闘病する犬
と、タイトルをつけたものの、入院もせず普段通りの生活を送る僕に、病と闘っているとの自覚はありませんでした。腫瘍が大きくなって身体のさばきが悪くなったのと、発熱時にだるさがあった以外、佐倉氏も彼の御家族も、とても優しく……
いや、思い出したことがあります。佐倉氏が恋人と数泊のデートに出た時、父上に「頼む」といって僕を置いてきぼりにした事がありました。
当時の僕の病状は、鼻腔からの出血があり、排出し切れない血液が奥で凝固してしまうと、主に口を使っての呼吸を強いられていました。その僕を置いてまで出かけた彼はどんなお楽しみをしていたのやら。しかも当時彼には奥様が居られたはずです。完全に倫理感が破綻なさっていたのでしょうね。
そんな彼でしたが、さすがに気が引けたのでしょう。夜には父上に連絡をとり僕の病状を訊ねておられたようです。その時の僕は鼻腔の奥の血液塊が上手く排出され、また昼夜冷房の効いた部屋で過ごすことが出来、快適な生活だったと記憶しています。
化学療法の効果のほどはいざ知らず、治癒の見込のない僕としては、残された日々を精一杯楽しく過ごそうと努めました。そんな僕の思いを察した佐倉氏でしたから、彼が作ってくれる食事も日に日に豪華になって行きました。一度など牛の頬肉というのが三百グラムほど入った夕食にありついたものです。狂喜した僕はスープのひと滴まで舐め尽くしました。それまではせいぜい百五十グラムほどが一食当たりの肉の量だった訳ですから当然ですよね。そして、それを今後のスタンダードだと捉えた僕は、翌朝いきなり落胆することになりました。佐倉氏の懐事情を考えればやむを得ないことだったのかも知れませんが、せめて翌日は二百五十グラム、次は二百グラムと段階を追って減らすのであれば犬の僕には気づかなかったでしょうに。
あなた方人間がお使いになる言葉に≪太く、短く≫と、いうものがありますよね。当時の僕は正にそんな心境でした。老後のために、とせっせと貯蓄に励まれる方々。将来のためにと、お子さんによりレベルの高い教育を望まれる方々が居られます。遠い未来のことばかり考えて、今を疎かにされてはいませんか? 『生命は生まれた時から死に向かっている。そして、明日は約束されたものではない』 のですよ。
日々を、その瞬間をひたむきに生きるのが、命を与えられた我々の使命ではないのでしょうか。必ずやってくるものと未来に期待を賭け、今出来ることをしない。或いは先延ばしにするのは怠慢ではないでしょうか。悪性腫瘍の罹患は、僕にそんな意識改革をもたらしたものです。




