吃音の犬
僕は無口です。僕の咆哮(あなた方が犬の泣き声=ワンであると解釈されるそれ)は、主人である佐倉氏をして年にニ~三度しか耳にしていないはずです。
明かしたくない事実ではありますが、これを知ってもらわないと僕の人となり(犬となりといった方が正確かも知れません)を分かっていただけないと思い告白します。あなた方に武士の情けというものがおありなら、くれぐれも他言無用にてお願いします。
実は僕は犬に珍しい吃音だったのです。勿論、僕自身がそう認識していた訳ではありません。よそのご主人様が「うるさいっ」と、いっても吼え続ける友人達を真似てみようとした時、上手く発声できないことに気付きました。そしてそんな僕を指差し(前足で)笑う友人達のせいで、僕は段々寡黙になっていったのです。
ところが、人間の評価というものはおかしなもので、そんな僕を大人しく抑制の効いた犬なのだと判断されました。ここでも、あなた方人間の犬に対する解釈は間違っていたのです。
或る日、僕がたどたどしく声を上げた希有な機会を耳にし、佐倉氏は「お前は吃音だったのか」 と、呆れたように言いました。これはパワーハラスメントになるのでしょうか。彼に悪気はなかったようなので許してあげましょう。とにかく彼のその言葉によって僕は自分が吃音であると理解しました。甘える時、嘆く時のクンクンは発声器官に無理を強いることなく鼻先を鳴らすため上手く出来ていたと思います。短く言葉を切らない遠吠えも、消防車のサイレンに呼応して練習したので、まあまあこなせます。
その僕が吠えた記憶です。自分より大きな四足歩行の動物(後に、牛とか馬とかいう種だと知らされました)に怯えて数回(誓ってもよいですが、僕の生涯において五回は越えていないはずです)。そして、あなた方の目に映らない、いわゆるスピリチュアルなものへの畏敬の念で数回、だったと思います。我々があらぬ方向に向かって吠え、さらには毛を逆立てていたとしたら、その時はあなた方の見えない何かが、そこに居るのです。佐倉氏は、何となくそれを理解していたようでした。
同族に吠えたことが一度だけあります。広い公園を走り回っていた僕と友人達を、鎖に繋がれて羨ましげに見つめる赤い毛並の犬に「君は放してもらえないのか?」と、近づいて訊ねる僕の鼻先を、彼はいきなり噛んだのです。温厚で鳴らす僕だったのですが、その無礼さには怒りのウォン(中国の通貨ではありません。声の低い僕の精一杯のワンです)で応えたものでした。
この章の要旨は、あなた方人間の、僕達に対する理解の浅さです。「犬ごときが不遜な」と、申されても事実なのですから仕方ありません。




