第三話
山川浩が月照院に顔を出したのは、夜も随分と更けてからのことだった。
本堂に入ってきた山川は、その場に集まった俺たちを見渡して、戯けた声をあげた。
「これはまた懐かしい顔が揃っているじゃないか。同窓会でも開くつもりかい」
洋装の軍服に身を包んだ精悍な容姿は以前と少しも変わりない。
山川とは、会津戦争を一緒に戦った仲だ。
慶応四年六月二十六日。俺たちは、鬼怒川温泉にほど近い山間の地、藤原にいた。
白河戦線から転陣してきた新撰組は、歩兵奉行・大鳥圭介率いる旧幕府伝習隊と山川率いる会津藩朱雀隊を中心とするおよそ五百からなる日光口守備隊に編入された。
日光口守備隊は、すでに会津西街道における要衝の地、今市を守るべく二度に亘り官軍と交戦したものの、いずれの戦いにも敗れて、その三里ほど北方にある藤原にまで兵を退いていたのだ。この地を突破されると、その先には防衛戦を敷けるような要地はなく、会津盆地まで地滑り的に退却せざるを得なくなる。絶対に死守しなければならない戦略拠点だった。
昨日、藤原の南にある小佐越に布陣していた前線部隊が、官軍の佐賀藩兵の急襲を受け、藤原にまで撤退してきた。この日、藤原の地で官軍との決戦が行われることはまず間違いなかった。
その朝、山川が俺のいる陣屋を訪ねてきた。
「どれだけ仏蘭西式兵術を学んでいるのかは知らぬが、大鳥総督は合戦を余りにも教科書的に考えすぎている。指揮官が前線に立たずして、どうして兵士が奮い立つ。あれじゃ、合戦には勝てない。今回ばかりは、会津は会津のやり方で戦わせてもらうことにした。新撰組も付き合ってくれぬか?」
「何を考えているのです?」
「俺たちは迂回して敵の横っ腹を突く。銃撃戦で混乱を来した処で白兵戦に持ち込んでやる。官軍の農兵どもに武士の戦い方を見せつけてやるのさ」
「面白い。喜んで俺たちの命をお預けしましょう」
藤原に至る鬼怒川沿いの山道の途中にある小原沢と呼ばれる付近は、東に聳える亡鬼山の麓が大きく張り出して荷馬が一頭ようやく通れるぐらいまで道が狭まった難所となっていた。
亡鬼山の山腹に築いた塹壕から伝習隊が一斉射撃を開始すると、北上してきた官軍は立ち往生した。そこに、西側から山中を迂回してきた会津勢が側背を突いたため、官軍は恐慌を来し、総崩れとなった。慌てた官軍は、虎の子のアームストロング砲を始め、元込め銃や弾薬を置き去りにしたまま逃走していった。旧幕府軍側の敗戦が続く戊辰戦争において数少ない大勝利となったのである。
日光口戦線が膠着してしまったため、山川率いる会津勢にその場を任せ、俺たちは伝習隊とともに守備が手薄な母成峠に転陣した。けれども、官軍の大軍勢の前に母成峠を死守することは叶わず、会津城下への官軍の進攻を許してしまった。
山川が日光口から城下に舞い戻ってきたのは、その二日後のことである。そのとき、すでに鶴ヶ城は官軍に完全に包囲されていた。だが、山川は、会津盆地に春を告げる地元の伝統である彼岸獅子舞の行列を先頭に立てて、官軍が呆気にとられて見守るなかを悠然と敵中突破し、大手門から堂々と城に帰還したのである。
山川は、ただ頭が切れるだけではなく、そんな胆力をも兼ね備えた豪傑だった。
俺たちの前に山川が腰を下ろすと、永岡が声を掛けた。
「私が話さずとも、この顔ぶれを見れば、山川さんなら私が何を企んでいるのかぐらい察しがつくのではありませぬか?」
山川が強張った顔で応える。
「再び武力政変を目論んでいるのだな」
永岡が大きく肯いた。
「新政府は分裂を来し、西郷を始め留守政府組の参議たちは野に下りました。いまこそ格好の機会だとは思いませぬか?」
「……たしかにいま政府が岐路に立っているのは間違いない」
「幸い山川さんが陸軍に潜り込んでくれたお陰で、二百人もの旧藩士たちを実戦部隊として使うことができる。今度こそきっと上手くいきます」
山川は、この春から旧会津藩士二百人を引き連れて陸軍省に勤務していた。首尾良く政府内に潜り込むことに奏功したのだ。
「…………」
山川が、険しい表情を浮かべて考え込んだ。
その様子を見て、永岡が思わず身を乗り出した。
「いったいどうしたのです? 当然、山川さんは、仲間に加わってくれるものと信じておりましたが……」
「実はな、熊本鎮台への異動を命じられているのだ」
「何ですって!」
熊本鎮台とは、九州全域の治安維持を目的に設置された政府直属の常備軍である。
「いま佐賀県では、不平士族が『征韓党』と『憂国党』というふたつの反政府組織を結成し、政情不安に陥っている。有事に備えるために、早急に熊本鎮台を増強する必要が生じた。というのが、表向きの理由だ。もっとも、本音の部分では、私のような危険人物を何時までも東京に置いておくわけにはいかないということだろう」
山川の言葉に、永岡が血相を変えた。
「それは困ります。なんとか転勤を引き延ばすわけには参りませんか?」
「無理だな。私もなんとか命令を撤回させられないかと粘ってみた。だが、もうこれ以上、猶予はできないそうだ」
「なれば……」
永岡が勢い込んで発した言葉を、山川が遮った。
「せっかく職を得た旧藩士たちを再び路頭に迷わせるわけにはいかぬ。私は熊本への異動を受けようと思っている。いまは熊本鎮台の司令長官に就いている谷殿には、二百人もの旧藩士たちを拾ってもらった恩義がある。その顔を潰すような真似もできぬからな」
山川の言葉が、俺の心を逆撫でした。
「谷というのは、まさか元土佐藩士の谷干城ではありますまいな」
俺は、思わず口走っていた。
「それがどうした?」
「谷干城は、近藤勇さんを斬首に追いやった新撰組の仇敵なんだ!」
「ああ、聞いたよ。坂本龍馬殿を殺ったのは、結局、京都見廻組だったそうだな。谷さんはそのことを悔いておったよ」
「いまさら悔いても、近藤さんは……」
「谷殿は戊辰戦争のときは、強硬派の急先鋒だった。薩長には負けぬとの気負いもあったのだろう。だが、いまはそのことを後悔しているよ。だからこそ、困窮している旧会津藩士のことを気遣って自分の下に雇い入れてくれたのだ」
「…………」
「私は、日光口の合戦において谷殿が率いる土佐藩とも今市で戦火を交えている。谷殿は、その当時の私の戦い振りを憶えていてくれて、私に声を掛けてきたのだ。かつて互いに剣を交えた敵将を用いるなど、なかなかできることではない。そうは思わないか? 私は、正直有り難いと思った」
「……なるほど。山川さんは、すっかり新政府に取り込まれてしまったというわけだ」
俺は、吐き捨てるようにつぶやいた。
「魂まで新政府に売り渡したわけではない。君たちの気持ちも理解しているつもりだ。それ故、君たちを止める気はない。けれど、いまの私は、君たちと行動を共にすることはできない」
「どうあっても、我らの計画に加わってはくれぬのですか」
永岡が、未練がましく言い募った。
「済まぬ」そう言って、山川が頭を下げた。
「……残念です」
永岡が歯を食い縛り、絞り出すように言った。
「山川殿が加わらぬとなれば、おぬしの絵図面は大きく変わることになるな」
俺たちのやり取りに耳を傾けていた中根が、永岡に向かって尋ねかけた。
「いや……陸軍少将の桐野利秋や近衛局長官の篠原国幹を始め、薩摩出身の陸軍将兵や近衛兵ら六百余名が、西郷の後を追って鹿児島に帰郷したと聞く。けれど、西郷従道や大山巌ら政府に留まった薩摩出身の陸軍将兵も多くいる。旧会津藩士たちを使えなくとも、西郷さえ起ってくれれば、彼らのなかから呼応してくれる者たちが出てくるはずだ」
「西郷?……いったい何の話をしている」
山川が訝しげに訊いた。
「武力政変の旗頭として西郷隆盛を押し立て、その下に全国の不平士族を糾合する。それが、私の目論見なのです」
「うむ……」
山川が、永岡の言葉に思わず考え込んだ。
「賛同してくれぬのですか?」
「たしかに西郷が本気になれば、いまの政府を潰せるかもしれぬ。けれど、西郷はついこの間まで政府の中枢にいた男だ。西郷を立てたのでは、薩摩内の権力闘争と見なされてしまうだろう。それでは、旧幕勢力はもちろんそのほかの地にいる不平士族たちを糾合することはできぬかも知れぬぞ」
「では、どうすれば……?」
「いまの政府を倒し、全く新しい別の政府を作る気ならば、誰の目にも判りやすい旗頭が必要となる。もうひとり旗頭を立てろ」
「もうひとり?……しかし、いったい誰を?」
永岡が、戸惑ったように顔を曇らせた。
「徳川慶喜公よ」
山川が、毅然とした声で言った。
「まさか……」
「慶喜公はいま駿府に逼塞しているが、必ずしも現在の状況に納得しているわけではあるまい。慶喜公と西郷の手を結ばせるのだ。さすれば、薩長や佐賀の不平士族ばかりでなく、旧幕勢力の支持も得られよう。必ずやいまの政府を倒すことができる」
山川はそう言って、不敵な笑みを浮かべた。




