好奇心の代償
翌日から、ユイの生活は一変した。
太陽が沈み、母アンナが眠りについたのを見届けると、ユイは静かに床下の扉を開ける。冷たく乾いた紙のにおいが満ちる地下書棚は、彼女にとって世界の真理が詰まった秘密基地だった。
ユイの没頭ぶりは、もはや執念に近かった。
現象型魔法しか知らない村の人々が見れば、正気を疑うような複雑な幾何学模様。世界の法則を数式のように解き明かしていく祖父ユリウスのノートを頼りに、ユイは夢中で命令型魔法の基礎を吸収していった。
(命令型魔法、なんて面白いんだろう!)
今まで感覚だけで扱っていた魔法が、鮮やかな論理となって組み上がっていく。夜ごと新しいページを開くたび、頭の中に新しい世界が広がっていく感覚がたまらなく楽しかった。
「……よし、今夜はこれを試してみよう」
机の上の小さな鉄製の燭台に向き合い、ユイは指先を立てる。
今夜試すのは、単なる火の固定ではない。 炎の属性そのものに干渉し、熱量をそのままに、燃焼範囲を極限まで圧縮・制御する重複命令式。祖母マルタの手記にあった、現象を限界まで小さく閉じ込める実験だ。
(熱源を半径一センチに凝縮。拡散係数をゼロに固定。熱量を維持したまま、ここに閉じ込める——)
頭の中で緻密な式が組み上がっていく。 理論の組み立ては完璧だった。間違っている箇所などどこにもない。
(いけ……!)
早く結果が見たい一心で、ユイは意気揚々と一気に魔力を流し込んだ。
それが、大失敗の引き金だった。
ユイ本人はまったく自覚していなかったが、彼女が生まれ持つ魔力の器は、12歳の少女としてはあまりにも規格外に大きかった。 繊細に編み上げなければならない命令式の術式に対し、ユイはまるでドカンと大量の水を一気に流し込むように、莫大な魔力を力任せに注ぎ込んでしまったのだ。
「命令……ッ!?」
——ドドンッ……!!
完成したはずの繊細な術式が、キャパシティを超えたユイ自身の膨大な魔力に耐え切れず、一瞬で圧壊した。
「うわぁ!?」
制御を失った熱量は、圧縮されるどころか一気に暴走。不可視の衝撃波となって地下室の天井へと吹き荒れた。
上層——つまり居間の床板が一瞬で焼き穿たれ、黒い煙と激しい炎が吹き上がる。
「ゲホッ、ゴホッ……! な、なんで、?」
煙に巻かれながら慌てて階段を駆け上がると、居間の床の一部が真っ黒に焦げ、火の手が壁の棚に燃え移ろうとしていた。
「なにが、起きたの…! 式は完璧なはずなのに……」
叫び声を聞きつけて、二階から着の身着のまま駆け下りてきたアンナが目にしたのは、立ち込める黒煙と、呆然と佇むユイ、そして床に口を開けた……かつて自分が封印したはずの地下への扉だった。
アンナの顔から、一瞬で血の気が引いていく。
「ユイ!あなた、地下書庫に?」
「お、お母さん、ごめんなさい! 私、魔法を、術式を書き換えようとしたら、急に火が爆発してっ!」
「ダメ!!」
悲鳴のような叫びだった。 日頃のおだやかで優しい母からは想像もつかないほど強く、悲痛な声。
アンナは着ていた羽織を床に叩きつけ、必死になって燃え広がる火を消し止めた。 黒こげになった床と、煙が漂う静まり返った居間。
パチパチと薪のはぜるような音だけが響く中、アンナは膝をつき、両手で顔を覆って肩を震わせていた。
「……お願いだから、ユイ。魔法に深く関わらないで……」
消え入るような母の声。 ユイは自分の焦げた手を見つめ、申し訳なさで身をすくませた。
自分の不注意で家を焼きかけたこと。 大好きな母親を、ここまで追い詰めてしまったこと。
(私の式は、絶対に合っていたはずなのに、なんで?)
母親への申し訳なさと同時に、ユイの頭の中は「なぜ失敗したのか」という疑問でいっぱいだった。 自分の術式に間違いはなかったという確信があるからこそ、失敗した理由が知りたくてたまらない。
このときはまだ、自分の魔力出力が多すぎて術式を力任せに破壊してしまったのだとは、夢にも思っていなかった。




