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25:中央街区 宮殿前練兵場 武芸大会会場:チェルノボグ(4)

 試合が始まった。

 剣戟は収まることが無かった。

 激しく打ち鳴らされる鋼と鋼のぶつかり合う音は、会場中に鳴り響き、見る者すべての耳と胸を打った。


 チェルノボグは果敢に攻めた、攻めて攻めて攻め続けた。呼吸は止まり、心臓は早鐘のごとく鳴り響いている。しかし連撃の最中に呼吸は禁物だ、怒涛のごとき連続剣戟の基本は呼吸にこそある。どれだけ呼吸を止めていられるか、どれだけ自身の筋肉を引き絞れるか、どこまで全身に無理を課し続けれるのか、それによって連撃の手数が変わってくる。しかし、既にチェルノボグの全身のどこにも酸素は無い。肺はひりつき、喉は喘ぎ、視界には歪みが掛かっている。


 開始当初、一時の呼吸を読んだ後での小手調べ6連撃はあっさりと躱された。立ち位置を入れ替えての次の9連撃は受け止められた。本気の13連撃は逸らされた。渾身の力を振り絞った16連撃は、最後が捨て身の体を残すほどの決死の一撃を含んでいたというのに反された。いまは全身に熱を帯び、汗が噴き出している。それは肉体の悲鳴と共にチェルノボグの魂の叫びだった。恥辱であった。明らかに相手は余力を残している。16連撃の最後は「突き」の体勢であった。その斬撃は剣としては意表を突く点の攻撃であり、必殺であるとともに、両の腕が伸びきることから「次の姿勢」へと転化し繋げることができない「死に体技」であった。しかし白き男は反撃をしてこなかった。


 相手の得物は「槍」。


 通常であれば剣で応対することになったチェルノボグがやや不利と言える。槍はその攻撃範囲から、常に刀より先手を取ることが出来うるからである。しかしチェルノボグは剣で槍と相対することに慣れていた。相手が手にする槍は、特段に特徴のない槍である。それは剣より早い位置取りで、遠くから攻めかけれる、突き立てれるというだけの代物であり、大したモノではない。むしろ次の対戦相手となるであろう相手の半月斧(バルティッシュ)なぞがよほど厄介だ。遠くからの斬撃、重たい攻撃は躱すことが出来なければ剣が曲がる。それに比べて、穂先以外はただの棒となる突き形状の槍なぞは、チェルノボグにとっては烈覇の気合で攻めかかれば、槍の柄なぞ叩き折ることすらできるのだ。出来る筈であったのだ。よしんばそれが無理だとしても、素早い飛び込みで懐にさえ入り込めば、あとは剣の手数がものを言う――はずであった。


 だが白き大男、アルマムベトと言う名の男は、チェルノボグの天頂からの斬撃を躱し、懐へと飛び込んだ連撃を躱し、あらゆる刃をその体さばきのみで躱し切った。ならばと一段と力を込め、手数を増やした9連撃へと変化を付ければそれを素早く見抜いたのか体さばきで躱しながら最後は易々と受け止めた。止まった刃を弾いたのはむしろアルマムベトの方であった。弾かれたとなれば、ややもすれば体勢を崩されたチェルノボグが後手に回るところであったがそれは免れた。そこで豪の剣から速さの剣へと切り替え、決め技の13連撃を行ったところ、躱され続け、途中から槍の穂で剣の側帯を軽く叩かれ刃筋を逸らされる扱いであった。ならばと捨て身を含む決死の16連撃、最後の突きは上半身を反り返す、僅か指1本分の見切りを受けて、チェルノボグはたたらを踏んでしまった。


 無様だ。


 9連撃後の弾き、体崩しは免れたのではない、見逃されたのだ。16連撃後の無様さも、やはり見逃されたのだ。完全に両腕が伸び切り、たたらを踏むほどに重心を崩した体勢であれば、それを避け得るほどの男がその隙に気が付かぬはずがなく、また攻撃できぬはずもない。現に相手はチェルノボグよりずいぶんと呼吸に余裕がある。息を切らせ、全身を汗まみれにしているチェルノボグに対し、アルマムベトの呼吸は静かで、落ち着いているものであった。こちらは既に全身を汗まみれにしているというのに、相手は僅かに上気した程度だ。そして穏やかな表情でこちらを見ている。黒い静謐な瞳でこちらを見ている。


 恥辱だ。


 まるで「次の技は何か? さあ打ち込んでこい」と誘われているかのようだ。圧倒的な実力と自信を持つ者を前に、この身がまるで赤子のように稚児のように遊ばれているように、そう感じる。そのように思うと呼吸不全で熱くなる全身がいっそう熱く燃えた。冷静ではいられない。冷静でなければ呼吸は乱れ、隙を生む。分かっている、理解をしているというのに呼吸の乱れが正せない。相対する姿に対し、無理に無理を重ねて連撃を行う。しかし既に完成形の13連撃を逸らされ、隠し手の16連撃すら効かなかった相手である。もはや出来ることは遮二無二、剣を繰り出すことだけだった。技と技の連なりは稚拙、豪の剣を叩きつけ、速さの2手を送り込む、ただただ感情に押し出されて振るうだけだ。


 まるで巌(いわお)のようだ。

 巨大な岩石のように、何を打ち込んでも返される。


 まるで柳のようだ。

 柔らかな枝や落葉のように、何を打ち込んでも逸らされる。


 もはや試合であることを忘れていた。チェルノボグはただ必死になって剣を振るった。羽曳の剣とはいえ、まともに当たれば相手は軽傷では済まされない。御前試合、神へ捧げる武芸大会だということを忘れ、相応しくない気構えでただ剣を振るった。この一撃が見事に決まれば、相手は無傷では済まされない。これほどの相手から反撃を受ければ、自身の肉体もただでは済まされない。分かっていた。なのに、それを忘れて剣を振るった。ただ振るった。それは幼少期、父や祖父に対して、絶対的な差を感じながら打ち続けた頃の剣を思い起こすものだった。


 相手が強いゆえ、不動不屈の巨岩のような父が相手ゆえ、どのような技も、どのような思いつきも、どのような練習技でも構わない。とにかく1手でも多く打ち込んだ。とにかく1手でも多く相手の手数を引き出さねば勝機はなく。そうでなければ一気に相手に押されるのだ。守りに入れば瞬時に詰んでしまう。相手の力量に押し流されてしまう。さすれば勝機は無い。そういった、強迫観念にも似た、精進の気構え。圧倒的な相手を前に、絶対的な練度向上を求める姿が幼少期はあった。久しくなかった遮二無二の剣となった。その剣には悔しさ、口惜しさ、そして――信頼もあった。


 強い。

 大きい。


 アルマムベトは連撃のすべてを受け返し、チェルノボグの攻撃が、呼吸が途切れた瞬間には頬を上気させ、わずかに笑みを浮かべ「さあ、次はどのように来る?」と呼びかけるような仕草を含んだ槍の構えを見せる。時として、チェルノボグの呼吸が休息の色合いを帯びた、長い間となると反撃を行ってくるようになった。小手調べの6連撃、問いかけのような9連撃、向かい合った13連撃、腰を入れた16連撃。

 チェルノボグはアルマムベトの連撃を全身全霊で迎え撃った。そして何とかそれを躱し切ると、2度と反撃なぞ許すまいとの気構え、不屈の精神で、限界まで引き絞った肉体をいま一度絞り直すように反撃を再開した。全身は既に熱そのもの、汗などもう出てこない。チェルノボグの酸素切れの脳裏には、同様の攻撃を繰り返すたびに浮かびあがる、懐かしい光景があった。


 思い出すまいと心に誓い、その掌の暖かさのみを思い起こしたこの7年。やがて「思い出すことができないこと」に気が付いたこの2年。思い出せすことのできない――父の顔。あれほどに憧憬を抱いていたはずの記憶が、消え果てしまった記憶が、それがいま、輪郭を持って目の前に浮かび上がってきていた。


 強く、誰よりも強く。

 大きく、誰よりも大きく。

 そして、貴方のようになりたい。


 願い、祈った、叫んだ記憶が呼び起される。

 そして思う。


 ――勝ちたい。



★★★★★



 連撃の波が収まり、無限のような一瞬は終わった。


 息は切れ、喉は焼けた。全身は蒸気を吹き出していた。呼吸は吸っているのか吐いているのか分からないほどの激しいものとなり、聴覚は血流しか聞こえてこない。心の臓が胸から飛び出しそうだった。がんがんと頭蓋に痛みが走る。僅かに鼻に届くのは春風の薫り、緑が芽吹く匂いを感じた。蒼天は目の前に輝き世界は煌めいていた。点滅する眼底に浮かぶのは父の笑顔。土石流のごとき繰り出された連撃を、21までは数えれたことを覚えている。記憶はそこで途切れていた。


「この試合、青の戦士、アルマムベトの勝利!」


 ――そうか、負けたか。

 チェルノボグは、自身が舞台に、大の字になって倒れていることを知った。

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