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午前二時の終点 後編 ──返ってくる切符──

 白舟駅の改札を離れてからも、金目は何度か後ろを振り返っていた。


 朝の駅には通勤や通学へ向かう人の姿があり、ホームからは普通の列車の到着を知らせるアナウンスが聞こえてくる。先ほどまでいた夜白駅とは比べるまでもなく、どこを見ても現実の駅だった。


 それでも、金目の頭には一つだけ引っかかっていることがあった。


「つるちゃん」


「なに?」


「さっきの駅員さん、あの切符を見ても全然驚きませんでしたよね」


 千鶴も改札の方を見る。


「そうだね」


「『これは自分の切符じゃありません』『もうこの切符では乗りません』って、朝から古い切符を持ってきた人に言われたんですよ。普通ならもうちょっと変な顔しません?」


「少なくとも、初めて見たって感じじゃなかった」


「ですよね」


 金目はしばらく考えた。


 切符の返却方法は、事前調査で見つけた古い体験談から知ったものだ。


 つまり、その方法を知っていた人間が過去にもいた。


 そして白舟駅の職員も、同じような切符を受け取った経験があるのかもしれない。


「……ちょっと聞いてきます」


「帰らないの?」


「帰りますよ。でもその前にちょっとだけ」


 金目は踵を返した。


「ほんとにちょっとだけですから」


「かなちゃんの『ちょっとだけ』って、長くなる時あるよね」


「今回は本当にちょっとです!」


     ◇


「すみません、さっきの切符のことで少しお聞きしてもいいですか?」


 再び改札へ戻ると、先ほど切符を受け取った駅員が顔を上げた。


「先ほどの方ですね」


「はい。あの……ああいう切符って、今までも返ってきたことがあるんですか?」


 駅員は少し迷ったあと、周囲を確認してから声を落とした。


「ありますよ」


「やっぱり」


「数年に一回くらいですかね。もっと間が空くこともありますけど」


「そんな前から?」


「私がここへ来る前からあったそうです」


 金目はすぐに取材用の小さなメモ帳を取り出した。


「もし差し支えなければ、もう少し詳しく聞いてもいいですか?」


「私より詳しい人がいますよ」


「詳しい人?」


「古くから勤めている職員がいます。今日もいますから、呼びましょうか」


「お願いします!」


 金目の返事が少し早くなった。


 千鶴が横で小さく笑う。


「もう完全に取材モードだね」


「気になるものは気になるんです」


     ◇


 紹介された古参駅員は、五十代後半くらいの男性だった。


 金目は改めてフリーライターとして名刺を渡し、今回の羽白線取材で白舟駅へ来ていることを説明した。


 夜白駅で実際に何が起きたかまでは、最初から全部話さない。


 まずは切符について聞く。


「駅員さんたちの間では、あの切符に何か呼び名があるんですか?」


「正式なものではありませんが、『返ってくる切符』と呼ぶ人はいます」


「返ってくる切符……」


「捨てても戻ってくる、と言う方がいるんです。それで白舟まで持ってきて、『自分のものではない』『もう乗らない』と言って置いていく」


「その言い方まで同じなんですね」


「多少違う方もいますけど、大体似たようなものです」


 古参駅員は少し困ったように笑った。


「正直、我々もどういう切符なのか分かっていません。今の羽白線では使っていない様式ですし、番号も現行の発券記録と合わない」


「かなり古いものですよね」


「ええ。ただ、完全な偽物とも言い切れない。昔の社内様式に似ているんです」


 金目はその言葉に反応した。


「昔の?」


「羽白線が今より長かった時代のものです」


「今より長かった?」


 古参駅員は頷いた。


「昔は白舟が終点じゃなかったんですよ」


     ◇


 駅事務室の奥から、古い路線図が出てきた。


 紙の端は黄ばんでいて、何度も折り畳まれた跡が残っている。


 現在の羽白線。


 そして白舟駅。


 その先へ。


 まだ線路が続いている。


「……本当に先がある」


「昔はこの先にもいくつか設備がありました。正式な旅客駅として使われていた期間は長くありません」


 金目は路線図へ顔を近づけた。


 終点に当たる駅名の部分だけ、何本もの線で塗りつぶされている。


「これ、駅名消してますよね」


「そうなんです」


「何で?」


「それが分からない」


 金目はさらに目を凝らした。


 塗りつぶされた終点の近くに、小さな文字が残っている。


『終着扱い停止』


 その下。


『夜間取扱注意』


 さらに、終点からほんの少しだけ延びる鉛筆書きの線。


「……これ何です?」


「どれです?」


「ここ」


 古参駅員も覗き込む。


 鉛筆線の横には、小さく二文字。


『戻り線』


 三人の間に、少しだけ沈黙が落ちた。


「駅員さん」


「はい」


「昔の資料、もう少し見せてもらえませんか?」


 古参駅員はすぐには答えなかった。


「公開できないものもありますよ」


「もちろんです。記事に書けない資料は書きません。個人情報も伏せます」


 金目は名刺を指で押さえながら続ける。


「ただ、あの切符が本当に昔の羽白線と関係してるなら、調べておいた方がいいと思うんです」


「なぜです?」


 金目は一瞬迷った。


 全部話すべきか。


 少なくとも、この人にはある程度伝えた方がいい。


「私も昨夜、その切符を持って帰ってきました」


 古参駅員の表情が変わった。


「……どこから?」


「白舟より先です」


     ◇


 そこからは、話が早かった。


 古参駅員は金目の話を完全に信じたわけではない。


 ただし、「返ってくる切符」を何十年も見てきた人間として、最初から笑い飛ばすこともしなかった。


 金目は夜白駅で起きたことを、必要な部分だけ説明した。


 白舟を越えた。


 知らない終点へ着いた。


 駅員が切符と名前を求めた。


 午前二時になる前に戻り列車へ乗った。


 帰還後、鞄の中に古い切符が入っていた。


 そして白舟で返却した。


「昔から返却されていた切符と同じものなら、これって単なる都市伝説じゃなくて、羽白線の昔の記録と繋がってますよね」


「……可能性はあります」


「調べさせてください」


「全部は無理です」


「見せられる範囲だけでいいです」


 しばらく考えたあと、古参駅員は頷いた。


「上に確認します」


「ありがとうございます」


     ◇


 許可が出るまでには少し時間がかかった。


 その間、金目と千鶴は駅近くの喫茶店へ移動した。


「帰るつもりだったのに、仕事増えましたね」


「かなちゃんが自分で増やしたんだよ」


「……そうなんですけど」


 コーヒーを一口飲む。


 温かい。


 普通の味。


 それだけで少し安心する。


「でも気になるでしょ?」


「気になる」


「ですよね」


 金目はメモを整理する。


「夜白駅って、幽霊が出る駅とか、呪われた駅って感じじゃないんですよ」


「駅そのものが動いてる感じ?」


「そう。それも、めちゃくちゃ律儀に」


 切符を確認する。


 名前を聞く。


 客を確定する。


 終点として扱う。


 戻り列車を出す。


 午前二時で営業を終える。


「全部、駅としての手続きなんですよね」


「普通なら正しいことばっかり」


「そこが一番怖いんですけど」


 金目は苦笑した。


「でも逆に言えば、何かの手続きが途中で止まったままなんじゃないですかね」


「夜白駅を閉じた時?」


「うん」


 その仮説をメモ帳へ書き込む。


『駅そのものではなく、取扱いが残っている?』


     ◇


 午後。


 古参駅員から連絡が入り、過去の資料の一部を確認できることになった。


 最初に見つかったのは正式な帳簿ではなく、旧職員が使っていた申し送り帳だった。


 表紙も中身も古く、長期間保存する正式文書というより、現場の職員同士で注意事項を共有するためのものらしい。


 そこに。


『旧終点、夜間最終便到着後は終着処理を行わないこと』


 とあった。


「夜白……」


 これが初めて確認できた、旧終点の正式な駅名だった。


 夜白駅。


 さらに読む。


『乗客が残存している場合も、確認・呼名を避けること』


『二時を越えた場合、翌朝まで当該区間への進入禁止』


『切符確認を行った場合、記録上の乗客数と一致しなくなる事例あり』


 金目の指が止まった。


「やっぱり」


「何が?」


「私たちが調べた都市伝説と同じです」


 まだ続きがある。


『戻り列車は二度目の合図後のみ扱う』


『一度目は呼ぶための合図。二度目は戻すための合図。返事をした者は戻りの対象から外れる』


 千鶴が金目を見る。


「全部残ってるね」


「うん」


 都市伝説ではない。


 少なくとも昔の職員は、夜白駅で何が起こるかを知っていた。


 そして生き残る方法も、ある程度把握していた。


「一回目のベルは、人を呼ぶため」


「二回目は戻すため」


「返事をしたら戻りの対象外……」


 金目は一つずつ整理した。


「返事をするって、怪異に反応したから襲われるとかじゃなくて……」


 もう少し、事務的な意味なのかもしれない。


「『はい、ここにいます』って確認を取られることなのかな」


     ◇


 旧記録には、夜間勤務中に失踪した職員の記録も残っていた。


 三人。


 そのうち二人は失踪扱い。


 しかし一人だけ、後年の資料から名前そのものが消えている。


「ここ」


 金目が古参駅員へ見せる。


「勤務表の人数合わなくないですか?」


「……確かに」


 当時の勤務記録では三人いたはずなのに、別の書類では最初から二人体制だったことになっている。


 事前調査で見つけた三人組の体験談と同じだ。


 一人が返事をした後。


 残り二人から、その人物の記憶が薄れた。


「夜白駅の駅員って」


 金目は慎重に言葉を選んだ。


「元々そこで働いてた人なのかもしれませんね」


「……」


「返事をすることで、『自分はここにいます』『指示を受け取りました』って確認される。それで、今度はその人が駅員の役割を引き継ぐ」


「交代させられるってこと?」


 千鶴の問いに、金目は頷いた。


「可能性はあると思う」


 ただし。


 そこに元職員本人の意思が残っているのか。


 誰かと交代して解放されたいと思っているのか。


 もう人間の意識などなく、駅員という機能だけが残っているのか。


 そこまでは分からない。


「ここは断定しない方がいいですね」


 金目はメモへそう書いた。


     ◇


 次に考えたのは、切符だった。


「夜白駅で行きの切符を渡した人は、帰った後に古い記憶からなくなっていく」


「うん」


「でも私たちは渡してない。それでも帰りの列車に乗ったら、新しい切符が出てきた」


 千鶴が少し考える。


「じゃあ、あれって帰りの切符?」


「私もそう思います」


 切符を渡す。


 客として確定する。


 夜白駅まで乗った分の運賃を払う。


 ただし、その運賃が金銭ではなく、人間の過去や記憶。


「戻り列車の切符は、帰ってすぐ代金を取られるわけじゃなくて、未精算の乗車記録として残る」


「だから返却すると切れる?」


「たぶん」


 白舟駅で、


『これは自分の切符ではありません』


『もう、この切符では乗りません』


 と返す。


 現実側の鉄道へ切符を戻し、自分はその客ではないと正式に申し出る。


「そう考えると、返した後に実害が出た事例がないのも説明できます」


 金目は少しだけ唸った。


「めちゃくちゃ駅なんですよね」


「怖いけどね」


「怖いですけど」


 怪異だから理不尽なのではない。


 むしろ。


 理屈がありすぎる。


     ◇


 切符について考えていた時、千鶴が言った。


「その切符って、乗った記録なんじゃない?」


「記録?」


「だって、返したからって消えないんでしょ?」


「はい」


「捨てようとすると戻ってくる。でも駅が預かれば、そこで留まる」


 金目は千鶴を見る。


「つまり、物じゃなくて」


「『この人が戻り列車を使った』っていう記録」


「……」


 金目の目が少し大きくなった。


「つるちゃん」


「なに?」


「天才です?」


「急にどうしたの」


「いや、それなら全部繋がるなと思って」


 切符は所有物ではない。


 乗車記録。


 だから捨てても消せない。


 乗った事実そのものが消えていないから。


「じゃあ記録そのものを消せば……」


 そこまで言って。


 金目は止まった。


「いや」


「どうしたの?」


「それ危ない」


 夜白駅では、人間の名前や存在まで記録と結びついている可能性がある。


「乗った記録だけ消すつもりで、その人自身の記憶まで消えたら最悪です」


「じゃあ消すんじゃなくて、訂正?」


「……それだ」


     ◇


 金目は古参駅員へ尋ねた。


「鉄道の記録って、一度乗った事実を消したりできます?」


「乗車した事実そのものを消す、ということは基本的にはありません」


「じゃあ、間違って発行した切符とか」


「それなら訂正処理はありますよ。誤発券、誤入鋏、誤改札など」


「つまり」


 金目は身を乗り出す。


「『この人にこの切符を出したこと自体が間違いでした』っていう処理はできる?」


「制度上はできます」


「……」


 金目は少し考えた。


 一枚ずつ訂正することは可能。


 でも。


「それだと新しい切符が出続ける限り終わりませんよね」


「そうだね」


 千鶴が答える。


「……じゃあ」


 金目は古い路線図を見る。


「切符を一枚ずつどうにかするんじゃなくて」


 夜白駅。


 終着扱い停止。


 戻り線。


「切符を発行できる状態そのものを終わらせる」


     ◇


 そこから、調査の方向が変わった。


 夜白駅がなぜ残ったのか。


 ではなく。


 夜白駅が正式には、どこまで廃止されていたのか。


 古参駅員と一緒に、旧区間の廃止決裁資料を探す。


 そして見つかった。


 古い社内決裁書。


『旅客取扱停止 済』


『夜間取扱停止 済』


『終着取扱停止 済』


『駅施設廃止 保留』


『発券取扱廃止 未処理』


「未処理」


 金目は声に出した。


 理由欄。


『線区整理完了後に再申請』


『戻り線関係処理未了のため』


「これじゃないですか?」


 金目は資料を古参駅員へ見せる。


「夜白駅、ちゃんと終わってない」


 さらに補足理由書が見つかった。


『当該駅において発券・回収済乗車券の帳尻が一致せず』


『廃券処理後、保管数が復元する事例あり』


『戻り線関係記録についても、廃止後に運行記録が断続的に発生』


 最後の一文。


『駅を閉じても、取扱いが残る。取扱いを閉じなければ終わらない。』


 金目はしばらくその文章を見つめていた。


「昔の人も」


「分かってたんだね」


「うん」


 夜白駅の怪異を終わらせる方法。


 それは祓うことでも、壊すことでもない。


 駅として残っている業務を。


 正式に終わらせる。


     ◇


 ただし、問題があった。


 過去にも一度。


『発券・終着・折返し・夜間取扱の一括終了処理』


 が実施されていた。


 その日の深夜。


 旧区間の異常な運行記録は発生しなかった。


 保管されていた乗車券の枚数も減った。


「成功してる」


「でも終わってない」


「……続きがあります」


 翌々日。


 未処理乗車券が一枚判明。


 その夜から、再び旧区間の運行記録が発生している。


『全券照合完了前に終了処理を行ってはならない』


『一枚でも未処理券が残れば、取扱いは復帰する』


「……切符」


 金目が呟く。


「全部必要なんだ」


     ◇


 問題は。


 何枚あるのか。


 最初は分からなかった。


 古い帳簿には総数が合わない記録が多く、夜白駅から戻った人間が新しく発券されるたび、残数も変動している。


 金目と古参駅員はさらに資料を探した。


 その中で、


『旧夜白区間・臨時折返扱』


 という妙な記録を見つける。


 列車番号。


 運転士名。


 車両番号。


 何もない。


 発生時刻だけが残っている。


 ほとんどが午前二時前。


「これ、戻り列車ですよね」


「おそらく」


「じゃあ今も発生したら記録に残る?」


「この帳票の処理が生きているなら」


「監視できますね」


 完全廃止処理が成功したかどうか。


 夜白駅へもう一度行く必要はない。


 現実側の記録を見ればいい。


     ◇


 さらに。


『旧夜白駅 最終整理未完了案件』


 という資料が見つかった。


『終了処理対象券総数 四十七枚』


『照合済 四十六枚』


『未照合 一枚』


『未照合券回収後、全券再照合の上、発券・終着・折返取扱を同時終了すること』


『三項目を別々に処理してはならない』


「四十七枚」


 最初に完全終了を試みた時点では。


 一枚。


 足りなかった。


 それから何十年。


 戻り列車を利用する人間が現れるたび。


 新しい切符が発行される。


 返却されれば減る。


 さらに帳票規則を追う。


『発券残数は臨時折返扱発生時に更新』


 そして。


 最新欄。


『現在残数 五』


「……五枚」


 金目は大きく息を吐いた。


 終わりが。


 初めて。


 数字になった。


「あと五枚です」


     ◇


 そこからは、フリーライターとしての仕事に近かった。


 人を探す。


 記録を照合する。


 話を聞く。


 五枚のうち三枚は、鉄道会社へ過去に寄せられた問い合わせ記録から比較的簡単に辿ることができた。


 残る二枚。


 一枚は地方紙へ投稿された、


『捨てられない切符』


 という古い投書。


 もう一枚は羽白線の別駅へ寄せられた相談記録。


 金目は図書館や公開情報を使い、一つずつ手掛かりを追った。


 地方紙の投書者本人はすでに亡くなっていた。


 ただし家族はまだ同じ地域に住んでいる可能性が高い。


 別駅相談者については、当時使っていたインターネット上のハンドルネームから現在の活動地域を絞ることができた。


 五件。


 すべて。


 連絡手段まで辿り着く。


「……見つけた」


「全部?」


「はい」


 金目は椅子へ背中を預けた。


「めっちゃ疲れた」


「でも嬉しそう」


「見つかったからね」


     ◇


 連絡が取れた三人は、意外なほど素直に切符が残っていることを認めた。


『まだあります』


『捨てても戻ってきたので』


『箱に入れたままです』


 事情を説明すると、全員が返却に同意した。


 遺族へ連絡した一件でも、


『祖父がずっと気味悪がって箱に入れていた』


 と確認できた。


 ただ一人。


 SNSを通じて辿り着いた若い男性だけは警戒した。


『返したら逆に何か起きないですか?』


 当然の反応だった。


「それは怖いですよね」


 金目は否定しなかった。


「私も同じ切符を持って帰ってきました」


『え?』


「私も数日前に同じ場所へ行って、白舟駅で返しました」


 自分の体験。


 返却後に異常が起きていないこと。


 白舟駅では昔から同じ切符を引き取っていること。


 過去の返却例でも追加被害が確認されていないこと。


 一つずつ説明する。


「もちろん、絶対安全って言い切るつもりはないです」


 金目は言った。


「でも持ち続けている方が、少なくとも夜白駅との記録が残ったままなんです」


 しばらく沈黙。


 やがて。


『……返します』


「ありがとうございます」


『ただ』


「はい」


『一人で行くの、怖いんですけど』


 金目は少し笑った。


「じゃあ、一緒に行きましょうか」


     ◇


 返却までには数日かかった。


 金目と千鶴は毎日東京と白舟を往復するのではなく、駅へ無理なく通える範囲に宿を取った。


 編集部負担の範囲から外れない程度に、少しだけ良い宿。


「スイートルームじゃないですね」


「まだ言ってるの?」


「二倍報酬なんですから、ちょっとくらい贅沢しても」


「自腹ならいいんじゃない?」


「……普通の部屋で大丈夫です」


 夜白駅で一晩過ごした緊張がまだ身体に残っていたこともあり、温泉とまともな食事はかなりありがたかった。


 昼間は切符の返却対応や資料調査。


 夕方には宿へ戻る。


 温泉に入る。


 地元の料理を食べる。


 その後、金目はノートパソコンを開いた。


「仕事します」


「休まないの?」


「記事二本あるんですよ」


 元々依頼されていた羽白線の紀行記事。


 もう一つ。


 夜白駅についての記事。


「追加報酬もありますからね」


「そこ大事なんだ」


「命張りましたからね!」


 通常の紀行記事には。


 沿線の風景。


 駅。


 店。


 食事。


 廃止を惜しむ住民の声。


 最終列車の空気。


 怪異を知らない人でも読める旅行記事としてまとめる。


 もう一方は。


『午前二時の終点――廃止されたはずの駅に残っていた“最後の運行”』


 そんな仮題を付けた。


 ただの体験談にはしない。


 都市伝説。


 旧資料。


 返ってくる切符。


 廃止処理。


 現実の鉄道制度。


 どこまでが確認できた事実で。


 どこからが金目たちの推測か。


 それを分けて書く。


「怖い話を書こうとすると、逆に難しいですね」


「何で?」


「怖かったからって全部『怖かった』って書いたら記事にならないじゃないですか」


「確かに」


「私、文章そんな得意じゃないんですよねぇ……」


 千鶴が横から画面を見る。


「でも前より上手くなってると思うよ」


「比較対象また高校生じゃないですよね?」


「今回はちゃんと今までのかなちゃん」


「なら嬉しいです」


     ◇


 一枚。


 白舟駅へ返る。


 台帳の数字。


 四。


 次。


 三。


 二。


 一。


 最後の一枚。


 例の若い男性。


 待ち合わせ場所へ現れた彼は、金目を見ると少しだけ固まった。


「草壁さん……ですよね」


「はい」


「あ、どうも」


「大丈夫です?」


「大丈夫です」


 怪異への緊張とは別の意味で、妙に落ち着かない。


 金目は気づかず、いつも通り明るく話しかけた。


「切符持ってきました?」


「はい」


「じゃあ行きましょう。私も同じところで返してますから」


 白舟駅。


 有人改札。


 男性はしばらく切符を握っていた。


「本当にこれでいいんですよね」


「はい」


「言葉も?」


「そのままで大丈夫です」


 男性は一度深呼吸した。


 切符を差し出す。


「これは自分の切符ではありません」


 少しだけ声が震える。


「もう、この切符では乗りません」


 駅員が受け取る。


「承りました」


 それだけ。


 何も起きない。


 男性はしばらく立ったままだった。


「……終わり?」


「たぶん」


 金目は笑った。


「これで大丈夫です」


 駅事務室。


 台帳。


『未回収券 0』


「ゼロ」


 金目は何度も確認した。


「つるちゃん」


「うん」


「ゼロですよ」


「やったね」


「……でも」


 金目はすぐ考え込む。


「本当に全部集まったって、どう確認するんでしょう」


「台帳がゼロじゃ駄目なの?」


「だって戻り列車使った人が他にもいたら、新しい切符出てるかもしれないじゃないですか」


「じゃあ」


 千鶴は少し考えた。


「何枚あるか確認するんじゃなくて」


「うん?」


「新しい切符が出なくなったか確認すればいいんじゃない?」


「……」


 金目は千鶴を見る。


「つるちゃん」


「何?」


「やっぱり天才です!」


「大げさ」


「いや本当に!」


 金目はかなり嬉しそうに笑った。


「やっぱり、つるちゃんに一緒に来てもらえて本当に助かりました」


「今さら?」


「今だからですよ」


     ◇


 残数ゼロ。


 その状態で、新規発券がないこと。


 さらに、


『旧夜白区間・臨時折返扱』


 が発生しないこと。


 一定期間。


 両方を監視する。


 それが、本当に切符を全部回収できたか確認する方法になる。


 加えて、鉄道会社側から情報提供を募る場合も、


『この古い切符を持っている方』


 だけでは足りない。


『終電後に白舟より先へ行った経験のある方』


 にも連絡を求める。


 切符を持っていることに気づいていない人がいる可能性もあるからだ。


「これで新しく出てこなかったら」


「うん」


「終わらせられます」


     ◇


 古参駅員は、集めた資料を会社へ正式に上申した。


 もちろん。


『怪異の駅が出ます』


 などという理由ではない。


『旧線区の廃止処理に未整理記録が残っている』


『現行帳簿に存在しない旧乗車券が長年返却され続けている』


『過去の終了処理が未完了になっている』


『発券・折返しの記録が廃止後にも発生している』


 業務上の問題として。


 十分に処理できる。


 発券取扱廃止の未処理。


 戻り線の運行記録。


 過去の完全終了試行。


 全券照合の条件。


 現在残数ゼロ。


 必要な材料が。


 ようやく全部揃った。


     ◇


 完全終了処理の日。


 金目と千鶴は白舟駅近くの宿で待っていた。


「緊張しますね」


「夜白駅より?」


「種類が違います」


 今回は何かに襲われるわけではない。


 駅員の声も。


 偽放送も。


 ベルもない。


 でも。


 何十年も終わらなかったものが。


 本当に今日。


 終わるかもしれない。


「うまくいってほしいな」


「うん」


 会社側では。


 同一案件番号。


 同一処理日。


 三項目。


 同時。


『発券取扱 終了』


『終着取扱 終了』


『折返取扱 終了』


 別々に処理してはいけない。


 過去の資料に残されていた条件。


 その通りに。


 現実側から。


 夜白駅の仕事を終わらせる。


     ◇


 午前一時。


 異常なし。


 一時三十分。


 異常なし。


 一時四十五分。


 異常なし。


 金目はスマートフォンを何度も見ていた。


「見すぎ」


「だって気になるんですよ」


「一分ごとに見ても二時は早く来ないよ」


「分かってますけど」


 一時五十分。


 一時五十五分。


 一時五十八分。


 金目はスマートフォンをテーブルへ伏せた。


「もう見ません」


 一分も経たず。


 また見る。


「かなちゃん」


「無理です」


     ◇


 午前二時。


 電話が鳴った。


 金目が飛びつくように取る。


「はい!」


 古参駅員。


『出ていません』


「……」


『臨時折返扱、発生なしです』


 金目は言葉を失う。


『新規発券もありません』


「……」


『残数ゼロのままです』


 ほんの数秒。


 金目は動かなかった。


「……やった」


 小さく。


 呟く。


 次の瞬間。


「やった! やったぁ!!」


「わっ」


 千鶴へ飛びついた。


「終わりましたよ! つるちゃん!」


「うん!」


「本当に終わった!」


 強く抱きしめる。


 夜白駅。


 終電。


 名前。


 切符。


 ベル。


 午前二時。


 全部。


 もう。


 誰かを待っていない。


     ◇


 それでも、すぐに完全終了とはしなかった。


 一晩。


 異常なし。


 三日。


 新規発券なし。


 臨時折返扱なし。


 一週間。


 変化なし。


 返却された切符は通常の廃券処分には回さず、正式な保管記録へ移された。


 旧資料上でも。


 夜白駅。


『廃止完了』


 ようやく。


 そう書かれた。


 駅を壊したわけではない。


 怪異を倒したわけでもない。


 誰かと話し合ったわけでもない。


 ただ。


 途中で終わっていた手続きを。


 最後までやった。


 それだけで。


 何十年も残っていた駅は。


 初めて。


 本当の意味で。


 終わった。


     ◇


 通常の紀行記事は予定通り完成した。


 羽白線。


 沿線。


 廃止予定の駅。


 地元の人。


 店。


 食事。


 最後の列車。


 怪異を知らない人でも読める、普通の記事。


 もう一つ。


 夜白駅の記事。


『午前二時の終点――廃止されたはずの駅に残っていた“最後の運行”』


 自分たちの体験。


 都市伝説。


 返ってくる切符。


 古い資料。


 未完だった廃止処理。


 そして。


 最後の完全終了。


 鉄道会社の非公開資料や個人情報は。


 許可された範囲だけ。


 推測は推測として。


 事実と分ける。


「……できた」


 金目は文章を読み返した。


「今回は」


 少し考える。


「結構いい気がします」


「珍しく自信ある?」


「ちょっとだけ」


「いいじゃん」


「でも写真の方褒められたらどうしよう」


「それはそれでいいでしょ」


「文章も褒められたいんですよ!」


     ◇


 全ての取材と確認を終え。


 金目と千鶴は。


 ようやく自宅へ帰った。


 玄関。


 扉を開ける。


 出発した時と変わらない。


 綺麗に片付いた部屋。


 いつもの匂い。


 いつもの空気。


「……帰ってきたぁ」


 金目は玄関で、そのまま力が抜けそうになった。


『かなめ!』


 金鶴。


『おかえり。』


 SIDE B。


『おかえり、かなめ。』


 写真の少女。


「ただいま」


 金目は笑った。


「ちゃんと帰ってきましたよ」


 千鶴も。


「ただいま」


『つるちゃんも。』


「ただいま」


 皆。


 いる。


 それだけで。


 十分だった。


     ◇


「もう都市伝説の取材は、しばらくいいです」


 金目はソファへ座り込んだ。


「次は美味しいもの食べるだけの仕事がいいです……」


 千鶴が横へ座る。


「でも、また依頼来たら受けるんじゃない?」


「……」


 金目は考える。


「条件によります」


「やっぱり受けるんだ」


「報酬大事ですよ」


 金鶴が首を傾げる。


『二倍なら?』


「二倍……」


 真剣に考える。


「内容によります」


『三倍?』


「ちょっと揺れます」


「かなちゃん」


「いや、三倍は大きいですよ」


 皆が笑った。


     ◇


 その夜。


 金目は久しぶりに自宅の台所へ立った。


「何食べたいです?」


『なんでも。』


「一番困るやつ」


 冷蔵庫を見る。


 あるもので。


 いつもの料理。


 何品か。


 作る。


 テーブルへ並べる。


 金鶴。


 SIDE B。


 写真の少女。


 千鶴。


 全員。


 いつもの場所。


 食卓。


 誰も。


 切符を持っていない。


 誰も。


 名前を隠す必要がない。


 誰かに呼ばれたら。


 普通に返事をしていい。


 それが。


 何だか。


 とても。


 ありがたかった。


     ◇


 食後。


 金目は念のため鞄を見る。


 切符。


 ない。


 スマートフォン。


 普通。


 時計。


 普通。


 耳を澄ませる。


 ベル。


 聞こえない。


「……大丈夫」


「まだ確認する?」


「一応ですよ」


「もう一週間何もないよ」


「それでも」


 金目は時計を見る。


 深夜。


 一時五十九分。


「……」


 少しだけ。


 緊張する。


 千鶴が隣にいる。


「かなちゃん」


「はい」


「大丈夫」


「……うん」


 時計。


 二時。


 何も。


 起きない。


 ベルも。


 駅員の声も。


 列車の音も。


 しない。


 ただ。


 冷蔵庫の小さな駆動音。


 外を走る車。


 家の中の。


 普通の音。


「……本当に」


 金目は小さく笑った。


「終わったんですね」


「うん」


 千鶴も笑う。


「終わったよ、かなちゃん」


 金目は目を閉じた。


 今夜は。


 午前二時を越えても。


 何も来ない。


 それから金目は。


 一度も目を覚まさなかった。


     ◇


 朝。


 カーテンの隙間から。


 普通の朝日が差し込む。


 誰もいない駅。


 知らない終点。


 二度目のベル。


 何もない。


 ただの。


 いつもの朝。


 それが。


 今回。


 二人が手に入れた。


 一番確かな。


 結末だった。


END「午前2時を越えて」

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