発病した犬
或る日のことです。僕の首左下辺りに腫れを見つけた佐倉氏の父上が、僕を病院に連れて行くよう佐倉氏にいいました。
「本当に腫れてるな。どうした? 痛むか?」
佐倉氏は僕にいったものです。痛みより気管を圧迫されることが気になっていた僕は「いえ、我慢出来る程度です。何故こうなったのかは分かりません」と首を振りましたが、結局は病院に連れてゆかれることとなります。
当時、僕の主治医は佐倉氏の自宅から歩いて十五分程度の所にありました。後に聞いたところによると、こちらの先生は年に一、研修と称して奥方と海外旅行を楽しんでおられたそうです。勿論、彼ご自身の甲斐性でなさる旅行や贅沢に、僕などが異を唱えるつもりはありませんが、堂々と「海外旅行を楽しんでくる」と言えなかった背景には、何か後ろめたさでもおありだったのでしょうか。
そして僕は獣医さんが嫌いではありませんでした。生活の糧を求めるべくこの道を選ばれた方、動物の診療に熱意を燃やされた方と、先生方も様々でしょうが、概してアシスタントの若い女性は動物好きが高じて、その職に就かれた方々が多かったように思えます。ですから彼女達の歓待を僕は嬉しく感じたものでした。その点は、佐倉氏とあまり変わらない……いや、恐らく彼の影響でこうなったのでしょう。
しかし頻繁に薬の価格が変動し大きな手術はやりたがらない、この獣医さんに対する佐倉氏の信頼は薄れていったようです。僕の身体に明らかな異常を認めながら「それでは検査結果はまた後日お時間のある時に」との医師の言葉に、彼は即座に主治医の変更を決意なさいました。
動物病院の良否はよく分かりませんが、友人のジョンがかかっていた病院の先生が熱意に溢れた方だと聞いた佐倉氏は、その足で僕を連れて行きました。繁華街に近く駐車場にはお困りになったようですが、僕を乗せる車のサイズを変えたり、駐車場の空いている時間帯を見計らったりと工夫なさっていたようでした。
そこで下された診断結果は≪悪性リンバ腫≫ 血液検査結果報告書、病理検査結果報告書、リンパ腫の解説書と、数枚を手渡された佐倉氏は愕然として医師の説明を受けておられました。犬として軽んじられたのは、彼の父親や婚約者の入院時にあった診療計画書が足りなかったぐらいです。佐倉氏が後日目にすることになる、それらと寸分違わぬ立派な書式のものだったのですから。
あなた方の言語に精通していない僕ですが、佐倉氏の様子と医師の会話から恐らく重病、それも完治を見込めない病気なのだと気付きました。余談ですが解説書にあった「中年の犬に認められることが多い」との行には憤りを感じたものでした。白髪もなく腰が楽な時には、幼少期と変わらず走り回ることのできる僕を中年とは、無礼にも程があります。
以降、化学療法といった治療法がとられることとなります。これまた佐倉氏の父親や婚約者に施されたのと同じものなのですが、僕の場合点滴は免れることができました。発熱にけだるさはあったのですが、最後まで犬らしく扱ってやろうといった佐倉氏と医師の配慮によるものだったのでしょう。通院時の注射と投薬のみの治療でした。
ちなみに僕は薬も苦手ではありません。口に入るものなら、大抵のものは喉を通すことが出来たのです。『熊でさえ口にしない』といわれる栃の実というものを佐倉氏の父親からいただいた時も、何の疑いもなく、それこそ咀嚼する間も惜しんで嚥下したものでした。あの時は三日三晩下痢が止まらず、さすがに焦りましたが。
とにかくこんな調子で僕の緊張感に乏しい闘病生活はスタートしました。通院毎の血液検査、持病の薬にフィラリアの薬と、毎月数万円といった経済的負担を佐倉氏にかけてしまったことは申し訳なく思っています。




