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会合

 その後はハルカンサス侯爵領へ戻るふりをし、重要人物に少しだけ会ってきた。

 修道院長のオルグと服屋の店員、リルだ。

 仲間として会いに来た私に修道院長は最初何を言っているのか分からない様子でしらばっくれていたけれど、ロットのことを伝えると「自分も解放のために参加している」と静かに話した。

 お忙しい方だから詳細は会合がある後日になり、今度は服屋の店員にも会いに行って話を聞いたが「お父様のため」だと言いながら伯爵邸へ目をやったのが印象的だった。


「そう、あなたがロットの言っていた人ね。

 ……私のお父様はずっとあの場所へ縛り付けられて、今も苦しめられているの。

 だから早く助けてあげたいわ。お願い、力を貸して」


 フリック・レイノールの態度を見ていると、正直、本当に人を害することがあるのかと思うこともあった。

 多くの民から慕われ、本人も民を愛して心を砕いているようにも見える。


 しかし、確かに苦しめられて囚われている者はいる。

 誰かの解放を望むものが領内にも潜み、伯爵から取り戻す日を夢見ていることが分かる。


 ……表面はやはり優男に見せかけて、裏では無辜の民から血を奪っているのか。


 私を攫って弄んだのも、吸血伯爵だと言うのなら……あの日見せた残忍さと、普段を生きる人格の二つがあると言われたほうが自然にすら思えるくらい、印象が違うのが不気味だった。


 家に戻るとリックがみいみいと鳴きながら帰りを待ってくれているのを抱き上げながら、あの男の裏の顔こそが真実だと改めて心に刻んでいた。

 街を案内し、人々に親しまれて過ごす善き領主は、警戒されないための表の顔、作られたものだ。

 人を攫い、苦しめ、縛り付けて楽しむ残忍な吸血鬼。

 ……私もそうであったように、今もあいつのせいで苦しんでいる者がいるのは事実なんだ。

 優しい子猫のリックが顔を擦り付けてくれるのを可愛がりながら、早く事態に決着がつくことこそを願っていた。


 やがて会合の日がやってきた。

 夕方ごろには『毒薬調合中のため入室禁止』と扉に紙を貼り、侯爵邸をこっそり抜け出てアゾレアへ向かった。


 約束であった夜九時よりは随分と早い時間ではあったが、肖像画師のライーの工房を訪れる。

 扉が小さく開かれると、茶色いざんばら髪に、鋭い目つきの無精髭の男が私を見下ろした。

 ……薄闇の中、明るい室内から睨め付ける男に全身が震えて総毛立つ。

 思わず腰の剣に手をかけて様子を見てしまったが、用件を尋ねてくるので『肖像画の依頼をしたい』と伝えて中へ入れてもらった。


「……見ない顔だな。どこの侍従だ」


「ロットから仲間が増えたと聞いていないか。ここで今日は会合があると聞いている」


「なら随分と早い時間に来たな。出直せ……ロットが認めれば仲間に入れてやる」


「私は表立って出歩けないんだ。悪いがここで待たせてもらう」


 堂々と工房の中を歩くと気に食わなそうに鼻を鳴らされたが、絵の具で汚れている男に追い出されはしなかった。

 ……壁に掛けられた絵を見たが、フリック・レイノールの肖像画がいくつも並んでいる。

 製作年代が描かれているが、軽く目を走らせただけでも三十年分はあった。

 しかしどれも服装は違うのに、本人だけは何一つとして代わりはしていない。


 中には、奥方らしき女性が一緒に描かれているものもあった。

 椅子に腰掛ける老婦人を慈しみ、吸血伯爵は優しく微笑んでいる。

 彼女こそが前妻だろうと、製作年代とも照らし合わせて考えた。


「伯爵がなぜ妻を最近までとらなかったのか、知っているか」


 レイノール伯爵は、国を乗っ取れないように領地を広げることなどが禁じられている。

 安定しているのに、今後一切の発展を見込めない箱庭こそがレイノール伯爵領だ。

 婚姻に適した相手がいないから妻を娶らなかったという理由は調べがついたが、求めれば供血する乙女を得ることは出来ただろう。

 画廊を歩く私を警戒して硬いパンを齧りながら睨め付けていた男は、酒を煽っている。


「……レーゼルが亡くなった時に、随分苦しんだ」


 それ以上は言わない。

 けれど古い肖像画の中で優しく妻を見つめる姿からも、前回の奥方の死去で心を痛めた想像は出来る。


 白銀の髪に青の瞳の男は、きっと今まで何人も見送ってきたはずだ。

 正体は人攫いなんて外道なのに……肖像画に描かれたレーゼルを慈しむ姿からは、今日見てきた修道院の外に広がる墓地で、泣きながら妻を見送る姿が浮かぶ。

 ……そうか、妻を失ってから心を病んで変質した可能性もあるのか。

 穏やかな愛情が伺える絵画を見ながら、何とは無しにフリック・レイノールの二面性を考えていた。


 窓の外は次第に暗闇が深くなっていく。

 人が続々と集まり始め、服屋のリルにも口を聞いてもらえたことで奥へと促されたから着いて行ったが……小部屋にロットが現れると、手にした伯爵邸の見取り図を中央の机に広げた。


「皆、喜べ。腕が立ち、尚且つ伯爵の懐に入れる女が仲間になった。

 おら、挨拶だ。名前と経歴、お前が伯爵を恨む理由を話せ」


「私はフォーリー・ユーラ・ハルカンサスだ。……ハルカンサス侯爵の娘として事件に巻き込まれたことがある。犯人はフリック・レイノール伯爵だ。

 なのに救いに来たなどと嘘をついて逃げた奴を許せない。

 誰か事件の証拠を持つものはいないかと考えて此度の会合にも参加させてもらったが、……ないならないで構わない。

 私は騎士試験にも主席で合格出来るくらいの実力はつけている。フリック・レイノールは必ず屠る」


 最初はロットも口にした疑問が出るかと思ったが、静かに受け入れられた。

 リルにも私の話は伝わっていたし、街の住人同士であることからもロットが先に話して回ったのかもしれない。


「俺たちの中には腕の立つ奴がいなかった。だから街の警備にも粉はかけていたが、腰抜けどもばかりだった。

 ようやく計画を実現する時が来たぞ、決戦の日は近い」


 ロットが剛腕を振り、机に広げた見取り図に手のひらを叩きつけた。


「お前たちも知っての通り、伯爵は人間以上の相手だ。レーゼルが亡くなって以降は自分を身一つで守ってやがる。邸内には侵入すら許されなかった。

 だが嬢ちゃんを守るため、警備を拒むことは出来ない。俺たちが伯爵邸を襲い込むためにも、お前には仲間を引き入れてもらう」


 息のかかった傭兵を雇い、警備に穴を開けることで屋敷内にも侵入する作戦だ。

 ……以前の奥方にも人間の警備がいたはず。私が安心するためにも同様にしたいと言えば許されるだろう。


「お前は囮としても使う。襲撃の時は自分から危険に身を晒せ、伯爵は守るため前に出てくる。

 気を引いて背中に庇ったところを、嬢ちゃんには刺してもらう」


「わかった」


 あの男なら疑いもせず、私を背中に庇うのだろう。

 前方でロットたちが注意を引くうち、振り返る間もなく銀の剣で一突きだ。今度こそ逃げられはしない。

 見取り図に、爪の間に色が入っている男の指が伸びた。入り口と調理場の勝手口を交互に示している。


「……問題は前にも言った通り、鉢合わせる場所だ。

 伯爵が俺たちに先に気付けば、壊滅させられる」


「出来れば丸腰にしてほしいわ。私だって命は惜しいもの、切られるなんていや」


 服屋のリルは父親の解放のために戦うのだから、生きて再会したいはずだ。

 ……伯爵が丸腰な上、鉢合わせるまで引き付けておくことが出来る場所はどこだろう。

 考えたが吸血鬼としての行動を考えれば、絶対に訪れるはずの場所を指で示した。


「吸血伯爵は引き込んだ人間の血を啜りにくるだろう。特に婚姻の日などは私に割り当てられた部屋に来るのではないか。

 ここなら警備でも囲めるし、帯剣を拒んで外させれば丸腰も狙えるはずだ」


 結婚式の日なら、誰もが酒を飲む。油断した伯爵に帯剣を許可せず護衛に渡してもらうよう伝えれば良い。

 行動を予想したつもりだが、しかしロットは難しい顔をしている。


「嬢ちゃんの部屋に行くとは思えないな。襲うなら風呂場か……なるべく短期決戦に持ち込みたい」


「なぜ私の意見を外そうとする。警備で囲めるのも利点となるはずだ」


「あいつは間違ってもお前に手は出さねえよ。

 ……あまり表沙汰にはならないが、伯爵は貴族の駆け込み寺だ。レーゼルも暴力に晒されたせいで子供以外と触れ合えなかったし、伯爵も親のように見守っていた。事件で傷を負ったお前もそうなるんだろうさ」


 フリック・レイノールは……レーゼルの親がわり?


 肖像画で仲睦まじく描かれていたかつての夫婦を思い出したが、幾つも絵が置かれていても手を取り合ったりなどはしていなかった。

 確かに婚約騒動が持ち上がって以降、伯爵が私に自ら触れたことは防御以外になかった気がする。

 この場にいる者には周知の事実らしく、ロットに異論を唱えるものは出てこない。

 修道院長のオルグも穏やかに微笑み、小さく祈りを捧げた。


「レーゼル様……お懐かしいですね。男性が多い場所には行きたくないと、修道院への訪問は拒否を示されていました。

 孤児院の受け入れは十四歳以下ですから、そこだけは安心して訪れて頂けましたね」


「伯爵は部屋にも必要がなきゃ行かないだろうさ。お前に誘い込めるとも思えねえ……そもそもお前、伯爵が気を許してくれる立場なのか?

 銀の剣の発注もバレてるだろうし、部屋で刺してくることは理解出来るだろうよ。

 それを超えても丸腰に出来る方法が、何かあるのか」


 何も言い返せないでいると、ではいつ、どこが良いのかと論争が始まった。

 それぞれに主張があり、意見がまとまらないまま夜が更けていく。

 窓の外は真っ暗闇に染まり、室内を照らす油も切れてきたのか、徐々に光も揺らぎ始める。


「ああくそ、どうにもならねえな。

 今日はお開きにするか。次回までに一人一案練ってこい。次もまた十日後に集合だ」


 各自、散会していく。

 ロットと修道院長のオルグの二人でリルを送り、私も肖像絵師に追い出されるようにして建屋を出たが、あたりはやはり真っ暗になっていた。


 ……早く、帰らないと。


 アゾレアの街を、ハルカンサス侯爵領までまっすぐに走って進む。

 部屋に注意書きはしたけれど、そろそろ眠る時間となれば部屋を確かめられることもあるかもしれない。

 走っても侯爵領までは二時間近くかかる。

 あたりは真っ暗で、月と星以外には何もない。


 目の前の街道には轍が、まっすぐに伸びている。

 闇の中を走り続けるが……あれも暗い夜だったなんて、寒気が肌を震わせる。


 突如現れた人の喧騒。

 賊が出たと叫ぶ声が、幻聴だと分かっていても聞こえる。

 護衛と慌てて駆け出した暗がりでは、禿げ上がった大男が私を見下ろしていた。


「は、っ……は……っ」


 走っているだけだからか、余計なことを思い出しそうになる。

 あの日も、今以上に必死に走っていたからかもしれない。


 あっという間に一人になった。

 抵抗したら一度だけ腕が外れたから、転がりながらも逃げた。

 真っ暗な街道から森の中へ隠れようと、走りづらい靴すら脱ぎ捨てて駆けた。


 道中、似たような場所へ差し掛かる。

 真っ暗な森の木立の合間を駆ければ、女性の悲鳴が残響する。


 ……誰か。誰か、助けて。


 声が聞こえる。

 ……違う、何も聞こえない。

 誰もいない暗闇から、いつも必死な叫び声が聞こえるのは……失われずにこびりついてしまった過去の自分だとわかっている。


 誰か。

 誰かぁ、助けてぇ……っ。


 落ち葉を蹴立てて走る。

 足元が騒がしいはずなのに、徐々に声が大きくなる。


「っ、はぁ、はぁっ……」


 違う。もう私は、強いんだ。

 髪も切った。

 旅装で剣を身につけていて、一人だって十分に戦える。

 暗闇がどこまでも続く道も、今なら……。


「……っ!?」


 小道から人の気配と物音がした気がして、瞬時に腰の剣に手をかけた。

 心臓が急激な停止にバクバクと音を立てて鳴り響くけれど、出来るだけ息を殺して周囲を探る。

 ……大丈夫、私はもう誰であろうとも負けない。

 全て切り伏せるための訓練を、辛くとも積んできた。


 あの日、私の前に立ち塞がったのは。

 護衛を切り伏せた、禿げ上がった大男だって。


「フォーリー」


 ……白銀の髪に、青の瞳が見える。

 背の高い吸血伯爵が、細い眉を苦々しげに顰めている。


「今、何時だと思っているの。ハルカンサス侯爵が、お父上が泡を食って探している」


 知り合いの姿に、肩の力が抜けそうになる。

 ……でも、あの日の犯人はフリック・レイノールだった。

 油断なんてしていられないと、歯を食いしばって睨みつけた。

 姿勢を低くして剣を構える私を見て、伯爵は両手を上げて無抵抗を示している。


「落ち着いて聞いて。……侯爵邸は今や上から下までひっくり返すほどの大騒ぎだ。騒ぎのせいで白猫のリックまで逃げ出したらしい」


 ……え。

 すぐさま踵を返して逃げ出そうと思ったのに、知らない事実に身がすくむ。

 思わず剣を握る手が震えそうになるのを見て、吸血伯爵が「事実だよ」と告げた。


「リックが? なぜ……部屋にいたはずではありませんか。

 そうか、嘘をついて引き止めようという腹ですね。また私を攫おうと」


「嘘じゃない。……毒薬実験中なんて書かれた部屋をずっと細かく引っ掻く音がしたから、侍女が恐れて開けてしまったんだ。

 すると猫が飛び出してきて……慣れていない侍女だからネズミと思ったのか、驚いて叫んでしまった」


 子猫の小さい体には、大きな侍女が叫んで急に動く姿がどう映っただろう。


「君を優先で探すうちにリックも屋敷を出たのか行方知れずになってしまったし、ハルカンサス侯爵からは娘を探して欲しいって早馬が俺にも来たんだ。

 侯爵もかなり参ってる。……抜け出さない約束は守ってくれなかったんだね」


 今回はアゾレアの街に行ったなどと、知られぬように出てきた。

 なのにお父様はフリック・レイノールにまで助けを求めたという。

 指笛を鳴らした男がいくつかの音階を鳴らすと、大きくため息を吐いた。


「とにかく連絡だけはしておいてもらうから、すぐに戻ろう」


「いやです、戻りません。私はこのままリックを探します」


「フォーリー」


「だってあの子はまだ子供なんです。探さないと……」


 猫が逃げ出すなら、どこに行くのだろう。

 母親を探して近くの森に向かうだろうか。


「先に侯爵邸に戻るべきだ。君は過去のこともあって」


「帰ったらお父様は部屋から出してくれなくなります!」


 小さな子猫が、気ままに野良に帰るなら良い。

 でも人に怯えて、獣に怯えて、今もどこかで震えて鳴いているかもしれない。


「リックを誰が助けてあげるんですか。……怖い思いをして逃げ出したまま、誰にも助けてもらえないまま夜を過ごすんですか!?」


 助けて。

 誰か、助けて。


 あの日願ったって、私はダメだった。

 月に伸ばした手も、誰かに届いてほしい言葉も、何もかも暗い夜に飲まれて消えた。

 思い出すだけで胸が痛くて、リックも今同じようにしているのではないかと思うだけで体が震えて、寒気ばかりがする。


「驚いて、怖いはずです。猫は夜目が効くとわかっています。でも、弱い子猫を食べる動物だっているじゃないですか」


 探さないと。

 あの日、私の目の前には月明かりに同じ人がいた。

 ……白銀の髪に、青の瞳。

 悲しくて苦しそうに目を逸らす男。


 私にとっては憎くてたまらない犯人。私を攫った張本人。

 ……でも、この男は動物に言葉を伝えられる男だ。


 今だって、何もないところに指笛だけで指示を出した。多分動物を使役できる。

 その胸に手を伸ばして、……掴む。

 あらゆる恐れで指が震えてしまっても、必死に揺らした。


「飼育していいって、言ってくださったじゃないですか」


 私だけのリック。

 時間なんて、可愛いと胸を打たれた気持ちに変わりはない。


「結婚して、一緒に暮らしてもいいって言ってくださったのはレイノール伯爵でしょう?

 なのに、リックは諦めろなんて……」


 小さな子猫一匹だ。

 親猫も離れてしまって、寂しいはずなのに。

 部屋に残されたリックが甘えて鳴くのを撫でてやれもせず、もうお別れかも知れないなんて思うだけで……息が詰まって、勝手に胸が苦しくなって、目の前が歪む。

 瞬きのたびに涙がこぼれ落ちていくのを見て、はあ、と大きなため息が聞こえた。


「いいかい、フォーリー。

 もう二度と抜け出さない、帰宅は夜までにする。これがリックを探すための条件だ。リックのためにも、そう約束出来る?」


 言葉が出ないから頷く。

 必死に縋るしかない吸血鬼の胸を掴むと、フリック・レイノールが空を仰いだ。


 見知らぬ言葉が響く。

 けたたましい羽音と共に、月も星も覆い尽くす何かが無数に飛んでいった。


「……ハルカンサス侯爵が本当に胸を痛めているんだ。

 俺も探させるからとにかく帰ろう。コウモリなら戻る頃には何かしらの報告を持って帰ってくれると思う。

 リックも逃げていたとしたって、侯爵邸からそう離れられないはずだ。ほら、いくよ」


 先を示す伯爵に従って走ったけれど、今はリックのことで頭がいっぱいだった。


 ……私のせいだ。

 まだ慣れていないのに、一人にしてしまったから。

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