第一話
俺たち一行は、五戸から徒歩で四日かけて二本松にたどり着いた。
そこから、二本松街道を西に向かう。東京に戻る途中で、会津に立ち寄ることになっていたのだ。
猪苗代湖の北岸を進み、山中に入る。滝沢峠を越えてしばらく山道を下ると、いきなり視界が開けた。そこから、会津の市街地が一望できる。
その悲惨な光景を目の当たりにして息を呑んだ。
官軍に焼き払われて灰燼と帰した郭内の家並みは、五年経ったいまでもほとんど復興が進んでいない。至る所に更地が目立ち、中には黒焦げの梁と柱だけになったまま放置された家屋まで残っている。
廃藩置県の後、斗南から会津に戻ってきた元藩士たちが大勢いた。けれど、戦後は新政府の直轄地になった会津では、元の家に帰ることすらできなかったのだ。
その荒廃した街並みの先に、鶴ヶ城の五層の天守閣が聳えていた。官軍の夥しい砲撃により甍は崩落し、所々に大穴が空き、亀裂が入った白壁は汚泥にまみれている。けれど、無残な姿を晒しながらもいまだに崩れることなく、その偉容を保っていた。
「酷いもんだ……」
永岡が、ぽつりとつぶやいた。
「まったくよ。何故、我らばかりがかように惨い仕打ちを受けねばならなかったのだ」
中根が悔しそうに後を継いだ。
薩長を中心にした官軍の最大の敵だったはずの幕府ですら、その都の江戸の地は官軍の攻撃に晒されていない。ただ上野の山で彰義隊との局地戦が行われただけに終わった。会津藩は幕府から京都守護職を押しつけられて、薩長との矢面に立たざるを得なかったに過ぎない。それなのに、何故、領地が焦土になるほどの無体な攻撃を受けなければならなかったのか。
会津藩は最初から官軍に対して抗戦したわけではない。幕府が早々と官軍に恭順してしまったためにもはや戦う理由もなくなり、同様に恭順の意を示し、仙台、米沢両藩の仲介により奥羽鎮撫総督府に謝罪嘆願書を提出した。にも拘わらず、総督府は嘆願書の受け取りを拒否して強引に戦争に突き進んだ。それは、会津藩に散々煮え湯を呑まされてきた長州藩が抱いていた「会津憎し」の感情に引き摺られた、まさに私的制裁と呼ぶに相応しい醜悪な戦いに過ぎなかった。天下の帰趨を競い合った戦争などでは断じてない。
「いまさら言っても栓なきことだが、我が藩も、もっと早くに薩摩や長州のように門閥に囚われずに、優秀な人材を登用すべきだった。さすれば、ここまで酷いことにはなっていなかったはずだ」
永岡が、ため息を吐き出すようにつぶやいた。
自分が藩を動かせる立場にいれば、こんな無様な結果には終わらせなかった。そう言いたいのだろう。たしかにそんな自負が少しも傲慢に聞こえないほどの活躍を、永岡は戊辰戦争の間に残している。
家老となった梶原平馬の下で奥羽列藩同盟の結成に尽力しただけでなく、武装中立を宣言していた長岡藩執政、河井継之助を説き伏せ、北越後六藩を同盟に加えることに成功したのは、間違いなく永岡の手柄だ。官軍が会津に攻め込んできた時、ひとり戦場を抜け出し、仙台湾に停泊していた榎本武陽率いる幕府海軍の許に走り、わずか百人程といえども兵を借り受けて戻ってきたのは永岡だった。
永岡の無念さはよく判る。けれど、たとえ永岡がどんな立場にいたところで、たったひとりの力で時の流れを止めることなどできやしなかっただろう。
「さて、そろそろ行きましょうか」
俺は、呆然と市街地を眺めていた仲間に声をかけた。
一行が向かったのは、かつての城下の郭外に当たる七日町に建つ「清水屋」という名の老舗の旅館だった。
そこで、ひとりの男が俺たちを待ち受けていた。
「紹介しよう。私の書生をしてもらっている井口慎次郎君だ」
永岡が引き合わせたのは、まだ顔ににきび痕が残る細身の青年だった。
「まさか、この児も我らの仲間なのですか?」
清水が訝るような声をあげた。
「案ずるな。こう見えても、鶴ヶ城籠城戦を白虎隊として戦い抜いた歴とした会津藩士だ。兄君は長命寺の戦いで戦死し、父君の井口隼人殿は、高田藩で謹慎中に亡くなったが故、私が面倒を見ているのだ」
「至りませぬが、よろしくお願いします」
井口がそう言って、深々と頭を下げた。
「ところで、首尾は如何か?」
永岡が井口に問いかける。
「すでに話はつけてあります。いつでもお会いするとのご返事でした」
俺たちよりも一足早く会津に入った井口は、すでに下準備を行っていたらしい。
「ならば、早速だが、いまから会いに行くことにするか」
「あの町野主水殿か……久しいのう」
中根が、永岡の言葉に感慨深げに応じた。
◆
町野主水の屋敷は、清水屋からほど近い北小路通り沿いにあった。
戦後、旧会津藩領の事情を知らない新政府軍は、占領地の取締を補佐するために会津藩士二十名を居残り組として残留させた。その頭首である「若松取締」に任じられたのが、かつて朱雀四番隊長を務めた町野主水である。その後、会津の戦後復興に尽力してきた町野は、いまでは街の顔役になっていた。
俺たちが広間で待っていると、しばらくして町野主水が姿を現した。
町野は、天正年間に蒲生氏郷が会津に転封された際に、近江から会津に移ってきた名家の出だ。その武張った出で立ちは、以前と少しも変わらない。
「これはこれは、雁首そろえていったい何の御用ですかな?」
町野は戯けるようにそう言いながら、上座に腰を下ろした。
「ご無沙汰しております。会津復興に尽力されている町野殿のご活躍を風の便りで聞き、頭が下がる想いでおりました」
永岡が恭しく応えた。
「世辞などよい。久しぶりに会津の地を踏み、愕然としたであろう。何故、復興が進んでおらぬのだ。町野の奴は、いったい何をやっているのだと」
「左様なことはございませぬ」
「いいのだ。あの傍若無人な新政府相手では何も進まぬ」
町野が腹立たしげに吐き捨てた。
「おぬしらは知っているか? あの鶴ヶ城が払い下げられたことを。儂は、方々から金をかき集めて八百六十二円で鶴ヶ城を買い取った。鶴ヶ城の天守閣は、我ら会津藩士の心の拠り所なのだ。たとえ何年掛かっても必ず天守閣を再建してみせる、そう思っておった。なのに、新政府は、いまになって天守閣を取り壊せと言ってきおったのだ。あれはもはや儂のものだ。いったい何の権利があってそんなことが言えるんだ」
今年一月に「廃城令」が公布され、これまで陸軍省の所管となっていた全国の城郭について、今後も陸軍の兵営地等として利用する城を「存城処分」として残し、それ以外の城については「廃城処分」として売却することになった。
一旦は存城処分と決まった鶴ヶ城であったが、陸軍省は一転して売却に方針を転換し、競売にかけられることになった。それを落札したのが町野である。けれど、その後、『旧会津藩士どもの頑陋の輩が、鶴ヶ城の見るに堪えない状況を見て悲愴感慨の情を起こす』のを怖れて、再度、方針を転じて棄却すべきと言い出したのである。もう滅茶苦茶としかいいようがない混乱ぶりであった。
「仰る通り。もはや新政府などに任せておくわけには参りませぬ」
永岡が、射るような眼差しで町野を見詰めながら言った。
「……何を言っておる?」
「実は、我らは、新政府を倒そうと思っております」
永岡は新政府の悪政をあげつらい、西郷ら留守政府の参議たちが下野したいまこそ、武力政変を起こす絶好の機会だと熱っぽく語った。
「それ故、町野殿には是非とも我らと行動を共にして頂きたい。そのお願いをするために本日、参上仕っております」
そう締めくくって、永岡が深々と頭を下げた。
「うむ……」
町野は目を瞑り、両腕を組んで考え込んだ。
「よもや薩長の奴らにご家族を無残に殺された恨みを忘れたわけではありますまい」
官軍が会津城下に攻め入ってきたとき、街に残された婦女子の多くは城に入ることができなかった。町野の屋敷には、幼子ふたりを抱えた妻のやよ、母のきと、姉のふさの五人が取り残されていた。城に入れなかった家族は、やむなく戦火の及んでいない城西の方角へと逃れた。
けれども、村人たちは後難を恐れ、誰ひとりとして家に泊めようと言ってくれる者はいなかった。放浪している最中に、一家は、南摩家に嫁いでいたきとの妹、勝子と偶然にも遭遇する。彼女たちは、一緒に逃げ延び、しばらく彷徨った挙げ句に、ようやく勝方寺に宿を得ることができた。
だが、一家には更なる悲劇が待っていた。官軍のなかには、長州の奇兵隊に代表されるようなおよそ武士とは呼べぬような輩が大勢加わっていた。彼らは、会津において我が物顔でやりたい放題に残虐非道な蛮行を繰り返した。「山狩り」と称して徒党を組んで村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、金品を強奪するとともに、集団で女性を強姦し、時にはなぶり殺しにした。町野の家族も彼らの魔の手にかかり、勝方寺の裏山で一家全員が惨殺されたのである。
「勿論だ。たとえ儂が死んだとしても、薩長の奴らに対する儂のこの憎悪の念がこの世から消えて無くなることはない」
「なれば……」
永岡の勢い込んだ言葉を、町野は手を広げて押しとどめた。
「なれど、儂がおぬしらと行動を共にしたら、いったい誰がこの会津の街を復興させるのだ?」
「それは……」
永岡が一瞬言葉に詰まった。
「いまの政府を転覆させれば、会津の復興も早まるではないのか」
中根が、思わず助け船を出した。
町野は中根の顔を見遣ると、呆れたような表情を浮かべた。
「永岡殿が申すのなら判らぬでもない。昔から奇をてらった行動で我らを驚かせてきたお人だからな。なれど、中根殿ともあろうお方が、まさかさような夢物語を真に受けておるとはな」
「むろん、成功するかどうかは儂にも判らぬ。なれど、夢を夢と笑っているだけでは、物事は何も変わらぬ」
「ものは言い様じゃの」
町野が嘲笑うように応えた。
「どうしても我々に手を貸して頂く気にはなりませぬか?」
永岡が、町野に問いかけた。
「おぬしらの気持ちは痛いほどよく判る。なれど、あれから五年以上の歳月が流れておるのだ。もはや時計の針を戻すことは叶うまい。いまは、仇を討つことよりも、未だに困窮しておる元藩士たちを救うことこそが大事だと儂は思っておる」
「判りました。残念ですが、致し方ありませぬ」
そう言って、永岡が立ち上がりかけた。
「待て。折角ここまで来たのだ。儂は協力できぬが、その代わりに面白い男を紹介してやろう」
「面白い?……いったいどなたです?」
「儂と共に戦後の遺体埋葬を手伝ってくれた、高津仲三郎だ」
「高津殿?……まだ生きておるのですか!」
永岡が驚きの声をあげた。
「ああ、牢から脱獄し、いまは会津山中に密かに潜伏しておる。あの暴れ馬、乗りこなせれば役に立つぞ」
町野が、含み笑いを浮かべた。




