夕凪学園・最後の同窓会 中編 ──返して──
『……かえして……』
旧校舎三階。
誰も使わなくなった廊下の奥から。
少女の声がした。
『……わたしの……』
擦れるような音。
カリ。
カリ。
まるで。
爪の先で。
同じ場所を。
何度も引っ掻いているような。
金目は両手で口を塞いだまま。
旧資料室の方を見つめていた。
返事をするな。
窓ガラスに映る少女が。
つい先ほど。
強く。
そう言った。
『……かえして……』
「……」
声を出さない。
何を返すの。
そう聞きたい。
だが聞いてはいけない。
水月荘でも。
写真館でも。
こういう時の何気ない一言が何かと自分を繋いでしまうことを。
金目は知っていた。
しばらくして。
声が薄れていく。
『……して……』
カリ。
『……』
カリ。
そして。
止まった。
「……」
まだ。
喋らない。
十秒。
二十秒。
三十秒。
金目は窓ガラスを見る。
少女が小さく頷いた。
『もう大丈夫』
「……っはぁ!」
金目は肺の中に溜めていた空気を一気に吐いた。
「息止めすぎた……!」
『別に息はしてよかったでしょ』
「喋りそうだったんですよ!」
金目は胸を押さえる。
「私、独り言多いから!」
『それは昔から』
「昔からなんですか?」
『うん』
SIDE B。
『かなめ、よくしゃべる。』
「最近ですよ!」
鞄の中から。
写真の少女。
『いま、いっぱいしゃべる。』
「いいことじゃないですか!」
そこで窓の少女が。
少し目を細めた。
『本当に変わったね』
金目の勢いが。
急に止まる。
「……そうですか?」
『うん』
「確かに昔よりは」
少し髪を触る。
「喋れるようにはなりましたけど」
『昔は、私と喋る時でも最初の頃はずっと下向いてた』
「……そんなでした?」
『私が一つ聞いたら、一つ答えるだけ』
「あぁ……」
『しかも声ちっちゃい』
「……」
『何回聞き返したと思ってるの』
「すみません……」
反射的に謝る。
少女が笑った。
『そこは変わってない』
「……」
少しだけ嬉しい。
でも。
その少女の。
名前が分からない。
そこだけが胸に刺さる。
金目はほんの少し。
視線を落とした。
◇
「そういえば」
少しして。
金目はポケットからSIDE Bを取り出した。
「ちゃんと紹介してませんでしたね」
『紹介?』
「はい」
黒いジャケット。
「この子がSIDE B」
表面。
『こんにちは。』
窓の少女が。
珍しそうに見る。
『……レコード?』
「怪異です」
『さらっと言うね』
「もう友達なので」
次に鞄から写真。
「それからこっちが」
『こんにちは。』
写真の少女が。
小さく手を振る。
『写真?』
「怪異です」
『……』
「友達です」
窓の少女が金目を見る。
『かなめ』
「はい」
『友達できたんだ』
「できましたよ」
少し胸を張る。
「二人も」
『……』
少女の視線が。
SIDE B。
写真。
そして。
金目へ。
『二人とも、人じゃないけど』
「……」
金目は遠い目をした。
「人間の友達はまだゼロみたいですけど」
笑う。
「もうあまり気にしないことにしました」
『そんな悲しいことを笑顔で言わないで』
「でも」
金目は。
SIDE Bと。
写真を見る。
それから。
窓の少女へ。
「一人ではじゃないですから」
今度は。
少し自然に。
笑った。
「寂しくはないですよ」
『……』
「今ここには」
指を折る。
「私の友達が三人全員揃ってくださってますし」
少女はしばらく。
何も言わなかった。
そして。
『そっか』
優しく。
笑う。
『じゃあ、ちゃんと増えたんだね』
「何が?」
『かなめの居場所』
「……」
金目は一瞬。
言葉を失った。
「……心配ばっかり」
小さく頭を下げる。
「おかけしました」
『ほんとだよ』
即答。
「早い!」
『髪もちゃんとしない。服は皺だらけ。知らない男に呼ばれたらついていこうとする』
「あれは!」
金目は。
慌てて反論した。
「校舎裏に来てって言われたから!」
『うん』
「でもちゃんと止められたから行きませんでした!」
『……そうね』
「でもなんで止めたのかちゃんとわかってますよ!」
『え?』
「校舎裏なんて危ないから行っちゃダメだったんですよね!」
少女。
『……』
妙な顔。
金目は首を傾げる。
「何です?」
『……今でも分かってないんだ』
「何が?」
『もういい』
「え?」
『あの子、たぶん告白しようとしてたんだよ』
「……」
空気が止まった。
「……告白?」
『たぶん』
「私に?」
『他に誰がいるの』
「……」
金目は口元へ手を当てた。
「いやいやいや」
笑う。
「仮に告白だったとしても」
手をひらひら。
「私のどこを好きになる要素があるんですか~」
『……』
「……」
自分で言った。
そして数秒後。
金目の笑顔が。
ゆっくり消える。
「……自分で言ってて悲しくなってきた」
『かなめ……』
写真の少女。
『かなめ、かわいいよ。』
「ありがとう……」
SIDE B。
『顔はいい。』
「君それ昔のあの子みたいなこと言いますね」
窓の少女。
『私は顔だけなんて言ってない』
「言いましたよ!」
『顔“は”いいって言った』
「もっと悪い!」
少しの間。
旧校舎に。
笑い声が響いた。
あの。
旧資料室からの。
声が嘘だったように。
◇
だが忘れたわけではない。
「……あの子」
金目は旧資料室を見る。
「何を返してほしいんでしょうね」
少女の笑みが消える。
『分からない』
「昔から?」
『うん』
「あなたも調べたことある?」
『少しだけ』
「分かったことは?」
『あんまり』
少女は窓の中。
旧資料室の方を見る。
『返事をした人がいた』
「さっき言ってた人?」
『うん』
最初は声が聞こえるだけだった。
しかし。
一度。
『何を?』
と返してしまった。
その日から。
鏡。
窓。
夢。
様々な場所で。
『返して』
と。
呼ばれるようになった。
『その子、最初は笑ってた』
「笑ってた?」
『変な夢を見るって』
怪談みたい。
面白い。
そう言っていた。
でも数日後。
笑わなくなった。
『何か忘れた気がするって』
「何を?」
『本人も分からない』
そして学校を。
休み始めた。
数日。
一週間。
教師が家へ連絡。
家族も。
行方を知らない。
やがて。
完全に。
消えた。
「……」
『探したよ』
「あなたが?」
『うん』
少女は少しだけ。
俯く。
『でも見つからなかった』
「……」
『だから、かなめが旧資料室へ行こうとした時も止めた』
「私?」
『何回かね』
記憶。
薄暗い放課後。
扉。
旧資料室。
『そこは開けなくていい』
「……言われた」
『でしょ』
「私」
その頃は。
なぜ。
言われたのかも。
聞かなかった。
「……よく守ってもらってたんですね」
『今さら?』
「今さらです」
金目は少し笑った。
「じゃあ今度は」
資料室を見る。
「私がちゃんと調べます」
『開けるの?』
「いきなりは開けません」
即答。
「安全に調べられるものから調べます」
私はフリーライター。
調べることならできる。
「資料室なんだから」
金目は人差し指を立てた。
「資料があるはずです」
◇
一度。
立入禁止区域を出た。
今度は。
ロープをくぐる時。
前よりさらに罪悪感があった。
「……ごめんなさい」
『誰に謝ってるの』
「学校に」
『聞こえてないよ』
「気持ちの問題です」
そして。
公開資料展示。
図書室。
閉校に伴い。
学校史。
古い新聞。
旧校舎資料。
過去の行事記録。
一部の古い事務記録まで。
閲覧できるようになっていた。
金目は机へ資料を積んでいく。
「よし」
『いっぱい。』
写真の少女。
「こういうのは」
金目は髪をかき上げ、気合を入れる。
「一個ずつちゃんとやっていくんですよ」
◇
最初に見つかったのは。
十数年前の学校新聞。
『在校生一名、長期欠席』
名前。
その部分だけ。
印刷が妙に薄い。
「……」
別年度。
転出者一覧。
一名。
空欄。
備考。
『本人確認不能のため返却物を一時保管』
「返却物……」
金目の目が止まる。
さらに古い事務索引。
『欠番資料』
「欠」
自分の卒業写真にあった。
あの印。
欠席ではない。
「……これ」
辞書のように厚い。
古い管理規定。
ページを探す。
そして。
見つける。
『欠――資料記録上、在籍・撮影・保管の照合が不能となった場合に付す内部管理印』
「……照合不能」
写真に写っているのに。
記録と照合できない。
「だから私の写真にも?」
高校時代。
友達が横にいた。
それが記録から。
消えた。
その結果。
写真そのものが。
正常な卒業写真として。
扱えなくなった。
「……」
さらに失踪した生徒。
事務メモ。
『返却希望あり』
『本人の物と思われる生徒手帳』
『本人確認が取れないため返却保留』
「生徒手帳」
金目はメモする。
その次。
『代理返却申し出あり』
誰が。
と。
目を凝らす。
『本人から頼まれたとのこと』
代理返却を申し出た。
別の生徒。
しかし。
『本人へ連絡確認できず。返却せず』
その数日後。
代理返却を申し出た生徒も。
長期欠席。
「……」
金目の指が止まる。
「一人じゃない」
SIDE B。
『増えた?』
「多分」
金目は眉を寄せた。
「『返して』って言ってる子が」
一人を消して。
その次をまた消した。
そう見える。
でも。
「……違う気がする」
『どうして?』
「返してほしい人が」
机を指先で軽く叩く。
「返してくれようとした人まで消すかな」
写真の少女。
『事故?』
「可能性はあります」
でも。
もっと。
何かがいる。
◇
資料。
次。
次。
次。
時間が過ぎていく。
目が疲れてくる。
「……ない」
失踪直前。
数日間。
記録。
ない。
「ここまで来て……」
机に額をつけそうになる。
その時。
積み上げた資料の隙間から。
一枚の小さな紙。
「ん?」
古い。
職員用。
申し送りメモ。
『三階西側の生徒について』
金目はすぐ身体を起こした。
『本人、最近「誰かに名前を聞かれる」と発言』
『鏡や窓を頻繁に確認』
『「返してくれると言われた」との発言あり』
『何を返してもらうのか尋ねたが回答せず』
そして。
『昨日より、自分の名前を呼ばれても反応が鈍い』
「……名前」
別。
数日後。
『出席簿氏名欄に書き損じ。再記入』
次。
『写真部保管・行事写真の氏名付箋が剥離。再貼付』
次。
『担任、一時的に本人氏名を失念。疲労によるものと判断』
失踪前日。
『本人「最近、名前を呼ばれると少し遠く感じる」』
「……」
金目の胸。
冷える。
友達。
さっき。
名乗ろうとして。
名前だけが。
雑音になった。
「同じ」
金目は呟いた。
「名前から消えてる」
◇
さらに古い。
旧校舎管理職員の記録。
手書き。
乱れた字。
『貸すと言われても受け取るな』
金目が止まる。
次。
『返すと言われても応じるな』
『何を借りたか尋ねるな』
『何を返すのか尋ねるな』
そして。
下線。
『あれが欲しいのは品物ではない』
『“借りた者”を作ることだ』
「……」
金目は紙から手を離した。
「第三者」
『三人目?』
SIDE B。
「うん」
“返して”と。
言っている少女。
それとは。
別。
『貸してやる』
『返してやる』
そう。
言う。
何か。
「何を貸すんだろ」
自分で言って。
金目は。
口元を塞いだ。
「……今のはここだからいいですよね」
誰もいない。
『たぶん。』
「たぶんって言わないで」
続き。
『名を問われても答えさせないこと』
「……」
『名を預ける』
『名を借りる』
『名を貸す』
『本人が自ら名乗った場合も注意』
金目の表情から僅かな笑いが。
消える。
最後。
『借りられた名は』
『元の持ち主が忘れるより先に』
『周囲から薄れる』
「……だから」
あの子の名前が。
分からない。
本人も。
名乗れない。
自分も。
思い出せない。
写真にも。
写らない。
「借りられた」
金目は低く呟いた。
「名前を」
◇
別の記録。
『旧校舎で「貸す」の声へ応答した生徒』
数日後。
出席簿。
氏名誤記。
本人も。
自分の名前を。
一時。
思い出せなくなった。
職員の例。
『「返す」の声を聞いた後、職員名簿との照合に異常』
ただし。
身分証。
本人所持品は。
正常。
「最初は」
金目は整理する。
「学校側の記録から崩れる」
そのあと。
周囲の記憶。
本人の記憶。
「……」
自分の友達。
彼女の場合。
どこまで。
進んでいる?
名前。
もう誰も。
覚えていないのだろうか。
◇
「生徒手帳」
金目は索引へ戻る。
返して。
返却。
欠番。
旧資料室。
「お願いだから……」
紙。
めくる。
「ここまで来たんだから……」
一冊。
二冊。
関連記録。
見つからない。
さらに。
別索引。
保管移動。
廃棄予定。
保留品。
「……あった」
声。
小さく震えた。
『生徒手帳 一冊』
『本人返却不能』
『旧資料室 欠番箱へ移管』
「残ってる」
まだある。
そして。
別の索引。
ずっと。
古い記録。
一冊。
『氏名判読不能』
『旧校舎西側関連』
『生徒手帳』
「二冊目」
金目は息を呑む。
それが誰の物か。
まだ断定できない。
でも。
心臓が速くなる。
「あの子の」
自分の。
最初の友達。
「……かもしれない」
◇
問題は旧資料室。
立入禁止。
しかも施錠されている。
「……」
金目は学校職員を探した。
いた。
男性職員。
三十代ほど。
閉校資料の整理を。
担当しているらしい。
「あの」
声をかける。
仕事。
仕事だと思え。
取材。
取材の延長。
「すみません。今回、閉校記事の取材で来てる草壁と申します」
「はい」
名刺。
「旧校舎の資料についてちょっとお聞きしたいんですけど」
説明。
昔の管理記録。
欠番資料。
失踪した生徒。
旧資料室。
「中を見せてもらうことって」
「旧資料室ですか?」
職員の顔が渋くなる。
「そこは立入禁止区域なので」
「ですよね」
即答。
「分かってます」
「床も傷んでますし」
「はい」
「それに、中も整理されてなくて」
「ですよねぇ」
金目は。
にこっ。
自分なりの。
最大限。
感じのいい。
笑顔。
「でも」
両手を胸元で。
少し合わせる。
「本当に少しだけ」
声も柔らかく。
「何とかならないですか?」
こういう時こそ。
自分の唯一の取り柄。
顔。
ここで最大限、使わなければ。
そう思い。
全力で活かす。
「撮影とか勝手なことは絶対しませんし」
「……」
「危ない場所にも近づかないですし」
「……」
「資料の確認だけ……!」
職員が。
少し困ったように。
笑った。
「分かりました」
「!」
「ただし」
「はい!」
「鍵だけ貸すのは無理なので」
「……はい」
「私が同行します」
「……」
金目の笑顔が。
僅かに。
固まった。
──予定にないものまでついてきちゃいました。
「ありがとうございます!」
口では完璧。
「助かります!」
でも内心頭を抱えた。
(あなたはいらないんです……)
◇
男性職員。
鍵。
金目。
旧資料室。
ガチャ。
金属音。
長く開かなかった扉。
蝶番。
ぎぃ。
扉をゆっくりと開けていく。
その時。
──カタ。
部屋の中から。
音がした。
「……今何か」
そう言いつつ。
扉を。
男性職員が開けていく。
暗い。
「……」
埃。
古紙。
古い木。
湿気。
閉じ込められていた空気。
「ずいぶん」
職員が電灯を点ける。
「久しぶりに開けますね」
ぱち。
蛍光灯。
一度。
二度。
明滅。
そして。
点灯。
「……」
資料棚。
段ボール。
古い名簿。
机。
壊れた椅子。
壁際。
『欠番』
と書かれた箱。
その前。
床。
何か。
落ちている。
「手帳?」
職員が近づこうとする。
「これがさっき落ちた音だったんですかね」
そうやって拾い上げようと。
した時だった。
『……貸してあげる』
男性職員と。
私の間。
誰もいない。
それなのに。
その声は、男性職員の背中近くから聞こえた。
でも。
男性職員は気づいていない。
金目は手帳から意識を逸らすために。
わざと大きかな声で。
「あの欠番って書かれた箱はなんですか?」
と尋ねた。
男性職員は拾うのをやめてそちらを見る。
「……あぁそれはですね──」
男性職員が話してる間に。
金目は手帳に近づいた。
そして説明が終わる。
そのタイミングで。
「これずいぶん埃が少ないですね。その箱から落ちたんですかね」
しゃがむ。
先に拾う。
触れた瞬間。
「……っ」
冷たい。
真冬の外へ。
長時間置かれた金属。
そんな冷たさ。
『それ』
声。
金目のすぐ横。
『君のじゃないよ』
男でも。
女でもない。
子どもにも。
大人にも。
聞こえる。
『でも』
一拍。
『貸してあげる』
「……」
金目は完全に。
無視した。
「古いですねぇ」
職員へ。
話しかける。
「こういう生徒手帳って、何年くらい前の形式です?」
「ああ、その表紙なら……」
職員が。
答える。
その間。
金目の耳。
別の声。
『……かえして……』
手帳の辺り。
か細い。
少女。
そして。
欠番箱。
『……かして……』
別。
さらに。
男性職員の背後。
『お名前は?』
金目の全身が。
凍った。
三つ。
いる。
一つではない。
『お名前は?』
職員の耳元。
近い。
男が。
「え?」
と振り返りかける。
「あ!」
金目はわざと。
大きな声を出した。
「そういえば!」
「はい?」
「この箱!」
指さす。
「欠番って書いてますけど、さっき資料で見たんですよ!」
職員の意識が。
こちらへ戻る。
「照合できなかった記録に使う印なんですよね?」
「……そう説明しましたよね?」
「……でしたね!」
金目は。
必死に。
笑顔。
「私の卒業写真にもあったんですよ!」
「草壁さんの?」
「はい!」
『お名前は?』
(聞こえない聞こえない!)
「ちなみに!」
被せる。
「欠番箱ってどういうものが入ってるんですか?」
職員。
怪訝。
「……ずいぶん興味ありますね」
「フリーライターですから!」
満面。
「気になることは何でも聞く職業なので!」
嘘ではない。
『お名前は?』
背中。
冷汗。
「……これでも」
頬。
引きつる。
「フリーライターの端くれですから」
◇
職員が欠番箱の中身について。
説明している間。
金目は拾った生徒手帳を見る。
表。
擦れている。
何度も。
何度も。
削ったような。
跡。
『かえして』
その下。
別の文字消そうと。
必死に削った跡。
「……貸……」
表紙の端。
『なまえを』
繋げる。
『なまえを貸――』
「……」
背表紙。
古い革。
隙間。
白いもの。
紙。
金目は。
職員へ。
目だけで確認する。
「これ、紙挟まってますけど、抜いても?」
「破らないようにお願いします」
「はい」
細い。
指先。
少しずつ。
紙を。
引く。
古い。
脆い。
破けないよう。
慎重に。
そして。
一枚。
『名前を貸しちゃだめ』
金目の呼吸。
止まる。
『あのひとは返してくれない』
『返してほしいのは、わたしの――』
そこから。
欠けている。
裏。
『手帳を見つけたら、あの子に――』
欠損。
最後。
『わたしの名前を、思い出して』
「……」
金目はしばらく。
文字を見た。
「なんか」
職員に。
怪しまれないよう。
軽く笑う。
「詐欺の常套手段みたいなこと書いてますね」
「詐欺?」
「『名前貸して』って」
「……確かに」
「ずいぶん悪い人ですねぇ」
その時。
『悪い?』
声。
欠番箱。
「……」
『わたし』
『悪い?』
今の声。
少し違った。
恐ろしさより戸惑い。
子どものような響き。
◇
「欠番箱の中」
金目は職員へ尋ねる。
「少しだけ見てもいいですか?」
「先ほども言いましたが個人情報もあるので」
「ですよね」
「撮影はなし」
「しません」
「氏名をメモするのも、必要がある場合は私に確認を」
「はい」
「私が横で見ます」
「分かりました」
金目。
真顔。
「ちゃんとルールは守ります」
今。
立入禁止区域の。
旧資料室にいる人間の台詞では。
ないような気もする。
◇
箱を開く。
古い。
写真。
手帳。
名札。
返却物。
記録。
一つずつ。
確認。
そして。
先ほど調べた。
失踪者。
該当年代。
一冊。
生徒手帳。
ある。
さらに別年代。
もう一冊。
「……」
金目は二冊を並べた。
一冊。
拾ったもの。
冷たい。
もう一冊。
箱の奥。
触れる。
ほんの少し。
温度。
違う。
SIDE B。
ポケット。
文字。
『ふたつ。』
「……うん」
小さく。
返す。
『こっち』
最初の手帳。
『返して。』
そして。
二冊目。
『知ってる音。』
金目の心臓。
跳ねる。
「知ってる?」
『かなめの近くにいた音。』
「……」
あの子。
窓の少女。
金目の最初の友達。
◇
その時。
『貸してあげる』
欠番箱。
声。
今度ははっきり。
金目へ。
『名前』
「……」
『一つ』
『貸してあげる』
金目は口を閉じる。
『呼べるよ』
『名前があれば』
『誰か来るよ』
それは誘惑だった。
でも金目には妙に。
寂しく聞こえた。
『ひとりじゃなくなる』
金目の眉が。
僅かに動く。
ひとり。
その言葉に弱い。
自覚がある。
SIDE B。
写真の少女。
どちらも。
孤独。
それが始まりだった。
でも同時に危険。
金目は。
男性職員を見る。
「すみません」
「はい?」
「少し」
呼吸。
「確認したいことがあるので」
営業スマイル。
「この二冊、机に置いたままでいいですか?」
「構いませんよ」
「ありがとうございます」
男性職員。
周囲を見る。
「椅子でも持ってきましょうか」
「え?」
「このままだと作業しづらいでしょう」
「あ、じゃあ」
金目は。
少しだけ。
考える。
「お願いします」
「すぐ戻ります」
職員が外へ出る。
扉閉まる。
「……」
金目は笑顔を消した。
「さて」
声のした。
欠番箱へ。
向き直る。
「お話しましょうか」
◇
『返事した』
「しましたね」
『聞こえてる』
「聞こえてます」
『名前』
「貸しません」
即答。
『……』
「名前を借りるのも」
金目は机へ手をつきしゃがむ。
目線を箱の高さへ。
「誰かの名前を借りるのも、やめた方がいいですよ」
『どうして?』
「返してないから」
『返すよ』
「本当に?」
『返す』
「いつ?」
『……』
「どうやって?」
『……』
「返してって言われてるじゃないですか」
『返せない』
「じゃあ」
金目は眉を下げた。
「やっぱり返せてないですよ」
『……』
「あと」
少し声を柔らかくする。
「あなた」
金目は言った。
「誰かに来てほしかったんですか?」
『……』
「名前があれば呼べるって」
『うん』
「誰かの名前を借りて」
『呼ぶ』
「その子を?」
『呼べる』
『名前があるから』
「呼んだら」
『来る』
「……」
金目は少し考える。
「それ」
そして。
「来てくれたんですか?」
『……』
「その子が」
ゆっくり。
「あなたと一緒にいたいと思って」
「自分から」
「来てくれたんですか?」
沈黙。
『名前を呼んだら』
『来た』
「うん」
『返してって言ったら』
『来た』
「うん」
『貸したものがあるから』
『来た』
「それは」
金目は言いにくそうに。
少し口を歪めた。
「友達が来てくれたのとは」
「ちょっと違いますよ」
『……』
「返さないといけない」
「借りたものがある」
「呼ばれたから行かないといけない」
「そう思わせて」
「来させてるだけです」
『……』
声。
消える。
金目は急かさない。
しばらく待つ。
『来てくれたんじゃなかった』
「……うん」
『来させてたんだ』
「そうだと思います」
『悪いこと?』
金目は黙った。
簡単には言えない。
でも。
「……はい」
正直に。
「悪いことです」
『……』
「結構」
少し考え。
「悪徳小利貸しみたいなことしてます」
『こがし?』
「お金貸して返せ返せって言う人」
『お金じゃない』
「名前でやってるからもっと悪質かもしれない」
『……』
「詐欺師」
『さぎし』
「そう」
『わたし、詐欺師?』
「行動だけ見ると」
『……』
「かなり」
金目は少し笑った。
「でも」
そこで。
声を優しくする。
「寂しかったことまで」
「悪いとは言いません」
『……』
「誰かに来てほしかったんでしょう?」
『うん』
「一人が嫌だった?」
『……うん』
小さい声。
「あなた」
金目は尋ねる。
「名前は?」
『ない』
「……ない?」
『呼ばれたことない』
「誰にも?」
『うん』
『わたしを呼ぶ名前、ない』
『だから』
『借りた』
金目の胸が。
僅かに。
痛む。
『名前があったら』
『呼ばれる』
『呼んだら来る』
『だから』
『ひとりじゃない』
「……」
分かるとは。
簡単に。
言いたくなかった。
同じ経験ではない。
でも。
孤独。
友達が欲しい。
その感情だけは。
分かる。
「名前がなくても」
金目は言った。
「友達にはなれますよ」
『……?』
「名前を呼ばなくても」
「返してって言わなくても」
「貸し借りなんてしなくても」
「一緒にいたいって思ってくれる人はいます」
『どうやって?』
「話します」
『話す』
「はい」
「それで」
SIDE B。
取り出す。
「この子みたいに」
『こんにちは。』
写真。
「この子みたいに」
『こんにちは。』
「最初は怖くても」
「ちゃんと話して」
「相手がどうしたいか聞いて」
「自分がどうしたいかも言って」
「それで」
金目は少し笑う。
「お互い一緒にいたいと思えば」
「友達です」
『呼ばなくても?』
「呼ばれても来なくていいです」
『返してって言わなくても?』
「言わなくていいです」
『来なくても?』
「はい」
『……』
「友達って」
金目は少し照れくさそうにいった。
「来てほしいから来させるものじゃなくて」
「来たいから来るものだと思うので」
声は。
長く。
返ってこなかった。
◇
『かなめ』
「はい」
『わたし』
少し震えている。
『名前、もういらない』
「……」
『借りた名前いらない』
「返せます?」
『わからない』
「一緒にやります?」
『……』
「返し方」
金目は手帳を見る。
「探しましょう」
『……かなめ』
「はい」
『友達に』
声が途切れる。
『なってくれる?』
「……」
金目は笑った。
「それなら大丈夫ですよ」
そして一度息を吸う。
「じゃあ友達からのお願いとして」
「少しだけわがまま聞いてもらっていいですか?」
『なに?』
「名前を貸してくれた子たちに」
机。
二冊の生徒手帳。
「その子たち自身の名前を」
「教えてあげたいです」
静寂。
『返してあげて』
「うん」
『名前』
『もういらない』
「うん」
『みんなに返したい』
「はい」
『かなめ』
少し。
明るくなる。
『手伝ってくれる?』
金目は自然に。
笑った。
「もちろんですよ」
そして。
「友達のお願いですから」
その瞬間。
机の上。
二冊の手帳。
一冊。
冬の金属のように。
冷たかった方から。
すっと冷気が消えた。
部屋。
圧迫感。
少し薄れる。
SIDE B。
『減ってる。』
「何が?」
『呼ばれてる名前。』
文字。
次。
『ここに残ってた分。』
『いくつか、もう消えた。』
「全部?」
『ぜんぶじゃない。』
「じゃあ」
金目は手帳を見る。
「一人ずつですね」
◇
「中」
金目は。
声へ。
尋ねた。
「確認してもいいですか?」
『見ていい』
「ありがとうございます」
『でも』
「はい」
『名前を見つけても』
『すぐ呼ばないで』
「……どうして?」
『届くから』
「届く?」
『名前を読むと』
『その人を思い出しやすくなる』
『でも』
『声に出すと』
『本人にも届く』
「……」
『遠くにいる子にも』
『ここに残る子にも』
『誰の名前か分かってから呼んで』
「分かりました」
金目は慎重に。
一冊目。
開く。
氏名欄。
さっきまで。
ほとんど擦れて。
読めなかった文字。
ゆっくり浮かぶ。
「……」
写真。
輪郭。
戻る。
女の子。
知らない顔。
「この子」
窓の少女ではない。
自分の友達とは。
違う。
文字。
完全に。
戻る。
『水瀬 千景』
「……水瀬」
金目は声を止める。
まだ呼ばない。
確認。
失踪年代。
返却希望。
生徒手帳。
記録。
全部。
合う。
「この子だ」
そして。
旧資料室。
奥。
ずっと。
『返して』
と言っていた。
少女。
金目は。
そちらを見る。
「……水瀬千景さん」
声に出す。
空気。
揺れる。
『……ちかげ』
「……」
『わたし』
奥。
薄い。
少女の輪郭。
『水瀬』
『千景……』
初めて人の形。
はっきり見えた。
『……思い出した』
金目は目を細める。
「よかった」
◇
「これ」
金目は生徒手帳を持つ。
「あなたのです」
千景。
手。
伸ばす。
最初。
透ける。
触れない。
もう一度。
そして指先。
手帳へ。
触れる。
受け取る。
その瞬間。
少女の姿。
濃くなる。
制服。
髪。
顔。
「……」
千景は生徒手帳を。
胸へ抱いた。
「返ってきた」
「はい」
「ずっと」
涙。
「返してほしかった」
「……はい」
「私の」
手帳。
「私の名前」
「返りましたよ」
千景。
泣きながら笑った。
◇
だが資料室の扉。
千景が外へ一歩出る。
そこまではできた。
「出られた」
金目は笑顔になる。
「良かった!」
さらに廊下。
二歩。
三歩。
旧資料室から。
離れる。
でも階段近く。
千景の姿が。
薄くなる。
「……」
本人も。
止まった。
「ここから」
「出られない」
金目は考える。
名前。
戻った。
物。
戻った。
旧資料室の拘束。
薄れた。
でも。
学校。
離れられない。
「千景さん」
「はい」
「卒業しました?」
「……」
「転校とか」
「……」
少女の顔が。
曇る。
「分からない」
「最後に」
「学校を辞めたって」
「誰かに言われました?」
「覚えてない」
「卒業証書は?」
「ない」
金目は小さく息を吐く。
「区切り」
「……?」
「学校から」
金目はゆっくり言葉を選ぶ。
「もう離れていいっていう」
「ちゃんとした区切りがないのかもしれない」
千景。
階段の向こうを見る。
「……卒業」
小さく。
「したい」
金目は頷いた。
「じゃあ」
「それも調べましょう」
◇
「次」
二冊目。
金目の手。
少し震える。
これがもしそうなら。
「……」
開く。
氏名欄。
空白。
写真。
黒く。
潰れている。
でも。
先ほどより変化始まる。
文字。
一画。
二画。
少しずつ。
浮かぶ。
金目は呼吸するのも忘れそうになる。
『榊』
「……」
『榊原』
心臓が強く鳴る。
続き。
『千』
「……づる」
あの時かろうじて。
聞こえた。
最後の音。
『榊原 千鶴』
「……」
金目の視界が滲んだ。
「これが」
声が震える。
「あなたの名前なんですね」
窓。
そこに。
少女が待っている。
金目は名前を今度こそ言う。
「……榊原」
一度。
息を吸う。
「千鶴さん」
窓ガラス。
砂嵐が一瞬走る。
しかし今度は消えない。
『はい』
少女が答えた。
その瞬間。
全部戻った。
◇
放課後。
『かなめ』
「はい」
『髪』
「何です?」
『ぼさぼさ』
「朝からこうです」
『だから直しなさいって言ってるの』
◇
『かなめ』
「はい」
『その服』
「何です?」
『もう少し何とかならない?』
「着られればいいかなって」
『よくない』
◇
『校舎裏行っちゃダメ』
「でも呼ばれて」
『ダメ』
「何か用事かも」
『いいから!』
◇
『あんた』
呆れた顔。
『顔だけはいいんだからもっとちゃんと話せたら友達できるようになるよ』
「……それ褒めてます?」
『……半分くらいは』
◇
笑う顔。
怒る顔。
呆れる顔。
心配する顔。
全部。
同じ。
一人の。
少女。
榊原。
千鶴。
「……」
金目は涙を拭った。
「遅くなって」
笑おうとする。
でもうまくいかない。
「ごめんね」
千鶴。
昔と同じ。
少し呆れたような。
でも優しい笑顔。
『ほんとだよ』
「……」
『でも』
『来てくれたからいい』
金目の目から涙がもう一つ落ちた。
『おかえり』
千鶴は言った。
『かなめ』
「……」
金目は少し俯く。
それから。
顔を上げる。
「千鶴もね」
今度はちゃんと名前を呼ぶ。
「おかえり」
「千鶴」
千鶴の目が僅かに揺れる。
『……ただいま』
一拍。
『かなめ』
SIDE B。
『おかえり。』
写真の少女。
『ちづる、おかえり。』
千景も少し笑う。
「おかえりなさい」
千鶴は皆を見回した。
『……ただいま』
◇
少しして金目は千鶴の生徒手帳を見つめる。
「ずっと」
聞く。
「私を待ってたんですか?」
『うん』
「卒業してから」
『うん』
「何年も?」
『うん』
「……どうして」
『言ったでしょ』
千鶴が笑う。
『かなめが』
『最後にもう一回来るかもしれないって』
「……」
『卒業式の日』
『来ようとしてくれたから』
「でも」
金目の声が掠れる。
「来なかった」
『来られなかったでしょ』
「同じです」
『違うよ』
「……」
『私が止めてもらったんだから』
「え?」
『先生に』
千鶴。
『かなめを来させないでって』
「……」
『あの時』
『旧校舎はもう危なかった』
『“返して”も』
『“貸して”も』
『前より強くなってた』
『だから』
『かなめだけは来させたくなかった』
「……」
だから卒業式の日。
教師。
『草壁。そっちはもう行かなくていい』
あの表情。
知っていた。
教師は千鶴を知っていた。
「千鶴」
金目の声が震える。
「あなた」
何を捨てた?
何を失った?
私を守るため。
どこまで。
学校へ残った?
『そんな顔しないで』
「でも」
『かなめが悪いことじゃない』
「……そんなこと言われても責任は」
金目は涙を拭く。
「感じます」
『かなめ』
「私のために」
笑おうとする。
「色々してくれたんでしょう」
少し息を整える。
「でも」
今度は正面。
千鶴を見る。
「それ以上に」
涙。
「そこまで大事にしてくれてたんだって思うと」
笑う。
「嬉しいです」
『……』
「私」
金目は一度言葉を止める。
友達。
違う。
「親友に」
言い直す。
「親友にそこまで思ってもらえてたなら」
泣きながら少し笑う。
「私って結構」
「幸せ者だったんですね」
千鶴の表情が崩れた。
『……かなめ』
「はい」
『私も』
彼女も少し泣きそうに笑う。
『親友だと思ってたよ』
「……」
金目は目元を強く擦った。
「よかった」
◇
そして数秒。
「……」
金目は満足そうに息を吐いた。
「……あ」
止まる。
『どうしたの?』
「……」
口元。
手。
額。
汗。
「男の人」
『え?』
「職員さん」
『……』
「私」
真っ青。
「あの人のこと忘れてた」
『……』
「椅子取りに行った人!」
『まだ戻ってきてないと思う』
「今から走れば間に合いますかね!?」
『たぶん』
「行ってきます!」
感動。
終了。
金目はスカートを片手で押さえ。
猛然と走り出した。
「床!」
『右!』
「はい!」
「危ない板!」
『そこ避けて!』
「はい!」
旧校舎。
廊下。
小走り。
階段。
曲がる。
そして向こう。
椅子を抱えた。
男性職員。
「あ」
「!」
金目は急停止。
髪整える。
服整える。
呼吸。
ぜぇ。
ぜぇ。
営業スマイル。
「あれ」
職員が首を傾げた。
「草壁さん、どこか行ってました?」
「……」
金目。
笑顔。
「すいません」
一拍。
「ちょっとお花を摘みに行ってました」
「ああ」
「……」
「そうだったんですね」
「はい」
普通に通った。
「お待せしました」
「いえいえ!」
金目。
にこにこ。
「全然!」
背中からは大量の冷汗。
◇
その後職員ともう一度旧校舎を確認する。
廊下。
使われていない教室。
さっき。
聞こえた。
カチ。
コト。
音。
「こっちだったと思うんですけど」
「この教室ですかね」
一つ目。
何もない。
二つ目。
扉。
少し開いている。
中。
床。
古い。
木製の額縁。
「あ」
職員が近づく。
「これが落ちたのかもしれませんね」
壁。
額縁が掛かっていた跡。
金目はしゃがむ。
写真。
古い。
旧校舎前。
集合写真。
何十人。
生徒。
教師。
並んでいる。
ただ中央付近。
一人。
「……」
顔がない。
破れてはいない。
写真全体の劣化でもない。
その人物の顔だけ。
何度も。
何度も。
指で擦ったように。
白く。
曇っている。
「何これ……」
しかも周囲。
少し。
間。
その人物だけ。
後から空いた場所へ。
無理に。
入り込んだような。
立ち位置。
足元。
小さな札。
『旧校舎 西側――』
その先が読めない。
「……」
そして額縁の裏。
紙が一枚。
端だけ見えている。
金目は写真をじっと見た。
自分の卒業写真。
『欠』
失われた名前。
借りられた名前。
返ってきた。
水瀬千景。
取り戻した。
榊原千鶴。
そして今。
顔だけを擦り消された。
知らない誰か。
まだ終わっていない。
「……」
金目は額縁へそっと手を伸ばした。
その瞬間。
背後。
誰もいない。
教室の隅から。
『……まだ』
声。
『いるよ』
金目の手が止まった。
千鶴。
すぐ近く。
『かなめ』
SIDE B。
『まだ、名前。』
写真の少女。
『ひとりじゃない。』
金目はゆっくり古い集合写真を見下ろした。
この学校にはまだ帰れていない人がいる。
名前を取り戻せていない人がいる。
そして名前を返し始めたばかりの名もない何かがいる。
閉校まで今日一日。
金目は小さく息を吐いた。
「……分かりました」
誰に。
というわけでもなく呟く。
「最後まで」
額縁の裏。
紙の端へ。
指をかける。
「ちゃんと調べましょう」
隣。
窓ガラス。
今度は名前のある。
親友がそこにいた。
『うん』
榊原千鶴ははっきりと頷いた。




