第二話
横浜を出航した名護屋丸は神戸に寄港した後、五月二十一日に大分県の佐賀関港に到着した。
俺は、三等大警部・萩原貞固が指揮する六小隊七百人編成の一隊に組み入れられ、二番隊の半隊長を仰せつかった。かつて戊辰戦争では新撰組の隊長まで務めた俺にとっては、役不足もいいところだが、当時の旧会津藩士の待遇はその程度のものだったのだ。
戦いはすぐに始まった。俺たちの相手は、小倉を目指して大分に進出してきた野村忍介率いる薩摩軍奇兵隊二千余だった。五月二十五日に薩摩軍に占拠されていた竹田の街を奪還するために政府軍は猛攻撃を仕掛けた。
俺たちは、市街地の北方に位置する法師山に築かれた薩摩軍の陣地を制圧するために、白兵戦を展開した。鬨の声をあげながら急な坂を駆け上がり、頂上付近に積み上げられた土塁を乗り越え、薩摩軍を蹴散らして大砲を奪い取った。
その頃には、西郷が本営を構えていた人吉が陥落し、西郷軍の本隊は東の宮崎に向かっていた。俺たち豊後口警視隊も薩摩軍本隊を北から迎え撃つべく南下を開始した。
奇兵隊の襲撃に悩まされながらも、警視隊は延岡の少し北にある三河内の手前まで進軍した。三河内は、幾つもの山々が連なる起伏の多い山地のなかにあり、市尾内川、歌糸川、小川の三川が交わる流域にできた小さな盆地である。薩摩軍はそこに堅固な陣地を築いていた。
七月十二日、警視隊を始めとする政府軍が総攻撃を開始した。
俺が属する警視二番小隊は、丸市尾にて隊を二つに分け、左右から薩摩軍陣地を挟撃することになった。陸軍の兵の一部を吸収して大きくなった一隊を率いた俺は本道を進み、福原峠を越えて焼尾にあった敵の土塁を抜くと、高床に構えた薩摩軍の陣地に肉薄した。
二つに分けたもう一方の別働隊が途中で薩摩軍に阻まれて、進軍が遅れているとの報せが届いた。いつ到着するかも判らぬ隊を当てにすることはできない。
俺は、俺たちの本隊だけで正面突破を試みることにした。だが、薩摩軍が備えた二門の臼砲が繰り出す砲撃を前にして、被害を増やすばかりで前進することが出来ない。
「あの大砲を沈黙させねば、話にならぬ」
俺は、十人ほどの手練れの兵を引き連れ、陣地の間近に迫る山の中を迂回して、側面から斬り込みをかけた。
味方の銃撃の援護のなか先頭を切って急斜面を駆け下り、向かってくる薩摩兵たちを次から次へと斬り捨てながら陣地へと迫る。ついには、臼砲のひとつに取り付き、砲手たちを斬り倒した。その直後に、もう一方の臼砲にも配下の兵たちが殺到した。
――ついに、大砲を沈黙させたぞ!
一瞬、気を緩めた瞬間だった。
後方の堡塁の蔭で黒光りが瞬いたかと思うと、銃声が轟いた。
咄嗟に身をかがめる。けれど、次の瞬間、脇腹に強烈な痛みを感じた。鋼鉄でできた臼砲の曲面に当たった跳弾が、脇腹を剔ったのである。俺は堪らず身を沈めた。
臼砲を失った薩摩軍は敵ではなかった。本隊が正面から攻め掛かっているところに、別働隊も駆けつけ、まもなく壊滅した。
別に命に係わるような怪我ではなかったが、俺は後方の野戦病院に退き、そこでしばらく療養することとなった。
九州は想像以上に広かった。戦場に出向けば、再び西郷に出逢えるかもしれない。そんな俺の甘い期待は無残に打ち砕かれた。毎日のように新たな負傷兵が運び込まれる殺伐とした雰囲気のなかで、俺は無為に刻を過ごしていた。
そんな俺の許に新たな情報がもたらされた。
七月二十四日、政府の第三旅団、第四旅団、別働第一旅団、別働第三旅団からなる大軍が都城の薩摩防衛線を突破し、宮崎に進攻を開始した。同時に、第二旅団、別働第二旅団が高原方面から宮崎に進んでいた。ここに至って、西郷は一足先に宮崎軍務所を放棄し、北に位置する延岡を目指して逃避行を始めた。追おうとしていた西郷が、むこうから勝手に俺がいまいる方向にやって来ているのだ。
その報せを聞いて、小躍りして喜んだ。天は、まだ俺を見捨ててはいなかったのだ。
夜になり、辺りが寝静まったのを見計らって野戦病院を抜け出し、独りで西郷の許に向かう。
小川に沿って伸びる山道を歩き、南に進む。応急処置しかしていない傷口が開き、血が滲み出してきたが、気にも止めなかった。
延岡の北の山中に分け入ったところに熊田と呼ばれる集落がある。その集落に建つ寺院のなかから篝火の明かりが漏れ、大勢の人の気配が感じられた。そここそが、極秘裏に西郷を匿っている薩摩軍の本営に違いない。
明かりを頼りに近づいていくと、俺を認めた衛兵が誰何してきた。
「政府の遣いの者だ。桐野利秋殿を呼んでくれ。斎藤一が来たと言えば、判るはずだ」
桐野は、西郷の参謀格として帷幕に詰めているに違いない。そう睨んでいた。
しばらくすると、桐野が血相を変えて跳んで来た。
「帰れ! 我らは、断じて降伏などせぬ。最後の一兵となるまで戦い抜くつもりだ。帰ってそう伝えよ」
「すまぬ。政府の遣いというのは嘘だ。俺は自分の意志でここまでやって来た」
俺はそう言って頭を下げた。
「……いったいどういうつもりだ?」
「西郷さんと話がしたい。西郷さんに逢わせてくれぬか?」
「何を話すつもりだ?」
「確かめたいことがある」
俺の言葉に桐野が少し考えを巡らせた。
「……何を知りたいのかは知らぬが、いまさらそれを確かめてどうするつもりだ?」
「判らぬ。それは、西郷さん次第だ」
「…………」
「頼む。西郷さんに取り次いでくれ」
俺は深々と低頭した。
「判った。話だけは通してやろう。だが、西郷さァがお逢いするかどうかは判らぬぞ」
「有り難い。礼を言う」
桐野が本営の奥に小走りで向かい、俺はその場でしばらく待たされた。
だが、再び戻って来たのは、桐野ひとりだった。その悄然とした様子に、俺の脳裡に不安がよぎった。
「どうだった?」
俺の問いかけに、桐野が小さく首を振った。
「西郷さァは、お逢いなさらぬそうじゃ」
「……そうか」
「おぬしにこれを渡してくれと……」
そう言って、桐野は薄汚れた一枚の紙きれを差し出した。
そこには、西郷の直筆でたった一言、『敬天愛人』と記されていた。
「これは……?」
俺は、桐野に問いかけた。
「西郷さァが、近頃よく口にする言葉だ。天の道を踏み行うために、天を敬い人を愛さねばならぬ。そして、そのためにも学問を修め、つねに己に克つことに努めるべきである。そういう意味だそうだ」
大罪を犯し、天に見放されたと悟った西郷は、晩年、この言葉を多用したという。自分のように道を踏み外すなという俺に対する忠告なのだろうか。よく判らなかった。
俺は紙切れから顔を上げ、桐野に迫るようにして尋ねた。
「……これだけか? ほかに何か俺に言付けはなかったのか?」
「ああ……『遠慮すっことはなかで、全力で潰しに来やんせ』と」
桐野が、憂いを帯びた表情で応えた。
「……そうか」
何としてでも西郷に確かめなければならないと思っていた。
西郷が自ら率先して兵を挙げたわけではないことは、すでに知れ渡っていた。西郷と共に下野した不平士族たちを中心とした私学校党が暴徒化した後に、叛乱の旗頭として祭り上げられたに過ぎない。しかし、西郷の威光をもってすれば、それ以上の私学校党の暴走を抑えることもできたはずだ。けれども、西郷は、あえてその道を選ばなかった。
もしかしたら、あの武力政変が未遂に終わった後も、西郷は鹿児島の地で逼塞しながらも、心の奥で永岡が来ることをずっと待ちわびていたのではないか。今度こそ本物の南朝帝の末裔を捜し出し、改めて武力政変の企てに誘うために。
けれど、その永岡は、萩の乱に呼応して起こした思案橋事件で捕縛され、この世を去った。そのことを伝え聞いた西郷は絶望し、自らも死所を探す旅に出たのではないか。だとすれば、西郷が人生を誤らせてしまったのは、すべて俺たちの所為なのだ。
そのことを確認した後に、俺はいったい何をするつもりだったのだろう。その場で西郷の介錯をするつもりだったのか。それとも、西郷とともに戦い、西郷とともに死ぬことを望んでいたのか。自分でもよく判らない。そのときの感情に委ねればよい。そう思っていた。
けれど、西郷と逢えないいま、もはやそれを確かめる術はなくなってしまった。
「おぬしとも、これが最後になろうの」
俺は、桐野に声を掛けた。
「ああ。いまはいかに死に際を飾るのか。そればかりを考えておる」
桐野が、力なく応えた。
俺は、その足ですぐに野戦病院に舞い戻った。それからまもなくして俺は戦隊に復帰したはずだが、その後のことはよく憶えていない。もはや前線に立つこともなかったように記憶している。
西郷は、その後一ヶ月以上も九州南部を縦断して戦い続け、結局、九月二十四日に故郷鹿児島の城山で自刃したと伝えられている。
◆
この処、目に見えて胃の具合が悪くなってきた。
思いも寄らず随分と長く生き延びてしまったようだ。けれど、俺も今年で七十二歳になる。納め損なった年貢をようやく納めることが出来そうだ。
西南戦争が終わり、ほどなくして俺は警察官を辞め、その後は高等師範学校付属博物館の看守や女子高等師範学校の事務員の職を得て、戦いとは無縁の穏やかな余生を送ることにした。六年前にはその職も辞し、真砂町にあった自宅で隠居生活を始めた。
幕末維新を駆け抜けた偉人たちはもう何処にもいない。西郷が去った後の政府を切り盛りしていた大久保利通は、西南戦争の翌年に紀尾井坂で暗殺され、その五年後には、あの悪名高き岩倉具視も病死した。長寿であった勝海舟殿も明治三十二年に脳溢血で亡くなり、徳川慶喜公も二年前に死去している。気がつけば、俺ひとり取り残されていたのだ。
すでに昼間でも寝ていることの方が多くなった。昨夜からは布団を仏間に移してもらっている。仏壇には、新撰組で苦楽を共にした近藤さんや土方さんなどのほかに西郷、永岡たちの位牌が並んでいる。もちろん俺が勝手に手作りしたものだ。彼らに看取られながら死にたいと思ったのだ。
近頃、世の中は騒然としている。
昨年、欧州で大戦争が始まり、英吉利と同盟を結んでいた日本も独逸に対して宣戦布告を行った。日清、日露の戦争に勝利したこの国はすっかり増長してしまい、列強諸国が戦闘にかまけている間隙を縫って、中国に対して二十一箇条に及ぶ強引な要求を押しつけている。新聞各紙が民衆を煽り、すっかり好戦的になった世論は帝国主義に染まったいまの政府を後押ししている。
けれど、俺は心の底で違和感を抱き続けている。俺たちが望んだのは、こんな国ではなかったはずだ。この先に壮大なしっぺ返しが待っているのではないか。そんな危惧を拭い切れない。むろん何か根拠があるわけではない。強いて言うならば、幕末維新を生き抜いてきた剣客の本能というものかもしれない。
俺は、この頃しばしば夢想することがある。あのとき、あの武力政変が成就していたら、日本はいったいどんな国になっていただろうかと。きっといまよりも平和で穏やかな国になったに違いない。そんなことをつい考えてしまうのも、俺が歳を取った証かもしれない。
思えば、後悔ばかりの人生であった。もっとも、それこそが、こんな俺に相応しい生き方だったのかもしれない。
開け放した窓の向こうに見える庭から突然けたたましい鳥の鳴き声が聞こえてきた。
その声に振り返ると、黒松の小枝で一羽の不如帰が羽根を休め、こちらを窺っていた。
――そんなに慌てなくても、もうじき俺もそちらに行くよ。
俺は、不如帰に心のなかで優しく語りかけた。




