筆記試験
誰もがその「異変」に気づかず美しさに酔いしれる中、群衆の末席でそれを見上げていたユイだけが、静かに眉をひそめた。
(あ......あの人、命令型を使ってるんだ。でも構造が崩れてる。このままだと壊乱する......?)
周囲を見渡すが、試験監督すら王子の魔法のスケールに圧倒されているだけだ。
(仕方ない。目の前まで来たら、干渉しよう。ただ――)
「…大きい」
ユイは呟く。喉がゴクリと音を立てた。
今まで命令型魔法を鍛えてきたのはロウソクの火や、小さな水球ばかりだった。あんなに大きな魔法へ干渉したことは1度もない。
失敗すれば、ただでは済まない。けれど――
(あのままじゃ、みんなが危ない)
ユイはそっと息を吐き、指先を立てた。
脳内で、光の術式を記述し直す。
(……違う。全部が壊れてるんじゃない)
ユイの目が光の輪の中心に走る一本の術式へ向いた。
(あそこだ、術式の中核。あれを切れば、命令全体が成立しなくなる)
巨大な光を支えている命令式。その一箇所だけが、不自然なほど膨張している。
(一箇所だけの干渉なら安全に命令が通るはず)
祖父母の地下書庫で、血が滲むほど繰り返した理 (ことわり)の書き換え。
「命令――」
喧騒の中、彼女の小さな呟きを聞き留めた者は誰もいない。
「打ち消し――ッ」
魔力が一気に削られた。
(…重い!)
指先が震える。こんなに大きな魔法を命令型で制御したことなんてない。
(でも、耐えられる…!)
「魔力霧散!」
次の瞬間。
暴走寸前だった光の巨輪が、まるで巻き戻される映像のように一瞬で威力を失った。弾けるはずだった膨大な熱量と光は、受験生たちの目と鼻の先で、光の粉となってふわりと霧散する。
まるで、最初からただの美しい演出であったかのように。
「おおおーっ! すごい! 最後に光が弾けて消える演出だったのか!」 「さすがはフェリクス様! なんて完璧な魔力制御なんだ!」
観客席から割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。 しかし、当のフェリクスだけは、青ざめた顔で自身の震える手を見つめていた。膝がガクガクと砕けそうになるのを、気力だけで押しとどめる。
(ち、違う……僕の演出なんかじゃない……! 術式が崩壊して暴走しかけていたんだ。それを、誰かが外部から割り込んで完全に『打ち消した』……!? 誰だ……一体、誰がやったんだ!?)
フェリクスは混乱と恐怖に満ちた眼差しで、大騒ぎする群衆を見回した。だが、犯人らしい人物などどこにも見当たらない。
試験監督を務める老魔導士もまた、仕込み杖を握りしめたまま絶句していた。
(馬鹿な……。今、確実に命令術式の壊乱が起きようとしていた。最悪の場合、測定場ごと吹き飛んでいたはずだ。それを、ほんの一瞬で……痕跡すら残さず上書き解体しただと……? 会場内に『本物の賢者』でも紛れ込んでいるというのか?)
その時、実技試験場を見下ろす高台の影で、腕を組んでいた一人の男が深くフードを被り直した。 かつて、アルデン王国の辺境で少女に出会った漆黒のローブの男である。その鋭い視線は、騒ぎの中心ではなく、受験生の列の端へと注がれていた。
(……命令の完全上書き。しかも、あの速度。……あのような幼き少女が、一体どこでそれを学んだ?)
男の口元が、微かに歪む。
「ふぅ……なんとか届いて良かった」
当のユイは、胸に手を当てて小さく息を吐いていた。 ふと見ると、フェリクスや試験監督たちがどこか必死な様子で会場内を捜索するように見回している。
(……あ、やっぱり、勝手に干渉したのマズかったかな。あんまり目立っちゃダメってお母さんとも約束したし……)
ユイは冷や汗をかきながら、周囲の受験生たちの背中に隠れるようにして、すっと気配を消した。
実技試験の喧騒が嘘のように、静寂が支配する大講堂。 続いて行われたのは、基礎知識と理論を問う筆記試験だった。
周囲では難問に苦しむ声が漏れている。しかしユイは、問題用紙を眺めて首を傾げた。
(…この術式、ずいぶん遠回りだな)
祖父母の書庫で読んだ研究資料を比べれば、基礎的な内容だった。ユイは迷うことなくペンを走らせる。ただ一問だけ。命令型魔法に関する問題で、ユイの手が止まった。
ーー命令型魔法の最大の利点を述べよ。
「…利点?」
不思議そうに呟いた。ユイにとって命令型は便利な魔法ではない。ただ、もっと知りたいと思ったから学んでいる魔法だった。少し考えたのち、
「現象型の構造を理解し、その構造そのものに干渉できること」
と解答した。
(…違う)
また少し考え込み、解答を消した。
(命令型魔法は、「何かをするため」の魔法じゃない)
ユイはしばらく考え込んだ。
(命令型魔法…火を四角くする。熱の方向を変える。水の形を固定する。術式を一部だけ切る……そうか、!全部、現象を起こした後から、ルールそのものを書き換えているんだ)
何度も書き直しを重ね、ユイは完成した解答を前に誇らしげに頷いていた。
「これが私にとっての命令型魔法だ」
――命令型魔法の最大の利点を述べよ。
「魔法そのものの理を書き換えられること。
現象を構成する条件を理解し、その一部を書き換えることで、通常では成立しない現象すら成立させられる。
……だから、命令型魔法は『魔法を使うため』のものではなく、『魔法がなぜそうなるのかを知るため』の魔法だと思う。」




