俺、隣の赤ん坊に襲われる。
再び眠って起きたら、もう夜が明けていて、雀のチュンチュンという代わりに、この世界の雀なのだろうか、キスキスというどこか卑猥な響きを奏でる、何かの声が聞こえた。
しばらく、朝の澄んだ空気を感じていると……というのは嘘だ。なぜならば、俺はケースの中にいるからだ。
いずれにせよ、しばらく、室内の空気を吸っていると、廊下からコツコツという音が聞こえてきた。
「ああ、この足音は母親だ」
俺は呟いた。
昨日母親がこの新生児室に来た時、立ててきた音と、そっくりだったからだ。何が、どこがそっくりと言われれば分からないけれど、赤ん坊が母親を認識するように、鳥が大陸を渡るように、備わった感覚で母親の歩く音で、俺はそれを母親かどうか見分けることが出来るようだった。
それは自分でも不思議な感覚だったけど、それは人間が誰しも持っている感覚だとも、思えた。
「さあ、今日も一日頑張るぞ」
昨日、この世界に赤ちゃんとして生まれてきた俺だけど、これからはこの世界に順応するべく、努力をしていこうと思った。前世での俺はどうだったかは分からない。もしかしたら怠け者だったかもしれない。だけど、この持って生まれた日本語能力と多少の知識は俺にとってのチートスキルとして、ありがたく頂戴しておくことにする。とは言ってもチートと言えるかどうかはまだ今の所分からないが。なぜならば、この世界についてまだまだ詳しいことは知らないからだ。もしかしたら、赤ちゃんだって、昨日の隣の赤ちゃんみたいに、人それぞれ特殊能力が備わっているのかもしれないし。だから一概に俺の能力が他の赤ちゃんと比べてチートとは言えなけど、チートでであって欲しいなあ、と願望を抱いている次第である。
俺は、ふと昨日の赤ちゃんを思い出したので、隣のベッドを見てみることにした。
……いない。……いない。いない!いない!いない!いない!
「ばあ!」
突如として、俺のガラスケースの目の前に昨日の、額に緑色の目の赤ん坊が現れた。
「って、どうやってガラスケースの目の前にいるんだ?」
俺は訳が分からなくて、赤ん坊を見回した。すると。
「う、浮いている?」
そんな、馬鹿な。いや、浮いているというのは、分からんでもない。なぜならば、この世界では魔法が使えるということだからだ。しかし、しかし、赤ん坊が魔法を使っている!?
それを考えた時、ふと体全体がぶるっと震えた。そういえばさっきこの赤ん坊俺のこと見て、いや、俺が頭の中で、いない、いない、いない、いない、と考えていたら「ばあっ」って言った。つまりそれは。
「俺の頭の中を読むことが出来るのか? そして俺と同じく、お前は日本語を喋ることが出来るのか?」
俺が言うと、目の前の赤ん坊はにやりと、笑って「げっげっげっ。その通りだ」とカエルの鳴き声とガラガラヘビの音を足したような不気味なだみ声で呟いた。
何だこいつは? 得体のしれない恐怖が心の奥底から一気に浮かび上がってくる。
こいつは、ヤバい奴だ。
直感がそう、告げていた。
「お前も言葉を喋れるらしいな。昨日隣で聞いていたぞ。お前も人間としては凄い奴みたいだな。有能な目は、早い内に潰しておかないとな。殺しておかないとな」
言うが、否や目の前の赤ん坊が自身の右手を上に向けた。
直後、赤ん坊の右手に青い燃え盛る炎が出現した。
「死んじゃえ!」
赤ん坊はあっかんべーをするように不気味な緑色のベロを口の外へ突出しながら、炎をこちらへと向けた。
殺される!
恐怖で足がすくみ身動きが全く取れなかった。
と、炎が放たれる直前、新生児室のドアが開いた。
「ちっ!」
目の前の赤ん坊は、隠れるようにいや、消えるように部屋からいなくなった。
はあっ、はあっ、動悸が収まらない。
くそう、くそう、一体何だったんだあいつは……。
「あら、坊や、どうしたの? そんなに怯えて、こんなに汗を一杯かいて」
俺の目の前には母親がいた。
どうやら、部屋に入って来たの母親だったようだ。助かった。間一髪だ。母親が来てくれたことにより、俺は難を逃れ、一命を取り留めることが出来たのだ。
「お母さん、ありがとう。助かったよ」
俺は母親に心底礼を言った。
「あら、どうしたの? 坊や、そんなにかしこまっちゃって。ふふふ」
どうやら、母親はこの部屋で起きた出来事に全く気付いていないようだ。
俺は事の顛末を全て母親に話した。
「えっ! 隣の赤ん坊が?」
母親が隣のベッドを見ると、隣のベッドのガラスが溶かされたように、ぽっかりと穴を開けていた。
「う、嘘でしょ? 新生児で魔法が使えるなんて聞いたことないわ!」
母親は恐怖で顔が青ざめていた。それは俺が言葉を発した時よりも、ずっとずっと恐怖に満ちている顔だった。
「本当だよ。お母さん。そしてあの赤ちゃんは俺と同じで日本語を話すことが出来たんだ」
「嘘……でしょ?」
「本当さ、俺がお母さんに嘘をつく理由なんてないよ。昨日はちょっとまだ疑っていたから演技をしたけど、もうお母さんのことは信頼しているんだ。もう俺はお母さんに嘘はつかないよ。本当だよ。そして、あの赤ちゃんの額がぱっくりと開いて、緑色の目が覗いていたんだ」
「額から、緑色の目!?」
ここで、母親が今まで見た中で一番驚いた、そして恐怖の表情を浮かべた。
そして、母親は続けざまに言った。
「魔王!!」
「魔王!?」
俺は何のことだか分からずにただ、母親の言葉を繰り返した。




