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3/23

笑わない写真

 写真というものは、不思議だ。


 その瞬間には気にも留めなかったものが、何年も経ってから見返すと妙に目につくことがある。


 背景の人影。


 誰かの視線。


 笑っているはずなのに、どこか不自然な口元。


 そして時には。


 ──その時、そこにいなかったはずの誰か。


     ◇


「今回は写真館です」


 依頼メールを読み上げながら、草壁金目は机の上に立てかけた黒いレコードジャケットへ顔を向けた。


 表面にはただ一言。


『SIDE B』


 二週間ほど前。


 取材へ行った中古レコード店で出会い、そのまま友達になって家まで連れて帰ってきた怪異だった。


 ジャケットの裏に白い文字が浮かぶ。


『写真館。』


「はい」


『写真を撮るところ。』


「そうです」


『楽しそう。』


「でしょう?」


 金目は胸を張った。


「今回は大丈夫ですよ」


『何が?』


「普通の取材です」


 しばし沈黙。


『前も言ってたって聞いたけど。』


「……」


『普通の取材。』


「今回は本当に普通です」


『でも前もそう言ってたって聞いた』


「今回は!」


 少し声が大きくなった。


「閉店予定の老舗写真館を取材して、昔撮った写真と今を同じ構図で撮り比べるだけです!」


『怪談じゃない?』


「怪談じゃない!」


 断言した。


「依頼にも怪談なんて一文字も書いてない!」


『前は書いてた?』


「……」


 金目は黙った。


 SIDE Bは正しい。


「と、とにかく行きますよ」


 黒いジャケットを鞄へ入れる。


『かなめ。』


「はい?」


『楽しみ。』


 その言葉に、金目は少し笑った。


「じゃあ今日は、楽しいものいっぱい残しましょうね」


『うん。』


 この時の金目は本気で、普通の仕事だと思っていた。


 東京都内。


 住宅街と昔ながらの商店が入り混じる一角に、その写真館はあった。


『白瀬写真館』


 二階建ての古い建物。


 一階が店舗兼撮影室。


 二階が住居と倉庫になっているらしい。


 ショーウィンドウには、何十年も前のものと思われる結婚写真や七五三、入学式の写真が並んでいた。


 色褪せてはいる。


 けれど、どの写真にも、その時代を生きていた人間の顔が残っている。


「いいなぁ」


 金目はカメラを構えた。


 外観。


 看板。


 ショーウィンドウ。


 何枚か撮影する。


 そのまま入口を開けた。


「こんにちはー」


「はい」


 奥から穏やかな声がした。


 現れたのは、七十代ほどの白髪の男性だった。


「本日取材で伺いました、草壁と申します」


「ああ。お待ちしていました」


 白瀬孝一。


 この写真館の店主である。


 金目は名刺を両手で渡す。


「今日はよろしくお願いします」


「こちらこそ。わざわざこんな古い店まで」


「いえいえ。こういう歴史のあるお店の方が記事にしやすいですから」


 これは本音だった。


 新しい店は綺麗だ。


 だが長く続いた店には、積み重なった話がある。


 文章力に自信のない金目にとって、取材対象そのものが持っている物語は非常にありがたい。


「創業は?」


「父の代からですから、もう六十年以上ですね」


「六十年」


「昔は家族写真が多かったですよ。今はスマートフォンがありますからね」


「そうですよねぇ」


 会話しながら店内を見ていく。


 受付。


 待合。


 額装された写真。


 古いアルバム。


 そして。


 撮影室。


「うわ」


 金目は思わず声を漏らした。


 奥に、大きなカメラが置かれていた。


 黒い蛇腹。


 木製の脚。


 人間一人を丸ごと睨みつけるような大きなレンズ。


「これ、まだ使ってるんですか?」


「いえいえ」


 白瀬は笑った。


「もう完全に引退しています。父の頃から使っていたものですよ」


「すごいなぁ……」


 金目は近寄る。


 古い。


 だが手入れされている。


 金属部には細かな傷があり、蛇腹も色褪せている。


 何百人。


 いや何千人を撮ってきたのだろう。


 鞄の中でカサっと紙の擦れる音がした。


 金目は少しだけ鞄を開ける。


 SIDE Bに白い文字。


『いっぱい、残ってる。』


「そうでしょうね」


 小声で返す。


「何十年も使ってたみたいですし」


『違う。』


「え?」


『あれ。』


『誰かを撮ってる。』


 金目の笑顔が固まった。


『でも、写真じゃない。』


『残してる。』


「……」


 ゆっくり金目は大型カメラを見る。


 白瀬は気づいていない。


「……何を?」


 さらに小声で尋ねる。


『わからない。』


「分からないんだ」


『知らないもの。』


 それはそれでかなり怖い。


 金目は鞄を閉じた。


「よし」


 聞かなかったことにしよう。


「まず普通の取材をしましょう」


 何も起きていない。


 まだ。


     ◇


 今回の記事には、一つ企画があった。


 白瀬写真館が昔撮影した顧客の家族写真を紹介し、許可が取れる相手については、可能なら現在の姿を同じ構図で撮影する。


 人と写真館。


 そして街の時間の流れを見せる記事だ。


「こちらのご家族は?」


 金目が指した。


 古いアルバム。


 四人家族だった。


 父親。


 母親。


 姉。


 弟。


「ああ、相沢さんですね」


 白瀬の表情が和らぐ。


「長い付き合いでした」


「最初から?」


「ご両親が結婚する前からです」


「すご」


 結婚写真。


 赤ん坊を抱いた母親。


 姉の七五三。


 弟が生まれた後の家族写真。


 一冊のアルバムの中で、家族が年を取っていく。


 金目は一枚ずつ眺めた。


 そこで。


「……あれ」


 気づく。


 弟だけ。


 笑っていない。


 最初の数枚。


 幼い頃には、少し口元が緩んでいる写真もある。


 だが成長するにつれて。


 無表情になっていく。


「弟さん、写真苦手だったんですか?」


「ええ。あまり好きではなかったですね」


 白瀬が答える。


「特にこの大きいカメラが苦手で」


「これ?」


 金目は背後の大型カメラを見る。


「怖かったのかな」


「静かな子でしたけど、人嫌いというわけじゃありませんでした。私とも普通に話しましたよ」


「じゃあ、本当に写真だけ?」


「そうですね」


 さらにページをめくる。


 弟は。


 写真を撮るたび。


 少しずつ母を見るようになっていた。


 真正面ではない。


 視線だけ。


 母の方向へ。


「……」


 そして。


 ある時期から。


 弟が消えた。


 写真は三人家族になっている。


 父。


 母。


 姉。


「弟さん、来なくなったんですか?」


 白瀬が少し黙った。


「はい」


「理由って聞いても?」


「……分かりません」


 その言葉に。


 ほんの僅かな間があった。


 金目は追及しなかった。


 さらに写真を見る。


 父は以前より硬い。


 母は逆に妙に笑っている。


 笑いすぎている。


 そして姉。


「……」


 金目の指が止まった。


「白瀬さん」


「はい」


「これ」


 写真右端。


 三人しか写っていない家族写真。


 その端に何かがある。


 肩。


 人の肩のようなもの。


 ごく僅か写真の外から。


 誰かが入り込もうとしているように。


「……これ何です?」


 白瀬が覗く。


「……」


 黙った。


「現像ミスとか?」


「いや……」


 白瀬の声が低くなる。


「私も、昔気になったんですよ」


「昔から?」


「ええ」


 金目は姉の顔を見る。


 姉だけがカメラではなく。


 右端を見ている。


 肩のある方向。


「……見てますよね」


「ええ」


 金目の背中を冷たいものが流れた。


 その時。


 ──カチ。


「……」


 金目が止まる。


 白瀬はアルバムを見ている。


「今」


「はい?」


「音しました?」


「音?」


 金目は後ろを見る。


 大型カメラ。


 誰も触っていない。


「シャッターみたいな」


「……聞こえませんでしたね」


「ですよねー」


 気のせい。


 そう言おうとした。


 鞄の中から。


 カサ。


 SIDE B。


『今、撮った。』


 金目はゆっくり天井を見上げた。


「……知ってた」


「え?」


「いえ」


 金目は目を閉じた。


「何となくこうなる気がしてた」


「草壁さん?」


「普通の仕事だと思った私が悪いんです」


 白瀬には意味が分からない。


 当然だ。


 金目は心の中で叫んでいた。


 三回連続。


 三回連続である。


     ◇


「相沢さんの写真、もう少し詳しく見てもいいですか?」


「もちろんです」


 ここまで来た以上仕方がない。


 少なくとも。


 あの弟に何があったのか。


 写真の端の肩が何なのか。


 大型カメラがなぜ勝手に鳴ったのか。


 調べる必要がある。


 白瀬写真館には顧客ごとのネガが残されていた。


 暗室。


 赤い安全灯。


 薬品の匂い。


 現代のデジタル環境とは違う。


 光を抑えた空間の中へ。


 白瀬が相沢家のネガ箱を持ち込む。


 その瞬間。


 ──カリ。


 金目が顔を上げた。


 ――カリ、カリ。


「……」


「今のは私も聞こえました」


 白瀬が言った。


 壁。


 棚。


 何か硬いものが、内側から引っ掻いている。


 そんな音だった。


「白瀬さん」


「はい」


「その箱、置いてください」


 白瀬が机へ置く。


 手を離す。


 ──……


 止まった。


「……」


 二人で顔を見合わせた。


「持つと鳴る」


「ようですね」


「嫌ですね」


「嫌ですねえ」


 同意してもらえて少し嬉しい。


 いや嬉しがるところではない。


 金目は箱を見る。


「開けます?」


 白瀬が言う。


「ちょっと待ってください」


 金目は即座に止めた。


 以前ならもっと迷っていたかもしれない。


 でも怪異案件三回目。


 何があるか分からない箱を、何の準備もなく開ける気にはならない。


 出口。


 距離。


 位置。


 周囲に危険なものはないか確認する。


「私が開けます」


「いや、でも」


「何か起きても、白瀬さんには一回外へ出てもらいたいので」


「草壁さんは?」


「……」


 金目は青い顔で答えた。


「私も出たいです」


 本音である。


「でもまあ、ここまで来たならちゃんとしてあげないと」


 誰に対して、そう思ったのか。


 自分でもまだ分からなかった。


 弟か。


 写真の中の何かか。


 それとも。


 怖がっていた相沢家の家族か。


 金目は箱を開いた。


 中に並ぶネガ袋。


 日付。


 撮影内容。


 その一つ。


「……再撮影前?」


 茶色い袋。


『再撮影前 使用不可』


 さらに別の筆跡。


『渡さない』


「これ誰が?」


「私じゃありません」


「お父様?」


「父の字でもないです」


「……」


 知らない誰かが暗室で。


 ネガ袋に。


『渡さない』


 と書いた。


 金目は口元を引きつらせた。


「ホラーじゃん」


「……ホラーですね」


 白瀬も否定しなかった。


     ◇


 再撮影前の写真。


 それは後に撮り直された家族写真と。


 ほとんど同じ構図だった。


 父。


 母。


 姉。


 弟。


 ただし弟だけが。


 母を見ている。


 いや。


 見ているだけではない。


 指を伸ばしていた。


 母の背中。


 そこに小さな四角いもの。


「写真?」


 金目が呟く。


 母は何かを背中側に隠している。


「撮影の時、気づきませんでした?」


「覚えていません」


 白瀬は首を振る。


「でも、手の位置は確認するんです。写真を持ったままなら普通は声をかけるはずで」


「隠してた?」


「そうかもしれません」


 白瀬は思い出すように目を細めた。


「この写真を見た時でした」


「何が?」


「お母さんが」


 少し間。


「『あの子が、またこっちを見てる』と」


 金目は弟を見る。


 弟の顔は母を向いている。


「弟くんのこと?」


「当時はそう思いました。でも……」


「でも?」


「その時の顔が」


 白瀬はゆっくり言った。


「息子さんを怖がっているようには見えなかった」


「……」


「何と言えばいいか」


 白瀬は迷う。


「見られたくない相手に見られたような」


「後ろめたい?」


「……近いかもしれません」


 そして母は。


「これは残したくない」


 強く撮り直しを希望した。


 写真は再撮影された。


 だが最初の写真もネガも残っていた。


     ◇


 別のネガを確認する。


 家族写真ではない。


 撮影室の一角。


 偶然撮影されたような不自然なフレーム。


 現像すると。


 手。


 女性の手が一枚の写真を強く握っていた。


「お母さん?」


「おそらく」


 その写真の中には弟がいる。


 一人。


 大型カメラの前。


 そして。


 隣に。


 薄い。


 女の人。


「……」


 人影。


 母と似ている。


 輪郭だけ。


 現像のムラではない。


 明らかに人の形をしている。


 金目は写真を光へかざした。


「何これ……」


 さらに裏側。


 薄い文字。


『返してね』


 金目の心臓が跳ねた。


 その時。


 ──カチ。


 今度は白瀬も聞いた。


 二人同時に大型カメラを見る。


「……鳴りましたね」


「はい」


「フィルム入ってないですよね」


「入っていません」


「……」


 鞄を開く。


 SIDE B。


『今も残した。』


「何を?」


『こっちと。』


 文字が少し遅れる。


『向こうが、触ったところ。』


「向こう?」


『わからない。』


『でも、写真の向こう。』


 金目は大型カメラを見る。


 レンズは真っ黒だ。


 その奥に誰かが立っているような。


 そんな錯覚がした。


     ◇


 金目は一つ試した。


 再撮影前の家族写真を持つ。


 写真の母と、似た姿勢。


 背中側へ写真を隠す。


「白瀬さん、これ撮ってください」


「え?」


「デジカメで」


「何をするんです?」


「同じ構図に近づけたら何か出るかなって」


「危なくありませんか?」


「……」


 金目は少し考える。


「危ないと思います」


「じゃあ──」


「だから白瀬さんは離れて」


「草壁さん」


「大丈夫です」


 大丈夫ではない。


 だが他人を実験台にするよりはいい。


「ヤバかったら写真捨てて私引っ張ってください」


「その説明で安心できませんよ」


「私も安心してないです」


 撮影。


 デジタルカメラ。


 カシャ。


 普通の音。


 画面を見る。


 そして。


「……」


 白瀬が固まった。


「何?」


 金目も覗く。


 自分。


 その肩の横。


 白い顔。


 子ども。


 顔だけすぐそこ。


 金目の肩に頬が触れそうなほど。


「……っ!」


 反射的に背後を見る。


 誰もいない。


 写真を見る。


 いる。


 無表情な少年。


 こちらを見ている。


「近ぁっ!」


 金目は写真から顔を離した。


 心臓が痛い。


「近い近い近い!」


 鞄を開く。


「何これ!?」


『似せたから。』


 SIDE B。


『近づいた。』


「誰に?」


『あの母親。』


『たぶん、探してる。』


 金目は改めて写真を見る。


 少年の表情に悪意はない。


 むしろ何かを訴えている。


 すると再撮影前の現像写真。


 母の手元。


 ほんの僅かに紙の端が浮いていることに気づいた。


「これ……」


 慎重に爪をかける。


 薄い。


 本当に薄い紙片。


 破かないよう。


 ゆっくり剥がす。


 鉛筆。


 子どもの字。


『ぼくのを かえしてね』


 裏。


『おかあさんへ』


「……」


 弟だった。


 何かを返してほしかった。


     ◇


 さらに探す。


『個人・弟』


 ネガ袋。


 その中に一枚。


 弟が小さな写真を手にしているものがあった。


 母の腕がそれへ伸びている。


 現像。


 金目は息を呑んだ。


「笑ってる」


 弟が笑っている。


 今まで見た写真とは。


 まるで違った。


 自然な子どもの笑顔。


 隣には姉。


 姉が弟の肩へ手を置いている。


 弟は姉の服の裾をつまんでいる。


 仲がいい。


 言葉で説明されなくても。


 それだけで分かる。


「この写真……」


 金目が目を細める。


 奥。


 背景。


 母がいる。


 腕を胸元へ強く抱き寄せている。


 警戒するように。


 怖がるように。


「白瀬さん」


「はい」


「弟くんが笑わなくなった時期って」


 日付を確認。


「これの後じゃないですか?」


「……そうですね」


 姉弟二人の写真。


 母。


 取られた写真。


 弟。


 返して。


 金目の頭の中で、線が繋がり始める。


 その時。


「そういえば」


 白瀬が呟いた。


「お母さんがよく喋るようになったのも、その頃だったかもしれません」


「よく喋る?」


「必要以上に」


「どういうこと?」


「撮影中もずっと話すんです。天気とか、買い物とか、本当にどうでもいい話を」


「元々そういう人?」


「いえ」


 むしろ以前は静かな女性だった。


「一度、私が『今日は静かですね』と言ったことがあって」


「はい」


「そしたら」


 白瀬は少し声を落とした。


「『静かにすると、また聞こえるから』って」


「……」


 撮影室が。


 急に静かになった。


 金目は大型カメラを見る。


「……静かにしてみます?」


「草壁さん」


「怖いですけど」


 本当に怖い。


 でも聞こえるのなら。


 聞かなければならない。


「少しだけ」


 二人とも口を閉じた。


 エアコン。


 外を走る車。


 遠くの人の声。


 時計。


 秒針。


 それらを少しずつ。


 意識から外す。


 もっと小さな音。


 もっと遠い音。


 そして。


 大型カメラのあたり。


『……ねえ……』


 金目の目が開く。


『……ちゃん……』


 子ども。


 男の子。


『……ねえちゃん……』


 その奥。


 重なる。


 女の声。


『……聞かないで……』


 金目は呼吸を止める。


『返して……』


『……聞かないで……』


「二人」


 金目が呟いた。


「声、二人います」


 弟。


 そして。


 女。


 男の子は姉を呼んでいる。


 女はこちらへ警告している。


『……見ないで……』


 ――カチ。


「ひっ!」


 金目が飛び上がった。


 大型カメラ。


 またシャッターが切れた。


     ◇


 カメラの中から。


 今度は。


『ねえちゃん』


 はっきり聞こえた。


「……」


 金目はレンズを睨んだ。


 怖い。


「白瀬さん」


「はい」


「これ、中開けられます?」


「できますけど」


「開けてもいいですか?」


「……」


 白瀬も不安そうだった。


「壊さないようにします」


 慎重に。


 古い機構を確認。


 無理に力をかけず。


 構造に沿って開く。


 内部。


 暗い。


 埃。


 金属。


 木。


 そして。


「……紙?」


 折り畳まれた紙片。


 明らかにカメラの部品ではない。


 取り出す。


 子どもの字。


『ねえちゃんへ』


『しゃしん かくした』


『おかあさんに とられないように』


『ねえちゃんに もっててほしい』


『ぼくがいなくなっても』


 金目の指が止まる。


 裏。


『おかあさん こわい』


『しゃしんのこと きこえるっていう』


『ぼくには きこえない』


『ねえちゃんは だいじょうぶっていった』


『だから ねえちゃんにかえす』


「……」


 弟には聞こえていなかった。


 写真の声。


 それを聞いていたのは。


 母。


 そして姉。


「ぼくがいなくなっても……」


 金目はそこだけもう一度読んだ。


 弟は自分がいなくなるかもしれないと知っていた。


     ◇


 調査はさらに過去へ進んだ。


 大型カメラの帳簿。


 購入記録。


 修理記録。


 古い地域新聞。


 埃をかぶった書類の中。


 金目は一つの文字へ辿り着く。


『旧・三枝写真館より譲受』


「三枝写真館?」


「昔、この近くにあった写真館です」


 白瀬が言う。


「父と付き合いがあったはずです」


 さらに白瀬の父親の記録。


『シャッター異常なし』


『内部異物なし』


『撮影後、使用していない乾板が一枚増えていたため廃棄』


「……」


 相沢家を撮るよりずっと前。


 すでにカメラはおかしかった。


「弟くんから始まったんじゃない」


 金目は呟く。


 新聞。


『三枝写真館店主の長女、失踪』


 最後に確認されたのは。


 家族写真の撮影中。


 記事の余白。


 誰かの手書き。


『写真だけ残った』


 ぞくり。


 腕に鳥肌。


「……何十年続いてるの、これ」


 相沢家だけではない。


 もっと前。


 三枝写真館。


 そこから。


 ずっと。


     ◇


 暗室のさらに奥。


 ほとんど整理されていない倉庫。


 三枝写真館から引き取られた機材や古い私物も。


 そのまま残っていた。


 木箱。


『三枝』


 金目が埃を払う。


 中。


 薄い木製ケース。


『長女 個人』


 別の筆跡。


『残った写真は戻すな』


 白瀬が手をかけた。


「待って!」


 金目はかなり大きな声で止めた。


 白瀬の手が止まる。


「……すみません」


「いえ」


「でも」


 金目はケースを見る。


「さすがにこれ、そのまま開けるの怖いです」


 まず周囲。


 メモ。


 手紙。


 記録。


 探す。


『娘の写真は一枚ではない』


『残るのは、最後に撮った一枚だけではない』


『見た者の中にも残る』


 次。


『声を聞いても返事をさせるな』


『写真へ話しかけさせるな』


 金目の顔から血の気が引いた。


「返事……」


 水月荘。


 SIDE B。


 どちらも。


 返事には意味があった。


 そして今回も返事。


『……しゃべらないで……』


「っ」


 女の声。


『……きかれるから……』


 金目は口を閉ざす。


『……もどさないで……』


 遠く。


『ねえちゃん……』


 弟。


 二つの声。


 金目は白瀬の腕を引く。


 倉庫を出る。


 撮影室も抜ける。


 店の外近く。


 声が届かないと思える場所まで。


「白瀬さん」


「はい」


「女の子の声、多分」


 金目は息を整える。


「私たちに忠告してます」


「弟さんは?」


「ずっとお姉ちゃん」


 つまり目的が違う。


 女はこちらを見ている。


 弟は姉だけを探している。


     ◇


 二階。


 白瀬の父の手帳。


『三枝氏より機材一式を預かる』


「預かる?」


 譲り受けたのではない。


『娘さんの件以来、三枝氏は写真を処分したがっている』


『しかし、あの一枚だけは処分してはいけないと言う』


『捨てるのではなく、残さなければならない』


『ただし――元の場所へ戻してもいけない』


 ページをめくる。


『また写った』


『今度は知らない子ではない』


『あの娘だ』


 最後。


『三枝氏の娘は、まだ写真の中にいる』


 金目は手帳を閉じた。


「……ん?」


 何か引っかかる。


 三枝写真館。


 長女。


 相沢家。


 母。


 あの写真。


 弟一人の横にいた。


 母に似た薄い女影。


「白瀬さん」


「はい」


「相沢さんのお母さんって、旧姓分かります?」


「旧姓?」


 金目の頭の中で年代を並べる。


 三枝写真館の長女。


 失踪。


 しかし。


 相沢家の母。


 昔写真の声が聞こえていた。


「まさか」


 金目は自分で言って。


 自分で怖くなる。


「三枝写真館の失踪した長女って」


 白瀬を見る。


「相沢家のお母さんじゃないですか?」


     ◇


 未開封のケース。


『長女 個人』


 今度は慎重に開ける。


 若い少女の写真。


「……似てる」


 目元。


 鼻。


 口。


 輪郭。


 相沢家の母の若い頃と。


 非常に似ていた。


 さらに後年の写真。


 同じ女性が、小さなアルバムを持っている。


 表紙。


『ふたり』


 別の写真。


 相沢家の姉。


 まだ幼い。


 彼女も。


 胸にアルバム。


『ふたり』


 そして。


『きこえる写真』


「親子で……」


 同じものに触れていた。


 顧客カード。


 別の束に紛れていた相沢家のもの。


 母の旧姓。


『三枝』


「……当たり」


 嬉しくない推理が当たってしまった。


     ◇


 三枝写真館店主の記録。


『あの子は、写真の声と話すようになった』


『最初は楽しそうだった』


『だが、ある日から、写真の向こうの方が先に名前を呼ぶようになった』


『返事をするなと言った』


『娘は、あの子は悪くないと言った』


『そして、娘は写真から帰ってこなくなった』


 ケースの底。


 一枚の写真。


 裏返し。


 裏には。


『最後』


『返事をした写真』


 金目は見なかった。


 すぐには。


「白瀬さん」


「はい」


「外行ってください」


「草壁さん?」


「なるべく遠く」


「でも」


「声が届かないところまで」


 金目の声はいつもより真剣だった。


「もし何か起きても、返事しないでください」


 白瀬がしばらく金目を見た。


 やがて。


 頷く。


「分かりました」


 一人。


 撮影室。


 鞄には。


 SIDE B。


 それだけ。


 金目は写真を持つ。


「……怖」


 声に出た。


 裏には。


『返事をした写真』


「めっちゃ怖いんですけど」


 鞄を撫でる。


 SIDE B。


『いるよ。』


「ありがとう」


 深呼吸。


 表へ。


 返す。


 写真。


 一人の少女。


 三枝長女。


 そしてその傍ら。


 薄い。


 別の少女。


 三枝長女はその少女を見て。


 笑っている。


 自然に。


 楽しそうに。


 写真の下。


『この子が、最初に返事をした』


 その瞬間。


『……かなめ』


 金目の全身が固まった。


 聞こえた。


 はっきり。


 自分の名前。


 少女の声。


『かなめ』


 返事をしない。


 息を殺す。


『きこえてる?』


 聞こえた素振りすら見せない。


『かなめ』


 写真を見る。


 少女。


 さっきと顔の向きが違う。


 こちらを見ている。


『どうして、返事しないの』


 金目の指が震えた。


『みんな』


 一拍。


『さいしょは、してくれたのに』


「……」


『ひとりは』


 声が少し。


 寂しそうになる。


『いや』


 金目は目を閉じた。


「……それは」


 弱い。


 その言葉は。


 ものすごく弱い。


 自分だって一人は嫌だった。


 SIDE Bを鞄の上から撫でる。


 ひたすら撫でる。


 何度も。


『かなめ。』


「……」


 撫でる。


 撫でまくる。


 カサ。


 鞄の中。


 文字。


『わかる。』


『でも返事はしないで。』


「……」


『寂しいことと。』


『安全なことは、別。』


 金目はSIDE Bをさらに撫でた。


「めっちゃまともになったね君……」


『かなめ。』


「……怖い」


『うん。』


「でも」


 写真を見る。


「このまま無視するのも、なんか違う気がする」


『うん。』


「何て返せばいいか分かんない」


 少しして文字。


『わからないなら。』


『わからないって言えばいい。』


 次。


『優しくすることと。』


『言うことを聞くことは違う。』


『返事をするなら。』


『約束しないで。』


『名前を渡さないで。』


『一緒に行くとも言わないで。』


 金目はしばらくそれを見つめた。


「……ありがとう」


『うん。』


 写真へ。


 顔を向ける。


「……無視して、ごめんね」


 空気が変わった。


『……きこえてた?』


「聞こえてたよ」


『じゃあ、なんで』


「他の人がいたから」


 正直に言う。


「簡単に返事しちゃ駄目だと思ったんです」


『わたしが、こわかった?』


「……」


 金目は少し迷って。


「怖かった」


 少女は怒らなかった。


『そっか。』


 ただ寂しそうだった。


     ◇


「この子もね」


 金目はSIDE Bをテーブルへ出した。


「最初は結構怖かったんですよ」


『結構?』


「だいぶ」


『かなめ。』


「今は友達です」


 写真の少女が。


 SIDE Bを見る。


『それ、しゃべるんだ』


「喋ります」


『へんなひと』


「なんで私?」


『こわいのと、ともだち。』


「君も結構怖いですよ」


『そう?』


「そうです」


 ほんの少し恐怖が薄れた。


 消えたわけではない。


 写真の中から自分の名前を呼んでくる少女。


 普通に怖い。


「あなた」


 金目は尋ねる。


「何がしたかったんですか?」


『おはなし。』


「お話?」


『したかった。』


『さいしょは、それだけ。』


 少女の声。


『しゃしんのなか。』


『ずっと、ひとりだったから。』


 写真を見た人。


 声を聞いた人。


 返事をする。


 会話する。


 何度も。


 何度も。


 話しているうちに写真の向こうが。


 現実より本物のようになる。


『こっちに、いたいっていう。』


「あなたが連れていく?」


『ちがう。』


 少女は否定した。


『わたし、こいっていわない。』


『でも』


『ずっとはなしてると』


『こっちが、ほんものみたいになる。』


 そして相手自身がこちらへ来たいと思う。


「戻れる?」


『もどれたひと、いる。』


 条件。


 現実を覚えていること。


 現実に大切な人がいること。


 その人から呼ばれること。


 そして本人自身が。


『そのひとのところに、かえりたいって、おもう。』


「……」


 金目は相沢家の弟を思い出した。


「弟くん」


『いるよ。』


「呼べる?」


『うん。』


     ◇


『……ねえちゃん』


 声。


 少年。


『ねえちゃん』


「相沢さんのところの弟くん?」


 沈黙。


『……だれ?』


 初めて姉以外の言葉へ反応した。


「初めまして」


 金目は少しだけ声を柔らかくした。


「フリーライターの草壁金目って言います。よろしくね」


『ねえちゃん、しらない?』


「知ってるかもしれない」


『ねえちゃんにかえしたいの』


「何を?」


『しゃしん』


『ぼく、ちゃんと、かくしたから』


「どこに?」


『おかあさんに、とられないように』


 姉弟二人の写真。


 姉が大事だと言った。


 だから隠した。


 母に取られないように。


 でも姉へ返す前に。


 弟自身が写真の向こうへ来てしまった。


「弟君が」


 金目は言った。


「協力してくれるなら」


『?』


「私がお姉ちゃんに返してあげられるかもしれない」


 少年の声が止まる。


「一緒に返しに行こう」


『ねえちゃんのところ?』


「はい」


『いく』


 写真の少女。


『……帰れるなら、いったほうがいい。』


     ◇


 隠した場所。


『しゃしんかん』


『おくの、くらいところ』


『ねえちゃんが、みつけたところのちかく』


『おおきいカメラの、うしろ』


『はこじゃない』


『かべの、すきま』


 大型カメラ。


 後方。


 床と壁板の境。


「……あった」


 不自然な隙間。


 紙の端。


 ゆっくり引く。


 封筒。


『ねえちゃんへ』


 中。


 写真。


 姉。


 弟。


 二人。


 笑っている。


 あの写真だった。


 実物。


 裏。


『だいじにしてね』


『おとうとへ ねえちゃんより』


『……あった』


 弟の声。


 その声が初めて。


 少し嬉しそうに聞こえた。


     ◇


 相沢家へ連絡する。


 固定電話。


「……」


 金目は番号を入力する。


 緊張。


 呼び出し音。


『はい、相沢です』


「あ、突然のお電話失礼いたします。私、フリーライターをしております草壁と申します」


 仕事モード。


 白瀬写真館を取材していること。


 昔の写真館の話。


 長年利用していた客へも話を聞きたいこと。


 丁寧に説明。


『ええ。白瀬さんのところなら』


 面会。


 了承。


「ありがとうございます。それでは――」


 電話を切る。


「……ふぅ」


 スマートフォンを下ろす。


 そして小さく拳を握る。


「仕事の電話だけは慣れたな、私」


 もう一度。


「成長してる、私」


『えらい。』


「でしょう?」


 SIDE Bに褒められた。


「白瀬さん」


「はい」


「私一人で行ってきます」


「一人で?」


「何かあったら危ないので」


 名刺を渡す。


「こちらでもし何かあったらここへ連絡してください」


「草壁さん」


「大丈夫」


 少し間。


「……ではないですけど」


 笑う。


「行ってきます」


     ◇


 相沢家。


 現在の姉は六十代ほどの女性になっていた。


「急にすみません!」


 玄関。


 金目は何度も頭を下げた。


「本当に急にご連絡してしまって!」


「いえいえ」


「お時間取らせてすみません!」


「そんなに謝らなくても」


「あ、はい、すみません!」


「また謝ってる」


「……すみません」


 自分でも止まらない。


 居間。


 お茶。


 最初は本当に取材をした。


 白瀬写真館との付き合い。


 七五三。


 家族写真。


 昔の店。


 白瀬の父親。


 家族で写真を撮る日。


 話を聞く。


 弟の話になる。


 女性の視線が落ちた。


「弟は」


 少し間。


「写真が好きじゃなかったんです」


「白瀬さんもそう言ってました」


「特にあの大きいカメラ」


「……」


「でも」


 女性は少し笑った。


「私と二人で撮った時だけは、珍しく笑ったんです」


 金目の胸が少し締まる。


「その写真」


「なくなったんです」


 弟がどこかへ隠した。


 家中探した。


 でも見つからなかった。


「……」


 金目はポケットへ手を入れた。


「ここからは」


 声が少し硬くなる。


「仕事とは関係ない話です」


 女性を見る。


「そのお写真って」


 写真を取り出す。


「もしかしたら……こちらのお写真ですか?」


 女性が固まった。


 本当に。


 動かなくなった。


「……」


 写真を見る。


 金目を見る。


「どうして」


 声が震えた。


「どうしてあなたが、それを持ってるんですか」


「……」


 金目は頭を下げる。


「弟くんと約束しましたから」


 女性の目が大きくなる。


「お姉ちゃんに返してほしいって」


「弟……?」


「はい」


 隠さない。


 取材そのものは嘘ではない。


 だが怪異について言わず。


 取材という形で家へ入った。


「騙すような真似をして申し訳ありません」


 深く頭を下げる。


 女性は怒らなかった。


 代わりに。


「弟は」


 聞いた。


「今、どうしてるんですか?」


     ◇


 必要なことだけ説明した。


 写真の向こう側。


 弟。


 ずっと姉を探している。


 戻れる可能性。


 姉本人の声。


 そして二人の写真。


「信じますか?」


 金目は尋ねた。


「……」


 女性は写真を両手で持った。


「信じたいです」


 金目は。


『返事をした写真』


 を取り出した。


 そこに。


 弟を呼んでもらう。


「名前を」


「……」


 女性の唇が震える。


 そして。


 弟の名前を呼ぶ。


 一度。


 写真。


 奥。


 少年。


 薄い。


 姿。


『……ねえちゃん?』


 女性が息を呑んだ。


 それは。


 今までの。


『ねえちゃん』


 ではない。


 探している声ではない。


 見つけた。


 声。


「……うん」


 女性の目から涙が落ちる。


「私だよ」


『ねえちゃん』


「帰っておいで」


 少年が。


 写真の中。


 一歩。


 前へ。


『かえりたい』


 金目の横。


 少女の声。


『いけるよ』


「もう一回」


 金目は女性へ。


 優しく言う。


「帰っておいでって、呼んであげてください」


「帰っておいで」


 少年。


 近づく。


「帰っておいで」


 写真の中で。


 輪郭が薄くなる。


「帰っておいで」


 女性が泣きながら。


 何度も。


 何度も。


 弟を呼ぶ。


「帰っておいで」


 そして。


 一瞬。


 写真の前。


 少年が立っていた。


 幼い姿のまま。


 姉を。


 見上げる。


 今まで。


 家族写真では。


 一度も。


 笑わなかった少年が。


 笑った。


「ただいま」


 消える。


 女性の手の中。


 姉弟写真が。


 ほんのり。


 温かくなった。


「……」


 金目は何も言わなかった。


 女性が泣いている。


 だから。


 ただ。


 そばにいた。


 ハンカチだけ。


 差し出して。


     ◇


「ありがとうございます」


 しばらくして。


 女性が言った。


「いえ」


「草壁さん」


「はい」


「あなた」


 泣いた後の顔で少し笑った。


「すごく優しい方なんですね」


「……」


 金目は完全に止まった。


「……え」


「どうしたんです?」


「あ、いや」


 真正面から褒められる。


 苦手だ。


「……はは」


 乾いた笑いしか出ない。


 SIDE B。


『かなめ、照れてる。』


「黙っててください」


 小声。


     ◇


「お母様のこと」


 金目はさらに尋ねた。


 仕事ではない。


 個人的な質問として。


 母親。


 元々厳しい人ではなかった。


 心配性だった。


 写真を見つけてから。


 変わった。


「母も」


 女性が言った。


「昔、あの子と話してたんです」


 写真の少女。


 三枝写真館。


 母自身。


 三枝家の長女。


 幼い頃。


 写真の少女と友達になった。


 寂しい時。


 話した。


 楽しかった。


 しかしある日。


 写真側から。


 名前を呼ばれるようになった。


 怖くなった。


 父へ相談した。


 写真はしまわれた。


『二度と返事をするな』


 そう言われた。


 後に。


 娘。


 つまり。


 今目の前にいる姉が。


 白瀬写真館の奥で。


 その写真を見つけた。


 そして同じように。


 返事をした。


「私も」


 女性は言った。


「友達だと思ってました」


 母は写真を取り上げた。


 怒っていたのではない。


 怖かった。


 自分と同じことになるのが。


 怖かった。


 だが。


 すでに。


 遅かった。


 一度深く繋がると。


 写真がなくても。


 声が聞こえる。


 少女だけではない。


 写真の向こう側にいる。


 他の人間たち。


 泣く声。


 帰りたい声。


 同じ言葉を。


 何度も繰り返す声。


 沈黙すると。


 それが。


 聞こえる。


 だから母は喋り続けた。


 ラジオをつけた。


 音のない時間を。


 恐れた。


「……」


 父はそれを知って。


 見ない。


 話さない。


 関わらない。


 すべてを。


 無視することで。


 終わらせようとした。


 家族の誰も。


 悪かったわけではない。


 怖かった。


 ただ怖かったのだ。


     ◇


『おぼえててくれた』


 少女の声。


 嬉しそう。


 金目は女性を見る。


「今でも」


 慎重に尋ねる。


「あの子のこと、怖いですか?」


「……分かりません」


 長い沈黙。


「昔は友達でした」


 母。


 弟。


 起きたこと。


「その後、怖いものだったと思うようにしたんです」


 そうしないと納得できなかった。


「でも」


 女性は写真を見る。


「今日のことを見ると」


 少しだけ声が柔らかくなる。


「あの子自身が悪かったわけじゃないのかもしれない」


 少女。


『おぼえててくれた』


 もう一度。


「……今でも話したいと思いますか?」


 金目は踏み込んだ。


 女性が少し笑う。


「怖いです」


 正直に。


「でも」


「はい」


「一度くらい」


 写真を見る。


「ちゃんと話したいです」


 少女。


『わたしも』


 少し間。


『でも』


『こわがらせたくない』


 そして。


『かなめ』


「はい」


『いっしょにいてくれる?』


 金目は笑った。


「もちろん」


     ◇


『ごめんね』


 少女。


『たくさん』


『こわがらせたから』


 女性。


「あなた一人のせいじゃないよ」


 写真。


「私もあなたと話すのが楽しかった」


『ともだちでいてくれて』


『ありがとう』


「こちらこそ」


 女性の目に。


 また涙。


「友達になってくれて、ありがとう」


 そこから会話は。


 怪異と。


 ほとんど関係なくなった。


『がっこうで』


『たいいく』


『よくころんだ』


「三回じゃない」


『よんかい』


「三回よ」


『よんかい』


「最後のは転んだんじゃなくて座ったの」


『ころんだ』


「違います」


 金目は黙って聞いていた。


 怖い写真。


 何十年もの怪異。


 失踪。


 帰れなかった人。


 そんなものとは。


 全然関係ない。


 昔のくだらない話。


 それでいい。


 たぶんこういう時間こそ。


 本当はずっと必要だったのだ。


「また」


 女性が最後に尋ねる。


「話してもいい?」


『うん』


 少女。


『でも』


『むりしないで』


 女性は笑った。


「今度はほどほどにする」


     ◇


 相沢家を出る。


 金目は歩きながら。


 写真を見る。


「……」


 SIDE B。


 写真の少女。


「友達」


 ぽつり。


「二人もできた」


 少し嬉しい。


 でも。


「……二人とも人間じゃないけど」


『かなめだから?』


 少女。


『へんなひとだから?』


 SIDE B。


「いや」


 金目は止まった。


「変なのかなぁ……私」


     ◇


 白瀬写真館へ戻る。


「お帰りなさい」


「ただいまです」


 白瀬は金目のいない間一度だけ。


 大型カメラが鳴ったと言った。


 ──カチ。


 それ以外異常はない。


 金目は少女へ。


 小声。


「このカメラ、結局何なんです?」


『つなげてるのは』


『しゃしん』


「写真?」


『カメラは』


『つながったとき』


『のこすだけ』


 誰かが向こうを見る。


 向こうからこちらを見る。


 声を聞く。


 接触。


 観測。


 その瞬間大型カメラは。


 シャッターを切る。


 長い年月。


 怪異を記録し続けた。


『いっぱい』


『おぼえてる』


 少女。


『こわさなくていい』


『でも』


『つかわないほうがいい』


『しまっておいて』


「……」


 金目は大型カメラを見る。


「白瀬さん」


「はい」


「これ」


 少し迷う。


「私が引き取ってもいいですか?」


「これを?」


「使いません」


 きっぱり。


「ちゃんと保管します」


 白瀬は古いカメラを見る。


 父の代から。


 長く。


 そこにあったもの。


「……思い入れはあります」


「はい」


「でも」


 笑った。


「正直、今ここに置いておくのは怖くなりました」


「分かります」


「草壁さんなら」


 少し考え。


「妙な使い方もしなさそうですし」


「絶対しません」


 白瀬が譲ると言った。


「えっと」


 金目は財布を見る。


 古い大型カメラ。


 価値。


 送料。


 梱包。


「……今月どうしよう」


 怪異とは別の意味で。


 顔が青くなった。


「ああ、本体代はいりませんよ」


「え?」


「送料と梱包代くらいで」


「本当に!?」


 金目の表情が一瞬で明るくなる。


「ありがとうございます!」


 ぴょん。


 もう一回。


 ぴょん。


 白瀬が笑った。


     ◇


「それじゃあ」


 取材も。


 一通り終わった。


 金目は撮影室を見る。


 ふと。


「白瀬さん」


「はい?」


「お礼というか」


 少し考える。


「私、顔だけはいいらしいですから」


「……はい?」


「飾る用に何枚か写真ぐらいなら撮ってもらって構わないですよ」


 言いながらポーズ。


 首を少し傾げ。


 片手を頬近くへ。


 本人としては可愛いつもり。


 白瀬が吹き出した。


「え?」


「すみません」


「何です?」


「今のは」


 白瀬が笑いを堪える。


「ちょっと無理して可愛くしようとしている感じが」


「……」


 金目は黙って手を下ろした。


「普通でいいですよ」


「普通?」


「肩の力を抜いて」


 大型カメラではない。


 普通のデジタルカメラ。


「笑ってください」


「急に言われても」


「さっきみたいに」


「さっき?」


「相沢さんの話をしていた時」


「……」


「その顔の方が、草壁さんらしいです」


 金目は少し困って。


 でも笑った。


 ──カシャ。


 普通のシャッター音。


 それだけ。


 何も。


 起こらない。


 声も聞こえない。


 写真の端にも誰もいない。


 白瀬が画面を見る。


「綺麗に撮れてますよ」


「本当です?」


「ええ」


 金目も覗く。


 自然に笑っている。


 自分。


「『顔だけはいい』どころじゃないですよ」


「……」


「ちゃんと写真映えします」


「……」


 また真正面。


 金目は固まった。


「……はは」


 笑うしかなかった。


 鞄。


『また照れてる。』


 写真。


『かなめ、へんなかお。』


「二人とも」


 金目は小声で言った。


「静かにしてください」


 白瀬がもう一枚。


 シャッターを切った。


 ──カシャ。


 今度の写真には少し恥ずかしそうに笑う。


 草壁金目が。


 ちゃんと。


 一人だけ。


 写っていた。


END「写真の向こうから、ただいま」

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