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15:宮殿(ダルバール)正門横 兵舎、騎士隊長:トリグラフ(1)

 トリグラフは毎朝の日課である馬房の確認を終えて門扉に向かった。首元の汗をぬぐう、先ほどまで愛馬「ツマグ」の汗を拭いていた手ぬぐいは馬房に置いてあるので、服の袖で拭うことになる。妻からはいつも「やめてほしい」と言われている行為ではあるが若い頃からの習慣でもあるし、それを改める気は今のところない。まだ幼い娘が「湿ったお袖」と袖口をもみほぐそうとする行為を続ける限りはいつまでもこのままだろう。いずれ娘が年頃となり、妻の味方としてトリグラフの前に立ちはだかった時には降伏しようと秘かに思っている。

 何にせよ、馬を相手の朝駆けは終了した。馬房から兵舎へとの道のりを、わざと少し遠回りし見回りめいたことをした後に朝食を取りに行くのがトリグラフの日課だ。


☆☆☆☆☆


 トリグラフはヌワコットを守護する騎士の家系に生まれた。恵まれた体躯とそれを上回る乗馬の腕前、そして機体適正の低さから、10年前に21才で出場したの初夏の武芸大会での優勝を経て、騎士隊の隊長職に付いている。ヌワコットの騎士およそ200騎を統べる職である。ついでのように歩兵100も管轄下に入る。世襲ではない職であり、気を緩めることは出来ない職であった。実力で勝ち取った職ならば、実力を示し続けねばならなかった。そして何より皆の模範とならねばならねばならず、あり続けねばならなかった。

 もっとも、騎馬を扱う事については苦労とは思わなかった。幼少に頃より馬に親しみ、馬の扱いには慣れている。何より馬の世話ならば苦労を苦労とは思わない性分であった。それに騎士隊長ともなれば名馬に出会う機会も多く、それはまるで恋をする乙女のようにトリグラフの心を躍らせた。美しい馬、逞しい馬、速い馬、頑健な馬、素直な馬、気難しい馬、どれもこれもに惚れ込んだ。父母も妻も呆れ果てるほどの馬好きなのがトリグラフだ。よってこのような恵まれた貴重な立場をトリグラフは手放す気はなく、そして10年が経過した。

 それは世話を重ねた馬たちの、唐突な怪我や死に出会う事も多かった10年ではあった。それらはとても哀しい出来事ではあるが、馬は世話をした分だけこちらを信頼してくれるのだから嬉しく喜びが湧き上がるというものだ。また初春には出産という神聖な出会いもある、自身が誠心誠意こめて世話した馬の血脈が繋がってゆくことを確認することはなんと神秘的なことだろうか――だが、なんだ、人は――まあ扱いが難しい。故に強面の、実力を示し続けることでしか部下を指導する術をトリグラフは知らない、そして10年。

 それは父が、祖父が、先祖が、妻と娘が自身を見つめていると感じた10年であった。そして自身の愛馬が自分を見つめていると感じた10年であった。恥じない行いで職を全うしようと背筋を延ばし続けた10年であった。


☆☆☆☆☆


 背筋を伸ばし歩くトリグラフの耳に、門扉の前で押し問答をしている風情の声が聞こえた。「また来たのか!」「通すわけにはいかんぞ!」「恐れおおいことを申す無礼者め!」「いいかげんに諦めろ貧乏人が!」そういう罵声と共に何か柔らかなものを叩く音。少女の悲鳴。「そこをどけ!」何か硬いものを叩く音「ええい、貧乏人がつるみおって!」何か硬いものを叩く音、叩く音、叩く音――。


 ここは兵舎でもあるが宮殿(ダルバール)の入り口に隣接している。神聖にして不可侵である女王の居城、そこに繋がる門扉横である。故に宮殿警護は騎兵と歩兵が行い、それを取り仕切のは騎兵隊長であるトリグラフの管轄だ。兵士の怒声を最初に耳にしたとき、さてはまた困窮した住人か農民が、心優しい女王のご慈悲を乞いに来たのだろうかと思った。それとも病からの救済だろうか。それらの切実なる願いは分からなくもないが、その全てを個々で受け付けていては女王は倒れてしまうし、宮殿の倉も空になる。救済食料の配布は月に2度と決まっている、病の加護は――それは月に1度の合同面会の日だけなのだ。

 ――だが、ややきつ過ぎる兵士の口調と、人を殴りつけるような音を耳にした時、トリグラフの足は早まった。そのように困窮している市民や婦人に、手を上げるようなことは言語道断だ!


 しかし、違った。予想と違う光景がそこにはあった。

 門扉前にいた民は、貧相な老婆ややせ衰えた夫人ではなく、その腕に幼子も抱えてはいない。ボロ着ではあるが清潔そうに洗われた、砂色の衣装を身にまとった屈強な壮年の男であった。年齢は、そろそろ現役最強の騎兵の名も重くなってきているトリグラフより5~6は上か。しかし引き締まった体躯であることは服の上から見てもわかった。彼の頬は何度か殴られたのだろうか、左頬だけ赤黒くなっていた。しかし仁王立ちで立っていた。まるで地面に根が生えている大樹のように見えるほどの仁王立ちであった。

 そして真っすぐに立っている男の後ろには、殴り飛ばされたのだろうか、地面に倒れ伏した状態から立ち上がったボロな作業着の少年と、泣き出しそうな顔の赤い袖なし毛織の上着を着こんだ少女がいた。


「――何事だ」


 トリグラフが低く声をかける。瞬時に門扉警護の兵たちに緊張が走るのが分かった。まだ私の薫陶は届くようだ。


「はっ、隊長! いやこの者たちが女王への面会を求め――」


「民に暴力を振るったのか」


「い、いえ、彼らは何度もしつこく――」


「彼らは暴力を振るったのか?」


「い、いえ、しかし――」


「我らの仕事は何だ」


「門扉を守る事――」


「女王と民を守ることだ、この馬鹿者め!」


 トリグラフは門扉警護の兵に叱責の声を上げると、後の交代時に隊長室まで来るように命じた。この門扉を管理していた3名全てにだ。どうも殴っていたのは1名のようだが、こういう時は連帯責任を取らせることにトリグラフは決めている、憎まれるのは隊長だけで良いのだ。


「さて、兵が乱暴を働いたようで申し訳ない、怪我の治療をさせてもらえるだろうか」


 トリグラフは、仁王立ちしている男と、泥だらけて立ち上がった少年、そして涙を浮かべながら必死にそれを零すまいと下唇を噛んでいる少女に向けてそう言った。


☆☆☆☆☆


 彼らを兵舎横の治療室に連れだって案内し、治療――真水で傷を洗い、軟膏を塗ることしかできないが――を受けさせながら、彼らの名と、先ほどの出来事を聞くことにした。


 彼らの言を信じるならば、彼らの代表である砂色の男、アルマムベトという壮年の男は女王と知己の間柄らしい。女王がまだ女王として目覚める前、市井の民として暮らしていた頃の知人であるとか。

 そう、ヌワコットの女王は世襲ではない、神託によって決定されるのだ。現女王の霊力が衰えると、次代の女王が誰であるのか神託が下される。ヌワコットとその周辺に住む女性たちの中から、たいていは年若い、少女と呼ばれる程度の年頃の者が次代の女王として指し示されることが多いいが、長いヌワコットの歴史上、稀に年頃の娘や成年女性がなることもある。今期の女王もまだ幼い頃に神託を受けたと聞いている。

 女王となった少女たちは基本短命だ。過酷な修行と節制した生活、そして激務と過酷な神事に追われる故とと聞いている。最も短い者で1年以下、長くて10年――現女王の20年以上という記録は歴代女王としても破格であり、いまだ衰え知らずと市民には言われている。何しろ12歳にして女王に即位、そして20余年健在なのだ。現女王に類するのはもはや伝説の初代女王ぐらいであろう。いやいま考えるべきことはそこではない。


 かつての知己とはいえ、女王として即位したからにはその立場は大きく変化する。神聖にして不可侵、女王への面談はたとえ家族とはいえそう叶うものではない、ましてその相手が男となれば、たとえ父親ですら許可が下りるのは稀なのだ。巫女王、神の妻、女王とはそういうものだ。

 しかし、会うことが叶わぬことにアルマムベトが思い悩んでいることを知った少年――カルマ少年は、彼の機体整備をしていた関係から彼を慕っているらしい。少年らしい素直さでアルマムベトの力になろうと門扉に立った。昨日と続けて本日で2度目の懇願であったが当然のごとく門扉を守る兵に断わられ「せめて名前を伝えてほしい」そのように申し出たところ、拳で返答を受け、それに立ちふさがったのが、カルマ少年の行動を止めようと門扉に走りこんできたばかりのアルマムベトと少女だったという訳。

 少年の傍らで俯き、下唇を噛んでいる少女はリタ。カルマ少年とは幼少期よりの旧知の間柄で、そもそもアルマムベトが女王と旧知であるとの情報は、このリタ少女よりカルマ少年にもたらされた。アルマムベトという男は、自らの望みをそう他人に漏らす性分の者ではなく、空き地で昔を懐かしんだ音曲を奏でながら、偶然知り合った少女にぽつりとその望みを語ってしまったということだ。そしてそのリタ少女は、昔馴染みのカルマ少年にそれを語ったところ――尊敬する機体乗りのために一肌脱ごうとしたと。

 少年を庇うために兵の前に立ち塞がったアルマムベトは、抵抗もせずまっすぐに立ち、一言も口を開かぬまま、ただ兵士の拳をその身で受けていたような偏屈な男だ。この話の間も、ただの一言も語らぬまま、しかしまっすぐこちらを、少年少女を見ていた。静かで、熱い男、動かない巌(いわお)のような印象を受けた。


 彼らの状況や望みを聞くに、同情する余地は多分にある。しかし、トリフラフに協力できそうなことはほとんど無かった。

 女王への不敬と感じた兵の憤りも分かる。少年を突き飛ばしたことはともかく、役職として、あれやこれや些事な物事をすべて女王に上申するわけにはいかないというのはまあ当然の事なのだ。が、無抵抗な市民を何度も殴りつけるような行為は――たぶん兵は男を恐れたのだろう。無口だ、今回の話も少年と少女からばかり聞いている。しかしその無口な男の、なんと存在の雄弁なことか。力強く、雄々しく、頑迷なほどの強固な意志すら感じる。無口なのはその存在が雄弁であることの代わりのようだ。そのような強者を目の当たりにし、あの兵は恐怖したに違いない。そして逃げるように手が出た、そのまま止まらなかった。きっとそうだろう。訓練が必要だ、己の弱さと向き直る訓練が必要であるとトリグラフは感じだ。


 それはそうと、彼らの話を全部が全部、信じてもよいものだろうか――。

 面会は難しい。女王の存在は神聖にして不可侵、たとえ女王になる前の旧知の間柄とはいえ、そう気軽に面会を許可できるものでは到底ない。面会までは、兵士の審議と、隊長の判断と、女官の審議と、女官長の判断が間に挟まる。女王への上申はその後だ。兵士と隊長の部分はまあ、私の権限で通せないこともない部類だが、その先がいけない。まず許可は下りない。特にここ1年、これはヌワコット上層部の者たちだけの秘密だが、最近女王の御体はすぐれないと伺っている――さて、どのように落としどころを付けたものか。

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