は全員愛してこられたらしいとは聞いていますが」
毒を盛るよりも余程動揺している伯爵が、目を泳がせている。
年齢が千や二千など軽く超えている男でも、恋の話題は苦手らしい。
「妻と言っても、みんな娘みたいなものだったからな……俺の恋なんて、八百年前が最後かな」
「随分古いんですね。相手も吸血鬼ですか」
「いや、人間だったよ。家を持たずに人形劇をして回る自由な旅芸人だった。
戦争に巻き込まれて行方知れずになってしまって……恋なんてそれきりした覚えがない」
もしや、その戦争が我が国に居着くようになった理由だろうか。
人々を救って回った吸血伯爵の逸話は有名だが、彼はもしかしたら戦争に巻き込まれた恋人を探して行脚していたのかもしれない。
伯爵は慌てて神妙な顔から笑顔に戻っている。
「ごめん、フォーリーが聞きたいことはこんなことじゃないよね。
恋した相手になら刺されてくれるかってこと?」
まあそうだけれど。
見透かされて面白くない気分でいると、伯爵は空を見上げてうーんと悩んでいる。
「不老不死で長く生きているのも、疲れることはあるんだ」
永遠に生きて、変わらぬ日常を続ける。
もし大切な人がいたって、関係性を積み上げていたって、人間はある日突然目の前からいなくなる。
それでも自分は、生きている。
……大切な人を失い続けるだけの永遠の命は、私だって想像しただけで苦しく感じた。
「もし俺がフォーリーに恋をして、自分のためにも刺されてくれって言われたら……その時には命すら捧げていいって思ってるかもね」
白銀の髪に青の瞳の男は、紅茶の液面を見ながら淡く微笑んだ。
興味深い答えだ。
つまり、私に恋をさせれば問答無用で切られてくれる可能性が高いということか。
……フリック・レイノールが二重人格の可能性も、私は考慮している。
残忍な一面ではなく情が深い時を狙えば、好きあった相手になら良心の呵責から、あの日の証拠なども出してくれるかも知れない。
法廷を誤魔化したことも自白するくらいにのめり込ませれば、私の復讐も成立する公算が高くなる。
「ごめん、俺がこういう話をするだけで鳥肌が立つんじゃない?
狙うなら別方面だと思ってるから、君が何を考えてくれるのか楽しみにしているよ」
「そうですね……寒くてたまりません。
ですが齢数千歳の男の恋の話は興味深いものがありました、今度情報屋に売ってみましょう」
「君は怖い子だね」
笑われてしまったけれど、……この男が豹変する機会はいつ訪れるのだろう。
穏やかに笑う伯爵を見ながら、そういえば残忍な一面はまだ見ていないと、それが少しばかり警戒心を煽っていた。




