夕凪学園・最後の同窓会 前編 ──忘れていた友達──
母校がなくなる。
その知らせを聞いたとき。
草壁金目が最初に抱いた感情は、寂しさではなかった。
「……取材、受けて大丈夫かな」
不安だった。
◇
「母校なんでしょう?」
数日前。
仕事を回してくれた先輩ライターは、電話の向こうで何でもないことのように言った。
『私立夕凪学園高等学校。今年度で閉校。最後の同窓会に合わせて一部校舎を開放するから、その取材記事。卒業生のお前ならちょうどいいだろ』
「いや、まあ……母校ではありますけど」
『じゃあ決まり』
「待ってください」
『何だよ』
「私、あんまり学校の思い出ないんですよね」
友達が多かったわけでもない。
部活動に打ち込んだ記憶もない。
学校行事で中心になったこともない。
むしろ当時の金目は。
長い黒髪をろくに整えもせず。
丸眼鏡。
教室ではできるだけ目立たず。
誰かに話しかけられなければ、自分から口を開くこともほとんどなかった。
今の髪を明るいブロンドに染め。
それなりに流行を意識した服を着て。
取材相手と普通に会話し。
初対面の人間へ名刺まで差し出せる自分とは。
随分違う。
『だからいいんだろ』
「何でです?」
『学校大好きでした、青春最高でした、って奴だけが卒業生じゃない』
「……」
『閉校する学校を、そういう奴がどう見るのかってのも記事になる』
「なるほど」
言われてみれば確かにそうだった。
『それに』
「はい」
『お前、写真は上手いし』
「文章は?」
『……』
「文章は?」
『頑張れ』
「……そんなぁ」
電話を切ったあと、金目はしばらく机へ突っ伏していた。
「文章も褒めてよ……」
聞いていたSIDE Bの表面に。
『写真は上手。』
「あなたまで」
さらに鞄の中に入れてあった一枚の写真から。
『かなめ、しゃしんすきだもんね』
「二人して文章に触れないのやめてもらえます?」
最近、自分の周りが少し賑やかになった。
一人は黒いレコードの怪異、SIDE B。
もう一人は古い写真の中にいる少女。
二人とも、人間ではない。
「……友達自体は増えたんですけどね」
『いるでしょ?』
写真の少女が言った。
『がっこうの、ともだち。』
「あ」
その一言で。
金目は、高校時代の一人の少女を思い出した。
「そうだ」
友達が、一人だけいた。
正確には、唯一と言っていいほど、親しかった女の子。
放課後。
よく二人で話していた。
少し口うるさくて。
心配性で。
金目の髪を見ては、
『もうちょっとちゃんとしなさいよ』
服を見ては、
『せめて皺くらい直してきなさい』
と言っていた。
一度知らない男子生徒から、
『放課後、校舎裏に来て』
と声をかけられた時も。
その子は妙に強い調子で止めた。
『行かなくていい』
『え。でも、何か用事があるみたいですし』
『いいから。絶対行かなくていい』
『そう?』
『そう』
当時、なぜそこまで止められたのか分からなかった。
結局、行かなかった。
翌日。
その男子と顔を合わせても、なぜか何も言われなかった。
私が何も言われなかったことにホッとし、伝えると。
友達は、どこか複雑そうな顔をしながら。
『……あなたはそれでいいわ』
と呟いていた。
そして何かの話の流れで。
『あんた、顔だけはいいんだから』
と言われたことも。
今でも妙に覚えている。
「……」
金目は自分の頬へ手を当てた。
「よく考えたら、あれ褒め言葉だったのかな」
『顔だけ。』
SIDE B。
「分かってますよ」
『顔以外は?』
「掘り下げないでください」
でも会いたい。
そう思った。
卒業してから一度も会っていない。
連絡先も交換していなかった。
今思えばどうして電話番号一つ聞かなかったのだろう。
「……あの子、来るかな」
最後の同窓会。
もしかしたら久しぶりに会えるかもしれない。
今の自分を見せたかった。
昔より少しはちゃんと人と喋れるようになった。
髪もちゃんとしている。
「驚くかなぁ」
金目は少しだけ笑った。
◇
そして当日。
鏡の前、金目は真剣な顔をしていた。
ブロンドの髪。
前髪の一房だけを細く三つ編みにし。
先を小さなリボンで留める。
服装も派手すぎず、地味すぎず。
仕事で人前に出ても恥ずかしくないもの。
「……よし」
昨日。
目立たないようにするために。
昔購入したヒゲ付きの伊達眼鏡をかけた。
結果。
SIDE B。
『へん。』
写真の少女。
『ひげ、へん。』
二票。
即座に却下された。
「いい案だと思ったのですが……」
当然。
今日は持ってきていない。
SIDE Bをポケットへ。
写真の少女を鞄へ。
「じゃあ」
玄関。
靴を履く。
「行きますか」
『うん。』
『がっこう。』
「私の母校ですよ」
『かなめの、むかし。』
「そういう言い方されると何か恥ずかしいな」
ドアを閉めた。
◇
私立夕凪学園高等学校。
校門の前に立った瞬間。
「……うわ」
金目は足を止めた。
変わっている。
当然だ。
卒業してから何年も経っている。
校門周辺は整備され。
案内看板も新しくなっている。
それでも。
校舎の形。
グラウンド。
体育館。
少し色褪せた校名板。
ところどころ。
記憶と同じだった。
『私立夕凪学園高等学校 最後の同窓会・校舎開放』
大きな案内板。
その下には。
『長年の感謝を込めて』
と書かれている。
「……本当になくなるんだ」
ようやく少しだけ寂しいと思った。
金目はカメラを取り出した。
校門。
校舎。
案内板。
撮影する。
今日の仕事。
閉校する母校を、最後に記事へ残す。
思い出が少ないなら。
少ないなりに。
見たものを。
聞いたものを。
きちんと書こう。
「よし」
小さく気合を入れて。
校門をくぐった。
◇
「お名前と卒業年度をお願いします」
「草壁金目です」
ここまでは完璧だった。
「卒業年度は?」
「……」
停止。
受付の女性が金目を見る。
「……えっと」
頭の中。
計算。
自分の年齢。
卒業した年。
西暦。
和暦。
何年前。
「……その」
「はい」
「いつでしたっけ」
「……」
「いや」
金目は猛烈に焦った。
「違うんです。卒業してないとかじゃなくて」
「はい」
「ちゃんと卒業してるんですけど」
「はい」
「年度を調べてくるの忘れてて」
「大丈夫ですよ」
「本当に卒業生です」
「分かってます」
受付の女性は笑った。
「生年月日をいただければ照合できますので」
「あ」
助かった。
すぐ答える。
女性が名簿を確認する。
一ページ。
指を滑らせる。
そこで。
ほんの少し指が止まった。
「……」
金目はその間を妙に長く感じた。
やがて。
「はい」
女性が顔を上げる。
「確認できました」
「……ほっ」
本当に声が出た。
入校証を受け取る。
「ありがとうございます」
「同窓会会場は体育館です。校内の一部は展示スペースとして開放されています。ただし旧校舎西側は老朽化が進んでいますので、立入禁止区域には入らないでください」
「はい」
「案内表示に従ってお願いします」
「分かりました」
金目は入校証を首から下げる。
少し歩いて受付から離れる。
「危なかった……」
『卒業年度、忘れてた。』
「普通覚えてるものなんですかね?」
『かなめ、忘れる。』
「否定できない」
◇
体育館。
入口から人の声が溢れていた。
笑い声。
久しぶり、と呼び合う声。
近況報告。
名前。
名前。
名前。
金目は。
入口で立ち止まった。
「……」
知らない人ばかりではない。
たぶん見覚えのある顔もある。
でも。自信がない。
向こうからしても。
今の金目を見て。
高校時代の草壁金目と分かる人間が。
どれくらいいるだろう。
長いぼさぼさの黒髪。
丸眼鏡。
地味な格好。
それが今は。
金髪。
眼鏡なし。
昔とは全然違う。
そして何より。
大人数の輪へ。
自分から入っていく。
「……」
無理。
「先に取材しますか」
すぐ踵を返した。
『入らないの?』
「後で」
『人、いっぱい。』
「だから後で」
『逃げた?』
「戦略的撤退です」
ポケットのSIDE Bへ。
小声で返す。
「仕事を先に終わらせるだけです」
誰に言い訳しているのだろう。
◇
『卒業アルバム・旧校舎資料展示』
案内板。
展示場所は旧視聴覚室だった。
こちらは体育館とは違い。
人もまばら。
「落ち着く……」
思わず声が漏れた。
壁際。
年代ごとの卒業写真。
学校新聞。
部活動誌。
文化祭。
体育祭。
修学旅行。
校舎改築の記録。
閉鎖された旧校舎の写真。
金目はまず仕事用の写真を撮っていく。
何十年分もの卒業アルバム。
積み重なった年月。
夕凪学園がただの建物ではなく。
確かに何千人もの学生が通った場所だったことが分かる。
そして自分の卒業年度。
「……これか」
ページをめくる。
クラス。
見覚えのあるような。
ないような。
顔。
「あ」
自分いた。
金目は一瞬。
笑いそうになった。
「……暗っ」
本当に今と違う。
黒い髪。
丸眼鏡。
前髪も少し長い。
姿勢も。
今より縮こまっている。
『かなめ?』
SIDE B。
「私です」
『ちがう。』
「私ですよ」
写真の少女まで。
『くらい。』
「昔はこうだったんです」
『いまのほうが、かわいい。』
「……」
真正面から言われると。
やはり困る。
「まあ先輩の指導のおかげですね」
話を逸らす。
そのまま写真へ目を戻す。
そして。
「……?」
何となく違和感。
まず視線。
正面を見ていない。
ほんの少し。
右。
誰か。
隣にいる人間でも見るように。
そして口元。
今のようにはっきり笑ってはいない。
けれど僅かに緩んでいる。
高校時代。
写真を撮られることが苦手だった自分にしては。
珍しい。
「……私、この時」
誰を見ていた?
さらに写真右下。
端。
黒い。
細いもの。
「髪?」
誰かの。
長い髪。
ほんの一部だけが。
写り込んでいるように見える。
そして氏名。
『草壁 金目』
その傍ら。
小さく鉛筆か何かで。
『欠』
と記されていた。
「……欠?」
金目の指が止まる。
欠席。
欠番。
欠損。
意味は分からない。
でも卒業写真の自分の名前の横だけに。
『欠』。
「何これ」
じっと写真を見る。
そういえば。
「……卒業写真」
撮った?
撮っている。
写真がある。
だから撮った。
当たり前だ。
なのにその時のことを。
ほとんど覚えていない。
「……」
頭の奥。
何か引っかかる。
卒業式。
体育館。
校長の話。
教室。
担任。
友達。
友達。
そうだ。
卒業式が終わったあと。
私は──。
◇
廊下を歩いていた。
高校時代の自分。
卒業式の日。
周囲には。
泣く生徒。
笑う生徒。
写真を撮る生徒。
家族。
教師。
その中。
金目だけが。
旧校舎へ向かっていた。
理由は。
友達に会うため。
最後にあの子へ。
会いに行こうとしていた。
『草壁』
教師。
声。
『そっちは、もう行かなくていい』
『でも』
自分。
『友達が──』
教師の顔。
知らない顔ではなかった。
困っている。
いや。
違う。
何かを知っている。
そして。
それ以上。
自分に言わせたくないような。
『いいから』
『今日はもう、新校舎側にいなさい』
そこから記憶が飛ぶ。
別の部屋。
カメラ。
椅子。
『こっち見て』
声。
少女。
『大丈夫だから』
知っている。
『すぐ終わるよ』
誰?
教師ではない。
女の子。
ずっと。
聞いていた声。
友達。
「……っ」
金目は現実へ戻った。
卒業アルバム。
自分。
視線。
右下の黒い髪。
「……いた」
あの時友達は。
そこにいた。
少なくとも。
自分はそう思っている。
◇
金目はアルバムをめくった。
速く。
先ほどより。
ずっと速く。
「どこ」
クラス写真。
個人写真。
行事写真。
「……どこ?」
体育祭。
文化祭。
修学旅行。
部活動。
何度も。
見る。
戻る。
別のクラス。
「……」
いない。
「嘘」
友達。
あの子。
顔。
どんな顔だった?
「……」
思い出せない。
「いや」
金目の呼吸が。
少し浅くなる。
「待って」
髪型は?
声は?
性格。
心配性。
少し厳しい。
話した内容。
覚えている。
でも。
名前。
「……」
出てこない。
「名前……」
呼んだことがあるはずなのに。
「何だっけ」
頭の中。
何も。
掴めない。
写真もない。
名前もない。
顔も。
ぼやける。
「……そんな」
金目は旧校舎関係の写真へ移る。
そして妙なことに気づいた。
旧校舎の廊下。
放課後。
数人の生徒。
その間一人分。
空いている。
「……」
別の写真。
階段。
生徒。
また少しだけ。
不自然な空間。
誰もそこに立っていない。
けれど。
見た瞬間。
「ここ」
金目には分かった。
「ここにいた」
あの子。
絶対に。
ここにいた。
次。
窓辺。
また。
空いている。
「ここにも」
胸が痛い。
何年。
会っていない?
卒業から。
何年も。
連絡先すら。
知らない。
それで。
ついには。
顔まで。
名前まで。
「……私」
金目の声が震えた。
「数年会えてないだけで」
目元が熱くなる。
「友達の顔、忘れるとか」
情けない。
本当に。
「私、本当にどうしようもないな……」
ポケット。
カサ。
『かなめ。』
「……何」
『忘れたんじゃないかもしれない。』
SIDE B。
金目は文字を見る。
「どういうこと?」
『変。』
『写真。』
『空いてる。』
鞄の中。
少女。
『かなめが、わすれたんじゃなくて』
少し間。
『いなくなってる。』
「……」
背中が冷えた。
◇
金目は椅子へ座った。
一度落ち着く。
「整理しよう」
独り言。
こういう時。
まず頭の中を。
言葉にする。
「私は高校時代、友達が一人いた」
間違いない。
「その子と話した記憶もある」
何度も。
「なのに、授業中の記憶がない」
──。
「……あれ?」
今自分で言って。
気づいた。
友達。
でも同じクラスだった?
違うクラス?
「何組?」
知らない。
では昼休み。
一緒にご飯を食べた?
「……」
ない。
登校。
会った?
ない。
下校。
「一緒に」
帰った?
「……ない」
一度もない。
記憶にあるのは。
放課後。
旧校舎。
廊下。
教室。
階段。
窓。
そればかり。
「何で?」
卒業式の日だって。
最後に旧校舎へ。
会いに行こうとしていた。
なのに一緒に帰ったことがない。
「……」
昔。
聞いたことがあった気がする。
『そういえば何組にいるんですか?』
自分。
少女。
微妙な間。
『……知らなくていいよ』
『え?』
『それよりさ』
話を逸らされた。
その時は。
何とも思わなかった。
「……変」
今なら分かる。
「全部変じゃん」
高校三年間。
唯一と言っていい友達。
なのに自分は。
その子が。
何年何組だったのかすら。
知らない。
それどころか。
本当にこの学校の生徒だったのかさえ。
確認できない。
写真は一枚もない。
名前も思い出せない。
顔も消えかけている。
でも。
「……いた」
その確信だけは。
消えなかった。
「絶対いた」
金目は立ち上がった。
◇
旧校舎。
廊下。
新校舎より。
明らかに空気が古い。
使われなくなった教室。
色褪せた掲示物。
曇った窓。
床。
靴音。
コツ。
コツ。
歩くたび。
音が響く。
『ここ。』
SIDE B。
「ここ?」
『音。』
『残ってる。』
階段。
踊り場。
金目は手すりを見る。
「……」
覚えている。
何度もここで。
あの子と別れた。
自分は階段を下りる。
あの子はいつも。
上。
三階側へ。
「……ここで毎回別れてた」
なぜ。
一緒に校門まで行かなかった?
考えたことすらなかった。
金目は目を閉じる。
音。
古い建物。
遠い同窓会のざわめき。
風。
窓。
木。
その中。
聞こえた。
──コツ。
金目の目が開く。
自分ではない。
三階。
西側。
──コツ。
ゆっくり。
足音。
「……誰かいる?」
そして女の子。
『……かなめ』
その一言だけ。
「……」
全身に鳥肌が立つ。
怖い。
でも知らない声ではない。
「今の」
ポケットへ。
聞く。
「残った音?」
『違う。』
SIDE B。
『今の、新しい。』
「……」
生きている。
とかそういう意味ではないだろう。
少なくとも。
今。
こちらへ。
声をかけた。
何かがいる。
◇
三階西側。
廊下。
ロープ。
『立入禁止』
『床面劣化のため危険』
受付で言われた場所。
「……」
金目はロープを見る。
奥を見る。
またロープ。
奥。
「……」
非常に困った。
「ダメだよね」
『だめ。』
写真の少女。
「ですよね」
SIDE B。
『危ない。』
「ですよねぇ」
三人。
全会一致。
入ってはいけない。
当たり前。
金目は基本的に。
規則を破るのが苦手だった。
人に怒られるのも。
迷惑をかけるのも。
ものすごく嫌だ。
「でも」
奥。
「……」
『かなめ』
声。
近い。
『無理して来なくていいよ』
金目が目を見開く。
『そこ、危ないから』
「……」
胸の奥。
何かが。
強く。
動いた。
同じ。
昔。
『行かなくていい』
知らない男子に呼び出された時。
『いいから。絶対行かなくていい』
自分より自分の安全を心配していた。
「あの子……?」
金目はロープへ手をかけた。
「……あんまり」
自分に言い聞かせるように。
「ルール破るのとか慣れてないんですけど」
誰に謝っているのか分からない。
「本当にダメなことって分かってるけど」
ロープを少し持ち上げる。
「後で謝るから……!」
くぐった。
直後。
「……っ」
心臓。
速い。
「落ち着いた」
深呼吸。
「落ち着いた」
もう一度。
「……落ち着きました」
『まだ速い。』
「SIDE B」
『心臓。』
「言わなくていいです」
怖いのは怪異だけではない。
職員に見つかるのも普通に怖い。
◇
西側廊下。
使われていない。
人の気配。
なし。
埃。
古い床。
ただ足元。
「……ここ駄目」
一枚。
床板が。
僅かに沈んでいる。
踏めば抜けるかもしれない。
避ける。
少し先。
また浮いている板。
慎重に歩く。
自分の足跡。
埃の上。
一つずつ。
残る。
他には。
「……ない」
誰もここを、歩いた形跡がない。
なのに。
『こっち』
教室から。
声。
「……」
金目は。
扉へ。
手をかける。
開いている。
中。
机。
椅子。
カーテン。
誰も。
いない。
「……どこにいるんですか?」
返事なし。
ゆっくり。
中へ。
目。
耳。
隅。
机の下。
教卓。
廊下。
誰も。
その時。
窓ガラス。
金目自身。
反射。
ブロンドの髪。
その隣。
「……」
少女が立っている。
金目は息を止めた。
ガラスの中。
自分の隣に。
一人。
女の子。
高校生。
制服。
「……」
恐る恐る。
横を見る。
誰もいない。
『そっち見ても』
ガラスの少女。
『いないよ』
「……」
また窓を見る。
いる。
そして。
少女は。
少し笑った。
『前からそうだったでしょ』
金目の目が大きくなる。
『……久しぶり』
一拍。
『かなめ』
「……」
声。
忘れていない。
顔。
さっきまで。
思い出せなかった。
なのに。
目の前にいる。
その姿を見ると。
胸の奥から。
懐かしさだけが。
一気に溢れた。
「……久しぶり」
やっと声が出る。
「ずっと」
喉。
少し詰まる。
「会いたかったんですよ」
少女の笑みが。
僅かに揺れた。
『うん』
「卒業してから」
『うん』
「全然連絡先も分からなくて」
『うん』
「今日も」
少し笑う。
「来てるかなって思ってたんです」
『来てたよ』
「……」
『ずっと』
「え?」
少女は窓の中。
金目を見る。
『ずっと、ここにいた』
教室。
急に寒くなったような。
気がした。
◇
「名前」
金目は聞いた。
「……ごめんなさい」
『何?』
「名前、思い出せなくて」
言うのが辛い。
「本当にごめんなさい」
『かなめのせいじゃないよ』
「でも」
『ここでは』
少女。
『名前、残らないことがあるから』
「……」
『わたしの名前は──』
音。
ノイズ。
ザッ。
少女の口は。
動いている。
なのに。
その部分だけ。
聞こえない。
『──鶴』
「え?」
『ほら』
少女が少し困ったように笑う。
『やっぱり』
「今」
金目は窓へ近づく。
「もう一回」
『──』
ザザッ。
名前だけ消える。
最後の音。
かろうじて。
『……づる』
「……づる?」
『たぶん』
「何で」
『わからない』
少女の顔。
少し曖昧。
見るたび。
記憶と今が。
ずれる。
「あなた」
金目は自分でも。
変なことを聞いていると思いながら。
「……本当に」
一度息を飲む。
「人間じゃないんですね?」
少女は黙った。
否定も。
肯定も。
しない。
その沈黙。
それだけで。
答えに。
近かった。
「……そっか」
金目は。
窓の少女を見る。
普通なら怖い。
昔三年間近く。
友達だと思っていた相手。
それが人間ではないかもしれない。
ずっと学校に残っている。
窓の中にしか姿がない。
「……」
それでも金目が最初に思ったことは。
「じゃあ」
ほんの少し笑う。
「私、人間の友達」
指を折る。
「ゼロじゃん」
『……』
SIDE B。
『……』
写真の少女。
『そこ?』
「そこですよ!」
思わず声が大きくなった。
「私、今まで唯一の人間の友達だと思ってたんですよ!」
窓の少女。
目を丸くする。
そして笑った。
声を出して。
笑った。
『かなめ』
「何です」
『変わったね』
「……」
その言葉に金目は止まる。
『昔なら』
少女。
『こんなに喋らなかった』
「……まあ」
少し照れる。
「いろいろあったので」
『髪も』
「染めました」
『眼鏡』
「やめました」
『服も』
「ちゃんと綺麗に畳んでます」
少し胸を張る。
「フリーライターの先輩に、身だしなみも仕事のうちだって言われたので」
少女は懐かしそうに。
金目を見る。
『やっと、ちゃんとしたんだ』
「第一声それです?」
『だって』
笑う。
『昔、何回言っても直さなかったじゃない』
「……」
覚えている。
『寝癖』
「はい」
『髪』
「はい」
『服』
「はい」
そして。
『あんた、顔だけはいいんだから』
「それ!」
金目は窓を指した。
「それ覚えてる!」
少女がまた笑う。
『そんなに覚えてたの?』
「今の私の自己評価に妙な影響を与えてますよ!」
『何それ』
「私、顔だけはいいらしいので」
『……』
「何ですその顔」
『いや』
少女はとても。
懐かしそうに。
『かなめだなぁって』
「……」
金目の目が少し。
熱くなった。
今やっと思った。
本当に会えた。
◇
「……ずっと」
金目は尋ねた。
「ここにいたんですか?」
『うん』
「卒業してからも?」
『うん』
「どうして」
少女。
窓の外。
校庭。
その向こう。
校門の方を見る。
『かなめが』
「私?」
『最後に、もう一回来るかもしれないって』
「……」
『卒業式の日』
少女の声。
少し寂しくなる。
『来ようとしてくれたでしょ』
「……はい」
『でも』
「先生に止められました」
『知ってる』
「……」
『わたしが』
少女。
『止めてもらったから』
「え?」
金目が顔を上げる。
『あの日』
『こっち、危なかったの』
『床も』
『それだけじゃなくて』
少し表情が曇る。
『だから』
『かなめを来させたくなかった』
「……」
『でも』
その結果。
二人は別れを。
言えなかった。
『かなめ』
少女。
『そのまま卒業して』
『帰っちゃった』
「……」
『だから』
『いつか』
窓の中。
少女の指。
こちらへ。
触れようと。
ガラスへ。
『もう一回来るかもしれないって』
「……何年」
金目の声が。
震える。
「待ってたんですか」
少女は。
答えなかった。
答えなくても。
分かる。
金目が。
卒業してから。
今日まで。
ずっと。
「……ごめんなさい」
『謝らないで』
「でも」
『来てくれたから』
少女は笑った。
『かなめ』
『おかえり』
金目は何も。
言えなくなった。
しばらく。
窓を見つめる。
そして。
少しだけ鼻をすすった。
「……ただいま」
まだ名前は呼べない。
それが悔しかった。
◇
──カリ。
「……」
金目が顔を上げた。
廊下。
奥。
旧資料室。
──カリ。
何か。
擦れる音。
「今の」
少女の表情が変わった。
『かなめ』
「はい」
『返事しないで』
声。
強い。
「え?」
『何が聞こえても』
先ほどまでの。
懐かしい顔ではない。
昔。
金目を危険から。
止めた時の。
顔。
『絶対、返事しないで』
「……」
金目も。
表情を変える。
廊下。
耳を澄ます。
擦れる音。
呼吸。
誰か。
いる。
そして。
『……かえして……』
少女。
知らない。
声。
『……かえして……』
金目の背中に。
冷たい汗。
「……何を?」
ほとんど。
無意識に。
言いかけた。
『ダメ!』
窓の少女。
強い声。
金目は咄嗟に。
両手で口を塞いだ。
お口チャック。
SIDE B。
『返事、だめ。』
写真の少女。
『かなめ、だまって。』
金目は。
何度も。
頷く。
『……かえして……』
廊下の奥。
『……わたしの……』
微かな。
爪。
紙。
何かを。
引っ掻く音。
『……かえして……』
窓の少女は。
旧資料室の方を。
睨んでいた。
「……」
金目は。
口を塞いだまま。
心の中で。
思う。
久しぶりに。
友達へ会いに来ただけだった。
母校の。
最後の記事を。
書くだけだった。
なのに自分の卒業写真には。
『欠』
の文字があり。
唯一の友達は。
人間ではなく。
名前を失って。
何年も。
旧校舎に残っていた。
そして。
そのさらに奥。
旧資料室から。
知らない少女が。
何かを。
返してくれと。
呼び続けている。
金目は目を閉じた。
「……」
それから。
声を出さないよう。
口を塞いだまま。
天井を仰いだ。
心の中で。
盛大に叫ぶ。
──また怪異じゃん。
夕凪学園。
最後の同窓会は。
まだ始まったばかりだった。




