ルーナって誰?(1)
朝の光が差し込む王立魔道学園の校舎は、いつも以上に奇妙な熱気に包まれていた。廊下のあちこちで生徒たちが小さな輪を作り、ひそひそと顔を寄せ合って噂話に興じている。
「ねえ、聞いた? 『ルーナ』っていう子のイタズラ、どんどんエスカレートしてるらしいよ」
「あ! 聞いた聞いた! 昨日の放課後なんて、注意しようとした先生に向かって直接魔法を使ったんだって!」
「えーっ、本当!? 先生に魔法をぶつけるなんて、信じられない……一体どんな度胸してるのよ」
すれ違う生徒たちの会話は、どこを切っても『ルーナ』という謎の生徒の話題ばかりだった。校内中が浮き足立ち、ざわざわとした落ち着かない空気に満ちている。
教科書を抱えて廊下を歩いていたユイは、隣を歩くフェリクスを見上げて 首をかしげた。
「ねぇ、フェリクス。朝からなんだか、すごく騒々しくない?」
「あぁ、例の『図書館荒らし』の件さ。ここ数日、旧館の書棚がひっくり返されたり本が散乱していたりしただろう? その犯人の話だよ」
「えっ! 犯人、もう見つかったの?」
「そうみたいですよ」
ふたりの間から、ひょいと顔を覗かせたのはルーカスだった。寝癖の残る癖毛をくしゃくしゃと手で直しながら、あくび混じりに言葉を続ける。
「なんでも、他クラスの噂によると『ルーナ』という名前の女の子だとか」
「へぇ……ルーナちゃんか。でも、ずっとひとりだったんだよね?」
「ああ。だが、あの広い旧館の図書室を、たったひとりでそこまで荒らせるものだろうか?」
フェリクスが眉をひそめて疑問を口にする。ユイは顎に指をあて、しばらく「うーん」と熟考していたが、ふと何かを思い出したようにパッと顔を上げた。
「ねえルーカス! 風魔法で『旋風』みたいな中級魔法があったよね?」
「ええ、ありますよ。周囲の空気を巻き込んで一気に旋風を起こす魔法です。ですが、あれは効果範囲が広い上に大量の空気を動かしますから、もし室内で発動させたりすれば、そりゃあ酷いことに……あ」
話している途中で自分の言葉の矛盾に気づいたルーカスが、ハッと目を見開いた。
「そう! それじゃない!?」
ユイが手を叩く。
「なるほどな……風魔法の暴走、あるいは意図的な散乱か。だとしても、なぜそんなことをするのか目的が見えないな」
「うーん……考えてても分からないし、本人に直接聞いてみようか!」
あっけらかんと言い放つユイに、ルーカスは眉を下げて困り顔になった。
「ユイ、さすがに相手は教師に魔法を向けるような危険人物ですよ。やめておいた方がいいのでは……」
「大丈夫だって! もし魔法を使われて攻撃されたとしても、フェリクスとルーカス、それにクララ先輩もいるんだから、みんなで力を合わせれば絶対に対抗できるよ!」
「……ふっ、最初から僕たちを巻き込んで一緒に探す前提なのかい?」
フェリクスは呆れたように笑いながらも、どこか嬉しそうに肩をすくめた。
「そうと決まれば、さっそく情報収集開始だね!」
「決まりだな。よし、放課後に図書室前に集合しよう」
フェリクスが頼もしく頷き、ルーカスも諦めたようにため息をつきつつ、手元のノートを開いてペンを走らせ始めた。
放課後。夕暮れの陽光が赤く染める無人の図書室前に、ユイたち四人は集まっていた。
「それじゃあ、それぞれ集めてきた噂の擦り合わせをしよう」
フェリクスの声に応じ、ルーカスがノートのページを指で示しながら語り出す。
「僕が他クラスの生徒たちから聞き出した話だと、目撃証言には明確な共通点があるんです。出現するのは決まって『黄昏時』——日没直前のわずか十数分間。そして場所は旧館側の図書室の奥、普段は誰も立ち入らない閉架書庫の周辺らしいです」
「黄昏時、ですか? なんだか少しロマンチックな噂ですね。でも、なぜそんな限定された時間帯なのかしら」
胸元で手を組んだクララが首を傾げると、ユイが身を乗り出すようにして持論を展開した。
「きっと、その時間帯が一番人の目が少なくなるからだよ! 放課後の部活や実技演習が終わって、みんなが寮や家に帰り始める時間だもん。コソコソ動くにはうってつけだよ」
「なるほどな。時間帯を絞っているということは、姿を見られたくない切実な理由があるわけだ。……よし、今からその閉架書庫に向かってみよう」
フェリクスを先頭に、四人は静まり返った旧館の廊下を足早に進む。
高いアーチ状の窓から差し込む夕暮れの濃いオレンジ色の光が、床の上に長々と影を伸ばし、静寂をより一層際立たせていた。
幾重もの角を曲がり、古い木の匂いが立ち込める閉架書庫の重い木製扉の前に辿り着いた、その時だった。
——ガタッ……バサバサッ!
「……っ!?」
扉の向こう側から、分厚い本が崩れ落ちるような重い音と、空気を鋭く切る様な風切り音が聞こえた。
ユイとフェリクスが顔を見合わせ、無言のまま強く頷き合う。
(いる……!)
フェリクスがノブを掴み、素早く扉を押し開けた。
薄暗がりが広がる書庫の奥。倒れかけた古い書棚の陰に、小柄な人影がぽつんと立っていた。黒いフード付きのローブを深々と被り、顔を隠したまま、何かを必死に探すような手つきで怪しげに書棚を漁っている。
「そこまでだ、図書室荒らし!」
フェリクスが堂々と響く声で立ち塞がると、その人影はびくっと肩を激しく跳ね上がらせた。
「……っ!?」
人影は振り返るやいなや、驚くほどの素早い動作で懐から小さな短杖を取り出した。
「旋風!」
——ビュゥゥゥーーッ!!
甲高い叫び声とともに、狭い室内へ突如として猛烈なつむじ風が吹き荒れた。書庫に溜まっていた埃と、棚から飛散した大量のページや紙片が巻き上げられ、視界が一瞬で真っ白に埋め尽くされる。
「きゃあ!?」
「うわっ、本当に狭い室内で風魔法を……!?」
「みんな、目を伏せろ!」
フェリクスとルーカスが咄嗟に腕で顔を覆い、クララが即座に防護の魔力障壁を展開する。
紙吹雪が舞い散る猛吹雪のような狂乱の隙を見逃さず、黒いローブの人影は脱兎のごとく書庫の裏手にひっそりと存在する非常用の扉へ向かって駆け出した。
バサササッ!と舞い散る紙片を強引に手で振り払い、真っ先に体勢を立て直したのはユイだった。
「待ちなさいってば!!」
「ユイ、一人で行くな! 危険だ!」
後方からフェリクスの制止する叫びが響いたが、ユイの足は止まらない。
(絶対逃がさない……! なんでこんな酷いことをするのか、追いついて直接確かめるんだから!)
ユイは持ち前の凄まじい脚力で扉を飛び出し、複雑に入り組んだ旧館の回廊を全力で疾走した。
「待ちなさいってば! 話を聞いて!」
「くっ……なんなんだ、しつこい奴だな……!」
前方でなびく黒ローブの影が、焦りを滲ませた声を漏らす。曲がり角を幾度も鋭く曲がり、暗い石造りの階段を滑り落ちるように駆け下り、二人の距離は次第に縮まっていく。
そして、突き当たりの行き止まり——めったに使われていない用務員室のような小部屋へ影が逃げ込んだのを見逃さず、ユイは勢いよくドアを蹴り開けた。




