ルーナって誰?(2)
「ふぅ……ふぅ……! つかまえた……追い詰めたよ!」
肩で激しく息を切りながらも、ユイは胸を張って威風堂々と出口に立ちふさがった。
「はぁ…はぁ…な、なんなんですかあなた!」
黒いローブを着た人影は、ユイの勢いに押されるようにして、古い棚が立ち並ぶ壁際に追い詰められていた。
「あなた、噂のルーナさんですよね!」
ユイはズイッと身を乗り出し、食い気味に尋ねた。
「はい? ルーナ……?」
「あれ? 図書館を荒らして、先生に魔法を向けた犯人じゃないの?」
「あぁ、図書館の件は僕ですけど……あなた、いろいろと盛大な勘違いをされていますね」
「え? どういうこと?」
相手は心底呆れたように深いため息をつくと、フードの隙間から不機嫌そうにユイを睨みつけた。
「まず、僕は『女の子』じゃありません。男です」
「え? ごめん、その……小柄だからてっきり……」
「殺しますよ」
「物騒すぎるって!」
「次に、僕の名前はルーナではなく『レヴィン』です。そしてルーナというのは、僕が探していた魔法書の『作者の名』です」
「えっ、作者の名前……? じゃあ、なんで魔法書を探すために図書館を荒らすなんて事になってるの?」
「……開かなかったんです」
レヴィンは悔しそうに拳を握りしめ、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「魔法を近づければ開くという噂を聞いていたのに、ようやく見つけた目的の魔法書がどうしても開かなくて……焦って苦戦しているうちに、つい魔法が暴走して……」
苦々しい言い訳を口にするレヴィンと、それを呆然と聞くユイ。その直後、静まり返った資材置き場のガラガラという重い引き戸が開いた。
「——レヴィン」
低く、重く、腹の底に響くような威圧感のある声。
その声を聞いた瞬間、ユイの胸の奥で小さな熱が跳ねた。どこか懐かしく、知っているような不思議な感覚。
(なんだろう……? この感じ、前にも……)
ユイがレヴィンに目をやると、彼はさっきまでの強気な態度が一変し、顔を真っ青にしてガタガタと膝を震わせていた。
「え、どうしたの? 大丈夫……?」
「し、静かにしてくれ! 怒られる……! 僕は今、学園に不法侵入しているんだ! 頼むから匿ってくれ!」
「はぁ!? 何を身勝手なこと言って——」
ドン!
「…っとと!」
パニックになったレヴィンに強く突き飛ばされ、棚の影から押し出されてしまったユイは、廊下に立つ低い声の主と正面から対峙することになった。
「えっと……こんにちは!」
精一杯の引きつった作り笑顔を向けると、黒いローブを目深に被ったその人物が放つ圧倒的な存在感と威圧感に、ユイの心臓がどきりと跳ねた。
(この人……絶対にどこかで……)
圧倒されながらも、低い声の主が羽織っている上質なローブの裾へ何気なく目をやる。そこには、夕闇の中でうっすらと青白く発光する、幾何学模様の幾重にも重なった複雑な刻印があった。
(……はっ!)
記憶の引き出しが一気に繋がる。12歳のあの日、村のヒノマツリで目撃した、あの男のローブの模様と同じだ。
「あの! 3、4年前、辺境の村のヒノマツリに居ませんでしたか!?」
「……?」
不思議そうに眉をひそめるローブの男。
しばらく思考を巡らせるように沈黙していたが、ふとハッとしたように表情を変えた。
「君……名は何という」
「ユイ・ベルナーです!」
「ベルナー……まさか、ユリウスさんの……」
「はい! ユリウス・ベルナーは私の祖父です!」
ユイがそう答えると、ローブの男は深く被っていたフードを少し上げ、グッとユイの顔を覗き込んできた。
暗がりの中で露わになったその素顔は、鋭い眼光をしているものの、思っていたような怖い悪人ではなかった。
男は体勢を持ち直すと、どこか懐かしむような穏やかな笑みを口元に浮かべた。
「まさか、このような場所で巡り会うとは……私はハルトヴィック・シュヴァルツという。かつてユリウスさんの1番弟子だった者だ。どうやら、私の出来の悪い弟子が君に迷惑をかけてしまったようだね。申し訳ない」
「あ、いやいや! 全然大丈夫です!」
ユイはブンブンと両手を振った。
「君がユリウスさんの孫か……ふむ。また近いうちに会うことになりそうだね」
ハルトヴィックはふわっと黒いローブを翻してユイの脇を通り過ぎると、棚の奥で小さくなって縮こまっていたレヴィンを襟首ごと引っ張り上げ、颯爽と部屋を去っていった。
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「ユイ! 無事か!?」
荒い息とともに小部屋へ滑り込んできたのはフェリクスだった。その後ろには、必死に走ってきたルーカスとクララも追いついてきている。
「フェリクス! みんな! うん、私は全然平気だよ」
「よかった……途中で足音が完全に消えたからヒヤヒヤしたぞ。それで、例の『ルーナ』という犯人はどこへ逃げたんだ?」
フェリクスは杖を持ち、警戒露わに室内を見回す。ユイは乱れた息を整えながら、先ほどここで起きた出来事をかいつまんで説明した。
「実はね、犯人はルーナっていう女の子じゃなくて、レヴィンっていう男の子だったの。しかも『ルーナ』は人の名前じゃなくて、彼が探していた古い魔法書の作者名なんだって」
「作者の名前……? それで学園に不法侵入して書架を荒らしていたというのですか?」
クララが呆れたように小さくため息をつく。
「うん。でも、途中で彼の師匠さん——ハルトヴィック様っていう、昔ヒノマツリの時にお会いした人が現れて、レヴィンくんを連れて帰っちゃったの」
それを聞いたルーカスが、知性溢れる瞳を急激に輝かせた。
「まさか……ハルトヴィック・シュヴァルツ!? 第一魔導主義派の頂点に立つ、あの天才魔導士ですか!? ユイはそんなお方と面識があったのですね……。しかし、なぜそれほどの権力者が、リスクを犯してまで学園の『ルーナの魔法書』を求めていたのでしょうか」
「そうなんだよね……レヴィンくん、その本が開かなくて困ってたみたいなんだけど、一体どんなすごい内容が書いてあるのか、すっごく気になるよね!?」
ユイの瞳が知的好奇心で爛々と輝き始めるのを見て、フェリクスは苦笑いを浮かべた。
「また始まったな、ユイの魔法オタク癖が。……まあ、だが俺も少し気になるな。学園の古びた閉架書庫にそんな謎めいた本が眠っているとは」
「分かりましたわ。そこまでおっしゃるなら、私達も手分けしてその魔法書を探してみましょう。散らかされた書庫を元通り整理するのも兼ねて、ね」
クララの優しい提案によって、四人は再び旧館の閉架書庫へと戻り、散らばった書物を一冊ずつ棚へ戻しながら捜索を開始した。
「レヴィンくんが言っていたのは、黒くて分厚い、革装丁の本だったよ!」
ユイの記憶を頼りに、棚の隙間や床に落ちた書物の山を慎重に確認していく。
「これでしょうか?……いえ、違いますね。ただの歴史書のようです」
「こっちの棚にも見当たりませんね……」
一時間近く探し回り、窓の外はすっかり日が落ちてあたり一面が闇に包まれ始めた頃、高い棚の最下段、奥の奥に押し込まれていた分厚い冊子にルーカスが手を伸ばした。
「……ありました。これですね。表面に刻印されている文字は極めて古い古代語ですが、解読すると確かに『ルーナ』と読めます」
「本当!? 見せて見せて!」
ユイたちは部屋の中央にある大きな机に集まり、ルーカスが差し出した古びた黒い本を息をのんで囲んだ。
重々しい漆黒の革装丁の表紙には、精巧な幾何学模様の魔術刻印が施されており、分厚い鎖のようなデザインの重厚な金属パーツで固く閉ざされている。
「うーん……やっぱりびくともしないね。鍵穴も継ぎ目もないや」
フェリクスが手をかけて引っ張ってみるが、金属はピクリとも動かない。
「レヴィンくんも『魔法を近づければ開くはずなのに』って困っていたけど……ルーカス、何か解除のロジックが分かる?」
「いえ……表面に張り巡らされた魔力回路が複雑すぎて、下手に外部から強引に魔力を流し込むと、反発して回路自体が自壊する可能性が高いですね。極めて高度な封印術式です」
「手元が暗くなってきましたから、まずは明かりを点けましょうか」
クララの提案に、ユイが応えるようにして指先をすっと滑らせ、卓上に置かれた小さなロウソクに魔力を込めた。
「灯火」
ぽっと温かなオレンジ色の小さな火が灯る。
その時、解読の話に夢中になっていたユイの肘が、うっかりロウソクの台座に強く当たってしまった。
「あっ!!」
傾いたロウソクから、小さな火種が『ルーナの魔法書』の表紙へとまっすぐ零れ落ちる。
「危ない!」
フェリクスが叫ぶと同時に、ユイは反射的に魔力供給を遮断し、「灯火」の術式を解除した。
間一髪、火が本へ燃え移ることは防げた。
……しかし。
───カチ……カチカチカチ。
静まり返った書庫に、まるで精巧なからくり時計が動き出したかのような、硬質で緻密な機械音が響き渡った。
「「「「え……?」」」」




