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43:城塞都市ナイニタル 城内貴賓室 領主補佐:ダクシャ(2)

「アルマムベト殿は大人(たいじん)であるぞ!」


 乳兄弟にしてナイニタル領主ヴィシュヴァが、破願して部屋に飛び込んできた。夜半のことである。


☆☆☆☆☆


 ダクシャは戦の後始末をする前に、防衛戦が無事に勝利したことを報告するため、私人として誰よりも会うべき相手――婚約者アディティの私室を訪問していた。この都市随一の貴婦人。城主の妹であり、己の婚約者であり、幼少の頃よりずっと家族のように妹のようにそして密かに思いを寄せていた女性である。ここ1年で愛らしさが美しさへと花開き始め、ますます眩しくなってきた相手である。


 戦が始まる際、ダクシャはアディティと会見し、己の全存在をかけてヴィシュヴァとアディティを守ると誓った。その言葉に偽りなく、迎撃戦から撤退戦、防衛戦にかけて常に最前線に立ち続け、各戦闘終了後は補給に修理に組織調整に偵察にと八面六臂の働きであった。そうした後の、3週間ぶりの逢瀬であった。都市防衛戦となってからも、ただの一時、一目会う時間すら取れない状況だったのである。


 守ると誓った以上、全精力をかけてそれを行なうのがダクシャである。3週間の間、全ての未練を断ち切って仕事に没頭した。全てはナイニタルのためであり彼女のためだ。だが3週間、ダクシャが領主補佐ではなく一人の男として存在できた時間はほとんど無かった。

 唯一、わずかに就寝前のひととき、整備場での仮眠の前に一編の詩(ルバーイイ)を紡いたことがあった。貝葉(ターラ)に綴った。側仕えの見習い機士に命じてアディティに届けさせた。都市防衛戦が佳境となった3日前のことである。堅物のダクシャにとって、生死を分ける今回のような大戦(おおいくさ)の最中では、それくらいしか彼女に対しての心配りが思いつかなかったのである。


 詩の中身は無骨なものだ。千年万年輝く星のように、堅く動かぬ巖(いわお)のように、常にそこにある湖のように、変わることなく貴女を守る――そんな色気のない男の詩だった。それをしたためた。芸事に不慣れなダクシャに詩心はない。韻も隠喩も無い、せいぜいが思った通りの、感じたとおりの、変わらぬ意思を、率直に、そのまま、ありのままを告げることしか出来ない。自身、出来上がった四行詩は、あまりに稚拙すぎることを自覚し、思わず投げ捨てようかと思ったのが正直なところだった。だがその時は明日にも死ぬかと考えざる得ない夜だった、最後の心境として伝えずにいられなかったのだ。


 そんな思い焦がれた相手と、やっとの逢瀬である。


 アディティは、ヴィシュヴァやダクシャより5歳年下。つまり今年で17歳になる。夜半の訪問というのは、婚約者といえどもより高位な、年頃の婦女への礼を欠いているといえる。だが彼女は会ってくれると言う。

 私室の前、ダクシャははやる気持ちを呼吸ひとつで抑えた。アディティ付きの女官が「ダクシャ殿が参られました」と声を上げながら扉を開けた。暗い廊下に室内の明かりが差し込む。豪奢でありながら品良く落ち着いたアディティの私室――応接間で椅子に腰掛けていたアディティは、すぐさま立ち上がり扉口まで駆け寄って来た。健康的な淡褐色(たんかっしょく)の頬が僅かにやつれているように見えたが、その痛々しさは、乙女としての美しさをより際立たせているだけだった。変わらぬ黒曜石のような瞳は、蝋燭の炎を反射させ潤んでいるようにすら見えた。彼女は一瞬こちらをまっすぐに見つめた後、すぐにうつむいた。ダクシャも視線を合わせられない。眩しすぎた。沈黙が落ちる。

 長い沈黙に耐えられず、呼吸すら苦しく、無理にでも何か話そうと、ダクシャが喉を――


「――お会いしとうございました」


 同時に、アディティが小さく呟いた。そして汗と砂埃まみれの機乗服にそっと手のひらを当ててきた。小さく震えていた。「よく、よくぞご無事で――」その言葉を聴いた時、ダクシャはその手を取らずにいられなかった。伽羅沈香(アグル)の香りが2人を包む。

 幼き頃はただの妹分であった。少年期では共に野山を駆けまわる友人のひとりであった。思春期を通して密かに思う人となった。ただひとりの、かけがえの無い娘であった。城主(ヴィシュヴァ)の計らいで婚約者として遇されてからも、どうにも距離の詰め方が分からない相手でもあった。日に日に美しく変わっていく想い人に、どう接してよいかさっぱり分からなかった。


 そのアディティの手に初めて触れた。細く滑らかで、華奢な手であった。アディティは驚きからかはっと顔を上げた。そして羞恥と喜びと安堵に彩られた黒曜石が濡れているのが分かった。彼女の瞳からはらりはらりと雫が落ち、ダクシャの手の甲に当たった。熱い。唐突に彼女の愛用香ではない香り、もっと甘いような匂いを感じた――乙女の、若い娘の体臭が鼻腔に触れた気がした。己の体温が、かっと上がるのを感じた。


 そこにヴィシュヴァが飛び込んできた。


「ダクシャよ聞いてくれ! アルマムベト殿は、大鎧<ラーヴァナ>と大鎧<ラークシャサ>1機を、ナイニタルが保有することに異を唱えることは無いと言ってくれたぞ! ヌアコットへの報告についても口ぞえしてくれると!」


 けたたましく扉を開け放ち、女官を押しのけて、部屋に飛び込んできたヴィシュヴァは、時間も場所も空気もお構いなしに矢継ぎ早に言い募っていた。ダクシャは握りしめていたアディティの手をそっと離した。


「都市防衛戦の要であったのだから、その戦果一番の部分は大将――領主のもので不都合はないとのご配慮だ! ああ、高祖父よ! ついに、ついに我が一族にも待望の<ラーヴァナ>が! そして喜べダクシャ! あの新品の<ラークシャサ>をお前に与えることが出来る! もうお前が老朽化した機体で堪え忍ぶことも無い! 存分に腕を振ってもらうことが出来るぞ!」


 歌い、踊るような仕草でまくし立てた。部屋中を駆け回るような動きをしながらまくし立てた。芸事に才能豊かな乳兄弟は、詩吟も歌も踊りも玄人はだしだ。領主になってからは泰然とした姿を崩そうとしなくなったヴィシュヴァであったが、いまはまるで、かつて幼少期に一緒に山河を駆け抜けていた幼友達の姿そのものであった。飛び跳ねかねない勢いだ。いや飛び跳ねていた。

 ダクシャはアディティから外した手を、ぐっと一度握り締めてから、今度は友のもとに伸ばし、浮かれ姿の両肩にかけた。


「落ち着け。我が友、我が主(あるじ)、してその見返りに何を要求された」 

「要求?」

「そのような大盤振る舞い、裏があると思わんか。して何を要求されたのだ」


 人生は、日常は戦いだ。その戦いは決して剣や槍だけで行われるとは限らない。時には弁舌で、交渉で、男女の肉体で行われることもありえる。大鎧<ラーヴァナ>といえばムグール王族の権威の源ともいえる機体だ。生半可な代価では購えない。ナイニタルの自治や交易権、領主妹アディティの純潔にも関わらないと言い切れない。


「聞いて驚け――」


 ヴィシュヴァはまるで子供のような笑顔を浮かべて言った。


「アルマムベト殿は、敵大将ドヴィジャの扱いと、その他の鹵獲機体についてはヌワコットと十分に話し合い、協議するようにした方が良い、と言った」

「――ほかに?」

「それだけだ」

「それだけ? 話し合って決めろ、と。それだけ?」

「それだけだ」

「しかもだ――。鹵獲の権利についてはナイニタルとヌワコットの双方に権利があるのが筋なのだから、半々の取り分を目標にしてほしい、とのことだ」


 ダクシャは呆れた。なんだこの出来すぎた話しは。我が友、我が主ヴィシュヴァは騙されているのではなかろうか。援軍がなければ負けていた、援軍があるからこそ勝ち得た。そう主張するのが彼らの立場であろう。真実それは間違ってはいない。

 まして、敵陣を粉砕した当事者から要求されれば、反論のしようも無い。あれだけの戦果と実力を見せ付けられては断れない。下手すればナイニタルの交易権の半分――いやそれ以上の物事を要求されてもおかしくは無い。


 なのに、あの電光石火の――間違いなく極意<人機一体>――技を会得している勇士が、なぜにこんな時に攻め手を緩める。ここは叩き込む瞬だろう。到底素直に受け取れぬ。ダクシャは戦直後に接見したアルマムベトの真意を疑わずにはいられなかった。湖水まみれの汗まみれで機体から降りた男は「乾いた布はないか」とだけ言った。あの、何かを秘めた無口な男。その対価を考えずにはいられなかった。しかし、ヴィシュヴァはただただ笑顔だ。相手の善意だけを信じている。「あれほどの勇士がまだおられるのだな」とべた褒めだ。これは困った。無償の善意より高いものは無い。

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