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24:中央街区 宮殿前練兵場 武芸大会会場:チェルノボグ(3)

「この試合、赤の戦士、ベロボーグの勝利とする!」


 チェルノボクがいる控室にまで響き渡る大歓声、それを割り裂く大太鼓の音、そして扉を貫いて発声役の声が届いた。その後のひときわ大きな拍手と歓声が鳴り止みしばらくすると、目の前の扉が開いた。


 大柄な武芸者が会場より入室してくる。赤い布を、砂埃と汗にまみれさせたその男が手にする得物は半月斧(バルティッシュ)、年のころは20代半ば、長身でしなやかな長い腕を持つその武芸者はヌワコット勤めの騎士であった。高名な騎兵隊長、その片腕とも呼ばれるほどの者であった。副隊長格として隊を取りまとめているとも漏れ聞いている。ベロボーグという名の勝利者は、騎兵として3代前よりヌワコットに居を構えた家の出だとも聞く。生え抜きの騎兵の家の出だ。昨年の武芸大会では惜しくも準決勝で敗れた、昨年の大鎧生産数も今年と同じ3体だったが故に、総合評価で4位とみなされたベロボーグは、惜しくも大鎧の受領を得られなかったと聞いていた。


 その者が、今年はついに決勝へと駒を進めた訳であり、つまりは他の競技や総合評価でよほどのことが無い限り――そして昨年の成績から鑑みてもそれは恐らくないであろう。故に決勝の結果を問わず、この男はあの大鎧、ヌワコットの名誉たる瑠璃色のセマルグルを手にすることになったのだ。この男は騎士から機士へとなったのだ。


 小さく胸にともる羨望。そしてそれ以上に、己がそれに続くであろう確信と矜持を持って、チェルノボクは試合を終えた勇者に対し小さな黙礼をした。

 それを見たベロボーグはにやりと笑い、軽く片手を上げ、チェルノボクの横を通過し控室を出て行った。通過する際に小さく呟かれた声「次は貴公だな――」チェルノボクの全身に身震いが起こる。激しく打ちつけ合ったのであろう、男の手にする半月斧は刃も柄も傷だらけであった、何より男の全身が赤く腫れ上がっていた。今まさに赤黒く変色をしていた。その者からの激励。闘いの香り。


★★★★★


 本戦出場する武芸者が会場に臨む際、真っ先に目にするのは控室出入口に吊るされた大布である。扉出口、会場へと続く観音扉仕様の大戸には、2つに割れた大きな布が張られている。

 建物東側に設えられた控室及び出入口には青い布が。建物西側に設えられた控室及び出入口には赤い布が設えられる。青は、朝と大空を意味し、また祭事の信仰色としては「青-心と精神」も意味する。赤は、夕日と生物を意味し、祭事の信仰色として「赤-肉体と強さ」も意味している。

 武芸大会本戦に進む者は、各試合でそれぞれ使用する出入口の色布を頭部や腰に巻く習わしだ。進行役にして発声役の者は、それぞれの選手を大太鼓と共に「色付き」で紹介するのが習いである。


 いま、チェルノボグの目の前には赤い布が翻り、自身の頭部にも、きりりと赤い布が縛られていた。


 本戦準決勝といっても、いままでと全く変わらない。予選からずっと使われている、平時は兵士詰所であり兵士訓練所である回廊中庭が仕合う場だ。ただそこは、前々日までの予選時のように、他競技のように武芸を競わせるための資材――弓の的やら障害物やら、ゴールに設置された色布やら――はもう綺麗に片付けられている。

 また本戦ともなれば、予選日のように4試合同時並行で行われたりはしない。いままで使っていた広い空間、その全てをきれいに掃き清め、中央部には白い砂を撒く。それによって観戦者からは中央に白く区画割りされた舞台のようにも見える。白い砂で区画割りされた外周部には、わずかに土を盛っているため、より一層、演台のように見えるのだ。


 その舞台に立つ者は武芸者が2名だけ。


 1対1で仕合う場だ。その身で表す全身全霊の試合を、山の頂に住まう神々に、ヌワコットに住まう皆々に届ける場だ。舞台の砂は1試合毎にきれいに掃き均される。舞台を見渡せる兵舎回廊には飾り垂れ布、そして大太鼓が設置されている。試合前、両武芸者の入場や紹介、そして開始や終了などの合図に打ち鳴らされる。しかし、進行役である宮殿関係者が用意する飾りや鳴り物はそれだけだ。あとはヌワコット住民たる人々が、青い空が、そしてコングール山の白い峰だけが見つめる祭事――神聖な場。


 どんどどん、どんどどん、と大太鼓が鳴らされる。同時に発声役の声が上がる。


「両選手、出ませい!」


 扉に掛けられた赤布、チェルノボグはそれと共に扉を開け放った。先ほどより一層響く人の声。大太鼓の音。扉の向こうには、戸口への視線を塞ぐように同色の赤い帆布が張られている。その赤い帆布の隙間から、陽光が目に飛び込む。控室の暗がりに、差すような光。わずかな痛みを目に感じ、一呼吸おいて先へ進む。全身に陽の光を浴びる。観客の大歓声を浴びる。頭頂から手足の隅々までびりびりと響く人々の視線と声と声と声。観客たちが発する打ち震える呼気と呼び声。打ち鳴らされる大太鼓。全ての洗礼を受けながら、一礼をして会場中央へ。白い大きな区画――武芸大会の舞台へと向かう。

 観客たちからの歓声は全身を打ち据え、心臓の鼓動は跳ね上がる。そして心音のように大太鼓が響き渡る。


 発声役は声を張り上げる。


「ではこれより、準決勝第2試合!」


 右を見れば兵士舎の回廊、1階2階には、鈴なりになってこちらを見ている同僚や部下や上司ら、兵士たちの顔ぶれが並ぶ。腕を振り回し、大声を上げてくれているのはかつて同じ部隊で任務についていた騎士と兵士たちだ。「我らの誇り!」「ヌワコットの剣!」顔を赤らめそうな美辞麗句で声援を贈ってくれていた。回廊2階の片隅で集っている、上着の金糸が目につく集団は、今はまだ同僚と言えない機士の集団であろう。彼らは自らの新しい仲間――そう呼んで相応しい者かどうか、事前の品定めと言ったところなのだろうか。そして回廊3階には宮殿神官や女官たち、彼らの身に付けている艶やかな布と色とが翻る。


 左を見れば霊峰コングール山の硬い地肌。そしてその山の斜面下いっぱいに、ありったけの布をぶちまけ敷き布にしたかのような観客たちが犇(ひし)めいている。ヌワコットの市民が総出かと見まごうような人波だ。

 豪奢な布の上に陣取るのは裕福な商人だろうか。このような華やかな席に使うために用意したのだろうか、色鮮やかな織布敷布、手には酒杯、布の上には綺麗な皿に豪奢な塗りの料理箱、傍らには妻女か侍女か艶めいた娘たちの姿がある。なんとも豪勢な観戦だ。そこそこの身上の者ならば、家の敷布を引っぺがしてきたかのような色と文様の敷布を広げている。家族総出での観戦と思える顔ぶれ、近くの売り子から買ったのであろう酒や干菓子や果実を齧り、興奮した面持ちでこちらを見つめている。貧しい下町の者たちと思しき者なら、敷き布を用意できないまま、その場に直に座り込んでの観戦だ。中には腰を落ち着けるに相応しくない場所ゆえに立ち上がったり、岩場から転げ落ちないようにと灌木や岩肌に張り付いて、ほつれた袖口の手を口元に充てて声援を上げてくれている。


 ここは2年前、傷を負った腕を抱きかかえ、ひとり夜中に涙を流し、夢にまで見た舞台であった。


 発声役の声は響く。


「赤の戦士、チェルノボグ! ヌワコットの騎士にしてポレヴィーク家の当主! 年は19!」


 打ちもの、鳴らしものが鳴った。見れば回廊2階の一角に、一族の者がひしめいていた。小太鼓と打ち鐘を持ち込んでいたのか、どんどんじゃんじゃんと打ちならし「我らが主(あるじ)! 我らの希望!」と小っ恥ずかしいこと甚だしく、いますぐにでも止めてもらいたい。だが、彼らもきっと夢に見ていたのだ。私がこの舞台に立つことを――。


 声が再び響き渡る。


「青の戦士、アルマムベト! 推薦者は騎士隊長トリグラフ、流れ機士! 年は37!」


 どっと、歓声が上がった。霊峰岩肌の一角、灰色と緋色の集団からであった。下町の労務者風の男たち、そしてその奥方と見える太り尻の女たちの集団だった。「我らの救い主! 我らの導き手! 疾風怒涛の勇者(ハイドゥーク)!」木材や柔らかいものを打ち鳴らすような、鈍い音が響き渡る。彼らは木鉢や皿や板切れを持ち込んで、それらを打ち鳴らしているのだった。足を踏み鳴らし、膝を叩いて音を立てていた。


 目前に白い大男が立っていた。


 まだ舞台の端と端である。距離は十分すぎるほどに離れていた。しかしその男が目前にいるように明晰に見えた。明晰に見えることは良いことであった。視界は広く、対象がくっきりと見えるという事は、心身ともに良い状態であると言えた。

 しかし白い大男がずいぶんと大きく見えた。ゆったりとして見えた。黒く澄んだ瞳が穏やかに見えた。


 この白き大男こそ今回の対戦相手だった。身長はチェルノボグとそう変わらない。骨格も、体格も、似たようなものだ。そういう意味では優劣がつけがたいと言える。しかし同時に、若さを持つチェルノボグが、連戦を経てのこの状況であれば有利であるともいえる。ましてやチェルノボグはこのヌワコットの出であり、零落しかかったとはいえ武門の当主であり、多くの助力を得て登板したのだ。


 あの男は下町の住人に評判が良いらしい。そういう噂を聞いたのは、昨夜の食事を運んでくれた世話役からの伝聞であった。世話役は、本戦に進んだ者たちそれぞれの評判や得意とする武具、またその技の片鱗などについて、出来うる限りの情報をかき集めて出場選手に届ける大事な役目を担っている。ポレヴィーク家の郎党でも気心知れた昔馴染みがその役につき、一族総出で集めた情報を整理して届けてくれていたのだ。 


 あの男の武具は槍。長槍とも短槍とも言い難い、平凡な長さの槍だという。確かにいま手に携えている得物は槍であった。穂先を柔らかく丸くつぶしてある、古びた変哲のない試合用、練習用の槍であった。あえて特徴を述べれば、やや穂先が長いと言うだけの変哲のない長さと形状だ。そしてあの者は、槍投げでは歴代記録を塗り替えたというのだから、その背筋力はすざまじいと言えるだろう。踏み込みも強かろう。一方で、馬術競技には出なかったともいう。完全な歩兵としての古参兵と見える。長さから見て、遠方からの突き主体ではなく、取り回し中心の槍術と見るべきだろう。


 そして直近の噂話として、あのアルマムベトという男は、この会場で人助けをしたという。それが下町に住む者たちの心を打ったという。


 予選時のある試合において、試合っている者の剣がへし折れ、その折れた剣先が大きく天空に舞い上がった。激剣の末、痛んだ剣が折れたのだ。折れた剣先は弧を描いて観客たちのいるコングール山の岩肌へ、回転しながら飛んでいった。その飛びゆく先には、祭り見物、武芸大会見物に来ていた老婆と晴着の孫がいた、明らかに大怪我を負う――そこに駆け、姿を現し、鋼の前に迷わず飛び込んだ白き男がいた。それがアルマムベトであったという。


 無手だったはずの片手には、いつの間にか傍らから酒器が取り上げられており、空より襲いかった刃をその酒器で受け止めた。酒器は甲高い音とともに割れ、小さな破片が酒とともに飛び散った。刃は白き男の手にあった。一筋の血が流れ、それは拳で握り締められた。男のすぐ傍には、幼子を抱きしめ丸まった背中の痩せた老婆。そこに腕を回して身体で庇いながらの所作であったという。

 男は刃を地面に下ろすと「大丈夫だ、もう刃は飛んでこない」と老婆に声をかけた。老婆は孫を抱きしめ身を固くしたまま、抱きしめられた子供はあどけない笑顔にて男に返礼をしたという。そして子供は男の怪我を心配したという。「ありがとう! でも――おじさん、痛い?」その延ばした小さな手のひらと幼い問いかけに対し、男は「心配ない、私の体は大きいゆえ、このような怪我はかすり傷だ」とその柔らかな指に触れて返答したという。

 周囲の見物客はその雄姿に、その度量に拍手喝采をした。「あんた見事だな!」「男だ!」「勇気ある者よ、俺の盃を受けてくれ!」と騒いだ。一部で人気であった、知る人ぞ知るだけの武芸者は、その場で弱き者を守る勇者(ハイドウーク)として一躍名が知られるようになった。しかし驚くべきは、その男の健脚と判断力であろう。十四~五歩先の区画にて、知人の用意した膳を囲んでいた状況の中、一瞬の行為であったという。


 試合期間中とはいえ食事の最中、宴の最中のことである。その場において瞬時に危機を知覚し、対応するその者は間違いなく一流の武芸者だ。手練れであろう。しかし、同時に、その身体能力と共に気になるのはその判断力だ。その時、かの白き大男は手の平に傷を負ったと聞いている。大事な試合を前にして、それは実に不用意なことであったと言えよう。しかしかつて、チェルノボグも試合前の大切な時期に、同僚の危機を救うため負傷したことがある身の上だ。人の身に起きる危機、その際での瞬の判断、そこに損得の感情なぞ芽生えはしないことを己が自身は良く知っている。


 チェルノボグは、そのような男と対峙した。

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