38:城塞都市ナイニタル 湖畔 機士:チェルノボグ(6)
身体が冷えていた。
もう、長いこと水中に身を浸していた。事前に腹巻をした。首元や太もも足首に獣皮を貼り付け、たっぷりの布で固定した。火傷するほどの湯を入れた鉄製の水筒も仕込んで、ただひたすらに長時間、冷涼な水中で待機し続けてきた。しかしあと四半刻は待機が続く。もう湯はすっかり冷えた。いよいよここから、我慢比べの限界値を競うことになるはずだった。しかしチェルノボグのその予測は破られた。陸上から激しい音が聞こえ、湖面が揺れた。巨人が進軍する音と振動――そしてしばらくして巨石が落ちる音。倒れる音、叫び声。
(きたぞ――)
声は、機体乗りが常用する機体伝声網の思考波ではなかった。かといって通常機体に備えられている伝声器からでもなかった。それは簡素な木管を繋げ、その中空を通して伝達された『音』が、機体の外にくくりつけられた箱と被膜を通して伝えてきたものだった。
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今作戦を立案したアルマムベトは「思考波は全周囲に伝わってしまうこともある。今回の奇襲には不向きだ。伝声器も使えん」と述べていた。そうして作られた「伝声管」というものは珍妙なものであった。しかしよくよく考えれば、これは宮殿内部で時々使われている器具でもあった。下の階の者が、上の階の者に来訪を告げるときに使われるものだ。一部の商家では、出入りの行商人を迎え入れるときにも使われているらしい。狭い住宅密集地では、1階は家畜小屋であり2階以上が住居だ。そして家財があり、日当たりが良い女性部屋は往々にして3階以上にあるからだ。
その珍妙な道具の必要性をアルマムベトが告げると、その詳しい作成方法、使用用途はスヴェントヴィトと名乗っていた黒い機乗服を着た若者が行った。まるでアルマムベトが何を望み、何を行うかを察した――知っていたかのような流暢な補助だった。説明が終わり、手先が器用だと申告してきた者たちで構成された即席の工作部隊――正式には義勇軍歩兵、ヌワコット市民たち――は、わらわらとその道具を作り始めた。
そしてそのようなことに不向きな、不器用で力持ちの騎兵たちにアルマムベトは「流木や枝葉、蔦類をかき集めて、機体を隠すものを用立てて欲しい」と述べた。理由を聞いて驚いたが、やがて騎兵隊長トリグラフが納得したことで皆、力を併せてそれを――不格好な、崩れた筏のごとき「流着物」を作り上げた。
その流着物は、いま、誇り高き大鎧<セマルグル>の頭部肩部に引っ掛けられている。現在チェルノボグは、新品で、傷一つなかった<セマルグル>を水面下に、肩どころか首半ばまで湖水に浸けた状態にて、ゴミを頭部周辺に纏わりつかせている状況にある。昨夜から水中に身を浸し、ゆっくりゆっくり手さぐりで歩みを進め、たどり着いたこの場所で、明け方を過ぎた今まで待機という訳だ。
(初陣でこうとはな――)
待機中、ずっと思っていたことだった。正直、思い描いていた初陣と大きく異なった。
戦場では、磨き上げられた機体に、きれいに設えた飾り布、輝く長剣を抜いて雄々しく名乗りを上げ、そして敵へ向かって一直線――とまでは行かないまでも、それに類する姿を想像していた。それとはずいぶんな落差である。しかし今回、これら準備をしている最中、そして待機している今の時間は決して嫌なものではなかった。
大将自らが案を出し、皆で力を合わせて準備をした。いくらかの制約があり、焦りもあったが「仲間が我らの助けを待っている! 明朝まで! 慌てず急げ!」との号令で、皆が一丸となって埃まみれの泥まみれになって準備をした。夜には皆総出で湖にて身体を洗い、大きな火は起こせぬからと素っ裸で車座になって暖を取った。むくつけき男同士が背中の肌を合わせての暖め合いだ。背中と背中、二の腕と二の腕をくっつけ合って風をしのぎながら。その中央で、小さく小さくささやかに起こした火で、舌が火傷するような湯を飲んだ。そして再会を誓った。チェルノボグたちは機体と共に深夜湖水に浸かり、騎兵たちは山岳路をナイニタルに急いだ。そしていま、チェルノボグはここに居る。興奮はまだ、肌の奥に残っている。冷めやらぬ。
☆☆☆☆☆
合図を受け、チェルノボグは自ら操る愛機を初戦の場に向けて動かした。
チェルノボグが操る<セマルグル>は、スヴェントヴィトの操る<ストリボグ>に足をかけた。ストリボグが胸元で手を組み、足場としたその場に足裏を載せたのだ。次にストリボグの肩に足をかける。誇り高き大鎧、尊重すべき味方機を足蹴に、足場にして、セマルグルはその巨体を水面へと踊り出した。頭にまとわりつかせていた流木は崩れ散り、ざばりとした水音を立てる。セマルグルは腕を伸ばし、崖の上部、湖岸の地面へと手を伸ばした。
(届いた!)
だが、手がかかっただけだ、その小さな、片方の手のひらだけでは、重く、鈍く、不器用な大鎧を持ち上げることは到底出来なかった。と、セマルグルの重量が減る――ストリボグが今度はセマルグルの足裏に手をかけ、押し上げているのだった。セマルグルはストリボグの助けを借り、両の手のひらを地面に載せ、肘を載せ、やがて胸元まで上半身を持ち上げて、地面に倒れ込むようにして地表に出た。前へ這いずった。やがて股ぐらと膝を地面まで引き上げると、やっと各座の体勢が取れた。
敵が見える。
滴り落ちる水滴の向こうで、右手には馬防柵で組まれた敵陣が、左手にはナイニタルの城壁に押し寄せる軍勢が見えた。チェルノボグは一瞬の視界でそれらを確認すると、湖面に<セマルグル>の上半身を向け、腕を伸ばした。ざっばっあ――という音を立て<ストリボグ>の上半身が湖面から姿を現す。しかしすぐ、ストリボグは、ゆらり――と安定を欠いて倒れ込む。
だがストリボグが倒れ込むより早く、セマルグルは伸ばした腕でストリボグを掴んだ。そして互いに伸ばしあった腕をかみ合わせるように、絞り上げるように、互いの二の腕をつかんだ。ぎりりっと機体が軋む。<セマルグル>より1割増しと思われる重量が肩にかかる。しかし先ほど押し上げてもらった借りがある、チェルノボグは同調の痛みを堪え腕を、背中の筋肉を絞りあげた。
やがてストリボグは、湖岸の崖に掛けた脚を大きく横に蹴り上げて、先ほどのセマルグル同様の不器用さで湖岸に這い上がってきた。周囲に水が滴る。滝のようだ。だが2機が湖岸に這い出るまで、思いのほか時間はかからなかった。敵は、敵陣の兵は、まだこちらに気が付いたばかり――。
どばあぁ!
と背後で音がした。僅かに首を回して見れば、ナイニタル城壁側、チェルノボグたちのいる位置よりずっと戦列側の場所で激しい水しぶきが立ち上がっていた。しぶきの頂には<ペルン>――白き砂色の大鎧が、まるで巨魚が跳ねたかのような勢いと姿で湖岸から飛び出していた。アルマムベトの操るペルンは、チェルノボグやスヴェントヴィトと違い、ただ一機、単独で湖中から地表に飛び出したのだ。簡易な足場一つ、小さな木組みと湖中外壁のへこみを使っての跳躍、それだけでペルンは湖岸に舞い降りた。
そしてその着地の勢いのまま、一気に敵に飛び込んでゆく。
突然のことに驚き硬直している敵戦列に立つ<ラークシャサ>、その一体へ、脇腹――操縦槽に届く急所――を狙ってペルンは槍の一撃を繰り出した。装甲の隙間に刺さる穂先、そして流れる動作で槍を抜きラークシャサの脇を駆け抜ける、返り血ならぬ吹き出した機体血液はペルンの左半身を僅かに濡らし、ペルンは次の目標に向かって駆けだしてゆく――。
「いくぞ」
「応」
チェルノボグとスヴェントヴィトは、一瞬の視線でペルンを戦果を確認すると、どちらともなく声を掛け合って愛機を駆け出させた。一気に敵陣を粉砕する。こちらの目標は「馬防柵」、敵本陣だ。
負けられぬ。その気概をもってチェルノボグはペダルを踏み込んだ。愛機は、応えてくれた。




