28:中央街区 大広場 機体整備職人見習い:カルマ(6)
カルマは駆けていた。朝靄の中、冷涼な空気の中を疾駆していた。息を弾ませたその胸は、冷たい早朝の空気を取込みながらも熱く燃えていた。鼓動は早鐘を打っている。勢いよく前へと踏み出される脚は、まだ成長途上の細さを持ちながら力強く身体を跳ね上げる。華奢な全身から覇気が生み出され、自身にも思いもつかぬほど、力がこぼれ溢れ出でくるのが自ら分かる。自分が、自身が、昨日から変わったことを知覚する。その力強さを確認するために、もっと大きく脚を踏み出す、もっと激しく、もっと速くと駆け続ける。鼓動はいっそう熱を持ち、息が、熱く、視界が、狭く、目標は明瞭へと変化する。両腕を振り抜き、首を振り上げ、声にならぬ叫びを上げ、ただ駆ける。一時でも一瞬でも早くあの場所に行かなければ――。
少年を突き動かしているものは情熱であり希望であり夢、すなわち<若さ>であった。
少年にだけ、少年期を過ごす者にだけ与えられる雄々しさ、瑞々しさ、愚かさにカルマは身を焦がし包まれていた。その姿はあまりに眩しく、既にその時期を過ぎ去った者にとっては目を背けたくなるほどのもの。
そして、スープ缶を抱え街角で早朝の労働を始めた少女とって、その姿は胸といわず心といわず、全身と魂を熱波で打ち立てられるように感じられるものでもあった。だが、情熱に身を包む少年にはそういったことは分からない。身を焦がす情熱故に、前のみ見つめ、全てを知らぬまま駆け抜ける――少年の姿は、いつも、変わらない。
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駆けながらカルマは昨日の出来事を思い起こす。
アルマムベトへ向けられた騎士団長ヴォーロスからの勅命。それはカルマにとって激しく胸を揺さぶられるものであった。ヌアコット同盟国が攻められている。それも山賊や夜盗というような、ささやかで気まぐれな敵では無い。かねてから耳にしている南方の大国が攻めてきたのだと。つまりは< 戦>である。カルマのような年少の、鎧修復職人見習いでは想像もつかない大きな大きな騒乱が、いままさに起きようとしているのだ。いや、もう起っているのかも。巨大で忌まわしい、武具で身を固めたモノたちが、このヌアコットに向かって進軍してきている!
アルマムベトはヴォーロスに問いかけるように交渉を進め、瞬く間に3つの条件を通した。それは一方的に物事を申し付ける騎士団長に対し、実に明瞭で堂々としたものをカルマに感じさせるに充分であった。
ひとつ「敵と味方に関する情報」を求めた。
ふたつ「今から20日後に増援が来る」ことを確認した。
みっつ「義勇兵の公募権限とその給与」についての保障を求めた。
機士団長はそれら3つの項目について、投げ捨てるような言葉で返答し、確約した。特にみっつめの回答については「セマルグル機士団は1機たりとも同行できぬ! このヌワコットにおいて戦準備を、改修処理をする必要があるのだ! 20日後には揃い踏みした機士団が、瞬く間にムグール侵攻軍を蹂躙して見せよう。それ以外の卑俗な物事については好きにするがいい!」というご高説であった。
あまりに高圧的だと、学も軍事知識もないカルマにすら感じられた。選民意識に満ちたその発言に、その時隣席にいたマロース親方から憤懣やるかたないという怒気が発せられた。観客席の空気が変わったのすらカルマは知った。ヌワコットの守護者、至高のセマルグル機士団、その顔ともいえるヴォーロス団長が放った暴言は、下町連中の「こなくそ魂」の逆鱗に触れたのだ。観客席の一部を埋めていた兵士たちにもその怒りは伝播していた。彼らのほとんどは下町生まれであり、下町育ちなのだ。
しかしアルマムベトは、そのヴォーロスの回答を得て、静かに、朗々と語り出した。その言葉は愚かしいと言えるほどに真っ直ぐで、ただ率直な事実を語ったものだった。
「家族を守りたくはないか――」
アルマムベトは最初にそう言った。
「親しい者たちを守りたくはないか」
ゆっくりと観客席を見渡しながら述べられた。いつも口数少ない中年男の言葉は、風に乗りどこまでも届いた。
「私は守りたい。大事な人たちを守りたい」
カルマは唾を飲み込むのも、まばたきも忘れ、アルマムベトを見つめた。
「ヌワコット都市同盟はヌワコットを守る家族だ。ナイニタルの者たちは長年に渡り、家の外側で家の中を守ってきた。いまそんな兄弟たちが危機に瀕している。ナイニタルとヌワコットを繋ぐ交易ルートは言ってみれば家の裏口だ。その裏口を守る兄弟が倒れれば、騎馬の早駆けで2日、その距離で敵は家族を攻めてくる」
蒼天を冷たく乾いた風が吹く。
「家族を襲う者がいるというならば、私はそれに立ち向かおう。そのための労苦を私は惜しまない。大事な者たちが夕餉のスープに感謝を述べ、夜に安心して眠り、朝陽の暖かさと共に目覚めることが出来る日々のためならば、私は何時でも幾度でも戦場に立とう」
そう語り、ひと呼気、置かれた。僅かにためらうようなそんな間であった。
「――私と共に戦ってくれる者はいるだろうか?」
問いかけの後、ゆっくりとアルマムベトは両腕を上げた。大空を見上げた。
「私は女王に拝謁したい。私は守るべき者がいるヌワコットを守りたい。その為に、私と共に闘ってくれる者はいるだろうか――」
その演説はカルマから見ても稚拙だった。あまりに生活に密着しすぎていた。あまりに率直過ぎた。そこには機士や騎士の名誉も、兵士の猛々しさもなく、ただの個人的な願いのようだ。
しかしそれによって、何か激しく胸を揺さぶられるのも事実であった。カルマの脳裏に浮かんだものはあった。カルマが秘かに慕っている大事な<笑顔>。アルマムベトの語りかけは、嘘偽りなく、損得抜きでカルマのその<あたたかな笑顔の少女>に触れた。だから考えた。馬鹿正直に考えた。
守れるだろうか――。
平素な言葉で、高圧的に申し出ることも無かったアルマムベトの問いかけ故に、カルマは自問自答した。だからすぐにカルマは応えることができた。間違っているのは騎士団長ヴォーロスだ。権力や権限やその立場を利用し、本来アルマムベトに与えられるべき栄光と権利をあの野郎は突っぱねたのだ。だがアルマムベトはその暴力から真っ向から応じた。行うべき必要のあることを知り、誰かが引き受けねばならぬことを知り、受けた。本来なら、栄光の機士団が行うべき重要で崇高で危険なその仕事を全て担った。それは<あの笑顔>を守る仕事だ。
答えは、決まっていた。




