第一話
明治に入り、江戸から改称した東京の街は、諸大名が国元に戻り、徳川家の駿河移封に伴って旗本、御家人も離散したために、武家に生計を依存していた町人たちまで困窮して、まるで火が消えたような状況に陥っていた。
江戸時代の最盛期には、百三十万人にまで膨れ上がっていた人口は六十万人弱にまで激減しており、市中の七割を占めていた武家地は荒廃して、周辺部の大名屋敷には住む者すらなく、桑畑や茶畑に転用される有様だった。
文明開化を急ぐ新政府は、昨年九月に新橋と横浜の間に陸蒸気を開通させ、大火災により約三千戸が焼失した銀座では、煉瓦造りの街並み建設が始まってはいたものの、東京の街造りはまだ緒についたばかりであった。
永岡は、未だに江戸の情緒を色濃く残した浅草の地に居を構えていた。
けれども、夜遅くに東京にたどり着いた俺たち一行が宿所としたのは、彼の居宅からほど近い新堀通り沿いに建つ月照院という名の古びた寺院だった。
「会津出身で新聞社を立ち上げた私は、当局に目を付けられている。私の居宅の周りには、密偵の影が見え隠れしているのだ。それ故、諸君のために隠れ家を用意しておいた」
その夜は、長旅を労うために、一同が本堂に会してささやかな宴となった。もっとも、永岡とてこれまで東京の街で困窮した生活を送っていたのだ。皆に馳走を振る舞う余裕などない。用意されたのは、濁酒の他にはししゃもや漬物といった粗末な肴に過ぎない。
酒も入って会津藩時代の昔話でひとしきり盛り上がった後の束の間の静寂のなか、中根米七が唐突に切り出した。
「永岡殿、おぬしに誘われて東京までやって来たけれど、未だに具体的な話を聞かされておらぬ。そろそろおぬしの計画を打ち明けてはくれぬか?」
その言葉に、永岡が威儀を正した。
「これまで皆さんとじっくりお話をする時間を作れず、申し訳ございませんでした。実は、もうひとり仲間に加わって頂くつもりのお方がいます」
「ほう、それはどなたかな?」
「山川浩さんです」
「……あの山川さんを?」
俺は思わず言葉を漏らしていた。
門閥制の強い会津で二代続けて家老職を務める名家に生まれた山川浩ではあるが、若くして将来を嘱望される逸材だった。幕末には、露西亜との樺太境界交渉のために幕府が派遣した使節団に随行員として参加し、欧州諸国を訪問して見聞を広め、「知将・山川」と謳われるほどになる。戊辰戦争においては、日光口を守備して追撃してくる官軍を敗走させ、鶴ヶ城籠城戦ではまだ二十四歳という若さで家老に就任し、軍事総督として奮戦した。
維新後は、斗南藩の最高指導者である権大参事に就任し、藩の復権に努めてきたが、廃藩置県後は、永岡と時を同じくして上京したと聞いている。
「いま、山川さんは、ここからほど近い永住町にある観蔵院という寺院に間借りしています。私と山川さんは東京に出て来てからもずっと同志なのです。実を言うと、かつて私たちは一度政権転覆を画策したことがあります」
青森県令として赴任してきた元大垣藩士・菱田重礼は、徹底的に旧斗南藩士を冷遇する態度を示した。そのため、永岡と山川は職を辞し、上京すると、県令のすげ替えとともに窮迫していた斗南士族の救済を求めて奔走した。やっとのことで旧薩摩藩士の左院議官・高崎五六を通じて参議の大隈重信に嘆願を果たしたものの、大隈からは要求を拒絶されてしまう。激怒したふたりは、一気に新政府を倒すべく動き出したのである。
山川は、鹿児島県参事・大山綱良とともに密かに鹿児島に潜入した。
彼の狙いは、元薩摩藩国父、島津久光だった。久光が新政府の施政に強硬に反対していることはつとに知られていた。上京すべしという政府の命を無視して鹿児島に居座り続け、廃藩置県を知らされたときには、錦江湾に盛大に花火を打ち上げて憂さを晴らしたのは有名な話だ。山川は、島津久光を旗頭に立てて、全国の不平士族を糾合して政府を倒壊させようと目論んだのだ。
「けれども、その企ては結局、失敗に終わりました。久光公はあまりにも守旧的過ぎた。未だに江戸時代のような幕藩体制に戻すことを夢見ておられる。私たちは、そこまで時計の針を戻すことを望んでいるわけではない。いまの薩長を中心とする腐敗した藩閥政治を打破して、開かれた議会の下で会津を始め旧幕府側の優秀な人材も積極的に登用し、挙国一致の政府を実現する。その上で、海外から新しい技術を取り入れながらも、列強の覇権主義に追随することなく、日本の古き良き伝統を守って新しい平和な国家を築きたいのです」
「おぬしの想いは判った。それで、どうやって政府を倒すつもりなのだ?」
中根が、永岡に畳みかける。
「もはや我らの力だけで政府を倒すことはできませぬ。けれど、ご存じの通り新政府により虐げられた全国の士族たちの間では不平不満が渦巻いています。佐賀を始め、熊本、福岡といった各地では不穏な動きも起きつつあります。我々の手でそれらの動きをひとつにまとめ、一斉に蜂起させるのです。さすれば、いまの政府にそれを制することはできませぬ」
一旦、間を取った永岡が、毅然とした眼差しで言葉を継いだ。
「そして、その武力政変の旗頭として、西郷隆盛を担ごうと思っています」
その言葉に、高津仲三郎が思わず目を剥いた。
「西郷だと?……奴こそ憎き薩長の親玉、我らの仇敵にほかならぬではないか」
「おぬしの気持ちが判らぬわけではない。けれど、不平士族たちを糾合するためには、どうしても旗頭が必要なのだ。いまの政府と対立し、野に下った西郷隆盛こそが、その役に相応しいと私は思っている」
「……しかし、よりによって薩摩の西郷を担ごうとはな」
高津が、憮然とした表情を浮かべた。
「我らの真の仇は長州よ。西郷は、旧幕府軍を壊滅させることなど望んでいなかった。だからこそ、勝海舟殿との話し合いの末に江戸総攻撃を取り止め、戊辰戦争においても征討軍総司令官として、最後まで抵抗した庄内藩に対して寛大な処分を下したのだ。もしも、奥羽鎮撫総督府の下参謀が長州の世良修蔵などという外道ではなく、西郷だったならば、その後の我らの軌跡もずいぶんと違ったものになったはずだ」
「それはそうかもしれぬが……」
「西郷は、天下を取った途端に私利私欲に走り、贅沢三昧の生活を送り始めた長州閥の高官に嫌悪感を抱いていた。それ故、不正に手を染め、辞任に追い込まれざるを得なくなった山縣や井上らに手を差し伸べることをしなかった。すでに薩長による藩閥政治には幻滅していたはずだ。だからこそ、留守政府では大隈や江藤らの佐賀藩出身者を重用したのだろう」
近衛兵を統括する陸軍大輔の山縣有朋は、元奇兵隊士の貿易商・山城屋を陸軍省の御用商人にして何かと便宜を図っては、巨額の賄賂を受け取っていたが、山城屋に多額の陸軍公金を貸し付けていたことが発覚して辞職に追い込まれた。西郷に「三井の番頭さん」と揶揄されるほどに豪商と癒着していた大蔵大輔・井上馨は、大蔵省が没収した尾去沢銅山を出入りの商人に安く払い下げて、事実上私物化したことが問題となり、失脚していた。
「留守政府の参議たちを追い出し、再び権力を握った大久保と木戸は、薩長による藩閥政治を復活させるつもりだろう。西郷ならば、きっといまの政府を打倒しようという我ら意思に賛同してくれるに違いない」
「だが、西郷を担ぐということは、我らが西郷の僕となることにほかならぬではないか」
高津が、なおも食い下がった。
「西郷を担ぐのは、あくまでいまの政府を倒すための方便に過ぎぬ。西郷は軍人であって、政治家ではない。政権を獲った後は、結局、我らが事実上、政府を司っていくことになるのだ」
依然として不満げな様子を崩さぬ高津を見遣り、俺は助け船を出した。
「俺たちは、永岡さんに身を預けたのだ。永岡さんの案に従おうじゃないか。もしも、武力政変に成功した暁に、西郷が我らの意にそぐわぬ振る舞いをするのであれば、そのときには考えればいいことだ」
そう言って、脇に置いた鬼神丸国重を一瞥した。
高津は、俺の言葉に苦いものを呑み込むようにして、椀に残った濁酒を呷った。




