身の程を知る犬
幼少の砌に生き別れた母と、大町・佐倉両氏の計らいで再会したことがあります。臭腺に懐かしいものは感じたのですが、僕と母に特別な感慨はありませんでした。
犬という種の前頭連合野に親子愛といったカテゴリーが欠落しているのか、若しくはそれが構築され難い生涯を強いられたせいなのか。いずれにせよ、その点に関してはあなた方人間のそれを大いに評価しいていました。しかし現代では、それも希薄になりつつあると聞きます。嘆かわしい限りです。
我々哺乳類の脳は、幼児期にダイナミックな成長を遂げるといいます。幼くして母親から引き離された僕達はともかく、あなた方人間がそうなってしまうのであれば、すべき努力をしなかった結果であるといえましょう。泣き叫ぶ赤ん坊が要求するのは、子供向けテレビ番組の視聴でも、おしゃぶりでもなく、生身の愛情です。
その代替品として、ゲームやテレビを与えることが前頭連合野の発達を妨げ、人類の財産ともいうべき知的多様性を蝕み、引いては情緒の欠落した今日のような社会にして行くのです。
子育てに楽をしようとしてはいけません。利便性ばかり追求すれば、かけがえのないものを失ってしまう日が遠からず訪れるものです。知力と知性は別物なのです。
神の息吹一つ、涙の一滴で慌てふためき畏れおののくあなた方が、今でも地球の支配者だとお思いですか?神の恵みである天然資源を悪魔のような毒物に変えてしまうような行為がいつまで許されることでしょう。
進化は自然選択の結果だと説明されているようです。ならば或る日突然、それが他の種に起こることも考慮に入れておいて下さい。猿が人間の上位に立つという映画がありました。四足歩行の我々が、いきなりあなた方の上位に位置することはないでしょうが、ゆっくりと世代交代は進んでいるのかも知れません。しがない犬である僕に警鐘を鳴らされることを恥じるべきではないでしょうか。創造主たるあの方の嘆きが聞こえてきませんか?
失礼、宗教色が濃くなってしまったようです。話を、母との再会に戻します。
母との再会を果たしたのは山間のキャンプ場でした。ペット同伴可といった宿泊施設は近年増えてますが、バカバカしいほどの料金を請求されます。実はこのキャンプ場も同様でした。
佐倉氏は言ってました。「更地にチェックインもクソもあるか、しかも一泊五千円だと? シャワーも別料金だって言うじゃないか。ラブホテルの方がマシだ」と。
彼の怒りのベクトルは、いつもおかしな方向に行くので放っておくとして、僕はこの小旅行でお土産を持って帰りました。草むらを走り回っていた時に拾ったのでしょう。眉間の左よりに丸いアクセサリーが着いていました。帰宅してからもそれは居座り続け、赤黒く大きく膨れ上がって行きました。それを見た佐倉氏の父は「お前、渥美清みたいになったな」と言ったものです。勿論、僕はその名前の主は知りません。無理に引っ張れば取れなくもなかったのでしょうが、佐倉氏は僕を獣医に診せることにしました。山ダニだったそうです。僕の血を吸って大きくなったのですが、吸い過ぎて膨れあがった彼は、自分の体のコントロールを失ない、そのまま息絶えてしまったようでした。
充分な蓄えがあって尚富を望む人々、年齢を重ねることでなくさざるを得ない容姿に執着される人々、名声といったものを追い続ける人々。彼等の姿がその山ダニにダブって見えます。
僕は身の丈にあった幸福を手に入れ、それに満足しています。例え向上心がないと言われようとも。




