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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

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[行政手続法10条・公聴会の開催等]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所は、昼間より少しだけ法律の話がしやすくなります。


 電話が減る。


 来客が途切れる。


 西日が書棚に斜めに差し込む。


 そして、机の上には。


「……がんも、ありませんね」


「食った」


 相馬先輩が答えました。


「全部?」


「全部」


「昨日の公平はどこへ行ったんですか」


「昨日は昨日だ」


「法的安定性がなさすぎる」


「食い物に判例法理持ち込むな」


 私はため息をつきながら、ノートを開きました。


 今日の題名はもう決まっています。


 ――公聴会の開催等。


 行政手続法第十条。


 もちろん。


 昭和六十三年のこの事務所には、そんな法律はまだありません。


 未来の私だけが知っている条文です。


 行政手続法が制定されるのは平成五年。


 施行は平成六年十月一日。


 つまり、今の片桐所長や相馬先輩に、


「行政手続法十条によるとですね」


 などと言おうものなら、


 法律知識以前に私の正気が審査対象になります。


 でも。


 今日、市役所で起きたことは、その未来の条文が扱う問題そのものでした。


 三好佳代さん。


 三好豆腐店。


 そのすぐ近くに計画された観光バス整備センター。


 申請者は観光会社。


 承認するのは市。


 佳代さんは申請者ではない。


 だから最初、市役所ではこう言われました。


「許可申請をしているのは業者です。住民の方は申請の当事者ではありません」


 私はノートの上に、まず大きく書きました。


 申請者ではないことと、利害関係がないことは、同じではない。


「そこからか」


 相馬先輩が私の肩越しにのぞき込みました。


「そこからです」


「昨日、分かっただろ」


「現場で分かるのと、試験で切れるのは別なんです」


「面倒くせえ受験生だな」


「受験生は面倒くささで点を取るんです」


「嫌な生き物だ」


 言われたい放題です。


 でも、ここは大事。


 行政手続法第十条が対象にしているのは、何でもかんでも住民の意見を聞け、という話ではありません。


 私はノートに書きます。


 まず。


 「申請に対する処分」であること。


 つまり、誰かの申請を受けて行政庁が許可や認可などをする場面です。


 今日なら、観光会社が施設設置の承認を求め、市がそれに対して判断する。


 これが土台です。


「じゃあ、役所が勝手に何か命令するときは?」


 相馬先輩が聞きました。


「それは、この十条の話とは別ですね」


「そうだ」


 奥で新聞を読んでいた片桐所長が答えました。


 珍しく、すぐ助け舟が出ました。


 私は続けます。


 行政手続法第十条の入口は、


 申請に対する処分。


 ここ。


 いきなり、


「行政庁は住民の意見を聞かなければならない」


 と覚えると広すぎます。


 対象は限定されている。


 しかも、まだ条件があります。


「次」


 相馬先輩が促しました。


「申請者以外の者の利害を考慮すべきことが、法令上、許認可等の要件になっていること」


「長いな」


「条文ですから」


「一息で言うな。倒れるぞ」


「じゃあ分解します」


 私はノートに三つ、丸を描きました。


 一つ目。


 申請者。


 二つ目。


 行政庁。


 三つ目。


 申請者以外の人。


「三好さんは三つ目ですね」


「そうだな」


「でも、ただ近所に住んでるから十条の対象、ではない」


 相馬先輩が少し真面目な顔になりました。


「続けろ」


「その人の利害を考慮することが、許認可の要件として法令に入っている必要がある」


 今日の市の条例では。


 施設の設置承認をする際に、


 周辺住民の生活環境。


 道路交通への影響。


 地域の安全。


 周辺地域との調和。


 そういう事情を考慮することになっていました。


 だから。


 三好さんは申請者ではない。


 でも、その人が受ける騒音や交通上の危険や生活への影響は、審査の中で考えなければならない。


 つまり。


 制度の外の人ではない。


「そこが昨日の肝だったんですよね」


「ああ」


 所長が短く答えます。


 私はノートに書きました。


 申請者以外の利害を考慮すべきことが要件なら、その利害を把握する必要がある場合がある。


 ただし。


 ここからが行政手続法十条らしいところです。


「公聴会は絶対ですか?」


 自分で書いて、自分で声に出しました。


「違う」


 相馬先輩が即答。


「珍しく早いですね」


「昨日やっただろ」


「では先輩、根拠まで」


「……必要に応じて、だろ」


「おお」


「舐めんな」


 ちゃんと聞いていたようです。


 行政手続法十条は、


 必要に応じて。


 公聴会の開催その他の適当な方法により。


 意見を聴く機会を設けるよう。


 努めなければならない。


 私はペンを止めます。


 この条文。


 受験生を狙う言葉が詰まりすぎています。


 必要に応じて。


 その他の適当な方法。


 努めなければならない。


 全部、断言を避ける言葉。


「行政法って、“必ず”じゃない条文が妙に多くないですか」


「現実がそんなに単純じゃないからだ」


 所長が言いました。


 それは、妙に腑に落ちました。


 たとえば。


 住宅地の隣に原子力発電所を建てるような、大きな影響が予想される許可。


 そういう場面なら。


 周辺住民の生活。


 安全。


 環境。


 土地利用。


 様々な利害を考慮する必要がある。


 そして、行政庁が書類だけでは把握しきれない。


 だから、公聴会のような場を設ける意味が大きい。


 一方で。


 小さな許認可。


 影響範囲がごく限られている。


 必要な事情が資料だけで十分明らか。


 そういう場合まで、毎回大きな会場を借りて公聴会。


 市長挨拶。


 住民マイク。


 司会進行。


 なんてやっていたら、役所も国民も倒れます。


「だから“必要に応じて”なんですね」


「そう考えればいい」


 所長が答えました。


「つまり、公聴会を開かなかったら即違法?」


 相馬先輩。


「そこ!」


 私は机を軽く叩きました。


「試験で出そうです」


「だから聞いてる」


「十条は努力義務です」


「なら?」


「公聴会などを開かなかったからといって、それだけで直ちに違法になる、とまでは言えない」


「うん」


 私は大きく書きました。


 努力義務。


 必ず実施しなければならない法的義務とは違う。


 行政庁は、


 必要に応じて、


 公聴会その他の適当な方法で、


 申請者以外の者の意見を聴く機会を設けるよう努力する。


 ここを、


 「必ず公聴会を開かなければならない」


 と読むと間違い。


 逆に、


 「努力義務だから、何もしなくてよい」


 と読むのも雑すぎる。


「昨日の倉田係長みたいな話ですね」


「何がだ」


「“説明会を開く決まりはありません”」


「ああ」


「公聴会の法的義務がないことと、事情を何も集めなくていいことは別」


 所長が頷きました。


「そうだ」


 そこが、今回いちばん大事なところかもしれません。


 公聴会という形式そのものが絶対ではない。


 でも。


 周辺住民の利害を考慮することが許認可の要件になっているなら。


 行政庁は、その利害について必要な情報を持たなければ判断できない。


 だから、その事情に応じて。


 公聴会。


 説明会。


 意見書。


 自治会からの聴取。


 関係者への照会。


 その他の方法。


 いろいろあり得る。


「公聴会って、そもそも何です?」


 相馬先輩が聞きました。


「意見を聴くための会合とか集会ですね」


「誰の?」


「申請者以外の、影響を受ける人たちなど」


「そこで多数決するのか?」


「しません」


「住民投票か?」


「違います」


「反対多数なら不許可?」


「それも違います」


「よし」


「試験官ですか先輩」


「引っかかりそうだからな、お前」


 腹立つけど、たぶん正しい。


 私は整理します。


 公聴会は。


 意見を聴くための場。


 決定権を住民へ移す場ではない。


 行政庁が判断するための材料を集める場です。


 だから。


 意見を聴いた結果。


 住民の大半が反対していても、法令上の要件を満たしていると行政庁が判断して許可することもあり得る。


 逆に。


 住民の意見から重大な問題が判明し、計画の修正や条件付け、あるいは不許可につながることもあり得る。


 ただし。


 意見を聴くことそれ自体は、


 住民に拒否権を与えることではない。


「昨日、所長が言ったやつですね」


 私は笑いました。


「聞くことと、決めることを混ぜるな」


 片桐所長は新聞から顔を上げません。


「そう言ったか」


「言いました」


「なら書け」


「もう書いてあります」


 私はノートに囲みをつけました。


 聞くことと、決めることは別。


 これ、試験だけでなく実務でも大事です。


 行政は、意見を聞くと面倒になる。


 反対運動になる。


 余計な要求が出る。


 そんな恐れから、最初から住民の声を入れないことがあります。


 反対に住民側も、


 意見を聞かれた。


 だから自分たちの要求が通る。


 そう期待してしまうことがあります。


 でも。


 どちらも違う。


 意見聴取は、判断材料を増やす手続。


 最終判断そのものではない。


「じゃあ、十条の公聴会って、聴聞と同じか?」


 相馬先輩が聞きました。


 私は止まりました。


 来た。


 似ている言葉。


 試験の嫌なやつ。


「違います」


「どう違う」


「聴聞は……不利益処分のときの手続ですよね」


「うん」


「これから許可を取り消すとか、営業停止するとか、そういう不利益処分をする相手に弁明の機会を与える」


「大体いい」


「一方、十条の公聴会は、申請に対する処分をする場面で、申請者以外の利害関係者の意見を聞く」


 私はノートに左右で分けました。


 公聴会の開催等。


 申請に対する処分。


 申請者以外の者。


 利害を考慮すべきことが許認可等の要件。


 必要に応じて意見を聴く。


 努力義務。


 対して。


 聴聞。


 不利益処分。


 処分の名あて人。


 防御の機会。


「誰のための手続かが違うんですね」


「そうだ」


 所長。


「公聴会は、申請者本人の弁解を聞く場、ではない」


「はい」


「そこは間違えるな」


 未来の行政手続法を知らないはずなのに、所長が普通に核心を突いてくるのが怖い。


 いや。


 むしろ逆なのかもしれません。


 後に法律になる考え方も。


 突然空から降ってくるわけではない。


 それ以前から、行政法理や実務上の問題が積み重なっている。


 その積み重ねを、後世の法律が整理して条文化する。


 今日の件もそうでした。


 昭和六十三年。


 行政手続法はまだない。


 でも。


 周辺住民の影響を審査項目にしておきながら、その周辺住民の事情を全く見ない。


 それでは審査として雑すぎる。


 片桐所長たちは、その感覚を条文番号ではなく、行政法の筋道として持っていました。


「所長」


「何だ」


「法律って、問題が先で、条文が後から来ることもあるんですね」


「当たり前だ」


「即答」


「法律は世の中の問題を整理するために作る」


「……なるほど」


 ちょっと格好いい。


 言った本人はもう帳簿を見ていますが。


 私は次の見出しを書きました。


 十条の要件。


 ここは試験向けに、きっちり切ります。


 申請に対する処分である。


 申請者以外の者の利害を考慮すべきことが、その処分の根拠法令上、許認可等の要件とされている。


 行政庁が必要と判断した場合。


 公聴会その他の適当な方法で意見を聴く機会を設けるよう努める。


「“根拠法令上”って大事ですね」


「何でだ」


 相馬先輩。


「ただ近所だから、とか。影響がありそうだから、だけじゃ足りない」


「そうだな」


「その許認可を出すときに、その第三者の利害を考慮することが法令上の要件になってる必要がある」


 今日のバス整備センターなら。


 条例が周辺住民の生活環境や交通安全を審査要素としていました。


 だから第三者の利害が制度の中に入っている。


 でも。


 仮に法令が、


 申請者本人の資格だけを見る。


 経歴だけを見る。


 設備だけを見る。


 そんな制度だった場合。


 近所の人が何となく嫌だから。


 それだけで行政手続法十条の対象になるわけではない。


「要するに、何を審査する許可なのかを先に見る」


「そうだ」


 所長が答えます。


 ここも行政法らしい。


 まず条文。


 次に要件。


 その中に誰の利益が入っているのか。


 名前や雰囲気で判断しない。


「じゃあ、三好さんが“絶対反対です”って言ったら、それを市は考慮しなきゃいけない?」


 相馬先輩が聞きました。


「意見そのものを、そのまま許可要件にするわけじゃないですよね」


「うん」


「大事なのは、その意見の中にある事実」


「例えば?」


「朝七時半から小学生が通る」


「うん」


「早朝五時にバスが動く」


「うん」


「店舗兼住宅のすぐ近くでアイドリングする可能性がある」


「そうだ」


「その事実を、周辺環境や交通安全という審査要件に照らして判断する」


 そう。


「私は嫌です」


 という感情だけを数えるのではない。


 なぜ嫌なのか。


 どんな具体的影響があるのか。


 法令が考慮しろと言っている要素と、どうつながるのか。


 そこを行政庁が見る。


「多数決じゃない理由も、そこですね」


「ああ」


「百人反対してても、その理由が許可要件と関係なければ決定的とは限らない」


「逆に?」


「一人の意見でも、安全上かなり重大な事実が出れば、重く見ることがあり得る」


 相馬先輩が頷きました。


「ようやく話が行政法っぽくなってきたな」


「最初から行政法です」


「がんも食ってただろ」


「それは先輩です」


 私はノートにさらに書きます。


 意見の数ではなく、許認可要件との関係を見る。


 これも覚えておきたい。


 公聴会という言葉だけ聞くと。


 市民参加。


 民主的手続。


 みんなの声。


 そういう印象が強い。


 もちろん、それも意味はあります。


 でも行政手続法十条の構造としては。


 もっと地味です。


 許認可の要件の中に第三者の利害が入っている。


 なら、必要に応じてその第三者の声を聞き、判断材料を補う。


 かなり実務的な条文です。


「じゃあ、努力義務ってことは、試験ではどう聞かれると思う?」


 相馬先輩。


「たとえば」


 私は考えました。


「行政庁は必ず公聴会を開催しなければならない。――誤り」


「うん」


「公聴会以外の方法で意見を聴くことは許されない。――誤り」


「うん」


「行政庁は必要に応じ、申請者以外の者の意見を聴く機会を設けるよう努めなければならない。――正しい」


「他は」


「申請者以外の者の利害を考慮すべきことが、許認可等の要件になっていない場合でも、十条により必ず意見聴取をしなければならない。――誤り」


「よし」


「なんで先輩が採点者なんですか」


「お前より現場長いからだ」


「未来の試験経験は私の方が長いです」


「何だそれ」


 危ない。


 また言いました。


「独り言です」


「便利だな、その言葉」


 私は一度、ノートから目を離しました。


 窓の外は暗くなり始めています。


 三好豆腐店では。


 たぶん今ごろ明日の仕込みをしている。


 市役所では。


 倉田係長が自治会や小学校への連絡を考えている。


 観光会社も。


 周辺への説明をどうするか資料を作り直しているかもしれない。


 まだ結論は出ていません。


 施設が建つかもしれない。


 建たないかもしれない。


 計画が少し変わるかもしれない。


 でも。


 昨日までと違うことが一つあります。


 三好さんたちが、


 審査の外から、


 審査の材料の中へ戻った。


 たったそれだけ。


 でも。


 行政手続って、たぶんその「たったそれだけ」を守るためにある。


「こはる」


 所長が言いました。


「はい」


「意見を聞く意味を、一言で言え」


「一言ですか」


「長いのは駄目だ」


 難しい。


 私はペンを回しました。


 公聴会。


 第三者。


 許認可。


 利害。


 必要に応じて。


 努力義務。


 全部入れたら一言になりません。


 少し考えて。


 私は答えました。


「審査する利害を、書類の外から拾うため」


 所長がこちらを見ました。


「それでいい」


 相馬先輩が鼻で笑いました。


「今日は短いな」


「所長に鍛えられてます」


 私はノートの最後に、一行の覚え書きを書きます。


 申請者だけを見るな。許可要件の中に第三者の利害があるなら、必要に応じてその声を拾う。


 そして、その下にもう一行。


 公聴会は「必ず開け」ではない。でも「誰の話も聞かなくていい」でもない。


 しばらく眺めました。


 悪くない。


「もう一個」


 相馬先輩が言いました。


「何です?」


「試験向け」


「はい」


「努力義務を一言で」


 私は考えます。


 そして書きました。


 「努めなければならない」を「しなければならない」に脳内変換しない。


 相馬先輩が笑いました。


「受験生っぽいな」


「受験生ですから」


「昭和で?」


「そこ毎回言います?」


 所長が新聞をたたみました。


「帰るぞ」


「あ、もうそんな時間ですか」


 ノートを閉じようとして。


 私はもう一度だけ、今日書いたページを見ました。


 行政手続法第十条。


 未来では、一条文です。


 試験では。


 必要に応じ。


 公聴会等。


 申請者以外。


 努力義務。


 そんなキーワードで処理される。


 きっと私も令和にいたころは、


 また努力義務か。


 公聴会ね。


 はいはい。


 くらいの感覚で線を引いていたと思います。


 でも今は違います。


 あの条文の向こうに。


「話くらい聞いてほしいんです」


 と小さく言った三好さんがいる。


 周辺住民を考慮する制度なのに、


 その周辺住民が何に困るのか知らないまま決める。


 そんな雑な行政を、少しだけ立ち止まらせるための条文です。


 しかも。


 大げさな公聴会だけを求めない。


 必要なら。


 適当な方法で。


 声を拾えばいい。


 そして。


 全部聞いたからといって、全部従う必要もない。


 この距離感が、妙に行政法らしい。


 制度は冷たい。


 誰かの気持ちを全部叶えてくれるわけではありません。


 でも。


 その冷たさがあるからこそ。


 声の大きい人だけ。


 窓口へ怒鳴り込める人だけ。


 役所と昔から付き合いがある人だけ。


 そんな人の声だけで決めるのではなく、


 「この許可で考えるべき利害を持っている人は誰か」


 と、一度立ち止まれる。


 私はノートを閉じました。


「先輩」


「何だ」


「今日のおさらいです」


「俺にするな」


「公聴会は?」


「必要に応じて」


「方法は?」


「公聴会だけじゃない」


「義務は?」


「努力義務」


「対象になる第三者は?」


「許認可の要件として、その利害を考慮すべき人間」


「完璧」


「俺を褒めるな。気持ち悪い」


「ひどい」


 所長が入口の電気を消しました。


「こはる」


「はい」


「一番大事なところを忘れるな」


「どこです?」


 所長は扉を開けながら言いました。


「意見を聞くのは、決める前だ」


 私は一瞬立ち止まりました。


 それはそうです。


 決めた後に、


 何か意見ありますか。


 では遅い。


 手続というものは。


 結果に飾りをつけるためにあるんじゃない。


 結果を出す前に。


 何を見るべきか。


 誰の声を拾うべきか。


 その順番を整えるためにある。


「……所長」


「何だ」


「それ、ノートに追加していいですか」


「勝手にしろ」


 私は慌てて机へ戻り、最後の一行を書き足しました。


 聞くなら、決める前に。


 我ながら、いい。


 相馬先輩が覗き込みます。


「普通だな」


「こういう普通を法律にするのが大変なんですよ」


「また訳の分からんことを」


 分からなくて当然です。


 未来では。


 この「普通」に条文番号がつきます。


 行政手続法第十条。


 申請者以外の者の利害も考える許認可なら。


 必要に応じて。


 公聴会その他の適当な方法で。


 その意見を聴く機会を設けるよう努める。


 ただし。


 必ず公聴会を開け、ではない。


 意見どおりに決めろ、でもない。


 でも。


 関係ない人だから黙っていてください。


 でもない。


 その三つの違いが分かれば。


 たぶん私は、次にこの条文を見ても眠くならない。


 少なくとも。


 がんもどきを全部食べた犯人よりは、よく覚えていられる気がします。


「先輩」


「何だ」


「明日、がんも買ってきてください」


「何で俺が」


「昨日の不公平を是正してください」


「法的根拠は?」


「信義則」


「便利に使うな」


 相馬先輩が笑います。


 所長が外から一言だけ言いました。


「早く閉めろ」


「はい!」


 私はノートを鞄に入れました。


 昭和六十三年。


 まだ行政手続法のない町で。


 未来の第十条は、条文より先に。


 豆腐屋さんの小さな声として、ちゃんとそこにありました。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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