20:中央街区 宮殿前練兵場 控室:カルマ(4)
「ヌワコットの民はその生涯において3度血の涙を流す」と言われている。それは生まれた時と、婚姻の時と、亡くなり埋葬される時、都合3回において、城壁内の市民ならば宮殿にて、ヌワコットまで来れない遠方の者は近くに作られた祠にて、小さな針で額に傷を付け、その赤い血を石柱に塗りつける風習があるからだ。
赤子が生まれたらならば、何はともあれ父親か血族が無事に生まれたことを宮殿や僧院へ知らせるべく駆けつける。名を伝え籍を(宮殿や僧院に保管される記録帖に)登録するのだ。そして赤子と母親の様子が落ち着いたら、まだ小さい赤子を連れて、神と女神に改めてご挨拶に詣で、その際に石柱への「血の登録」を済ませる。「ここにいること、住むこと」を山の神々へ知らせるためだ。宮殿や祠に設置された神格を表す石柱は、山の神々へと繋がっている。
額に傷をつけるのだ、大抵の赤子は泣くに泣く。もしここで泣かずに額に針を刺すことが出来たのなら、男の子なら「大物だ、将来は大成するに違いない」とか、女の子なら「この幼さで信心深い、将来は宮殿に使える巫女にしようか」とかいった話題が親族の間で為されることになる。
婚姻の際は「縁を結び、永遠に分かたれる事が無いように」と、2人の血を混ぜて塗る。いずれ死によって別離を迎えるのは生き物としての定めではあるし、そもそも仲違いによって離れていく夫婦というものもあるにはあるのだが、婚姻を迎えるにあたってはすべてのヌワコットの民がこの儀式を通過する。強い信仰心に支えられた彼らは女王の加護があるように、ひいては山の神々の加護があるようにと願い、手をとりあって柱に血のしるしを残していく。石柱に塗られた血が混ざり2度と分かたれることが出来ないのと同じように。また夫婦の血を引く子供が、子孫が、血族が授かりこの地に残っていくように、にという意味も含まれる。
亡くなった時には、死者の額に本当に小さな小さな傷をつけ、そこから採取した血液を柱に塗ることによって、死者が出たことを山の神に報告する。儀式には「死者の魂が神々の庭たる山の頂きへと旅立ったことを伝え、またその魂に安らかなる加護が与えられることを祈る」といった意味合いが込められており、儀式ののち、魂が抜けて空の器となった肉体は大地に埋葬される。
ヌワコットをおとずれる異国異教の民は、彼らのこれらの風習を迷信だといって笑う者もいる。崇高な信仰心の為せる行為であると敬意を払う者もいる。迷信か、真実か、そのどちらが本当であるかは誰も分からない。だがヌワコットという国家において「3度の流血」は何よりも重んじられている儀式だ。彼らはその信じるモノによってこの土地に生を受け、成長し、愛し、死んでゆく。これら儀式と祈りを通じ、つらく厳しい季節を乗り越え、互いを信じ、理不尽とも呼べる自然の猛威や、病や、騒乱に耐えて暮らしと血脈を繋げ今日まで生きている。冬が終われば暖かな春がおとずれ、やがて彼らの女王が初夏の香りをともなって顕現を果たす。それが祭りだ。女王の祭りであり、女王を掲げるヌワコットの民すべての者のための――祭り。
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春祭が開かれた。
春の祭りと言われるが山の麓を走る風は初夏に近い。大祭である。祭りが開催される十日前までには、宮殿から伝達の早馬が幟旗を立てて町中を走り回り、告知の声を張り上げる。その後、その早馬は近郊の町や村へ向かって四方に散ってゆく。
告知の内容は、山の神々への祈り、女王への賛辞、そして祭りの開催日と共に伝えられる今年ヌワコットで生み出された大鎧〈セマルグル〉の機体数である。つまりは女王の霊力は変わりなく強力であること、天上の神々よりこの地を守護する力――大鎧を無事に生み出したことを知らしめる内容だ。
現女王の即位前ならば、前女王や前々女王の統治下においてならば機体を生み出せなかった年もあった。特に代替わりの前年や数年前にはそうなることは多いい。そのような際は「女神は健やかにしてご健在、夏を連れて現れることを宣誓なされた」といった「季節を引き寄せた」という意味の決まり口上だけとなる。
だが、新たなる女王が即位して二十余年、その前口上は本当にただの前口上となった。現女王は毎年最低でも2体、多いときには5体もの大鎧を生み出し続けていた。武芸大会の参加者を募るお触れ書きにはその年に生まれた大鎧〈セマルグル〉の生産台数が誇らしげに掲示され、「これに見合う心と技を持つと思う者は、祭りの前日までに宮殿へ届け出よ!」という、男たちを色めき立たせずにはおかないような告知が響く。
大鎧〈セマルグル〉、それは淡い群青色と深い瑠璃色にいろどられた、秀麗な輪郭を持つ機体だ。バランスよくしなやかな四肢、細面の頭部にある瞳は2つで、若々しい薄緑の硝子製。視力はとても良い。とんがり帽子のような兜を被り、菱形形状の魚燐鎧が肩部と下腹部に垂れている。指はしなやかな5本指。細身であること以外には特徴がないような中型の機体に見えるが、空気が薄い高地で活動することに適応した、持久力がある機体でもある。細い手足は瞬間的なパワーにはやや劣るが、高地での長時間活動や、連日連夜の連続活動時において特筆すべき安定性を誇り、中型機としてはやや軽めの機体重量を支える脚部も「ふんばり」において他機種より高いというのが機体乗りたちの評価だ。山岳部、荒れ地、岩場、そういった国土を多く保有するヌワコットにとって、実に適した機体であるといえる。
そのような機体を、今年はどのような勇ましい強者が、勇者が受け取ることになるのか。いや、我こそは強者であると名乗りを上げる者たちの面構えはどのようなものか。そのような者たちが、今年はどのような名場面を「武芸大会」で示すのか。そのような話題がヌワコットの男たちを魅了する。
日頃なら噂話など一切しない、そのような寡黙な老職人であってもこの手の話題にだけは口をはさむ。「昨年は惜しくも逃したあの者が、今年こそは栄誉の機体を賜ることだろう」「いや、かの者はもはや老いた、昔日の力はもうないはずだ」「今年は大キャラバン隊の護衛でやってきた腕自慢がいるらしい」「流れ者の力量な知れたもの、それよりも、ヌワコットで武芸で鳴らした名家の次男が、今年初出場とか」「かの者に長兄ほどの腕があるはずもなし」そのような話題で盛り上がる。若い者は若手を押し、中堅どころは中堅の実力者を、年配者は常連の挑戦者を応援する。そして老人は、かつて昔日に自らが目撃した驚きの名場面を見せた勇者の名と話題を織り交ぜて、終わることのない話で盛り上がる。
この時ばかりは日頃口やかましい、水路端で日がな一日噂話に興じる女連中も思わず口を噤んで苦笑いを交わす、そんな日々が始まるのだ。
祭りはヌワコットの全住民だけでなく、近郊から、近隣の都市からすら人が集う。この時期に合わせて参詣旅をする者が増える。何しろ春の祭りでは、かならず女王が住民の前に姿を現す。その尊顔を拝するのはヌワコットの民の願いでもある。遠方の者にとってはそれが生涯に渡って語り継ぐ自慢話になることは間違いない。そんな祭りである。
そして浮ついた祭りの景気にあやかろうと、実利に賢しい商人たちも色めき立つ。ここぞとばかりに新鮮な獣肉を仕入れ、参詣者や訪問者へ売りつける色鮮やかな旅装服や晴着を店頭に並べる。大口を狙うなら大きめの毛織物に絨毯、貴石や貴金属で飾られた護符、小さめの守護像なども人気だ。露天や食堂では馬乳酒に麦酒、果実水に蜂蜜水などを売る。祭りに合わせて家々の戸口や窓を飾る飾り布も良く売れる。山頂にいる神々に「この家には信心深い民がいます」と知らせると共に、その差し色で、健康や金運や良縁などを願うものだ。
近郊からは新鮮な春野菜を売りにくる者がやってくるし、中には棒手売りの真似事をするものまで出てくる。串焼きを売りつける露天商、小間物売りの掛け声が重なり、食堂、旅籠、貸し馬屋までが一気に活気く。皆が皆、無事に冬を越せたことを感謝し、この地の安寧を願うとともに、生命の喜びを謳い上げる大祭を心待ちにしていたのだ。
そして、早馬の告知をされると我先にと「我こそはと思う」腕自慢や武芸者たちは宮殿に詰めかける。そこで得意とする武芸の申告をし、それぞれの技量を示し、武芸大会への出場を宣誓する。
大会で実施される競技は全部で七種目。まず最初の三日間において「弓術」「投擲」「跳躍」「重量挙げ」「障害走破」「馬術突進」がおこなわれ、最終日となる四日目以降には大会の真打ちとなる「闘技会」が開催される。剣や槍、手斧などの武器を手に繰り広げられるトーナメント方式の競技で、たいへんな人気を誇る種目だ。これを見るためにわざわざ遠方からやってくる者も多いし、勝敗のゆくえをめぐっては(公然の秘密ではあるが)御法度とされる私的な賭博行為が横行したりする。そもそもこの催しが武芸大会と呼ばれている所以も、闘技会があるからであるのにほかならない。
いくつかの競技において上位に入り、闘技で1位になれば間違いなしの優勝だ。闘技で1位でなければ総合結果での審議となる。審議入りされるとその結果にはばらつきが出る。必ずしも上位入賞の数が多いものが優勝とは限らないからだ。競技において優劣の序列を決めているし、その競技が今回どのように盛り上がったかも考慮に入る。もちろん結果を出すまでの、競技に臨んだ姿勢、日々の素行、市民の評判、大会中における人気なども加味される。
しかし何といっても決め手は、闘技における成績と、その際の声援となるのが常であった。
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祭り前日から、カルマは整備場のでの仕事を休んで闘技場に入り浸った。正直、見習いとしては眉を顰められる素行だ。兄弟子たちからは羨ましげな、厭味ったらしい視線を受けることになる。しかし正直なところ、この時期になると売り物市場以外の商売は上がったりだ。皆、誰も仕事なぞ手につかない。昨年も一昨年もカルマは整備場での留守番役を仰せつかったのだが、親方をはじめ兄弟子たちの姿もまばらになり、作業はほとんど進まない。
それに今年は、親方よりの「あの人に付いてやれ」の一言で、カルマは大手を振って春の大祭を味わう事となった。このような華やかな会場を昼の陽射しの下で見るのは久方ぶりだ。徒弟として入って4年、縁がなかったのだ。華やかな中央街の飾りつけ、ご馳走の香り、旅芸人が奏でる馬頭琴や竪琴などの音色、彩り鮮やかな布を揺らす舞姫たち、それを笑顔で見て回るヌワコットの人々。しかし、カルマはそれらを横目に闘技場に入り浸る。
あの人――アルマムベトに付いてやるために、だ。
武芸大会は複数日に分けて行われる。
祭り初日は宮殿女官による祭り開催の告知と、宮殿に翻る大天幕、7色の飾り布を広げる祭事だ。7色には「緑-若さと健康」「黄―貨幣と財産」「赤-肉体と強さ」「青-心と精神」「白-精神と魂」などを表している。それぞれの布はとても大きく、宮殿の上層階から中層階をすっぽり覆うような、長さ8mを超える大布が翻る。そして武芸大会開催の宣誓、出場者たちの紹介だ。宮殿の前、いつのならば市民は足を踏み入ることのできない、騎士や兵士の訓練場となる広場に、おのおの強者が出自と経歴を披露しながら
現れる。それを住民たちは建物の手すり越しや、山の斜面に敷物を敷いて見物するという状態だ。
日程は1日目で1種目を、2日目で2種目を、3日目で3種目を終えて4日目に闘技が開催される。ここ十年、参加人数は増える一方なので、闘技は4日目だけで終わらず5日目に上位8名あたりからの最終戦を行われることも多くなった。
アルマムベトは、トリグラフの推挙と砦修復作業時における戦闘により今大会の出場枠を獲得していた。それもなかなかの好待遇でとなった。控室に個室を用意され、詳しい説明をしてくれる「側付き」も許可された。何しろ騎兵隊長の推挙なのだ。
ヌワコット騎士隊は総勢200騎で構成されている。この騎数は固定ではないので随時多少の変動はあるがトリグラフの前任から変わらずこの数値で推移している。ヌワコットの市民数から考えるとかなりの高水準な騎数となるが、一方歩兵は100名ほどだ。これはヌワコットが周辺砂漠遊牧民との交流や信仰の面から共存を図っている部分が大きい。
騎兵の半数程度はヌワコット生まれではなく騎馬部族出身なのだ。長男でなければ家長とはなれない。次男以降の者や、家畜の数が少なく財産分与をほとんど受けられなかった者、そして街での生活に憧れを抱く変わり者などがヌワコットの門を叩くのだ。丈夫で優秀な騎馬を持ち、腕に確かな覚えがあれば、1年程度の見習い期間を経て正式にヌワコット騎兵隊に組み込まれる。そういった者たちは騎兵としてヌワコットに仕えている間に支給される給与を貯め、ある程度の数の家畜を買い揃えることが出来るようになるだけの額を貯めたなら職を辞し、ヌワコットを離れ故郷に戻ることを選ぶ者が大半だ。だが中には、ヌワコットで妻帯をし、都市生活者として留まる者も多少はいる。
留まった者の中で、特に武芸に秀で、血族の者が連綿とそれを示し続けたなら「武芸で名を知らしめる名家」として人々に認知され、また大鎧を受領した際に息子や孫にと受け継がせることで、その評価を盤石にすることとなる。
とにかく、騎兵は土地柄もあり軽騎兵なので都市部では歩兵と同様の働きもする。騎馬部族出身者は目が良く、弓に秀でているので弓兵としても重宝するのだ。そして上級兵士として一般歩兵の監督役もこなす。そして壮年になる前に退役する。一方ヌワコットで歩兵はほとんどが下級兵士なのだ。一部の監督役として出世する者以外は市内巡回や番兵等の仕事で生涯を終える。まあ、食うには困らないという職である。
とにかく、それら総勢300名と荷駄や馬房付きの専門職全てを滑るのがトリグラフなのだ、彼の推挙があれば多少の好待遇も頷ける。
そんな彼の推挙でいまアルマムベトは個室にて控えている。カルマは誇らしかった。既にアルマムベトは序盤の競技のひとつで1位を飾っていた。「投擲」と呼ばれる石や槍の投げもの競技であった。大鎧に槍を携えていたアルマムベトは「投槍」において抜きん出た結果を出し、この大会における新記録で1位となっていた。
「重量挙げ」と「障害走破」では共に3位。「弓」と「跳躍」は苦手だからと最初から出場はしていない。「突進」は騎乗競技のため馬を所持していなかったから参加を見合わせた。
トリグラフから「私の所有する馬たちの中から1頭貸そう」とは言われてはいたが、砦の戦闘の後、アルマムベトはしばらく身体を休めていたため、馬と連携訓練をするための時間がほとんど取れなかった。そしてトリグラフ自慢の馬房で名馬を見ると「これほどの馬を、ろくな慣らしもなく借りることは忍ばれる」と言って競技を辞退することにしたのだった。
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闘技場は宮殿前の一角、騎士と兵士たちの詰所である「コの字」型の建物に区切られた広場に設置されている。建物は3~4階建だ。山の斜面側に向かっては、コの字の線の無い箇所となり、一般観覧席はその山の斜面に敷物を敷いて見物する。兵士や騎士に関わりある――ようはコネがある――者たちは建物の1~2階、陽射しの避けられる場所に区画を持ち、宮殿関係者は3階の回廊部に席を設けられる。コの字の縦線に当たる、建物門扉にあたる4階部分は貴賓席だ。闘技会の決勝、終了時においては女王が現れ、ここまで勝ち進んだ者への祝福と共に、勝者へ受領するセマルグルの引き渡しと、このヌワコットに対する忠誠を誓わせるのである。
カルマは詰所の暗く長い廊下を足早に進んでいた。カルマの仕事は競技前、詰所の待機所から出ることのできないアルマムベトのために、飲み水や食事の確保、汗を拭くための布や着替え、各競技の進み具合などを報告する役目――つまり「側付き」としてこの3日を過ごしていた。
アルマムベトは恵まれた個室控室を与えられたとはいえ、付き人までは与えられていない。大会中のそれら雑事において全て出場者が自ら用意する必要があるのだ。そして出場者は、競技者紹介が始まった初日から、1歩もこの建物から出てはいけないのだ。準備不足で、中には空腹や下痢で競技を中断して出てしまう者もいる。競技や試合の新着状況が得られず、慣れない場所での軟禁のような待機、そして身体に合わない食事と水――不確かな噂だが、時として強敵と思われた相手の飲み水や食事に軽度な毒を盛られた例も過去にはあったらしい。
そういった準備も含め、ヌワコットに地縁血縁のいない者、財を持たぬ者はなかなか大会で好成績を残せないのも実情である。まして大会期間が延びる傾向にあるここ十年ではそれが顕著だとも聞いた。
そしてそれらの不具合を未然に防ぐのがカルマの役割だ。彼はアルマムベトが安心して競技に臨めるように詰所と広場の間を駆け回った。疲れや緊張に効くであろう香茶を用意し、精と活力が付くであろう軽食を用意した。個室内を事前に掃き清め、アルマムベトが唯一持ち込んだ毛布を干したり、下着の替えを洗ったりして過ごした。
改めてカルマはアルマムベトを寝食を共にした。ある意味において初めてと言っても良い。機体整備の下仕事に煩わされずアルマムベトの動作に注目しながら仕事ができたからだ。そして夕暮れ時のひと時、アルマムベトはカルマに機士の兵団での生活談などもしてくれた。カルマの行動はまるで機士見習いの行動とそっくりだという、そしてその仕事がとても良く出来ていると、立派な機士見習いになれるだろうと言ってくれた。「人に仕えるのを『気働き』とも言う、それはうまくできる者とできない者がいる。出来る者はやがて立派な隊長にもなれるし――機体の扱いも丁寧だ」と言ってくれた。嬉しい評価だった。
そして今日もカルマは朝食を確保して届けに向かっている。ここぞと評判を聞いた食堂や屋台から手に入れた、串焼き、ヒヨコ豆の粥、羊ひき肉と野菜と長粒米の炒め、薄紅色の甘米粽、瑞々しいザクロに杏、夜食用の干し果実、そして夜に使う交換用の豆炭、水筒には東街区で汲んできた水が入っており、香茶の茶葉も少しだが持ってきた。アルマムベトは十分な準備金をカルマに預けていた。カルマは誤魔化すことなく質の良い食事を集めた。




