第二話
阿賀川沿いに会津盆地を南下して、芦ノ牧の温泉地を過ぎた辺りで山地に入った。
樹木に囲まれた山道とも獣道とも見分けがつかぬほど険しい道を進むこと一刻あまり、幾つもの山を越えた先にまるで隠れ里のように布引高原が広がっていた。
「まさかこんな山奥にこのような高原があったとはな。会津で生まれ育った儂ですら知らなかった。まさに身を潜めるには打って付けの場所だな」
中根が感心したようにつぶやいた。
その一角に造られた狭い田畑の脇に、丸太で出来た一軒の山小屋がぽつんと建っている。
「あそこのようだな」
永岡を先頭にして一行は、灌木が繁る草原を進み、その建家に向かった。
「失礼する!」
永岡が声をあげ、無造作に小屋の扉を押し開ける。
その瞬間、俺の身体は、剣客の本能に突き動かされていた。咄嗟に跳び出し、永岡の襟を掴んで引きずり倒す。直後に小屋のなかから、鋭い殺気とともに槍の穂先が飛んできた。腰に佩いた「鬼神丸国重」を引き抜き、槍の柄を弾き飛ばす。
「案ずるな! 俺たちは官憲ではない」
俺があげた叫び声に応じて、なかからひとりの男が姿を現した。
獣皮を羽織った六尺あまりの大駆である。顔を覆った無精髭が、魁偉と呼ばれた容貌に凄みを添えていた。間違いなく俺の見知った高津仲三郎だった。
「俺だ。憶えておるか? 元新撰組の斎藤一だ」
「儂の槍を躱すとは、おぬし、まだ腕は鈍っておらぬようだな」
高津は、宝蔵院流槍術を究めた会津藩でも屈指の槍の達人だ。会津藩主・松平容保の京都守護職就任に伴い、別撰組隊士として上洛した。俺とはその頃からの知り合いだ。
「気をつけろ。おぬしが殺そうとしたのは、永岡久茂さんだぞ」
高津が、まだ尻餅をついていた永岡を見遣る。
「儂の隠れ家に土足で立ち入ろうとしたのだ。文句は言えまい」
永岡は立ち上がると、頭を下げた。
「すまなかった。おぬしの居場所は町野主水殿に教わった。おぬしと話をしたいと思い、ここまでやって来たのだ」
「誰かが見ているとも限らぬ。とにかくなかに入ってくれ」
なかは、真ん中に囲炉裏が切られた板間だけの狭い空間だった。
その部屋の隅で、ひとりの女性が怯えたように身を縮こまらせていた。年の頃、十四、五歳のまだあどけなさが残る若い娘だ。
「幸と呼んでおる。会津戦争で家族を失った戦災孤児だ。どことなく死んだ娘に面影が似ていたため、引き取って暮らしておる」
遊撃隊として越後口を固めていた高津は、官軍が会津市街地にまで進攻してきたとの報せを受けて、慌てて城下へと取って返した。けれど、その時には、すでに街に取り残された高津の母、妻、娘の三人は喉を突いて自害した後だった。
官軍が会津に攻め入ってきたその日、会津藩が滅びるという絶望感のなか、籠城戦の足手まといにならないようにと自ら命を絶った婦女子が大勢いた。その数は、その日一日だけで二百数十人に及ぶと言われている。
「幸は口が固い故、気遣う必要はない。取り敢えず座ってくれ」
一行は、囲炉裏を中心にして車座になった。
「町野殿から、おぬしが牢抜けをしたと聞かされた。いったい何をしでかしたのだ?」
永岡が、口を開いた。
「なに、久保村文四郎という名の腐れ外道を叩き斬ったまでのこと。おぬしらも、儂や伴百悦殿が町野殿の下で遺体の埋葬を手伝ったことは承知しておろう」
戦死した会津藩士たちの遺体の埋葬は困難を極めた。
鶴ヶ城開城直後に会津に設置された民政局は、直ちに遺体埋葬令を発布した。けれど、薩長を中心とする新政府が、これに待ったを掛けた。
『戦死者一切に対して決して何等の処置をも為すべからず、もしそれを敢て為す者あれば厳罰す』との通達を発したのである。結局、町野らの懸命の働きかけで遺体埋葬が始まったのは、冬を越し、雪解けを待ってからのことだった。その間、遺体は腐乱するがまま街中に放置された。
埋葬が始まっても、その作業は被差別部落民により行うこととされたために、『屍を投げ入れること岩石を扱う如し』という扱いであった。見兼ねた高津や伴は敢えて自ら身分を落とし、直接埋葬作業に携わったのである。そうして、二ヶ月に亘る埋葬作業の末、総数千六百強の遺体が十六カ所の寺院に葬られた。
「にも拘わらず、民政局監察だった久保村は、嫌がらせのために我らが苦労して建立した『殉難之碑』や『拝殿』を勝手に撤去させたのだ。それ故、束松峠にて天誅を下したのよ」
「……そうであったか」
「儂と行動を共にした伴殿は捕吏に追い詰められて、自刃して果てた。けれど、儂は、幸を残して死ぬわけにはいかなかったのだ」
「事情は承知した。なれど、こうして山奥に潜んでいるばかりでは、埓が明かないのではないか?」
「放っておいてくれ」
高津が、憤然とした表情を浮かべた。
「どうだ。我らの仲間になる気はないか?」
永岡が、身を乗り出すようにして問いかける。
「なに……?」
「我らは、いまの政府を転覆しようと目論んでいる。おぬしの薩長に対する恨みは、我らに優るとも劣るまい。我らと行動を共にしてはくれまいか」
「……なるほど。要人暗殺か。そのために儂の槍の腕を借りたいというわけだな」
「そうではない。もっと壮大な計画だ。我らは武力政変を企んでおるのだ」
「武力政変だと……」
そうつぶやくと、高津は目を閉じてじっと考え込んだ。
「憎き薩長政府を倒すのだ。そう考えるだけで心が躍らぬか?」
永岡の煽り言葉に、高津が目を見開いた。
「儂は官憲に追われる身だ。それでも構わぬのか?」
「大丈夫だ。東京の街に紛れてしまえば、簡単に見つかることはあるまい。念のために名前を変えてもいい」
「判った。但し、条件がある。幸を連れていく。それでも良ければ、話に乗ろう」
「なに? この娘をか……」
永岡に続いて、そこに居た皆が一斉に幸を振り返る。いきなり注目を浴びた娘は、ただ困惑するように目を白黒させていた。
「そなたは、それでよいのか?」
永岡が、優しく幸に問いかける。
けれど、幸は無言のまま永岡のことを見詰めるばかりだった。
「無駄だ。幸は口がきけぬ。儂が出会ったときには、すでに言葉を失っていたのだ」
高津が廃寺の境内で彼女を見つけたとき、幸は、斬殺された母の遺体の傍にじっとしゃがみ込み、涙も涸れて呆然自失になっていたという。
「幸よ、儂と共に東京に参ろう」
高津の言葉に、幸が力強く首を振った。




