第一話
明治十年(一八七七)五月――
呼び出しを受けた俺は、鍛冶橋御門内にあった警視本署に向かった。
その一室で俺を出迎えた萩原貞固三等大警部が、 俺の顔を見てほくそ笑んだ。
「随分と待たせたな。ようやく儂らにもお呼びが掛かったぞ」
「……いまさらか? すでに趨勢は決したと聞き及んでいるが」
俺の疑問を打ち消すように萩原が首を振った。
「いや、そうでもないらしい。西郷の軍勢は、内陸部の人吉に移って陣を立て直し、未だに意気軒昂だそうだ」
この年の二月に、ついに西郷隆盛が決起した。いわゆる西南戦争の始まりである。
何故この期に及んで、西郷は起ったのだ? 俺の脳裡には疑念が渦巻いていた。
熊本鎮台が置かれた熊本城を取り囲んだ西郷軍の掃討に向かった政府軍だったが、銃器の質量に圧倒的な差があるにも拘わらず苦戦を強いられた。もともと農民だった実戦慣れしていない鎮台兵を中心とした軍勢では、西郷軍に太刀打ちできなかったのだ。そこで、目を付けられたのが、士族である近衛兵と警察官だ。
なかなか田原坂を抜くことができない政府軍は、大警視・川路利良を長とする警視隊で構成された別働第三旅団を投入することを決めた。
警察官になっていた俺は、その噂を聞きつけると、戦場に赴くべく川路の許に直談判に行った。
どうしてももう一度西郷に逢わねばならぬ。その一念が俺を突き動かしていた。
だが、川路は意味深長な笑みを浮かべて、俺に答えたのだ。
「藤田さんの手を煩わせるほどのことでもあるまい。東京で留守番をしていてくれ」
まさか、いまになってその機会が巡ってくるとは思ってもいなかった。
五月十八日、俺が所属することになった豊後口警視隊は、陸蒸気で新橋停車場から横浜に向かい、そこから三菱汽船の「名護屋丸」に乗船して大分県の佐賀関港を目指した。
俺たちが企てたあの武力政変が未遂に終わった後、年が明けてまもなく佐賀の不平士族が暴発した。中根と高津は彼らを諫めるべく再び佐賀に赴いたが、沸騰した士族たちを抑えることはできなかった。いわゆる佐賀の乱の勃発である。だが、薩摩の西郷との協働が叶わず佐賀一国だけで起こった叛乱など新政府の敵ではなかった。大久保が率いる政府軍に呆気なく鎮圧され、党首に祭り上げられた元参議の江藤新平は斬首に処せられた。
それからまもなくして、俺の前に東京警視庁の長官となった川路利良が現れた。
「よもや約束を忘れたわけではあるまいな。あのときの借りは返してもらうぞ」
あろうことか、川路は俺を警視庁に誘ったのだ。士族たちの叛乱に備えて、薩摩郷士が中心となっている警視庁に広く腕の立つ者を集めておきたいという思惑だったらしい。
俺は迷った挙げ句に、年老いた母親が亡くなり斗南の地で悄然としていた佐川官兵衛をはじめ見所のある旧会津藩士たちに声を掛けて、警視庁に出仕することにした。いまの政府を積極的に支持するわけではない。けれど、西郷が起たない限りは、武力でこれを倒すことはできぬと悟ったのだ。そのとき、未だに政府転覆の夢を捨てきれぬ永岡たちとは袂を分かつこととなった。それからしばらくの間は、彼らと逢うこともなかった。
佐賀の乱の後に、一旦は沈静化してしまった不平士族たちの動きが、明治九年の廃刀令施行を契機として一気に爆発した。刀を佩いていることが、武士の最後の誇りだった。その誇りを踏みにじられた士族たちの怒りはそれほどまでに激しかったのだ。熊本県で神風連が叛乱を起こすと、それに呼応して福岡県で秋月の乱が巻き起こった。そして、それは、ついには薩長政府のお膝元である山口県にまで飛び火して、元参議の前原一誠らによる萩の乱が勃発した。
萩で前原率いる「殉国軍」が挙兵した翌夜、警視本署に夜勤で詰めていた俺の許に不平士族たちが不穏な動きを見せているとの通報が入った。
警視本署からほど近い小網町に掛かる思案橋に向かうと、そこから舟に乗ろうとしていた士族の一群が、すでに現場に駆けつけていた巡査たちと押し問答をしている処だった。そのなかに、永岡の姿を見出した。俺は、巡査たちを押し止め、永岡と対峙した。
俺を認めた永岡は、一瞬たじろいだ様子を見せたが、すぐに嘲るような声を掛けてきた。
「久し振りだな。すっかり警官の制服が似合うようになったじゃないか」
「永岡さん、いったい何をやっているのですか?」
俺の詰問に、永岡が険しい顔をした。
「私は、前原一誠と誓い合ったのだ。ともに起とうとな。裏切るわけにはいかぬ」
俺は改めて永岡の周囲を見渡すと、言葉を返した。
「そんな手勢でいったい何が出来ると言うのですか」
永岡が率いていたのは、十数人の旧会津藩士たちに過ぎなかった。
「我らは、いまから千葉に向かう。佐倉の歩兵連隊には多くの旧会津藩士たちが混じっていると聞く。彼らに決起を促し、ともに会津に向かい、そこで兵を挙げるのだ」
俺は、永岡の言葉に信じられぬ思いで耳を傾けていた。
「そんなことが本当に出来ると思っているのですか?」
「出来るか、出来ないかではない。やるしかないのだ!」
永岡が、悲痛な声をあげた。
心の奥ではすでに判っていることだった。永岡ほどの男が、こんな杜撰な企てが成就すると信じているわけがない。この男は、死に場所を求めているのだと。
それならば、他ならぬこの俺が介錯するしかないではないか。
俺は、手にしていた『鬼神丸国重』の刀身を引き抜いた。
「そなたを千葉に行かせるわけには参らぬ」
「よかろう。相手になってやる」
永岡も腰に佩いた太刀を抜いた。
ふたりのやり取りを端で見守っていた高津が、慌てて飛び込んできた。
「永岡さん、止せ! おぬしが敵うような相手じゃない。儂が代わって相手になろう」
「引っ込んでいてくれ。これは、私の闘いだ」
そう言うと、永岡が青眼に構える。
俺は、受けるように『鬼神丸国重』を下段に構えた。
「掛かってくるがよい」
俺の煽り文句に誘われて、永岡が一気に間を詰めると刀身を袈裟に振り下ろした。その動きに合わせて下段から刀を振り上げ、永岡の刃を弾き返す。瞬時の攻防の間に、永岡の剣術の腕は見切っていた。
俺は再び間合いを取ると、刀を上段に高々と振り上げた。
「次は、俺から参るぞ」
俺は一瞬で間を詰め、裂帛の気合いとともに刀を振り下ろした。
永岡が、その刀身を額の目前で辛うじて受け止める。俺がそのまま力任せに刀を押し出すと、たたらを踏んだ永岡が大きく尻餅をついた。その勢いで、永岡は刀から手を離していた。
俺は、再び『鬼神丸国重』を大きく振りかぶった。
「さらばだ!」
その声に続いて刀身を振り下ろす。
その瞬間、永岡の顔に怯えとも悔恨とも未練とも判別できぬ複雑な色が浮かんだ。少なくともそれは、達観や安堵の表情ではなかった。
その顔色を見た途端、俺の胸の裡に動揺が奔り、咄嗟に刃の軌道を変えた。
『鬼神丸国重』は永岡の太腿を斬り裂いていた。
永岡は、呆けたように鮮血が噴き出る己の内股を見詰めている。
俺は、そんな永岡に向かって小声で話しかけた。
「すぐに応援隊が駆けつける。早く逃げよ」
それだけを言い残すと、すぐさま踵を返し、足早にその場を立ち去った。
それが、永岡との今生の別れとなった。
永岡たちは、その後に応援に駆けつけた警官隊に捕縛され、永岡はそのときの怪我がもとで獄中死し、高津は斬首となった。ひとりその場を逃げ延びた中根も、後に会津に戻ると割腹自殺を遂げている。
神風連の乱、秋月の乱、萩の乱と立て続けに起こった士族たちの叛乱に西郷が与することはなかった。西郷を欠いた叛乱は、まもなく政府軍に制圧され、誰しもが士族の叛乱は終わりを告げたと思った。
けれど、その僅か三ヶ月後に、突如として西郷隆盛が政府に叛旗を翻したのである。




