第二話
翌朝、俺は清水を連れて、出掛けることにした。
玄関口で草鞋を履いていた俺たちに、永岡が声を掛けてきた。
「久しぶりの東京だ。出歩くなとは申さぬが、どこで邏卒の眼が光っているとも限らぬ。我ら旧会津藩士は監視の対象なのだ。充分に気をつけてくれ」
「物見遊山に参るわけではない。案ずるには及ばぬ」
「夜には、山川さんに来てもらうことになっている。それまでには戻ってきてくれ」
「承知した」
そう言い残すと、俺たちは月照院を後にした。
行き先は、東京の北西にある板橋だ。上宿、仲宿、平尾宿の三つの宿場から成り立つ南北に広がる板橋宿は、中山道の最初の宿場町として江戸時代には大変な賑わいを見せていた。明治に入ってからは宿場町としての機能は薄れつつあるものの、いまでも板橋遊郭として庶民の人気を誇っているらしい。
その平尾宿の北の外れに寿徳寺という名の寺院が建っている。その裏に広がる墓地に、元新撰組局長、近藤勇の亡骸は葬られていた。
俺の人生は、近藤さんとの出逢いから始まったと言っても過言ではない。
新撰組の中心となったのは、近藤さんが江戸で営んでいた天然理心流の町道場、試衛館の門人たちだ。けれど、俺は試衛館とは何の係わりもない。まだ浪士隊と呼ばれていた新撰組が、上洛する将軍の警護のために京に上ってきたとき、俺は、つまらぬ諍いから誤って旗本を斬殺して江戸から出奔して、京にあった小さな町道場に厄介になり、鬱屈した日々を送っていた。
浪士隊が隊士を募集しているという噂を聞きつけた俺は、すがる想いで壬生村にあった屯所に駆けつけた。そこで出会ったのが、角張ったいかつい顔をした近藤さんだった。
創設当初、浪士隊には試衛館派と芹沢鴨派という大きな二つの派閥が存在していた。当時、弱冠二十歳に過ぎなかった俺は、いずれの派閥にも属していなかったにも拘わらず、いきなり副長助勤に抜擢された。俺を推したのは、近藤さんだった。
「俺は、試衛館とは係わりはありませぬ。それなのに、俺のような若造が副長助勤を勤めてもよろしいのですか?」
俺の問いかけに、近藤さんは、えくぼができる柔らかな笑みを浮かべて応えたのだ。
「儂が、情実でことを決するような男に見えるか。おぬしの剣の腕を買ったのだ。ただ、それだけのことよ」
近藤さんは厳しいけれど、潔癖で公明な人だった。
寿徳寺の住職に案内を請い、近藤さんの墓に向かう。墓地の片隅に建つ何の変哲もない小さな墓石には、『勇生院頭光放運居士』という戒名が刻まれている。その周囲には雑草が生い茂り、荒れるに任せていた。
「多摩の地に分骨致しました故、身内の方が来ることはありませぬ。新政府に気遣ってか、此処には参る者もおりませぬ」
穏やかな面貌をした老住職は、そう言って寂しそうな表情を浮かべた。
その墓石の前に線香を立てて、清水と並んで両手を合わせた。自然と俺の脳裡に近藤さんとの記憶が湧き上がってくる。
近藤さんは、鳥羽伏見の戦いが始まる二週間ほど前に伏見街道で狙撃された。犯人は、新撰組に党首の伊東甲子太郎らを謀殺された高台寺党の残党だった。馬上の近藤さんを襲った兇弾は右肩を貫き、夥しい血飛沫をまき散らせた。その負傷のために、近藤さんは鳥羽伏見の戦いには参戦できなかった。治療のために籠もっていた大坂城で、刻々と入ってくる戦況に耳を傾けながら地団駄を踏むしかなかったのだ。
鳥羽伏見の戦いに敗れ、大坂から逃げ戻った将軍・徳川慶喜を追って江戸に舞い戻ってきた新撰組に与えられた新たな使命は、中山道を進攻してくる官軍から天領にある甲府城を守ることだった。幕府から新たに兵を与えられて総勢二百余名となった新撰組は、甲陽鎮撫隊と名を変えた。
けれども、江戸を発った甲陽鎮撫隊は、甲府に急進することなく、甲州街道沿いにある近藤さんの故郷、多摩の地に腰を据え、飲めや騒げやの宴会を繰り広げた。
「かようなことをしている場合ではありますまい。急いで甲府へ参りましょう」
痺れを切らした俺は、近藤さんに向かって苦言を呈した。
だが、近藤さんは寂しげな表情を浮かべて応えたのだ。
「おぬしには判らぬのか? 甲州に向かってくる官軍の数は一千は下るまい。僅か二百の手勢でいったい何ができるというのか。幕府は、官軍に恭順すると腹を決めたのだ。それ故、我らのような抗戦派が江戸にいては困るのだ……我らは、体よく厄介払いをされたのだ。もはや、我らの役目は終わった」
案の定、甲州勝沼宿付近で官軍と戦火を交えた甲陽鎮撫隊は、圧倒的な兵力差を前に僅か一刻ほどで退却を余儀なくされた。
将軍・慶喜を始めとする幕府上層部が恭順の姿勢を決めても、前線で戦う兵士たちのなかには、その方針を受け入れられない者が数多くいた。幕府陸軍の一部およそ二千名が脱走して、北関東に向かい、上野の山に籠もった彰義隊は徐々にその数を増やしていく。
江戸に舞い戻った新撰組も、彼らに呼応して江戸近郊の五兵衛新田に屯集し、新兵を募り弱体化した軍勢を立て直して徹底抗戦することとなった。
その夜、俺は、近藤さんから本陣となった金子左内邸に呼び出された。
「隊伍を整えるには、少々、時間が掛かろう。おぬしは負傷兵を引き連れて一足先に会津に向かってくれ」
「承知しました。会津でお待ちしております」
俺の言葉に、近藤さんは顔を歪めた。
「いや、この後は土方くんに託そうと思うておる。儂は江戸に残るつもりだ。容保公をしっかりお守りするのだぞ」
「何を仰るのです。まだ合戦は終わったわけではありませぬ」
近藤さんは、右腕を摩りながら言葉を継いだ。
「もはやこの身体では合戦に加わることもできぬ」
右肩を射貫かれた近藤さんの利き腕はもう使い物にならなくなっていた。
「多摩の百姓の倅に過ぎなかった儂が、幕臣に取り立てられて、最後は若年寄格にまで登り詰めたのだ。もう充分ではないか。後は、武士らしく立派に腹を斬るだけよ。それで、儂の侍としての一生は完結する。我が人生に悔いなどない」
そう言って、満足げな笑みを浮かべた。
侍に憧れて百姓の身から侍になった近藤さんは、必死で侍らしく生きようともがいてきたのだ。その生き様は、生まれながらの武士よりも遙かに武士に相応しかった。
けれど、切腹するという近藤さんの願いは叶わなかった。
五兵衛新田から転陣した流山で野外訓練を行っている最中に、突如、官軍に急襲された。隊士たちが出払った本陣に残っていた近藤さんは、官軍に取り囲まれて潔く出頭した。だが、近藤さんを待ち受けていたのは最悪の結末だった。東山道軍が本陣を構える板橋宿の外れの馬捨て場にかりそめの刑場が設えられ、正規の手続きも経ぬままに斬首に処されてしまったのだ。
近藤さんは、打ち首にならねばならぬような罪など何ひとつ犯していない。京都守護職の下で新撰組局長として京の治安を守り、幕府の命により官軍と戦ったに過ぎない。敗軍の将として堂々と切腹するのが当然の習わしだったのだ。
強硬に斬首を主張したのは、土佐藩の小軍監・谷干城だった。鳥羽伏見の戦いが始まるおよそ一ヶ月半前に、土佐藩の坂本龍馬が近江屋で暗殺されている。殺ったのは、俺たちではない。けれど、何故か、土佐藩は新撰組が下手人だと信じて疑わなかった。その仇討ちのために、近藤さんは斬首に処されたのだ。とんだ勘違いだったというほかない。近藤さんの無念さを思うと、いまでも居たたまれなくなる。
――近藤さん、見ていて下さい。俺たちが必ず仇を獲ってみせます。
俺は、墓石の前でそう誓った。
近藤さんの墓に別れを告げると、板橋宿に軒を連ねる茶屋のひとつで軽食を摂った後、中山道を浅草に向かう。
歩き始めてしばらくすると、俺は違和感を覚えた。
並んで歩く清水を見遣ると、清水も同じことを感じたのか、目線で合図を送ってきた。それだけで充分だった。俺は小さく肯くと、一気に駆け出した。
ふたり同時に近くの路地に飛び込んだ。俺はすぐさま物陰に身を隠す。その前を、清水を追ったひとりの男が駆け抜けていく。
――やはり付けられていたのか。
俺は、路地に飛び出ると、男に向かって大声を発して走り出した。
「何奴だ!」
清水が、俺の声に呼応して反転し、腰に佩いた刀を引き抜き、男に迫っていく。
ふたりに挟まれたことに気づいた男が、思わず立ち止まった。
男に向かって、清水が刃を振りかぶる。だが、次の瞬間、男が大きく跳躍して、路地沿いの築地塀の上に跳び乗った。続け様にその奥の甍の上に乗り移る。まもなく男の姿は俺の視野から消え失せていた。
「忍びか……?」
町人風の出で立ちをしていたが、その内側には鍛え抜かれた強靱な肉体が感じ取れた。まず間違いあるまい。
「新政府の手の者でしょうか?」
清水が、問いかけてきた。
「判らぬ……だが、元々長州藩には鉢屋衆と呼ばれる忍びの者がいたと聞く。新政府が忍び衆を飼っていても不思議はない。これは、油断できぬな」
俺は暗然たる思いでそう応えた。




