17:中央街区 酒房、石積み師親方:ロジェニツァ
ロジェニツァは石積み職人を束ねる組頭だ。例年彼が組織するロジェニツァ組では、春の大仕事として組の職人のうち半数がヌワコット外壁補修を、残り半数が砦のひとつに向かい補修を請け負っている。今年もロジェニツァは気心知れた古参職人たちと、そして技量とともに心構えを鍛えねばなるまい新米同然の若手職人たちを引き連れて担当する砦に向かった。
次期組頭として地固めをしている息子からは、ここ数年「そろそろ親父も年だから、連泊の砦補修からは手を引いて俺に任せろ」と言われてはいる。だが、そう言ってくる息子には蹴りをくれてやり、今年も自身が砦に向かったのだ。
大体だ、今年は身重の新妻がいる息子なのだ。そんな奴に往復と泊まり込み2週間以上という長期の砦補修監督なぞ任せられるものか。そう、あと4~5年もしたら初孫の世話と交換で砦補修の監督仕事を譲ってやっても良いかもしれぬ。だが、少なくとも今年はまだ駄目だ。何しろ、儂が息子を授かった際は、仕事のため身重の妻を置いて家を離れっぱなしで、息子の生まれた瞬間には立ち会えなかった。決して言葉には出さないが、それは妻に対するロジェニツァのちょっとした負い目になっている。組と一緒に、そんな負い目をあいつに背負わせたくはない。
砦補修はなかなかの大仕事だ。冬の雪と風で、痛み崩れた石垣の確認と補修というのが作業の中心だが、組み直すにも、欠けた石を削り直したり、調達せねばならない。相談できる相手も、協力できる他業種の職工もいない中でだ。持ってきた道具だけで期日までに終わらせる、慣れない仮暮らしとなる2週間、気心知れた職人たちと一緒とはいえ、なかなかに苛酷だ。
都市から離れた砦には冬期間は誰もいない。実質は緊急避難の山小屋的な扱いだ。故に住み着いた山賊がいるやも知れず、春ともなれば腹をすかせた狼がまだ周囲をうろついているやもしれず。そのために補修の職人たちには護衛としてヌワコット正機士が機体とともに2名付き、騎兵や兵士も5~6名ほど付いてきてくれる。そして作業補助に期間雇用の傭兵である機体乗りが1体付けられる。
しかしまぁ、今回の作業補助の大鎧がじつに貧相だった。外装は傷だらけの傷まみれ、飾りのひとつもついていない、砂色に近い白い機体だ。最初はこんな老朽機に仕事を任せられるのかと、操る機士はどんなご老体なんだと思いもした。
しかしなんだ、仕事を始めてみるとコレが当たりだった。まあ去年までの、何か作業を頼むたびに「せっかくの外装に傷が付いちまうだろ」と不平を零す傭兵に比べるのが間違いかもしれないが、格段に仕事を頼みやすく、また動きがよかった。恐ろしく無口だが仕事をしっかり丁寧にこなしてくれるのはありがたい。夕食に誘った際に「機体乗りが職人と卓を囲めるか」というような失礼な物言いもしない。ただ物静かに、一緒にスープ鍋を囲んでくれた。まあ交わした言葉は「うまいスープを馳走になった」というほとんど一言だけだったが、それでもこちらから尋ねたことには、言葉少なであってもしっかり答えてくれるし、つねに気配りと目配りをしている眼差しというものは、共同作業で石を組む、石組み組職の者ならすぐに分かる。本当に今年の機体乗りは「当たり」だった。願えるものならこのまま組に入って欲しいとも思ったくらいだ。力があり、仲間思いの者ならば、いつだってロジェニツァ組は大歓迎なのだ。
今年は山賊はいなかった。しかし何度か狼の遠吠えを聞いてはいた。だから、日が暮れてからは砦から離れることを皆に禁じていた。まあ、日中忙しく働いているのだ、夕食と共に皆で1杯、温めた麦酒を飲んだらあとは丸くなって眠るくらいしかすることはない。若い奴ならそのあと少し、いかがわしい話題を楽しむこともあるだろう。街で見かける若い娘や看板娘の品評談義や、今回の仕事が終わった後の娼館巡りの計画などを話し合うのは、まあ若い連中の特権だ。しかし時として、ふと無性に家族が恋しくなる者や、少し夜風に当たろうかと砦の明かりが届かない場所にまで足を踏み出すような者がいない訳じゃない。2週間、短いようでなかなかに長い。とにかくそういう時に狼は厄介なのだ。奴らは暗闇に乗じてやってくる。
しかし今回やってきたのは狼ではなかった。「シュリガーラ」と呼ばれる狼に似た獣機だったのだ。
人は、人の似姿たる大鎧を目の前にすると畏怖を覚える、獣の似姿たる獣機を前にすると恐怖を覚える。それは人間として本能的なものだ。何しろジュリガーラという獣機の全高は3m、大鎧と比べると低いことは間違いないが、ただの人間の視線で考えるなら見上げるほどの高さだ、逞しい首を上げ、こちらを睥睨する視線は身を竦ませる。逞しさはその肩も同様で、骨格は厳めしい。全長にいたっては6mを超え、それらの巨躯を支える四肢は太く強靭だ、太さは成人男性の両腕でもその周囲を抱えきれない太さだろう。そしてその四肢にある爪は戦鎚なぞ玩具に思えるほどの大きさで太く尖っている。いや、それより、大きく開かれる顎、その口腔に並び鈍く光る牙を見たらもう駄目だ。腰を抜かさないヤツがいたらお目にかかりたい。
夕暮れ時の夕食時、職人たちは当番制で鍋を作る。正機士殿と兵士たちとは別だ、彼らは彼らで持ってきた食料で調理をしている。わしら職人は自ら持ち込んだ食材で調理を始める。ロジェニツァ組の鍋はちょっと肉は少なめだが、しっかり脂の乗った部位を使うし、根野菜と妻秘伝の香草や香り種を足し込めば、石積み職人の中ではちょいとした評判の味になる。ここぞとばかりに香辛料も少し入れてやる。こんな人気のない場所での泊り仕事、食う事と猥談ぐらいしか若い者には楽しみが無いのは儂だって経験しているのだ。
修復作業も大詰めで、多少身体の疲れが気になりだしたころだ。いつもどおりの夕餉準備でありながら、そろそろ少しいろいろなものが不足気味になる頃合いだった。新鮮な野菜も乏しくなり、使った分だけ砦に積み上げられていた薪も減った、だからちょっと近場で木の芽や薪を集めにと、近間の藪に足を延ばしてもらう者を出していた。そんな奴らが叫び声とともに駆け込んできた。と同時にソレは現れた。わしらが恐れる狼とよく似た形状の獣機。噂では聞いたことがある、南の大国でよく使われているという「シュリガーラ」。
ロジェニツァも若いころに1度だけ見たことはあった。戦前の砦補修仕事に駆り出された新米の頃に見たのだ。かつては2㎞も離れた場所からみたソレが、今はひと駆けの目前に迫っていた。四足で、逞しい牙、爪も鋭い、鋼の獣。素早く、ただの兵士ならば10人いても足止めすら出来ない。それが砦の外壁に天幕布を張っただけの儂らの食事場めがけて突進してきていた!
それを防いだのはついさっきまで赤蕪の皮を剥いていたはずの機体乗りだった。彼の砂色の老朽機はいつの間にかわしらの天幕前に姿を表し腰だめになると、突進してくる「シュリガーラ」を両腕で掬い上げるように左後方に投げ飛ばした。「シュリガーラ」は半回転して頭上を越え、砦の楼閣を飛び越えて視界から消えた。
しかし「シュリガーラ」は1体ではなかった。もう一体いたのだ! 投げ飛ばした老朽機が見せた、その上体を反らした姿勢の向こう脛に、もう1体の「シュリガーラ」は牙を突き立て逞しい首を振り回した。岩だらけの足場は脆く滑りやすい、老朽機はずりりと足を滑らせた、反撃しようにも老朽機は無手だった。旋風のように出現した老朽機も、さすがに武装まで手にする余裕がなかったのだろう。反撃もできぬままあわや転倒か、と思われたその瞬間、大鎧は上から「シュリガーラ」に掌底を食らわせた。犬が悲鳴を上げるような音を立て「シュリガーラ」は地べたに這いつくばった。そこに大鎧の横から駆け寄ってくるのは先ほど投げ飛ばされた「シュリガーラ」だ。砦の陰から飛び出して、周囲を迂回するように走り込んだ勢いと共に突進してくる!
掌底後の低い体勢をしていた砂色の大鎧、その首筋に向かって飛びかかる「シュリガーラ」、しかし大鎧は抜き手の手刀で再度弾き飛ばした。そして仁王立ちだ。儂らを背に、拳を固めて立ちふさがるその姿の雄々しきこと。わしらはお互い身を寄せることも忘れ、ただただ茫然と突っ立っていた。
しばらく「シュリガーラ」は2体固まるようにこちらを伺ったのち、夕暮れから闇夜に変わるその中で遁走した。
それからだ、正機士殿たちがヌワコットの誇る大鎧「セマルグル」を駆って姿を現したのは。すらりとした体型の、優美な四肢をした大鎧、青い玻璃のような光沢のある外装をしたわれらの守護神。その機体は砦の倉庫からおっとりと姿を表した。わしらの報告を聞くと「南の奴らか」「戦場跡で機体を拾った山賊かもしれんぞ」とか語り合ってから「シュリガーラ」を追いかけた。砂色の機体乗りからの「ここの護衛はどうするのか」「敵の動きはこちらを誘っているようにも見えたが」との遠声器での問いかけには「手負いの獣機なぞ一捻りだ」「臆病者はここに残っているがいい」という侮蔑の言葉とも取れる声を放って長剣を手に砦から離れて行った。
石積みといえば力自慢のむくつけき男どもだ。しかしそんな男たちとはいえ、獣機の襲撃を受けた経験のある者なぞ、わしを含めても一人もいやしない。砂色の機体乗りが泰然自若とそこに佇み「心配ない、砦の入り口は私が守ろう」と言ってくれて助かった。わしは親方としての仕事を思い出し、皆を宥め、簡易な食事の準備を再開し、当番を決めてその晩を過ごすことを決めた。そうしてわしらは蝶番のがたついた砦の門扉をしっかり閉めて、まんじりと夜明けを待って過ごしたのだ。
すぐに戻ると言ったはずのヌワコット正機士たちは戻ってこなかった。
夜明けとともに、砦の見える範囲でと周囲を捜索した砂色の機体乗りが壊れた2体の「セマルグル」を見つけた。周囲には少なくとも6体分の「シュリガーラ」と3体分の大猿型獣機「ハンダル」の足跡があったという。
そこで儂らはヌワコットに戻ることにした。石積み補修の仕事は完成しているとは言い難い出来ではあったが、まあ形は出来ていたし、これ以上ここに残るのは危険と判断した。騎士を取りまとめる者もそう判断してくれた。今年は、本当にさんざんな仕事だったよ――。




