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午前二時の終点 前編 ── 安全第一 ──

「草壁さん、オカルト系の記事も書けるんですよね?」


「書けるんじゃないんですよ。別に」


 依頼内容を聞くより先に、草壁金目は否定した。


 向かいに座る編集者が、少し意外そうに瞬きをする。


「そうなんですか?」


「そうなんです。私、オカルト系苦手なんです」


 金目は机に肘をつかない程度に身を乗り出し、できる限り真剣な顔で訴えた。


「というか最近ほんとに、オカルト関係じゃないって言われて行った先で、ずっとオカルト関係のことが起きてるんですよ。旅館もそうですし、レコード屋さんもそうですし、写真館もそうですし、母校までそうでしたし」


「でも、全部ちゃんと記事にはしてますよね」


「記事にしてるから怖くないわけじゃないですからね?」


 そこは強く言っておかなければならない。


 怪異に慣れてきた、などと誤解されては困る。


 慣れていない。


 毎回しっかり怖い。


 最近は危険な状況になった時に何をすべきか少し考えられるようになっただけで、夜中に知らない声がしたら普通に怖いし、誰もいない場所から物音がしたら普通に帰りたい。


「それで今回は何なんですか?」


「地方私鉄の羽白線です」


 編集者は資料を一枚、金目の前へ滑らせた。


 地方を走る小規模な私鉄で、一部区間の廃止が決まっているらしい。


 廃止予定区間の沿線風景、駅、地元の店、利用者の声などを取材し、最後に最終列車の様子を加えた紀行記事を作る。


 そこまでなら、何もおかしくない。


「普通の旅行記事じゃないですか」


「基本的には」


 その言い方。


 金目は資料から顔を上げた。


「基本的には?」


「沿線に、ちょっとした都市伝説がありまして」


「ほら!」


 思わず声が大きくなった。


「やっぱりあるじゃないですか!」


「まだ何も説明してませんよ」


「都市伝説って言った時点でアウトですよ!」


 編集者は苦笑しながら別の紙を見せた。


 そこには、ネット上で語られているという羽白線の噂がいくつか抜粋されていた。


『羽白線の終電で寝るな』


『終点で起きたら、知らない駅だった』


『時刻表にない終点がある』


『午前二時を越えると帰れない』


「行きません」


 金目は即答した。


「早いですね」


「だって最後のやつ、帰れないって書いてるじゃないですか」


「噂ですよ?」


「今まで噂だったもの何個本物だったと思ってるんですか」


 以前なら、「そんなことあるわけない」と思ったかもしれない。


 今は違う。


 ある。


 嫌になるほどある。


 編集者は、そこまで本気で嫌がられるとは思っていなかったのか、資料を見ながら少し考えた。


「通常の原稿料の一・五倍でどうです?」


「下手したら私、死んじゃう可能性ありますよね?」


「そこまでとは――」


「帰れないって書いてますよね?」


「……書いてますね」


「命の危険性があるのに一・五倍ですか」


 金目は腕を組んだ。


 別に本当に値上げ交渉をするつもりではなかった。


 この辺りで相手が「じゃあ別の人に」と言ってくれれば、それでいい。


「一・五倍じゃ嫌です」


「では?」


「二倍」


 金目は指を二本立てた。


「二倍なら行きます」


 言った。


 さすがに断ると思った。


「分かりました。二倍でお願いします」


「え?」


 即答だった。


「本当に二倍ですよ!?」


「はい」


「びた一文負けないですよ!」


「はい」


「交通費と宿泊費、そちら持ちですよね!」


「もちろんです」


「結構高めのやつ乗りますよ!」


「常識的な範囲でお願いします」


「ホテルのスイートルーム借りちゃったりしますけどいいの!?」


「それは常識的な範囲ではないですね」


「ですよね!」


 金目は頭を抱えた。


 完全に失敗した。


 編集者が少しだけ笑う。


「もしかして条件を釣り上げて、私に諦めさせようとしてません?」


「……」


「草壁さん?」


「だって怖いんですもん……」


 もう隠す気もなくなった。


「なんで私なんですか。私オカルト苦手って言ってるじゃないですか」


「そこは分かってます」


「じゃあ別の人にしましょうよ」


「でも草壁さん、怖がる割にちゃんと周囲を見るでしょう」


「……はい?」


「危なそうなら無茶をしない。逃げた方がいいと思えば逃げようとする。それでも、誰か放っておけない人がいたら結局動く」


 金目は黙った。


「そういうところは信用してますよ」


「……」


 褒められているらしい。


 しかし、この状況ではあまり嬉しくない。


「もうこの顔生かして、グラビアアイドルでもやろうかな……」


「急にどうしたんですか」


「ライターやってるからこんな仕事来るんじゃないですか」


「たぶんグラビアアイドルになっても怪異には遭うと思いますよ、草壁さんの場合」


「何でですか!」


 ひどい言われようだった。


 結局、依頼は受けることになった。


 通常原稿料の二倍。交通費と宿泊費は編集部負担。本当に怪異へ遭遇し、それを別記事として成立させられる場合には追加報酬。


「分かりましたよ」


 金目は資料をまとめながら、半ば諦めたように息を吐いた。


「スイートルームは諦めますけど、本当に怪異出たらちょっと色つけてくださいよ」


「検討します」


「検討じゃなくて約束してください」


 そう言いながらも、もう頭の中では取材先までの交通手段と必要な準備を考え始めている。


 それが仕事というものなのだろう。


 たぶん。


 編集部を出る直前、金目はもう一度資料を見た。


『午前二時を越えると帰れない』


「……絶対なんか出る気がする」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


「いや、間違いなく出る。私の直感がそう囁いてる……」


     ◇


「というわけで」


 その日の夕方。


 自宅へ戻った金目は、テーブルを囲む面々へ今回の仕事について説明していた。


「羽白線っていう地方の私鉄です。一部区間が廃止になるので、その沿線を取材して記事にします」


『普通の仕事?』


 黒いレコードジャケット、SIDE Bの表面に文字が浮かぶ。


「表向きは」


『表向き。』


「そこ繰り返さないで」


金目は少し目を逸らした。


テーブルにはSIDE Bのほか、写真の少女の写真も置かれている。


夕凪学園から一緒に帰ってきた榊原千鶴と美景川金鶴も、話を聞いていた。


「で、その羽白線には都市伝説がありまして」


 金目は資料を読み上げる。


「終電で寝るな。目を覚ましたら知らない駅だった。時刻表にない終点がある。それから、午前二時になると帰れなくなる」


『……』


「そういう顔しますよね」


 千鶴の表情を見て、金目は小さく苦笑した。


『帰ってこなかった人もいるの?』


「そういう話もあるみたいです」


 金鶴の顔が不安そうに曇る。


『かなめが帰ってこないの、いや』


「……」


 私も嫌だ。


 当然である。


「大丈夫ですよ」


 なるべく軽く言う。


「今回は私一人で行きますから」


 千鶴がすぐに金目を見た。


『一人で?』


「はい。お仕事ですから」


『かなめ』


「何です?」


『本当は誰かに来てほしいでしょ』


「……」


 言葉に詰まった。


 正直に言えば、ものすごく来てほしい。


 知らない終点。


 終電。


 帰れないかもしれない場所。


 一人で行きたい要素など一つもない。


「それは、まあ……」


『でも私たちがやっと外に出られたから、また閉じ込められるかもしれない場所には連れていきたくないんでしょ』


 図星だった。


 千鶴と金鶴は、長い間夕凪学園から外へ出られなかった。


 ようやく学校を離れ、名前と居場所を持ち、金目の家まで帰ってきたばかりだ。


 その二人を今度は、「午前二時になると帰れない」と噂される場所へ連れていく。


 そんなことはしたくない。


「……そうですよ」


 金目は観念した。


「せっかく出てこられたのに、また帰れなくなるかもしれないところに連れていくなんて嫌です」


『かなめ』


「だから今回は私一人で」


『優しいのは知ってるけど』


 千鶴はそこで言葉を重ねた。


『だからって、一人で危ないところに行くのが正解とは限らないからね』


「……」


『一人で行くか、二人とも連れていくかの二択にしなくてもいいでしょ』


「じゃあどうするんです?」


『まず調べる』


 千鶴は当然のように答えた。


『何が危ないのか。何をしたら駄目なのか。人間じゃない私たちが一緒に行ったらどうなるのか。それを調べてから決めればいい』


「……」


 確かにそれなら筋が通っている。


 金目自身、何も知らないまま突っ込むつもりはなかった。


「分かりました」


 ノートパソコンを開く。


「じゃあ徹底的に調べます」


     ◇


 調査は、その日の夜まで続いた。


 最初に見つかったのは、羽白線の都市伝説をまとめた古い掲示板のログだった。


『終電で寝るな』


『白舟で降りろ』


『名前を聞かれても答えるな』


『切符を渡すな』


 白舟。


 今回の通常終点。


 最終列車は二十三時四十八分に到着する予定になっている。


「名前を聞かれても……」


 金目はその部分をメモした。


『名前、また?』


 金鶴が不安そうに言う。


「みたいですね」


 夕凪学園でも名前には意味があった。


 しかし今回は同じ怪異ではない。以前そうだったから今回も同じ、とは考えない方がいい。


「とりあえず、この話の中では名前が何か条件になってる可能性がある、とだけ考えましょう」


 次に出てきたのは、終電で本来の終点を通過し、知らない駅へ着いたという話だった。


 投稿者は駅員らしい人物に切符を見せたという。


 その人物は帰還している。


「帰ってるじゃないですか」


 少し安心しかけた。


 だが続きを読んで、金目の表情は変わった。


 帰還直後、本人は知らない駅での出来事をほとんど覚えていなかった。


 それだけではない。


 数日。


 数週間。


 時間が経つにつれ、昔の友人の名前、小学校の記憶、飼っていた犬、家族旅行、母親との思い出。


 古い記憶から少しずつ抜け落ちていった。


「……帰ってきても駄目じゃん」


 金目は呟いた。


 幸運にも、当人の家族が残していたというブログの転載キャッシュも見つかった。


 そこには本人の手帳から引用したらしい文章があった。


『切符を渡したら帰れた』


『でも、あれは運賃じゃない』


『切符を渡したから、向こうは俺を客として扱った』


『客は、乗った分を払わないといけない』


『あの駅で払うものがなくなったら、こっちから取られる』


「……客」


 金目はその言葉に引っかかった。


「切符を渡したから客になった?」


『電車だから?』


「たぶん」


 切符を駅員へ渡す。


 普通の駅なら正しい行動だ。


 しかし、この場所ではそれが「自分はここの利用客です」と認める行為になるのかもしれない。


 そして客になった以上、運賃を払わされる。


「でも一駅分とか、そういう話じゃなさそうですよね」


 記憶が古い方から失われている。


「怪異の中でどれだけ進んだとか、どれだけ長くいたとか……そういうので金額が変わるのかな」


『金額?』


「本当にお金じゃないですけどね。人生の昔の方から、運賃として取られてるみたいな」


 あくまで仮説。


 金目はそう書き添えた。


     ◇


 さらに調べると、本名に関する記録が出てきた。


『名前を聞かれても、本名を言うな』


『向こうが名前を知ったら、切符がなくても客になる』


 本人が名乗っていないにもかかわらず、同行者が本名を口にし、駅員がそれを復唱しただけで、


『確認しました』


 と告げられた例もある。


「これ、本人だけ黙ってても駄目ですね」


『じゃあ、お互いの名前言わない方がいいね』


 千鶴が言った。


「ですね」


 問題は呼び方だ。


 全く呼ばないのも不便だろう。


「じゃあ……」


 金目は少し考えた。


「私が、かなちゃん」


『かなちゃん?』


「はい。千鶴は、つるちゃん」


『……』


「嫌です?」


『別に』


 千鶴は少し笑った。


『かなちゃん』


「……」


『何?』


「いや」


 金目は何となく照れた。


「改めて呼ばれるとちょっと恥ずかしいなと思って」


『自分で決めたんでしょ』


「そうですけど」


 それでもこの呼び方なら、本名そのものを口にする必要はない。


「じゃあ怪異に入ったら、かなちゃんとつるちゃん。それ以外は禁止で」


『分かった、かなちゃん』


「もう使うんです?」


『慣れとかないと』


「……つるちゃん」


 呼び返す。


 千鶴が満足そうに頷いた。


     ◇


 呼びかけへの返事も危険だった。


 三人組で怪異に遭遇したという記録では、そのうち一人が呼びかけに返事をした後、残った二人の記憶からその人物だけが薄れていった。


 最初から二人で来ていたように感じ始めたという。


「……これ嫌だな」


 金目は画面を見ながら眉を寄せた。


『どうしたの?』


「もし二人で行って、つるちゃんが返事したとして」


『うん』


「私が、最初から一人だったって思い始める可能性あるんですよね」


 逆も同じだ。


「絶対返事しないでくださいね」


『かなちゃんもね』


「しませんよ。というか、返事しないようにお互いを見てましょう」


 駅員に見つかった時点では、まだ即座に「客」へ確定するわけではないらしい。


 実際、駅員から声をかけられても無視し続け、待合室まで逃げ込んで帰還した例がある。


 ただし無視していると、同じ要求を繰り返しながら少しずつ近づいてくる。


『三回目までは同じだった』


『四回目から声が近くなった』


『顔は見ない方がいい』


「顔を見るな……」


『怖いね』


「そこだけは情報なくても見たくないですよ」


 顔を見たこと自体が危険なのか、単純に精神的に見るべきものではないのかは分からない。


 だから実務上は、近づかれても顔を見ない。


 それでいい。


     ◇


 午前二時。


 この時間についても、複数の記録が一致していた。


 構内時計が止まる。


 駅名標から文字が消える。


 待合室の扉が開かなくなる。


 戻りの列車が来なくなる。


「最初は、二時になると怪異が強くなるとかかなと思ってたんですけど……」


 金目は何件もの記録を並べた。


「違うかもしれない」


『どういうこと?』


「駅そのものが営業終了する感じなんじゃないですかね」


 戻りの列車。


 それが唯一の帰還手段だとする。


 午前二時になると、その列車がなくなる。


 駅としての機能も止まる。


「閉じ込められるっていうより……最後の帰りの便がなくなる」


 その後、構内に残った客を駅から出す。


 普通なら正しい。


 ただし、その退去先が現実とは限らない。


「だから『午前二時を越えると帰れない』」


 まだ仮説。


 しかし、かなり筋は通っていた。


「二時になる前に戻りの電車へ乗る。ここは絶対ですね」


     ◇


 戻り列車についての情報は、断片的だった。


 最初に分かったのは、


『時刻表を見て待つな』


 というものだった。


「時刻表見ちゃ駄目なの?」


『駅なのに?』


「そこが嫌なんですよね、この怪異」


 普通の駅なら正しい行動が罠になる。


 列車が何時に来るか知りたい。


 時刻表を見る。


 駅員に聞く。


 切符を見せる。


 名前を聞かれれば答える。


 呼ばれれば返事をする。


 全部、普通なら自然だ。


 全部、ここでは危ない。


 やがて、戻り列車にはベルが関係するという記録が見つかった。


『遠くでベルが鳴る』


『最初のベルでは出るな』


『二回目が鳴ったらホームへ出ろ』


「一回目と二回目?」


 さらに調べる。


 一度目のベル。


 そのあと少し時間が空く。


 その間、外から声をかけられることがある。


 そこで返事をしてはいけない。


 二度目のベルが鳴ってから、初めて待合室を出る。


「時間で判断しない方がいいですね」


 怪異内では体感時間と時計の進みが一致しない例もある。


「長く待ったから二回目、じゃなくて、本当にベルが二回鳴ったかどうかだけ見る」


『時計も見ない?』


「午前二時の確認には必要だと思います。でも電車が来る時間は時計で判断しない」


 意味が違う。


 そこは分ける。


     ◇


 夜白駅と思われる場所の構造も、少しずつ分かってきた。


 一面の小さなホーム。


 待合室。


 改札。


 駅員室。


 壁時計。


 待合室は、午前二時より前なら比較的安全らしい。


 ただし、中に入ったから安心というわけではない。


『中に入ったら座れ』


『歩き回るな』


『壁の紙を読むな』


『外を見ない』


『鏡を見るな』


『ガラスの反射を見るな』


 これだけメモに書き込みつつ頭を抱える。


「やることなさすぎません?」


『座って待つだけ?』


「それが正解っぽいです」


 外から知っている人の声が聞こえる場合もある。


 亡くなった家族。


 友人。


 同行者。


「つるちゃんの声が外からしても、つるちゃんが私の目の前にいるなら外は偽物」


『かなちゃんの声でも同じ』


「はい」


 ここで金目は別の問題に気づいた。


「待合室の中に直接入ってこれないとしても」


『うん』


「中の物には干渉できるかもしれない」


 掲示物が書き換わる。


 写真の顔が変わって見える。


 そうした記録がある。


「じゃあスマホに文字打って見せるのも危ない?」


『書き換えられるかもしれないね』


「紙も同じ」


 筆談を考えていたが、それも絶対ではない。


 置いた紙を後から読む。


 これは禁止。


 目の前で相手が書いているところを見ている場合だけ、まだ信用できる。


「でも、もっと確実なのありますね」


 金目は千鶴へ手を出した。


「手」


『手?』


「握ってればいいんですよ」


 直接触れている本人。


 視界にいる本人。


 その二つを同時に確認できる。


「待合室では向かい合って座って、ずっと手を握ってましょう」


『ずっと?』


「ずっとです」


『かなちゃん、手汗すごくなりそう』


「怖いんだから仕方ないでしょ!」


 結局、普通に手を握るよりも離れにくいよう、指を絡める形にすることになった。


「……これ」


 金目は自分たちの手を見る。


「恋人つなぎってやつじゃないですか」


『そうなの?』


「そうですよ」


『嫌?』


「……嫌なわけないじゃないですか」


 即答した。


「それに命かかってますからね」


     ◇


 声も。


 紙も。


 スマホも。


 場合によっては信用できない。


 そこで、もっと細かな連絡方法も決めた。


 どうしても手を離す必要がある時は、突然離さない。


 二人の視界の中で、繋いだ手をゆっくり持ち上げる。


 互いに確認。


 離す。


 相手が掌を差し出す。


 顔と手が一致していることを見て、頷いてから指で掌へ文字を書く。


「横から急に触られても無視」


『後ろも』


「はい。視界に入ってるつるちゃんから触られた時だけ信用します」


『かなちゃんも同じ』


「了解です」


 そこまで決めて、金目はようやく少し安心した。


 ほんの少しだけ。


     ◇


 調査を進めるうちに、人間ではないものを同行させた事例も見つかった。


 小型犬を連れていた人物。


 犬には駅員が切符を求めず、「乗客」として数えられなかったらしい。


「じゃあ金鶴ちゃんとかSIDE Bも大丈夫?」


 期待した。


 しかし続きを読む。


 犬がホームにいた何かへ吠えたことで、人影がこちらを向いた。


 また、遺影を待合室で出した人物は、写真の顔が違って見え、その後その人物の声が外から聞こえたという。


『人じゃないものは名前を聞かれない』


『でも見つかると使われる』


「……嫌」


 金目は露骨に顔をしかめた。


「つるちゃんも使われちゃうんですか。やだな、つるちゃんが汚されるみたいで」


『私も人間じゃないけど、一応普通に話せるからね』


「余計に嫌です」


 千鶴は夕凪学園の怪異側にいた存在ではあるが、今はかなり安定している。


 それでも夜白駅がどう認識するかは分からない。


 金鶴。


 SIDE B。


 写真の少女。


 連れていけば安全になる保証はない。


 むしろ利用される可能性がある。


「……今回は」


 金目は三人を見る。


「お留守番してもらった方がいいと思います」


『かなめ』


 金鶴が不安そうにする。


「絶対帰ってきます」


『ほんと?』


「そのために今こんだけ調べてるんです」


 金目は笑った。


「帰ってきてから、いっぱい話しますから」


     ◇


 さらに嫌な情報も見つかった。


 同じ戻り列車に乗ったとしても、現実側で同じ場所へ戻れるとは限らない。


 二人組の一例では、一人が白舟駅のベンチ。


 もう一人は一駅手前の無人駅。


 発見時刻には十二分ほど差があった。


 三人組では、白舟駅、始発列車の車内、沿線の踏切付近に分かれて戻ったという。


「……つるちゃんと手をつないでたら、いきなり消える可能性もあるんですかね」


『あるかも』


「嫌だなぁ……」


 ただ、全員が無事なら互いの記憶は残る可能性が高い。


「じゃあ、もし離れたら」


 現実側の集合場所を決める。


 白舟駅。


 改札手前。


「もしつるちゃんがすぐ来てくれなかったら、私そこの構内でずっと永遠に待ち続けることになっちゃいますから、なるべく早く来てくださいね」


 冗談めかして言った。


 半分くらい本気だった。


『かなちゃんもね』


「もちろんです」


     ◇


 帰還後についても調べた。


 スマートフォン。


 時計。


 写真。


 動画。


 どれも信用しきれない。


 怪異内で長時間使ったのに充電がほとんど減っていなかったり、逆に帰還直後に一気にゼロになった例。


 時計が侵入時刻付近で止まる例。


 ホームを撮ったはずの写真が真っ黒だった例。


 動画には映像ではなく声だけが残った例。


「補助には使う。でも絶対の証拠にはしない」


 金目はメモする。


 身体への異常。


 異常な冷え。


 手首や足首の赤い痕。


 数日続く耳鳴り。


 列車のベルの幻聴。


「帰ってきてからもチェック必要ですね」


 そして。


 帰還後、所持品の中へ見覚えのない古い切符が混ざっていたという記録。


「何これ」


 その切符を捨てる。


 すると戻ってくる。


 ゴミ箱。


 道端。


 燃やそうとしても。


 廃棄する意思を持って手放すと、いつの間にかまた本人の荷物へ戻っている。


「怖ぁ……」


 しかし、保管するだけなら戻らない。


 どうやら物理的な距離ではなく、「捨てようとしたか」に反応している。


 さらに調べる。


 その切符を現実の鉄道側へ返却した人の例。


「返す?」


 切符を捨てるのではなく、鉄道会社へ返す。


 場所も重要だった。


 白舟駅の有人改札。


 他の駅では駄目だった例がある。


 そして返却時の言葉。


『これは自分の切符ではありません』


『もう、この切符では乗りません』


「……覚えとこう」


 金目は太字でメモした。


     ◇


 最後に見つかったのが、戻り列車での詳細な生還記録だった。


 金目は椅子へ座り直した。


「これ、かなり重要です」


 全員が画面へ意識を向ける。


 二度目のベルが鳴った後。


 待合室を出る。


 列車が本当にホームへ止まり、扉が開いていることだけを最低限確認する。


 行先表示を信じない。


 時刻表を見ない。


 駅員の案内を聞かない。


 切符を出さない。


 名前を答えない。


 空いている扉から乗る。


 乗った後は座る。


 窓の外を見ない。


 他の乗客が乗ってきても見ない。


 放送が、


『次は白舟』


 と言っても降りない。


「白舟でも?」


『偽物かもしれないんだね』


「みたいです」


 帰りの列車では、もうベルは鳴らない。


 だから乗車後に聞こえるベルは全部偽物。


「これ大事」


 金目は線を引いた。


 そして。


『明るくなるまで待て』


 朝。


 車内が完全に朝の明るさへ変わるまで待つ。


「ちょっと明るくなった程度じゃ駄目ですね」


『朝っぽく見せるかもしれない』


「そう。だから、もうこれ以上疑いようがないってくらい明るくなるまで待つ」


 そこまで耐えた後。


 列車が止まり。


 最初に開いた扉から降りる。


「……」


 金目は画面を見つめた。


 怖い。


 調べれば調べるほど行きたくなくなる。


 しかし。


 同時に。


 最初よりは。


 何をすればいいのかが見えてきていた。


     ◇


「整理します」


 金目は新しいページを開いた。


「まず、白舟を通過したら怪異に入った可能性が高い」


『うん』


「そこから本名禁止。私がかなちゃん。つるちゃんはつるちゃん」


『うん』


「駅に着いたら列車内に居残らず降りる。駅員を見ない。切符渡さない。名前言わない。呼ばれても返事しない」


 千鶴が頷く。


「待合室に入ったら向かい合って座る。手はずっと握る。紙とかスマホは基本信用しない。会話も最小限」


『うん』


「一回目のベルでは絶対出ない。何を言われても待つ。二回目のベルが鳴ってから出る」


『うん』


「戻り列車に乗ったら、何が起きても反応しない」


 金目はそこだけ、少し考えた。


「もう、人形になりましょう」


『人形?』


「はい」


 恐怖で何かを判断しようとすると、つい見たり、聞いたり、返事をしたりする。


「座ってる人形です。何を言われても反応しない。ベルが鳴っても、白舟って言われても、知ってる声がしても無視」


『かなちゃん、できる?』


「……」


 少し間を置く。


「やります」


 できるかどうかではない。


 やらなければ帰れない。


「怖くなったら、つるちゃんの手握ってます」


『握ってていいよ』


「たぶんめっちゃ強く握りますよ」


『痛かったら握り返す』


「それ合図になってないでしょ」


 二人で少し笑った。


 張り詰めていた空気が、ほんの少し緩む。


     ◇


「で」


 金目は千鶴を見る。


「ここまで調べましたけど」


『うん』


「それでも行きます?」


『行くよ』


 迷いのない答え。


「……」


『かなちゃん一人で行かせる方が嫌』


「でも」


『私は自分で決めてる』


 千鶴は穏やかに言った。


『かなちゃんが私を危険な場所へ無理やり連れていくんじゃない。私が一緒に行くって決めてるの』


 それを言われると。


 金目が「守るため」と言って一方的に拒むことも、少し違う気がした。


「……分かりました」


 ゆっくり頷く。


「じゃあ二人で行きましょう」


『うん』


「絶対二人で帰りますよ」


『もちろん』


「約束ですよ」


『約束』


 金目は手を差し出した。


 千鶴も手を重ねる。


 今度はまだ。


 普通の握手だった。


     ◇


 事前調査が一段落した頃には、かなり遅い時間になっていた。


 金目はパソコンの画面を閉じる。


「もう今日はやめましょう」


『いいの?』


「これ以上やったら夢に出ます」


 冗談ではない。


「ということで」


 立ち上がる。


「遊びます」


『急だね』


「こういう時こそ気分転換が必要なんです」


 夕凪学園の時もそうだったが、金目は怖いことを考え続けるのが得意ではない。


 必要な調査を終えたなら、それ以上同じ情報を何度も見返して恐怖だけを増やしても仕方がない。


 皆で少し遊び。


 くだらない話をして。


 笑った。


 明日には危険な場所へ行く。


 その事実は変わらない。


 でも。


 だからこそ。


 今くらいは普通に過ごしていい。


 寝る前。


 金目は荷物を確認した。


 取材用カメラ。


 スマートフォン。


 メモ。


 複数の時計。


 小型ライト。


 水。


 モバイルバッテリー。


 透明のジップ袋。


 使い捨てのゴム手袋。


 軽食。


 どれも、使わずに済むならそれが一番いい。


「……よし」


 最後に戸締まりを確認して、眠る。


 その夜は。


 まだ。


 何も起きなかった。


     ◇


 翌朝。


 金目は普段通り朝食を作った。


 今日が危険な取材の日だからといって、何か特別なものを用意したわけではない。


 いつもの自宅。


 いつもの台所。


 いつもの食卓。


 その普通さが、今日は妙にありがたかった。


「ちゃんと食べていきましょう」


『かなめ、いっぱい食べた方がいいよ』


「分かってますよ」


 金鶴に言われながら自分の分も用意する。


 食事を終え。


 荷物を持つ。


 玄関。


 そこまで来て。


 金目は一度振り返った。


 金鶴。


 SIDE B。


 写真の少女。


 三人とも。


 今日はここに残る。


「行ってきます」


『かなめ』


 金鶴。


『絶対帰ってきてね』


「はい」


 金目は笑った。


「つるちゃんも一緒ですし」


 千鶴を見る。


「二人で帰ってきます」


『待ってる。』


 SIDE B。


『おかえりっていう。』


 写真の少女。


「じゃあ」


 金目は靴を履いた。


「ちゃんと、おかえりって言ってもらいに帰ってきます」


     ◇


 羽白線沿線での昼間の取材は、拍子抜けするほど普通だった。


 小さな駅。


 長く使われた木製のベンチ。


 ホーム沿いに咲く季節の花。


 窓の向こうへ広がる山と田畑。


 廃止予定の駅では、昔から利用してきた地元住民へ話を聞いた。


「この駅なくなると寂しいですね」


「そうですねぇ。学生の頃から使ってましたから」


 金目は相槌を打ちながらメモを取り、許可を得て写真を撮る。


 近くの店にも入った。


 地元の食材を使った料理。


 店主。


 常連客。


 羽白線ができた頃の話。


 車が増えて利用者が減った話。


 廃止が決まってから、逆に写真を撮りに来る人が増えた話。


「この角度、いいですね」


 カメラを構える。


「金目、楽しそう」


 千鶴が隣で言う。


「取材は好きですよ」


「人に話しかけるの苦手じゃなかった?」


「始まってしまえば大丈夫なんです」


 問題は最初の一声だけだ。


「それに」


 撮った写真を確認する。


「今日は普通の仕事してる感じがします」


「夜まではね」


「言わないでください」


 現実を思い出してしまう。


 それでも昼間は、本来の依頼に集中した。


 金目は怪異を取材しに来たわけではない。


 まず書かなければならないのは、廃止される羽白線の紀行記事だ。


 沿線風景。


 駅。


 店。


 食事。


 利用者。


 最終列車。


 夜まで待つ間にも、撮影した写真を整理し、記事本文を書き進めた。


「ここまでで大体書けました」


「早いね」


「終電のところだけ空けてあります」


 そこに。


 普通の最終列車の様子を書くことになるのか。


 それとも。


 別のものを書くことになるのか。


「……普通であってほしいなぁ」


     ◇


 終電までの時間。


 二人は駅の近くにある店で夕食を取った。


 最後の食事。


 そんな言い方をすると縁起が悪い。


 だから金目は考えないことにした。


「もう一回だけ確認しましょう」


 食事を終えた後、金目はメモを開く。


「怪異に入るまでは本名使ってもいいと思いますけど、白舟が近づいたら切り替えます」


「かなちゃんと、つるちゃん」


「はい」


「白舟を通過したら?」


「カメラしまう。余計なことしない」


「駅へ着いたら?」


「降りる。駅員を見ない。切符を出さない。名前を言わない。返事しない」


「待合室」


「向かい合って座る。手を握る。掲示物、窓、鏡、反射を見ない。一回目のベルは無視。二回目まで待つ」


「戻り列車」


「時刻表も行先も放送も信用しない。座る。外を見ない。誰が来ても見ない。ベルが鳴っても偽物。白舟と言われても降りない」


「最後」


「完全に朝になってから、最初に開いた扉で降りる」


 千鶴が頷く。


「完璧」


「完璧だったらいいなぁ……」


「怖い?」


「めちゃくちゃ怖いですよ」


 金目は即答した。


「今からでも普通に帰りたいです」


「帰ってもいいよ」


「……」


 そう言われると。


 金目は少しだけ考えた。


 逃げること自体は悪くない。


 本当に無理なら。


 帰っていい。


 それを分かっていて。


「行きます」


 答えた。


「ここまで調べましたし」


 それだけではない。


 今なら。


 一人ではない。


「つるちゃんもいますから」


「うん」


「だから」


 金目は少し笑った。


「二人で帰りましょう」


     ◇


 夜。


 羽白線のホーム。


 昼間とは違い、人の数はかなり減っていた。


 列車を待ちながら、金目はもう一度だけ鞄の中を確認する。


 カメラ。


 スマートフォン。


 時計。


 ライト。


 ジップ袋。


 手袋。


 全部ある。


「よし」


 最終列車がホームへ入ってくる。


 普通の列車だった。


 普通の音を立てて。


 普通に扉を開く。


 乗客が乗り。


 降りる。


 車内灯も明るい。


 時刻表にも載っている。


 何もおかしくない。


 金目は扉の前で一度だけ立ち止まった。


「……」


「かなちゃん?」


 千鶴が、もう呼び方を変えていた。


 金目は千鶴を見る。


 それから。


 小さく息を吐いた。


「行きましょう、つるちゃん」


 二人で列車へ乗る。


 扉が閉まった。


 列車は予定通り。


 通常終点──白舟駅へ向かって走り始めた。

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