XXXIV 鍵盤楽器《クラヴィコルディオ》
王太子の関心をフィルからそらさないと。
タイミングよく、王太子は目の前の別のもののことが気になったようだった。
その視線の先は、部屋の隅に向けられていて、そして、わたしの身長と同じぐらいの四角形の物が置かれている。
「楽器ですね」
とわたしがつぶやくと、王太子は「えっ」と不思議そうな顔をした。
あれ……。
たしかに変だ。
王太子の視線の先にある、部屋の隅に置かれたもの。
それは楽器だ。
でも……どうしてそれが楽器だとわかったのか、わたしは自分のことなのに不思議だった。
だって、それは赤い布をかけられていて、中身が見えなくなっている。
なのに、わたしはどうしてそれが楽器だとわかったんだろう?
王太子も怪訝そうだったが、やがて納得したようにうなずいた。
「ああ……クレアは布をめくって中を見たんだね」
そうすれば、たしかにあれが楽器だとわかったのかもしれない。
でも、部屋に入ってから、隅に置かれた物体には触れていない。
どうして、わたしはその物体が楽器だとわかったのか。
……答えは一つだ。
きっと前回の人生で見たことがあるから。
でも……いつ、どこで?
重要なことな気がするけど、思い出せない……。
頑張って思い出さないと!
そんなことを考えているうちに、王太子は部屋の隅に行き、楽器にかけられた赤い布をめくった。
それは木で出来た、茶色の四角い箱のようなものだった。
四つの脚が取り付けられていて、箱は床から浮いている。蓋みたいなものが上の方にあって、それが開けられている。
そして、箱の前方には、黒と白の板みたいなものがたくさん並んでいた。
フィルやシアは、珍しそうに、その楽器を眺めていた。
たぶん、初めて見るんだと思う。
でも、わたしは見たことがある。
たしか……。
「これは鍵盤楽器というものでね。この鍵盤を叩くと……」
王太子は「鍵盤」と呼んだ黒と白の板に触れる。
すると、空気が震えるような、不思議な音が鳴った。
驚くわたしたちを見て、王太子は楽しそうに微笑んだ。
「なかなかすごいだろう?」
王太子の表情は、柔らかかった。あどけないと感じるぐらいだ。
考えてみれば、王太子だって、まだ12歳の少年だ。
なのに、今までは大人びて見えていたし、いきなりわたしを監禁したせいで怖くすらあった。
でも……いまの王太子の表情はとても自然だった。
……そうだ。
こんな王太子を見たことがある。
前回の人生で、旅行先で、王家の別荘的な地方の宮殿に立ち寄った。
そのとき、王太子が同じものを見せてくれた。だから、わたしはこの楽器のことを知っているし、布がかけられていても、何だかわかった。
こんなふうに監禁されたりしなくて、穏やかな時間だったと思う。
そう。
前回の人生でも、12歳のころのわたしたちの関係は悪くなかった。
決定的に関係が悪くなったのは、シアが現れてからだけれど。
でも、それ以前にも、何か理由があったとしたら……。
あのとき、王太子は同じように、この楽器を得意げに紹介しようとしていた。
でも、この鍵盤楽器は壊れてしまっていた。
王太子はそのことをとても悲しんでいた。今から思えば、不自然なぐらい大げさに。
わたしはそのとき、なんて言ったっけ?
そうそう。「アルフォンソ様には、こんな楽器の一つぐらい、壊れても、大丈夫ですよ。だって、アルフォンソ様はいつかは国王になる方なんですから」と慰めたと思う。
もしかしたら、あの発言は無神経だったのかもしれない。
王太子は愛おしそうに、鍵盤楽器の木の板を撫でている。理由はわからないけれど、とても……大事なものなんだろう。
あのときは子どものおもちゃだとしか思わなかったけれど、王太子にとっては別の意味があったのかもしれない。
いま、この楽器は壊れていない。別の宮殿ではなく、王都の王宮に移されたからかもしれないけど、前回の人生とは違っている。
なにかが引っかかる。何の意味もなく前回の人生と違う状態になるとも思えないし。
もしかして、ここに破滅を回避するための鍵があるかも……。
そのとき、わたしはフィルに服の袖を軽く引っ張られた。
「……お姉ちゃん。あの楽器で、音楽を演奏すると、綺麗なのかな」
「さあ。わたしも聞いたことがないから……」
前回の人生では、壊れていたし、今も王太子が鍵盤を一つ叩いて、音を一つ出しただけだし。
この楽器にどれだけの価値があるのか、わたしにはわからない。
シアも気になる、という顔でわたしとフィルにうなずいた。
……とりあえず、この楽器が破滅と関係あるかはともかく。
楽器の演奏を聞いてみたい気もする。
とすれば、頼む相手は一人だ。
わたしは微笑みを浮かべた。
「殿下はこの鍵盤楽器というのを演奏できるのですか?」
「ああ。そうだね。なんといっても、私は……」
そこで、王太子は言いよどんだ。
なにか言いづらいことでもあるのかな。
わたしは不思議に思いながら、王太子をまっすぐに見つめた。
「この鍵盤楽器の音楽を聞いてみたいんです。あの……殿下に……演奏してみていただいても良いですか?」
わたしがそう言うと、王太子の青い瞳がぱっと輝き、嬉しそうに顔をほころばせた。
「ああ、もちろん。いいだろう。やってみよう」
王太子は椅子を持ってきて、鍵盤楽器の前に座った。
そして、鍵盤へと、子供らしい小さな手を下ろす。
この些細な好奇心が……わたしと王太子の運命を変えることに、わたしはすぐに気づいた。
王太子の演奏は……控えめに言っても、素晴らしいものだった。
そろそろ王太子視点です。ちなみに鍵盤楽器というのは、チェンバロ(ピアノのの仲間)のことです。
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