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21:中央街区 宮殿前練兵場 控室:カルマ(5)

 祭りの喧騒も、選手控室となっている奥の房室までは届かない。そして口数の少ない男であるアルマムベトのための朝だ、カルマは朝の挨拶を済ませると、カルマは無駄口もなくすぐに朝餉の支度を整え始めた。買い求めてきた料理を手早く丁寧に、出来うる限り綺麗に皿へと並べ、粥を椀に移し替え、熱めのバター茶を淹れる。そんな朝餉の支度はすぐに終わった。床に敷布を敷き、大皿を並べるとアルマムベトとカルマは向かい合わせに座る。年長者であるアルマムベトが今日の糧があることへの簡便な感謝の祈りを捧げ始めるとカルマもそれに倣う。そして軽く視線を交わして互いに皿を押し合った。互いに1度それを辞した後に年少者であるとともにこの部屋に置いて客人(従僕役としているはずなのだが)としての立場のカルマから皿に手を伸ばし、ひとくち口にする。それを目にして年長のアルマムベトは軽く微笑み皿に手を付け始める。静かな、静かすぎるともいえる男二人での朝餉。しかし静謐なれど満たされた気持ちにもなる食事――その静寂を蹴破ってリタが駆け込んできた。


「見てくれよっ、買ってきたぞー!」


 激しい音を立てて戸口を開け、扉を後ろ手に激しく投げ出し、しかし足音だけは軽やかに駆け寄る彼女が手にしているのは賭博の賭け札だ。そこには赤い墨でアルマムベトの名と数値が記されていた。


「まだまだ高配当だった! さすがに地元出身でないと優勝は厳しかろうとの評も変わらないまま。だけど上位配当なら結構下がってきて15倍、でも優勝時の配当は変わらずの140倍!」


 カルマに向かって一直線。部屋の主たるアルマムベトに挨拶もないまま頬を赤く染め、高揚させた気分をそのままぶつける様な報告を今朝もまたリタは運んでくる。開催初日の配当は上位配当で50倍、優勝配当は彼女の弁を信じるなら初日から140倍だったろうか。彼女は少なからぬ額を――決して潤沢とは言えない給金から貯めていたお金を初日からアルマムベトに叩き込んでいた。「カルマがそこまでアルマムベトのおじさんを贔屓にするなら信じてるよ」とか言いながら、開催初日に賭け札を見せにやってきていたのだ。あの時もリタは騒いで、赤くなって、急におとなしくなったりしていた。そして今朝も、大会が始まって毎日、少額ながら札を買い足したきてはその人気のほどを報告をしに来訪してくる。

 ちょっとカルマは困ってしまう。

 アルマムベトは間違いなく強者であり勇者だろう。しかしそれでも勝負の世界というものに絶対はないということぐらいはカルマにも分かっている。そこにカルマが自分の給金を吐き出して買うのなら構わない。だがリタの、日々汗を流し、手をあかぎれにさせて稼いている分の責任までは取れはしない。現にリタが札を買ったと聞いたとき、カルマは自分で買う分を抑えて「万が一」リタが大きく散財した際にその補填ができるようにと札を買うことを止めた。そしてここが肝心だが、札は一応建前上はご法度なのだった。それを大声で報告されてもちょっと困る。

 それに掛札のことを、決して己の強さをひけらかさない、清廉潔白なアルマムベトに毎度毎度伝えて、はたして彼にとってそれは快いことだろうか。真剣勝負に臨む一人の勇者を、観客はまるで闘犬や闘鶏、掛け馬のように扱ってはいるのではないだろうか。いくら人気の指標とはいえ、カルマはそこらへんがどうにも判断がつきかねて落ち着かず、リタのあまりに真っ直ぐな世俗的な評価と報告を恥ずかしくも思うのだった。


 しかしリタは興奮気味に報告を続けていた。

 掛札屋として臨時に店を開いている店主から得た情報では、少しづつだがアルマムベトの評価は高まっているということだ。初日は誰も着目をしていなかった流れ機士――たいていは「失機者」(機体を破損したりして失くした者)の一族だろうという先入観から特に評価は低かった。だが初回競技時において、彼への声援として一部観客席から、砂埃と汗にまみれた作業着の石工職人集団から野太い大声援が発せられたことは他の観客を驚かせた。その上結果は好成績、度肝を抜いたことだろう。おまけにその日の晩では、飯屋で、酒房で、アルマムベトへの成績結果と共に、彼の砦での功績、人柄などが流れたことも、じわりじわりと人気が上がった理由のようだ。「そういや聞いたな、砦補修の事件。あれで別格の活躍をした機士のこと」「流れ者にしては、なかなかに気骨のあるヤツだって言うじゃないか」よそ者への辛い評価で出足が遅かったアルマムベトの掛札は、そこらへんからちょっと目端の利く者が、1枚2枚と買い足されて続けているようなのだった。


 なるほど。しかもそもそもアルマムベトは無名としてこの大会に出た訳では無かった。砦補修での実績から、騎兵隊長のご推薦だ。「あの武人、馬を操らせれば天下無双の騎兵隊長の推挙だって?」「機体適正さえあれば、あの人こそヌワコット随一かもとも言われた?」「機士団長との双璧といえる、あの?」そうなれば俄然注目を集める。

 そこに市民の噂としては別方向からも流れる。そこは男連中以外の場所だ。なにしろ石積み職人たちをただの一人も損なわず街まで送り届けた実績は、それを知った彼らの家族や縁者から好評価を得ているのは確実だった。特におかみさん連中になら大好評だ。何しろ自身の夫や息子を、無事に街まで連れて帰ってくれたのだから文句ない。「うちの馬鹿亭主を」「うちの大酒飲みを」「うちの表六玉を」そんな罵倒から始まる言葉には安堵と感謝が込められた言葉で締めくくられる。「死んでくれても良かったよ、そしたらあたしゃもっとマシな亭主を見つけるさ」そんな憎まれ口にすら感謝の音は込められている。何はともあれ五体満足に帰宅まで導いてくれたことは、この厳しい環境下で日々を繋げている下町のおっかさんなら誰だって分かっているというものだ。


 一方、機士の中での評判はちょっと微妙だ。アルマムベトはヌワコット正規機体を1体背負って帰還していた。それ自身は褒められてしかるべきことなのだが、ヌワコット正機士たちのとっては面白くはない「あいつが生き残ったのは正機士が庇ったからだ」と公然と口にする者もいるだろう。まあ普通はそう考えるかもしれない、ヌワコットの機体は優秀なのだから。破損していることから宮殿御用達の機体整備パペッター工房の職人たちにとってはどうだろう? 兵士たちにとっては? 市場バザールに集まった市民たちは? 分からない。そんなカルマの思慮の外で、熱っぽく、高揚した頬で語り続けるリタ。


「噂によるとさ、今日の武芸大会本戦には、石工職人のおかみさん連中も集まって声援を送るって話でさ――」

「本戦なら、今まで以上に観客は増えるだろう?」


 静かで、むさ苦しい男二人の朝に突然刺さり込んできた甘い香りの女の子。あまりに楽観的にふるまう少女に対し、妙な胸騒ぎと落ち着かなさを感じたカルマは、ぴしゃりと冷水をかけるような声音で一言を発した。自らも驚くほどに不機嫌っぽい声音になったことに驚くとともに「しまった!」と感じた。しかし1度出した言葉は引っ込められはしないのだ。それに今年になって、妙にリタを、彼女が時々匂わす妙な汗の香りや、ちいさな仕草が気になりだしたカルマにとって、謝罪や、それに類することを素直に伝えることはとても難しかった。リタを、彼女を目の前にすると時々妙にイライラと落ち着かなくなることがあり、また意地もある。


 おおきな眼――明るい灰色に少し緑が入っている大きな大きな瞳を見開いたまま、リタは固まった。さっきまで興奮して逆立っていたような赤みがかった栗色の前髪も、しおしおと突然萎れたようだ。ぷるぷると震えるちいさな手には労働者特有のひび割れが見えた。愛らしい唇が2度3度と小さく開き、閉じ、いままで語っていたのと別の内容を取り出すのに手間取っているかのような仕草。それらを妙に冷えた頭でカルマは眺めながら、胸を押しつぶすような、足元が冷えるような感覚をカルマは感じていた。


「あ、あたしは――」

「ありがとうリタ」


 震える言葉で声を発したリタに被せるように、アルマムベトが口を開いた。座ったまま、視線を彼女の高さに合わせたままアルマムベトはまっすぐにリタを見ていた。そして1度視線をカルマに向けた後、再度言葉を紡いだ。


「感謝するよリタ、君のお蔭で市民からの評価が分かり、また少なからぬ人が声援を贈ってくれていることを確認できた。彼らの期待に報いるべく、せめて精一杯の力で武芸大会に臨もう」

「でも――」

「そしてリタ、食事がまだなら一緒にどうだろう? カルマが用意してくれたものだ。その綺麗な、祭り衣装を汚さないように気を付けなければならないだろうが、一緒に皿を分け合わないか。それにしてもその鮮やかな白のシャツとその髪飾りは華やかだ。よく似合っている。そうは思わないか、カルマ?」


 突然に振られた会話にカルマは喉をひくつかせながら頷いた。そうだ、今日のリタが違って見えたのはいつもの服装ではないからだ。そうだった、そうなのだ。彼女の特徴トレードマークのようだったいつもの普段着である赤い袖なしの上掛けは姿を消しており。初夏によく似合う、真っ白な新品のシャツを彼女は身に着けていた。髪飾りの色は新緑で、上掛け(ケープ)も同色だ。下町の娘が、祭りに合わせて精一杯に華やかな衣装を用意したという趣は、その若さと健康さでいっそう色鮮やかに輝いている。なぜ気が付かなかったのだろう。リタは今朝、祭りの大目玉である武芸大会本戦に際し、健気におめかしをしてきていたのか。それと比べるとなんとも自分の姿はいつも通りだった。いくぶん汚れが目立たない新しい方の替え着とはいえ、いつもとまったく変わらない青色の作業着をカルマは着ていた。もっともカルマの持っている衣類といえば、いつもの継ぎ接ぎだらけの作業着とこの作業着、あとは寝巻のボロ下着ぐらいだ。祭りの華やかさに、リタの華やかさに似合いもしない。

 困惑と共に羞恥を感じる、視線を外しながらそれでもカルマは頷いた。首を2度3度と頷かせ「うん、そうですね。に、似合ってるよリタ」とぼそぼそと呟いた。


 空気が変わった気がした。


 ふわりとした軽やかな香りを感じ、カルマが横目でリタを盗み見ると、リタはまったくもっていつもどおりだった。いつも通りの――弾けるような明るい笑顔。灰色と墨色の作業工房に食事を持ってくる、あの元気な――カルマが力づけられているあの笑顔だった。どうだろう? それ以上に華やかだろうか。もっと明るかっただろうか。


「じゃあいただきます!」


 朗らかな声で再開された3人の朝餉は、明るく華やかなものとなった。

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